第13章
憲一さんと明日香さんは、人の少ないスペースへと向かっていた。
その二人から、ばれないように、離れすぎないような距離を保ちながら二人を追っていると・・・
「青木」
静かな、聞き覚えのある声が耳をかすめた。
その瞬間、ギクリとした。
俺が今やっていることは、はっきり言って褒められることじゃない。そしてその声を聞いた途端、やましい事をやっているような後ろめたさを感じたのだ。
一瞬の後ろめたさを感じて、振り返るのを躊躇った。でも、二人を追いかける足も、動かなかった。
おそるおそる、振り返ると、俺の斜め後ろ、使っていないスタジオのドアの前に、大沢さんがいた。ドアに寄りかかり、面白いものを見るような目で俺を見ていた。
「大沢・・・さん・・・・」
「尾行が下手」
「・・・・・」
返す言葉を失って黙り込んでいると
「関わるなと言った筈だ」
「す、好きこのんで関わってません!
俺は憲一さんを追ってきたんです!
桜さん、今リハ中だし、リハ中に憲一さんが抜けるなんてあり得ないでしょ?
今までこんな事一度だってなかった!
だから追ってきたんですよ!」
思わずムキになってそう言ってしまった。
でも大沢さんは、ムキになっている俺を軽く笑ってみていた。
その笑みは、まるでムキになっている俺を面白がってみているような・・・
いつもの、口元だけ笑っているあの笑みとは違った。
「ま、いいか・・・お前とは面白いところで、会う」
「だから、俺だってやりたくてこんな事やってるんじゃない!」
「判ってる。
どうせ、叶野と明日香のやりとりで、だろう?」
「え?」
そう言われて、俺は返す言葉を失った。
桜さんと明日香さんのやりとり・・・ついさっきのあの会話のことか?
あの会話をしていたあの部屋には、俺と桜さんと明日香さんしか居なかったはずなのに
どうして大沢さんは、あの会話のことを知ってるんだ?
「ち・・・ちがいます!
憲一さんが・・・」
誤魔化すようにそう言ったけど、大沢さんは聞いているのか居ないのか、視線を俺から憲一さんの後ろ姿へと移した。
「でも、ま、どうせ、あの二人を追ってきたんだろ?」
彼が目配せした先には、憲一さんと明日香さんがいる。さっきより随分距離が開いてしまった。
「大沢さんっ・・・一体・・・」
いろいろ聞きたいことがあったけど、それらを全て封じるように、大沢さんは歩きはじめた。
「話は後だ。憲一さんをを追ってんだろ? 行くぞ!」
大沢さんはそういうと、憲一さん達の向かった先に歩きはじめた。俺よりもずっと、ゆったりとした足取りだ。
「待って下さいっ!一体なんで!」
「話は後だ、と言ったはずだ。
それより・・・面白い物見せてやるよ」
そういうと、にやり、と人の悪い笑みを見せた。それは、今まで、桜さんと向かい合っていた時に見せる笑みとも、さっき俺に向けてくれた笑みとも種類の違った。でも、それを見た途端、背中にぞくり、と鳥肌が立った。
抗えない、拒否できない何かを感じて、足が動かなくなりそうだ。
でも、遠くに見える、憲一さんと明日香さんの後ろ姿。
そして、それを追っている大沢さん。
・・・このまま引き下がる訳にはいかなかった。
この先に、もしかしたら、俺が捜している“何か”があるに違いない。
そう、確信した。
その全てを追って、俺は再び追いかけ始めた。
憲一さんと明日香さんは、通路の奥の休憩スペースにいた。
自販機とベンチのある、少し広いスペースだ。近くには、仕分けられている喫煙スペースもある。
その近辺のスタジオは、今この時間は使っていなくて、人は少ない。
その閑散としたスペースに 、憲一さんと明日香さんはいた。
俺と大沢さんがその近くまで来たとき、二人は向かい合い、何かを話しているみたいだった。
近くまで・・・せめて話が聞こえる距離まで近づきたかったけど・・・これ以上近づいたら、二人に気づかれそうだ。ましてや憲一さんは・・・結構勘が鋭いから、近づくことなど出来ない。
せめて二人の話が聞ければ・・・そう思ったけど、聞こえる距離ではなかった。
さて、どうやって近づこうか・・・そう思っていると。
不意に大沢さんはポケットからスマホを取り出して、何やら操作を始めた。そして、それを耳に当てた。
誰かに電話しているのかと思ったけど、そういうわけではなかったようで、大沢さんはそれを俺の耳に当てた。
「??」
耳に当てられた携帯・・・そしてそこから聞こえたのは・・・
“で、桜のことで話って?”
