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「……ふぅ。まさか、お昼寝ルームの裏口が、迷宮の地上出口に直結してたなんてね」


色々と謎を残したまま、とりあえず迷宮から出て異世界生活の基盤をたてることにした。

せっかく店舗兼住まいを手に入れたのだから、基盤はすぐにでも立てておいて損はないだろう。


ヒロトは眩しそうに目を細め、ベビーカーのサンシェードを深めに下ろした。

地下の冷たく乾燥した空気とは一転、そこには生命力に満ちた異世界の太陽が降り注いでいた。

目の前に広がるのは、中世のヨーロッパを思わせる石畳の街路。だが、行き交う人々の中には、猫の耳を持つ者や、背丈の半分ほどもある大斧を背負ったドワーフの姿があった。


「パパ、見て! あのパン屋さん、火も使わずにパンを焼いてるわ。……あ、でも、とっくんの離乳食にするには、ちょっと硬そうね」


まこはキョロキョロと周囲を見渡し、主婦の鋭い視線で物価をチェックしている。


「ばぶー! あーうー!」


統太は、地上に出た解放感からか、ベビーカーの中で元気に手足を動かしている。

その小さな手には、先ほどの迷宮で拾った「皇家の紋章入りガラガラ」が握られていた。


「よし、まこちゃん。まずは軍資金の確保だ。この世界の技術体系は、どうやら迷宮のオーバーテクノロジーとはかけ離れている。俺の【万物創造】で作った『便利グッズ』なら、相当な値がつくはずだ」


「いいわね! ちょうど、とっくんの新しいおむつ代と、私の美容液——じゃなくて、保存食の買い出しが必要だったのよ」


二人が足を止めたのは、街の中央にある活気あふれる広場だった。

店舗はあるが、まずは商売を認知してもらわなければ、お客さんは来ない。

ヒロトは手近な空き地に陣取ると、ベビーカーの横に、迷宮の端材を再利用した折り畳み式の露店をスマートに展開した。


「さあ、団家の異世界出張所、開店だ。……まずは、これだ!」


ヒロトが【万物創造】のイメージを指先に集中させる。瞬時に練り上げられたのは、手のひらサイズの金属製の筒。


「パパ、それは?」


「名付けて『全自動・肩揉み魔導……じゃなかった、高振動・リラックススティック』だ。迷宮の精霊石の欠片を動力源にしてるから、電池交換不要だぞ」


ヒロトが通行人の疲れ果てたドワーフの戦士に声をかけ、実演を始める。

スティックが細かく心地よい振動を刻むと、ドワーフの硬い筋肉がみるみるうちに弛緩していった。


「な、なんだこれは!? 肩に宿っていた『岩の呪い』が解けるような心地だ……! いくらだ、いくら出せばいい!?」


「お買い上げありがとうございます! あ、奥さん、そっちの『絶対に曇らない・自動洗浄機能付き手鏡』もおすすめですよ!」


まこも負けてはいない。

迷宮の浄化技術を応用した日用品を、奥様方に猛アピールし始めた。


「これね、お化粧が崩れないし、自分の顔が一番綺麗に見える角度に自動で調整してくれるの。そう、これこそが真の『美の守護神』よ!」


「まあ! 素敵! 冒険者ギルドの受付嬢たちにも教えなきゃ!」


あっという間に、団家の露店には人だかりができた。

統太がご機嫌にガラガラを鳴らすたびに、なぜか「幸福の加護」が周囲に振り撒かれ、客たちは吸い寄せられるように財布の紐を緩めていく。


「ばぶー! きゃはは!」


「……すごいわね、とっくん。あなた、もう立派な看板息子じゃない」


まこが統太の頬をぷにぷにと突きながら笑う。

ヒロトは、異世界の硬貨が山積みになっていくトレイを眺め、確信した。


「まこちゃん、これ……迷宮攻略より、商売の方が早いかもしれないぞ」


「何言ってるのよ、パパ。この商売のネタを仕入れるために、またあの迷宮に潜らなきゃいけないんだから。……それに、とっくんの『皇子』の謎だって、放っておけないでしょ?」


