A5 走れ風と共に
アンがやってきてから俺の生活はアン中心になった。
1日2回、朝晩は散歩に出かけ、自暴自棄になり荒れていた頃に覚えた煙草はアンの身体に悪いからとやめた。
何度も禁煙に挑戦して志半ばで倒れていたのにアンが来た途端、苦もなくやめられた。
それだけアンがかわいいのだ。かわいくて仕方がない。俺の娘だと言っても過言ではない。
アンはかわいい。頭が良い。かわいくて頭が良いのだ!
お手やおかわり、待て、伏せはすぐに覚えた。
月曜日に教え始めたら金曜日には覚えてしまっていた。
俺は何をするにもアンに話しかけながら行った。掃除するよ、お仕事に行くよ、洗濯するよ、等々。家の中は俺とアンとの2人しかいないので何でも話した。
アンは言葉が理解できるようで何を話しかけても反応した。その仕草がかわいいのだ。
ウチの子はかわいい上に天才だ!親ばかと言われてもかまわないぞ!
家では1日中テレビをつけっぱなしにしていた。アンが見たがっているからだ。
アンが好きなのは幼児番組で小さな子供と変わらない。特に手のひらをお日様に透かせてみるという歌を作詞した先生が原作のアニメはお気に入りだった。
都内のアスファルト道路を散歩させているだけじゃ可哀想なので、開設して間もない国営公園のドッグランにも連れて行った。
俺の住んでいる港区から立川市までは車で1時間くらいだった。晴れていれば毎週末、通った。
ツインカム、ツインターボで4輪駆動のクーペは購入後10数年が経過して初めて役に立った。予約してまで購入したのにほとんど乗っていなかったから。
しかしワンコを乗せてドライブするのにはちょっと不便だったので280馬力のオールモード4×4に買い換えた。
赤いバッチのスポーツカーは走行距離も少なく、デッドストックと言っても良い状態だったので古い車なのに驚くほど高く売れた。
車酔いばかりしていたアンだったがSUVにしてからは車内が広くなったせいか、ほとんど車酔いしなくなった。
お気に入りのアニメを車内で再生していればアンは大人しく車に乗っていた。
アンとたくさん思い出が作りたい。そう思った俺は度々アンと旅行をした。山中湖や箱根にはワンコと泊まれるホテルがあり、よく出かけた。
ドッグランを疾走するアンのかっこいい姿を写真に納めたいとデジタル一眼レフも購入した。ちょっとお高い望遠レンズも買った。
それだけアンがかわいいのだ。かわいくて仕方がない。もう俺の娘だ。嫁にはやらんぞ!
アンのために広い庭がある一戸建てに引っ越して、好きに走り回れるようにしよう。
インターネットで不動産情報を検索すると実家の近所にあった梅林が住宅地に整備され、売り出されていたので衝動的に購入を決めた。
貯金が少なくなっていて現金一括では買えない。購入資金が欲しい。
俺は久しぶりにジャンボ宝くじを当てることにした。
当選金は1等と前後賞が合わせて3億円にもなっていた。
3回目の1等当選となってしまうが前回当選から間隔があいているので問題ない・・・はず。
何を言われてもいい。疑われてもいい。娘と幸せに暮らせる家が今すぐ欲しいんだ!!
無事、当選金を受け取り一戸建ては現金一括購入できた。
港区のマンションはバブルの不動産価格が高騰していた時期に購入したので手放すのが惜しかったが、品川駅から近かったせいかそこそこの価格で買い手が見つかったので売った。
一戸建ての購入価格とマンションの売却価格との差額だけを支払ったので手元にかなりの現金が残った。
新しい家は複数台の車を置くことができ、なおかつアンが遊べる芝生敷きの庭がある。
独身男性が住むには贅沢すぎるくらいの大きな家だ。
この頃のアンは絵本を好んで読んだ。
テレビが好きでよく見ていたから好きなアニメを題材にした絵本を買ってあげたら、昼間は大人しくその本を読んでいたのだ。
余り犬の生態について詳しくなかったので「普通の犬は本を読む」と思っていたし、アンも喜んでいる様子だったので次から次へと絵本を買い与えた。
そして絵本だけでなく俺が小学生の頃から買い続けていた漫画雑誌も読み始めた。いい歳したおじさんが少年漫画を毎週買っているのも何だけど。
アンは文字が読めるようだ。いつの間に覚えたんだ?