スマホの向こうからは、憲一さんの声が聞こえていた。
「えっ!」
驚いて大沢さんを見ると、大沢さんの目は少しだけ、笑っていた。そして、近くの控室のドアを指さした。まるで、そこに入れ、と言いたげに。
導かれるままにその部屋に入ると、そこは本当は出演者の控え室として使われている場所だが、収録がないため、空き部屋となっていた。
部屋に入るなり、大沢さんは俺が持っているスマホをすっと取り戻し、音量を上げた。
耳に当てなくても、スマホの向こうの会話が二人で聞けるように・・・
「これって・・・まさか・・・あの二人の会話・・・ですか?」
「ああ・・・憲一さん、今、盗聴器持ってる。これ、今の憲一さんと明日香さんの会話だ」
盗聴器?会話を・・・盗聴しているのか?
明日香さんと・・・憲一さんの?
一体どうして?何のために?
頭がパニックを起こしかけたが。
それはスマホの向こうから聞こえた会話で冷静になった。
“橘さん・・・お願いがあるんです・・・”
“・・・何?”
心なしか、優しい憲一さんの声は、俺や桜さんと向き合うときとは違う、優しい声だった。
“今日、この後・・・“ERIS”と桜さん達、食事会・・・なんですよ・・・ね?
“単なるミーティングだよ。コラボ企画について、いろいろね”
“それに、私もご一緒しても・・・いいですか?”
“えっ!明日香さんも?”
驚いた様な憲一さんの声が、距離もあってドアも隔てているこの部屋まで聞こえてきそうだった。廊下は人も少ないから、声が響くのかも知れない・・・
憲一さんが驚くのも無理はない。俺だって驚いた。
こういった会議に、部外者が同伴するなんて、普通に考えてあり得ない。
企業秘密な会議ではないから、構わない・・・といえば構わないけど、常識的に考えて、あり得ない事だ。
ましてや、明日香さんは、“ERIS”とも桜さんとも事務所が違うし、芸能人だけど、ミュージシャンや歌手、といった業種ではない。
明日香さんの申し出も・・・俺からしてみれば、非常識この上ない。
“お願いします・・・会議の邪魔はしませんから”
その声は、さっき控室で桜さん達を詰っていた声とは、全く違う声だった。
何処か必死で、儚くて、消え入りそうで・・・その声だけを聞いたら、その願いも聞いてあげたくなる。
“・・・駄目だよ。明日香さんも判るだろ?
こういった企画のミーティングに、関係者以外が同伴するなんて、あり得ないだろ?”
宥めるような、言い聞かせるような憲一さんの声が、スマホの向こうから聞こえた。
“話はそれだけ?
じゃ、仕事があるから・・・”
憲一さんがそう言いかけたとき・・・
“ま、待って下さいっ!”
明日香さんの声と同時に、スマホからは、話し声とは違う音が微かに聞こえた。がたん、といった、何の音か断定できないような・・・
それを聞くと、大沢さんは軽いため息をついた。そしてドアを開けて、憲一さん達がいる休憩スペースを見た。
「おっ!