夕暮れ時、茜色に染まる異世界の街角。

高級革張りのベビーカーと、その周囲を埋め尽くす異世界の住人たち。


団家の異世界生活は、迷宮探索と「便利グッズ」の販売という、かつてないほど多忙で、かつてないほど賑やかな形へと舵を切ったのだった。




異世界の夜は、驚くほどに深い。


街路を照らす街灯は、精霊石の微かな残光を湛えた石柱だけであり、空を見上げれば、元の世界よりも一回り大きな月が二つ、銀色と淡い紅色の光を地上に落としている。


ギルド横にある異世界の新居。

ヒロトが【万物創造】の端材で組み上げた、完璧な遮音と調温機能を備えた特製ベビーベッドの中で、統太はすやすやと寝息を立てていた。

その小さな胸の上下に合わせて、傍らに置かれた「皇家のガラガラ」が、呼吸に同期するように淡く明滅している。


「……やっと寝たわね。今日も一日、大冒険だったわ」


まこが、地元の市場で手に入れたハーブティーをカップに注ぎ、ヒロトの前に置いた。湯気と共に、少しだけスパイシーで甘い香りが部屋に広がる。


「お疲れ様、まこちゃん。……さて、今日一日商売をして分かったことを整理しよう」


ヒロトは机の上に、今日稼いだ硬貨を並べた。

中心に穴の開いた真鍮の「銅貨」、精緻な彫刻が施された「銀貨」、そして数枚の「金貨」だ。


「この国の通貨単位は『リル』。パン一個がだいたい十リル……つまり、銅貨一枚だ。銀貨は百リル、金貨は一万リルの価値がある。今日俺たちが売ったリラックススティックは銀貨五枚。かなりの高額商品だったが、ドワーフの旦那は二つ返事で払っていった」


「それだけこの街……『迷宮都市・アステリア』には、冒険者のお金が流れてるってことね。でもパパ、気になるのはお客さんの層よ」


まこは窓の外、静まり返った街並みを見つめた。


「人間にエルフ、ドワーフに獣人。種族間の壁は意外と低いみたい。でも、みんな口を揃えて言ってたわ。『帝国の影が濃くなってきた』って。特に、西にある『ザルツ帝国』が、この迷宮の利権を狙って軍を動かしてるっていう噂」


「帝国、か……。今のこの街は、複数の部族やギルドが寄り合って統治している自由都市だ。だが、中央集権的な帝国からすれば、ここは金の卵を産む蛾の巣のようなものだろう」


ヒロトは銀貨の一枚を指で弾いた。コインが空中で銀色の軌跡を描く。


「そして、とっくんのことだ。あの迷宮のシステムが彼を『第2皇子』と呼んだ。もし、かつてこの地に高度な文明を持つ『古の王国』があり、その血脈が俺たちの息子に繋がっているとしたら……」


「……この子、ただの観光客じゃ済まされないわね。政治の道具にされるなんて、ママが絶対に許さないわよ」


まこの瞳に、母親としての強い光が宿る。

ヒロトは妻の手に自分の手を重ねた。


「ああ。だからこそ、僕たちは力を蓄えなきゃならない。迷宮の技術を解析し、この世界の常識をアップデートする。商売で財力を、【万物創造】で戦力を。とっくんが、誰にも縛られずに笑っていられる場所を作るんだ」


「パパ、なんだか頼もしいわね。……でも、まずは明日の仕入れからよ。あの『曇らない鏡』、エルフの女の子たちに予約で十枚頼まれちゃったんだから」


「……よし、今夜は徹夜で量産だな」


二人は顔を見合わせ、小さく笑った。

ベビーベッドの中では、未来の「皇子」が、そんな両親の決意を知ってか知らずか、幸せそうに寝返りを打っていた。


月光が窓から差し込み、団家の新しい家路を静かに照らし続けていた。


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