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縁の下に咲く花達  作者: 光希 佳乃子
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第9章

シンさんに勇気を貰った。


偉そうなことを考えながら、何一つ出来なかった俺に。


前に一歩、進み出すパワーを貰った。


先に進んだところで、解決する訳じゃない。


彼女が襲われない保証は、何処にもない。


それでも・・・じっとしたまま悩んでいるよりは、よほどマシだった。




シンさんと会ったあの日から数日が過ぎた。


この数日、事務所は静かで・・ある意味平和だった。


桜さんはレッスン室と外の教室講師の仕事に追われ。


その合間には打ち合わせと会議。


プロジェクトはトラブルもなく、順調に進んでいるようだった。


・・・でも、俺の隣、七海の席は空席になったままだった。


それはまるで、ぽっかり心に穴が開いたような気分だった。


デスクワークをしていると、時間が過ぎるのが、酷く遅く感じた。


ふっと、仕事の合間に顔を上げても、彼女の気配はない。


喉が渇いて、給湯室にコーヒーを飲みに行っても、彼女の姿はない。


それだけなのに、酷く落胆している自分がいた。





今週末、またテレビ局の収録の仕事がある。


その日は「ERIS」と一緒に音楽番組の収録だった。発売日はまだ少し先だけど、その日収録した番組のオンエアは発売日後なのだ。


この日には「ERIS」のメンバーとも会える、それに・・・MTVでの仕事なので、大沢さんに会うことが出来るかも知れない。


大沢さん・・・「MTVの黒情報屋」というのが、もし本当だったら・・・彼に頼みたいことがあった。


「何だったら、私から大沢先輩に聞いてあげようか?」


俺の考えを知った桜さんが、そう言ってくれたけど、俺はそれを丁寧に断った。


きっと桜さんが頼めば、大沢さんはきっと「俺の頼み」を聞いてくれるだろう。


でも、これは、俺の私情に近い事だし、もっと言ってしまえば、桜さんはこの事件には無関係な筈だ。


その無関係な人間を、これ以上関わらせたくなかった・・・要するに俺自身のエゴだ。




実際、桜さんがレッスン室にいる時、大沢さんが事務所に来ることもあった。


その日も、俺は大沢さんとはいつもの挨拶を交わしたけれど、俺の“頼み”を口にはしなかった。


あの桜さんの事だから、レッスン室で大沢さんと二人きりで話をしているとき、俺の事を話すかも知れない。いや・・・優しい桜さんの事、絶対に話しているだろう。


でも、俺はそれは考えの外に追い出した。


桜さんには、桜さんの立場とかがある。リュウと今現在一緒に仕事していて、利害関係がある立場なのだ。


その彼女を、この件で巻き込むべきではないのだから・・・





週末、音楽番組の収録日。


俺たちはテレビ局へ行った。


いつものように、指定された控室へと向かい、桜さんは収録のための身支度を、憲一さんは打ち合わせへといってしまった。


タイムテーブルを確認すると、これからすぐにリハーサルが始まりそうだ。他の出演者に挨拶して、雑務を片付けたら、すぐに本番だ。


「リハ前は無理・・・か・・・」


今日、テレビ局にいる間に大沢さんに会いたかった。でも、今日のタイムテーブルを見ると・・・その時間さえ取れそうもない。


いつもの、桜さんがレギュラーで伴奏しているあの音楽番組だと、もう少し空き時間があるのだが、今日はそうはいかないみたいだ。


「あ、青木君、ちょっと私着替えるから、部屋から出てくれる?」


「え?」


突然そう言われて、一瞬俺は面食らった。


ここの控え室は、一人用の控え室だけど、着替え用に仕切られたスペースがちゃんとあって、俺がこの部屋にいても、桜さんの着替えに支障はない・・・筈だ。


現に今までだって、着替えるから・・・と言って部屋を出されたことはない。特にテレビ局は、控え室にちゃんと着替える為の仕切られたスペースがあるので、俺がこの部屋にいても差し支えない・・・筈だ。


「うん・・・ちょっと腕痛むから・・・処置もしたいんだ。

ほら、いつもは憲一さんにやってもらうけど、今いないから・・・さ。自分でやるから、席外してほしいの」


「え?腕、痛むんですか?

大丈夫なんですか?

何だったら処置、俺も出来ますよ!