おい、見てみろよ」
大沢さんに促されるまま、俺はドアの所へ行き、外の憲一さん達を見た。
「え・・・」
俺と大沢さんが見ている先には、目を疑う光景があった。
憲一さんに、明日香さんが抱きついていた。
俺達がいる控室から憲一さん達がいる休憩スペースまでは数メートルの距離がある。会話までは聞こえなくても、視界を遮る物なんかなくて、二人が抱き合っているのは丸見えだ。
抱き合ってる・・・いや、違うか。
明日香さんが、一方的に、憲一さんに抱きついている、といった方が正確かも知れない。
ヒールを履いているせいか、明日香さんは背の高い憲一さんと並んでも見劣りしない身長だ。
その明日香さんが、その細い腕を憲一さんの首に回して、抱きついている。
それは、例えば不用意に転んでしまって憲一さんに支えて貰った・・・とかそういう雰囲気ではない。ちゃんとした意志を持って、明日香さんが憲一さんに抱きついている・・・
その光景に、一瞬目を疑った。
“ち、ちょっと、明日香さんっ・・・?”
突然の明日香さんの行動にびっくりしたのか、憲一さんは抱きついてきた明日香さんの肩に触れた。
相変わらず大沢さんのスマホからは、二人の会話がちゃんと聞こえている。
“お願いっ!橘さん。
助けてくださいっ!・・・なんか、このまんまじゃ、リュウ、桜さんに取られちゃいそうなんです・・・”
“桜が?
それはないだろ?”
今にも笑い出しそうな憲一さんの、心持ち明るい声が聞こえた。
けど、明日香さんはその憲一さんの声を細い声で遮断した。
“いいえっ!
だって桜さんっ、コラボ企画で一緒なのを良いことに、リュウにいつも色目使って近づいてるんですよ!”
それを聞きながら、内心ため息をついた。
よくもまあ、言いたい事言ってるなぁ;・・・
色目使ってリュウに近づいているのは、明日香さんの方じゃないのかな?
“でも、明日香さん・・・桜はそんなことしていないよ”
“いいえ!
憲一さんがいないところでは、桜はやりたい放題なんですよ!
色々な現場で、桜さんの嫌な噂が流れていますよ。
共演者と異様に仲が良いとか、色目使って近づいているとか!
女優仲間の間でも、桜さんのそういう行動、嫌がられているんですよ!
国際的なピアニストって肩書きをカサにしてる、事務所の管理はどうなっているんだって、上の方の人達も呆れています!」
それはあり得ないだろ・・・そう突っ込みを入れたくなった。
確かに桜さんは、共演したミュージシャンとはそれなりに親しい。話しかけられれば答えるし、共演者を無下に扱うことは、絶対にしない。仕事の打ち合わせも本番も、一切の妥協をしない、今の自分の出来る完璧なものを作ろうとする。
それは仕事だから、仕事相手だから、っていうのももちろんだけど。
桜さんと同じ、音楽を愛し、生業としている人に対する、桜さんなりの礼節だと思っている。
でもそれは仕事上の事だ。仕事から一歩離れると、そのミュージシャン達と個人的に深く親しくなる、という事は滅多にない。
飲みに行く芸能人といったら、飲み友達、とされているシンさんと、マナト、それと今憲一さんににじり寄っている明日香さん位だ。(シンさんと付き合ってる、というとは外部には秘密だけれど)
もともと極端に人見知りな桜さん。俺がマネージャーに就いた頃はそうでもなかったけど、それ以前はもっと引きこもりで、友達など両手で数えて指が余るほどしか居なかった、と聞く。
今、明日香さんが言っているような、無節操に誰かと・・・という事はない。
そんなこと、憲一さんも現場スタッフもみんなわかっている。
“桜が・・・?”
憲一さんの、怪訝そうな声が耳をかすめる。すると、まるで水を得た魚のような明日香さんの声が続いた。
“そうなんですよっ!橘さんがいないところで、酷いんですよ!”
明日香さんはたたみかけるように言った。
“リュウだって、桜さんが、色仕掛けしてるんですよ!さっき、私見たんですからっ!”
相変わらず、明日香さんは憲一さんに抱きついたままだ。憲一さんの首に巻き付いていた彼女の細い腕は、そのまま肩へ、そして身体へと移っていった。憲一さんの胸を這うように・・・
“周りの人の反応が悪いと、私にまで当たり散らすんですよ!