憲一さんから処置方法習っています」


これから本番なのに、一瞬背筋が冷たくなった。本番に演奏不能、なんて、大変なことになる。


けど、桜さんは軽く笑った。


「大丈夫、本番に支障が出るほどじゃないよ。でも、念の為にちょっと処置したいんだ。

服脱ぐから・・・外出ててくれる?」


「あ、はいっ!」


俺は慌てて立ち上がり、控え室から出ようとした。


そして、ドアから外に出ようとした、その瞬間・・・


「・・・今の時間だったら、食堂に先輩が・・いるから」


小さな声だった。聞き逃すほどの・・・


桜さんが、確かにそう言った。その瞬間、俺は思わず桜さんの方を向いた。


桜さんが言う“先輩”・・・それが大沢さんだと言う事は明白だ。


けど桜さんは何食わぬ顔で、肩の処置の道具を出して準備をしている。こちらを見ようともしない。まるで、今の小さな声の言葉は無かったかのように。


俺が大沢さんに会いたがっているのを、桜さんは知っている。だから時間をくれたんだ。


「ありがとうございます・・・行ってきます!」


俺は桜さんにそう言って深くお辞儀をすると、控え室から出て行った。


食堂は、こことは別の階にある社員食堂の事だけど、実際は社員以外でも使えるので、俺や憲一さんが収録の合間の昼食に使う事もある。


控え室から出た俺は、その足でエレベーターにのり、社食のあるフロアへと移った。そして足早に社食へと向かった。


社食は、昼休み前のせいか、人は殆ど居なかった。


けど、その社食の窓際の一角に、大沢さんは座っていた。コーヒーを片手に、窓の外を見上げていた。


その顔は・・・何と表現したら良いんだろう?


俺が知っている大沢さん・・・桜さんと向かい合い、桜さんとやりとりをしている大沢さんとは、明らかに違う表情だった。


ああいうのを、“素”の顔とでもいうのだろうか?


窓の外、空を見つめながら・・遠くを見る目をしていた。


その目は、誰を・・・何を見つめているのか、俺には判らなかったけど。


桜さんを見る視線とも違う、愛しい何かを見つめるような、少し切ないその目に、一瞬身体が動かなくなった。


例えばそれは、学生時代、学年も違う、話したこともないような先輩に恋した女が、遠くにいるその先輩を見つめているような。


好きなのに、想いを伝えるわけでもなく、かと言ってその片恋が辛いわけでもなく、ただ見つめているだけで満たされている様な、穏やかな目だった。


正直、あの大沢さんが、こんな表情を隠し持っているなんて、意外だった。


その表情に、一瞬声をかけるのを躊躇した。


でも、ここで止まるわけにはいかない。


「・・・大沢さん?」


そう名前を呼ぶと、大沢さんは窓の外から視線を外して、いつものポーカーフェイスに戻って俺の方を見た。


「・・・青木さんか、どうかしたか?」


「大沢さんに、話が・・・いえ、頼みがあるんです」


「頼み?」


「MTVの黒情報屋、なんでしょ?

調べて欲しい事が、あるんです」


“MTVの黒情報屋”。その呼び名を出した途端、大沢さんの表情が少し、変わった。


「その呼び名、叶野が教えたのか?」


目が、少し鋭く、射貫くような黒い視線が痛い。でも、ここで逃げるわけにはいかない。


俺は首を横に振った。


「桜さんじゃありません。

事務所内の噂・・・です。

本当なんですか?」


逆にそう聞くと、大沢さんは少しだけ、口元を歪ませた。


「そうだと言ったら?」


「調べて欲しい事があるんです。

“MTVの黒情報屋”に」


そう言いながら、大沢さんの前に、携帯を置いた。


ライトパープルの、飾りっ気のない携帯・・・七海さんの携帯だ。


そして、その携帯を見た途端、大沢さんの表情が変わった。


「お前、これ、どうして・・」


「七海さんが襲われた時・・・あの現場に落ちていたんです。

拾ったまま・・・返し損なっていたんです」


「どうしてっ

今、これ警察が必死で捜してるんだぞ!

こんなもん持ってることが警察にばれたらどうなると思ってんだ?

犯行の証拠になるメールも、全部これにっ・・・」


大沢さんの真剣な声が俺に突き刺さる。でも、俺はそれでも・・


「これに入ってる、七海さん宛のメール・・・差出人を調べてほしいんです」


彼女の携帯に送られて来ている脅迫メールは、フリーアドレスで、誰の物か判らない。でも、この大沢さんだったら、これがどこから送られて来ているか、調べられるはずだ。


“MTVの黒情報屋”その異名が本当だとしたら・・・


「何の為に?」


「このメールを貰った人を・・・守りたいからです」


「どうして?」


「もう彼女を・・・あんな目に遭わせたくないから、です・・・」


その気持ちに、嘘はなかった。


彼女の事を好きだし、大切だ。でも、1番の想いはそれだった。


「このメールの差出人が、七海さんを襲った犯人です。

だから、この差出人が判れば、手がかりになると思うからです」


「そうとも限らないぜ」


静かな声で、大沢さんは言った。


「犯人が、誰かに依頼してメールを送らせた・・・とは考えないのか?」


「え?」


「誰が送ったか、ってのと犯人は・・・別じゃないのか?」


そう言われて、俺は思わず言葉を失った。


メールを送った人間と犯人が別の人・・・考えてみればそうかもしれない。


「足がつくって思ったら、自分のメアドなんか使えないだろ?

足がつかないように、使い捨てできるメアドを取って、それで送る。

環境が許されるなら、自分のパソコンや携帯からは送らない。

俺が脅迫メールを送るなら、最低限、そうする・・・

足のつかない共犯者がいれば、そいつに送らせる。

だから、このメールを送ってきた人間が犯人、と決めるのは早いと思うが?」


そこまで言われてしまうと、俺は何も言い返せない。なるほど、言われてみれば確かにその方が現実的だ。


「話にならないな」


大沢さんは、俺の顔を見上げながら静かにそう言った。


言われた瞬間、ぎくりと心臓が嫌な音を立てて跳ね上がった。


「・・・悪い。

俺、今、別件追ってて忙しいんだ」


切り捨てるようにそう言った。その表情は、さっきまで話していた表情とは違い、突き放すような声だった。


「別件って・・・」


一瞬、シンさんの部屋で話していた桜さんの話を思い出した。


『その“MTV”の黒情報屋がね、今追っかけてる事件があってね。

私、仕事柄、その事件の関係者と接触することが多いの。』


『持ちつ持たれつ・・っていうのかな?こういうの・・・』


「桜さんがらみの事件・・・ですか?」


試しにそう言ってみた。桜さん、そう言った時、少しだけ表情が変わったような気がした。


ほんの一瞬だったが、動揺しているようにも見えた。


「・・・人、ひとりの安全が、かかってるんですよ?

それでも・・力を貸してもらえませんか?」


「俺には無関係だろう?」


動揺の表情は既に消えていた。


「無関係って!」


「お前にとっても、無関係だろ?

それなのに、第三者が勝手に首を突っ込むのは・・・それこそ無責任じゃないのか?」


冷たくそう言い放った。


無責任?


確かにそうかも知れない!


でも!冷たすぎないか?


それじゃ、七海さんはどうなるんだよ!


また襲われるかも知れないんだぞ!


そりゃ、大沢さんも俺も、彼女が襲われても痛くもかゆくもない。


だからって!


感情的になっている俺に、大沢さんはまるで冷たい氷のように言葉を投げつけた。


「無責任、だろ?」


大沢さんは、そう断言した。


そこまでいうと、大沢さんは俺に携帯を突き返した。


「気が済んだら、その携帯は警察に渡すんだ。

悪いことは言わない。

お前はせいぜい、自分の身を守ることだけ考えるんだな。

この事件にお前は直接無関係だろ?

首を突っ込まなきゃ、痛い目には遭わずに済む筈だ」


そう言われながら、怒りがこみ上げてきた。


「あんまりじゃ・・・ないですか?」


怒りを抑えるように、ぎゅっと拳を握りしめた。そうでないと、落ちつく自信がない。


「それじゃ・・・

お前に何ができる?」


大沢さんは、静かな声でそう聞き返してきた。


逆にそう聞かれて、俺は返す言葉を失った。


俺に出来ること?


そんなの・・・


言いかけても、続きの言葉は俺の中からは出てこなかった。


出てこなかったのは・・・


“何も出来ない”という大沢さんの言葉が、紛れもなく事実だから。


図星、だったからだ。


俺自身が無力な存在であることには、変わりないから。


それでも・・・納得出来るわけがない!



「何もできないだろ?

それさえもわかっていなかったんだろ?

痛い目に遇う前にやめておけ。

お前はせいぜい、叶野の背中に隠れてろ

・・・彼女にくっついてさえいれば、痛い目にあわずにすむ。

絶対に関わるな」


まるでこれ以上の話を許さないような口調だった。たたみかけるようなその言葉には、取りつく島もなかった。


「ふざけるなよっ!」


気がつくと俺は、カッとなってそう怒鳴っていた。


無力なのも力不足なのもは承知の上だ。それでもっ!


「人一人の身の安全がかかってるんですよ!

それじゃ、俺のどこが力不足なんだよ!」


掴みかかりそうな両腕を必死で抑えながら、大沢さんに詰め寄った。


けど、大沢さんは俺をつまらなそうに見た。


「・・・これくらいの事で頭に血が昇ってるようじゃ、お話にならねぇな。

守りたいなら、てめぇの力で守ってみろ」


反論の余地を全く与えられないまま、大沢さんはコーヒーを飲み干し、席を立った。


そして、俺の方を振り向くこともなく、食堂を後にした。


あとに残された俺は、何も言い返せないまま立ち尽くした。


言われたことに対する怒り、そして、現実的に俺に守る力なんかない、という現実。


それよりも何より、俺が、大沢さんにとって、全く相手にされていない存在だといいうこと・・・その現実は俺に鋭く突き刺さった。



言われた事は腹立たしかった。ムカついた。


何様のつもりだ、偉そうに!


黒情報屋だか何だか知らないけど、俺の事馬鹿にして!


そう思いはした。


でも・・・悔しいけど全部、事実だった。


少し、冷静になれば、それくらい判る。


守りたいと思いながら、そんな力が俺にはないのも事実だった。実際・・・彼女をどうやって守っていいのか、俺の中には何もないのだ。


大沢さんに、彼女の携帯に届いているストーカーメールの差出人を調べて貰っても・・・敵や犯人が誰だか分かったとしても・・・俺には何も出来ないのだ。


ただ、闇雲に動き回っているだけ、だ。


そして、その現実を突きつけられた絶望にも似た思い・・・


大沢さんがいなくなった食堂に、俺はしばらく立ち尽くした。


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