もう私っ、桜さんが怖くて・・・
お願いです、憲一さんっ・・・助けて下さい。
私っ・・・桜さんがいると・・・”
“ち、ちょっと、明日香さん、離してくださいっ。・・・”
さすがに抱きつかれているこの状況に、憲一さんが狼狽え始め、その腕をふりほどき始めた。でも、明日香さんは、逃がさない、と言いたげに憲一さんの手を無視している。
「そろそろいいか・・・」
「え?」
「そろそろ助けてやらないとな」
突然、大沢さんが小さい声で言った。びっくりして俺が聞き返すと、彼は“行くぞ”と小さい声で言い、何食わぬ顔をして廊下に出て、さっきと少しも変わらない自然な足取りで、二人に近づいて行った。
「ち、ちょっと大沢さんっ!」
いくら何でも、このタイミングはまずいのでは?
まるでのぞき見しているような後ろめたさ(まあ、のぞき見している、という点は間違いないのだが)を抱えながら、俺は大沢さんを歩き・・・大沢さんはさっきのように気配を消すこともなく、憲一さんと明日香さんに近づいていった。
憲一さんと明日香さんが、俺達の気配に気づかないわけ、ない。二人はほぼ同時に、俺たちの方に顔を向けた。
「橘さん、叶野さんがさっき、橘さんを捜してましたよ」
大沢さんは、憲一さんに抱きつく明日香さんにはまったく触れず、憲一さんにそう言った。途端に憲一さんの少し狼狽えた表情が、いつも桜と向かい合っているときの兄のような雰囲気に変わった。
「ああ・・判った。すぐいく」
そういうと、ガッシリと抱きつく明日香さんの腕を、いとも簡単にふりほどいた。一方、明日香さんは現れた大沢さんに酷く驚いたのか、それとも憲一さんに冷たく腕を振りほどかれたのが、よほどショックだったのか、息を呑んだ。
けど、大沢さんはといえば、明日香さんを見て、冷たい笑みを投げつけている。
「・・・明日香さん、随分良い趣味だな。
リュウが相手にしてくれなくなったからって、今度は橘さん・・・か?
節操無しはどっちだよ?」
一方、言われた明日香さんは、途端に顔を真っ赤にした。羞恥からではなく、怒りからだという事は、一目瞭然だ。
「ち、違うわよっ!
橘さんが勝手に抱きついてきたのよっ!
誤解しないでよっ!」
焦ったようにそう言っているが、もう、呆れて何も言えない。
「ふぅん・・・
それじゃ、今の会話と動画、公表しても構わない、って事だな?
明日香さんの今の言葉が正しいなら・・・な」
「っ!・・・」
「青木、今の明日香さんの会話、聞いていたよな?」
突然話を振られて、俺は一瞬言葉を失ったけど、ここで黙り込むわけにはいかない。
「ええ。聞いていましたよ。
憲一さんの事もそうですけど。
桜さんについて、酷い名誉毀損ですね。
今の会話内容、出る所に出て証言したいくらいです」
これは本音だった。
いくら、桜さんの友達でも、今の明日香さんの言葉は、許されることではない。
まっすぐ、明日香さんを睨み付けると、明日香さんが、悔しそうに、ぎりっと歯を食いしばり、大沢さんと俺を睨み返してきた。それは、さっき桜さんを見ていた視線以上に、憎しみの色の混ざった視線だった。
「しっ・・・知らないわよ!私っ!!
何よ、みんなして桜、桜って!
あんなつまんない女の事、どうしてみんな大事にするのよ!」
捨て台詞のつもりでそう言ったのだろう。良いながらきびすを返して、どこかへと立ち去ろうとした。
「大事だから、大切にする。それだけだ。そこに理由なんか、ない。
俺は・・・明日香さんの事など大切ではない。
桜の飲み友達だから、大切にするけど、な。
いわれのない事を言われてまで大切にする義理はない
誤解するな」
憲一さんは、冷たくそう言い放った。
一瞬、彼女は驚いた様にびくっと肩を振るわせたが、まるで逃げるようにその場から去っていった。彼女のヒールの音が、やけに早く、高く聞こえた。
後に残った憲一さんと俺と大沢さんは、お互い顔を見合わて苦笑いしている。
偶然顔を合わせたにしては、出来すぎる偶然だ。
「お疲れ様、橘さん」
「いいって、あれくらい。桜の為だ」
二人は顔を見合わせて苦笑いしている。
「憲一さん・・・」
声をかけたものの、何を話していいか判らず、俺はただ憲一さんを見上げていた。でも、二人の会話に入ることは出来なかった。
「あんなんで良かったのか?」
「上出来だ。バングルと携帯は?」
「携帯は彼女がスッていった。抱きついたときに、な。あれは、日常的にやってる手つきだな。
バングルは彼女のポケットに突っ込んでおいた。
追跡出来る筈だ」
苦虫をかみつぶしたような顔でそう言うと、自分のポケットに手を突っ込んだ。さっきまで、そこには桜さんの携帯が入っていた・・・筈だが、入っていないらしい。そのせいか、さっきまでと重さが違うポケットに少しいらついているようだった。
「上出来! よしっ!行くぞ!」
大沢さんはにやり、と笑うと、明日香さんが去っていった方へと歩いて行った。そして、歩きながら、持っているスマホの操作を始めた。
「ち、ちょっと憲一さんっ!
どういうことなんですか?」
歩いて行く二人を追いながら、憲一さんにそう食ってかかったけど、憲一さんは苦笑いするだけだった。
「訳はあとだ。とりあえず明日香を追うぞ」
先頭を足早に歩く大沢さんは、ちらり、と俺を見ながらそう言った。
「後って・・・もうすぐ桜さんの収録、始まるんですよ・・・」
「明日香の収録も始まる。そうなっちまったら、叶野の携帯も取り返せなくなっちまう」
「急ぐぞ、青木」
憲一さんもそう言って大沢さんを追い始めた。結局、観念して、俺も二人のあとをついて行った。
どうせ今食いついて話を聞いても、二人とも答えてくれないだろう。それよりも、二人のあとをついて行った方がマシのように思えた。
大沢さんはまっすぐに、明日香さんが消えていった廊下を歩いている。その片手にはさっきからスマホが握られていて、画面を見ながら,どこかに向かっているようだ。
「・・・この先、か」
それから少し、俺たちは無言で歩き続けた。そして、ある一角に差し掛かった時、大沢さんは足を止めて、静かにそう言うと、口元だけにやり、と笑った、大沢さん独特な笑い方だ。
今俺達がいる通路の向こうは、控室がある。ここの側のスタジオでバラエティーの収録があって、その出演者の控室のようだ。
「明日香さんの控室も、この先だったな・・・」
憲一さんが、呟くように言った。そう・・・バラエティーには、明日香さんも出演することになっている。
「そう、彼女が今日収録するバラエティーのスタジオも、この先だったな」
歩きながら、その収録スタジオの前を通りかかると、まだ収録は始まっていないようだった。スタッフが、スタジオを出たり入ったりしている。
軽くスタジオを除いたが、明日香さんの姿はなかった。
「いるとしたら、控室・・・か・・・」
憲一さんがそう呟き、控室の方を見たが、大沢さんは首を横に振った。
「控室にはいない・・・確か彼女の控室は、出演者何人かと一緒だからな。明日香が憲一さんの携帯を持っているのを他の奴が目撃したら、厄介だろ?」
そう言いながら、大沢さんはスマホの画面を見つめている。そして、
「・・・あっちだ・・・多分、非常階段の辺りだ」
大沢さんの足は、スタジオの前を通り抜けた先・・・非常階段の方へと向かっていた。俺と憲一さんは、その大沢さんの背中を追いかけた。
「・・・憲一さん・・・どうしてっ・・・」
聞きたいことは沢山あるけど、質問は何も言葉にならない。もちろん帰ってもこない。
そのまま、大沢さんの足は非常階段のドアにたどり着いていた。大沢さんは何の躊躇いもなく、そのドアを押した。
外に出た途端、室内とは違う強い風が吹いていた。ここはテレビ局の、かなり高い階。風の強さも半端ない。
そして、その強い風を避けるように、非常階段の壁のある所に・・・探していた人がいた。
「明日香・・・さんっ・・・・」
もとより、俺達が非常階段に現れた時点で、まるで動きが固まったように動かなくなった。その顔は驚きで引きつっていた。
そして、彼女の白い手には、見覚えのある携帯が握られていた。見間違えるはずない。桜さんの携帯だ。
「・・・っ・・・橘さんっ・・」
明日香はそう言ったが、それ以上言葉は続かなかった。
「悪趣味だな。明日香さん・・・それ、誰のケータイだよ?」
大沢さんの声は、冷たい。声だけで、彼が怒っているのがはっきりと判る。その声で、明日香さんが一瞬ひるんだ。それでも言い返す・・・言い逃れする気なのか、キッと大沢さんを睨んだ。
「な、何のことよ!このケータイ、拾ったのよ!
わざわざ拾ってあげたのに、泥棒扱い?あんまりじゃないの?」
叫ぶ明日香さんに構うことなく、そう憲一さんは明日香につかつかと近づき、その手元からケータイを奪い返した。
「ま、これは返して貰うぜ?」
「っ!ひ、拾ってあげたのよ?お礼くらいいったらどうなの?」
明日香さんは怯まない。その態度さえ、俺には随分惨めに、滑稽に見えた。
「ああ、ありがとーな。
それにしても・・・あれだな。
拾った携帯無断で見るなんて、悪趣味にも程があるぞ」
俺は憲一さんの手元の携帯を覗き込んだ。その画面には、写真画像が並んでいた。どうやら、明日香さん、憲一さんからスった携帯の写真画像を見ていたらしい。
「っ、だ、だからそれは、、誰のケータイか知りたかったから・・・」
もう、その声は言い逃れにしか、聞こえなかった。そして、そんな声に構わず、憲一さんは冷たく言い放った。
「・・・どうして桜のケータイをすったのかは知らないけど、
お前の欲しがってる画像は、この中にはないぜ」
憲一さんは、明日香さんをじっと見ながら、そう言った。その目は、いつも優しい憲一さんの目ではなく、冷たく、突き放すようだった。
「な、何ですって・・・」
「桜の言葉に踊らされていたんだよ。お前さんは・・・
お前が捜してるデータは、もう大沢が持ってる
ま、なんであの画像を捜していたかは聞かねぇけど、な」
そう言い放つと、憲一さんはきびすを返し、建物の中へと向かった。
そしてドアの手前で一旦止まり、もう一度、明日香さんの方を見た。その表情は、いつもの兄のような優しい憲一さんの表情ではなかった。冷たい・・・誰をも拒絶する顔だった。
「金輪際、桜に近づくな。
桜を侮辱する女の顔なんか、見たくない。」
「な、なんですって!」
「桜の口から、他の人間を悪し様に言う言葉、聞いたことない。お前と違って、な。
それに、お前が桜の側にいるのは、桜をちやほやする男達目当てだろ?
そんな薄汚い動機で桜を苦しめるな!」
そう言い捨てると、今度こそ憲一さんは、ドアから建物の中へと入っていった。
俺も、その背中をおうようにして、その場を後にした。
後に残った大沢さんが、明日香さんに何かを言っていたようだけど、それは聞こえなかった。でも、その言葉を聞いた途端、明日香さんの表情が、怒りから絶望へと変わっていくのが見えた。
ドアが閉まる直前、大沢さんが足早にこちらへ向かっていた。
背中に、明日香さんの白っぽい顔色と悔しそうな視線を感じたけど、俺はそれを知らんぷりした。