俺は面白がって針時計の見方や簡単な足し算、引き算も教えた。
さすがに鉛筆は持てないから幼児教育で使う平仮名や数字の書かれた積み木を買ってやった。
時間や計算結果を積み木を咥えて返事をする。
うん、天才チンパンジー並みの頭脳だ。テレビで見たことがあるぞ!そういう実験をゴリラでしていた大学もあった!
何てったって俺の娘は天才だ。天才アンちゃんなのだ。しかもかわいい。
文字の書かれた積み木はアンのお気に入りになった。
俺に伝えたいことがあると床に並べて見てくれと言いに来る。
最初のウチは「ご、は、ん」とか「お、さ、ん、ほ、゜」と単語だったが、そのうちに「ご、は、ん、の、し、゛、か、0」や「お、さ、ん、ほ、゜、に、つ、れ、て、い、つ、2」と並べるようになった。
50音分しか積み木がないので複雑な言葉になると適当な数字を入れていた。
アンも納得がいかないという感じだったので動作が遅くて使わなくなった古いノートパソコンを物置から取り出し、ボールペンを咥えさせてキーボードを押すことを教えてみた。
最初はシフトキーで躓いた。シフトキーを押しながら文字を打つことができない。
シフトキーを1度押すと反応するよう設定し、ローマ字入力ではなくかな入力で教えた。
簡単なテキスト入力だけだがアンは俺の期待に応えた。上手く入力できるたびに大げさに褒めた。俺は褒めて延ばすタイプなのだ!
いつの間にか漢字変換まで覚えていた。
俺と会話ができるのが嬉しいのか、夢中になってノートパソコンの画面に向かっていた。
どこまで賢くなるのか試してみたくなり、小学生レベルの教科書を買ってきた。
それが中学生レベルになり、高校卒業程度の学力を持つまでになった。
しかもアンは日本の標準的な教育制度の半分くらいの期間で習得した。
余り世間を知らない俺でも「あれ?ちょっとおかしいんじゃない?」と気づいた。
どうやら「頭脳活性」を無意識のままアンに施していたようだ。
(いつまでも元気でいて、少しでも長くそばにいてほしい。)
こうも思っていたので「超体力」も施していたみたい。シニアと呼ばれる年齢になっているが、アンはまだまだ元気だ。
気がつかないまま超能力を使っていた。「こうあってほしい」と考えているだけで身近な存在に影響を及ぼしてしまうことがわかった。
アンの散歩に出かけたとき、隣の奥さんと世間話をしたが「息子は来年受験なんだけど、全然勉強しない」と言っていた。
その息子さんは結局、浪人した。
俺は「アンが受験したら合格しただろうな」と思った。そうです、俺は親ばかです。
アンは賢すぎる。誰かにバレたらテレビ局とか取材に殺到しちゃいそう。
そうなれば俺の超能力もバレる可能性が高い。バレたらマスコミ対応が大変そうだ。
キレて暴力までは行かないかもしれないが、暴言くらい言っちゃいそう。いや、確実に怒鳴っちゃいそう。問題になっちゃいそう。まずい!
「アンちゃん、人前では頭の悪いワンコのふりをするんだよ」
(何で?)
「アンちゃんが賢いことがバレたら、お前のようなワンコは珍しいから実験材料にされちゃうんだぞ。人間だって昔戦争があったときには敵国の捕虜を生きたまま解剖してなぁ・・・」
(・・・こわい!)
まさか自分が幼かった頃、父親に言われたことを娘に聞かせるとは思わなかった。
アンは家の外では普通のワンコのふりをし続けた。
アンと出かけるために買ったSUVも4回目の車検時期になっていた。
初老を過ぎてから渋滞中のクラッチ操作も疲れるようになってきたので、マイナーチェンジをしたばかりの後継車に買い換えた。
今度の車はオートマ車だ。昔父親がオートマ車に買い換えたときには「根性がないなぁ!」と馬鹿にしていたが、自分もそのときの父親と大して変わらない年齢になり同じようなことをしている。
大きなサンルーフをオプションでつけたらアンは大喜びしていた。
ディーゼル・ターボにしたのを機にトレーラーヒッチをつけた。以前から欲しかったキャンピングトレーラーを引っ張るためだ。
ディーゼルは低回転で大きな力を生むエンジンであり、トレーラーを引っ張るには都合が良いと思ったのだ。実際はターボが効く回転数に達するまでは力不足を感じている。坂道発進等、いざという時は念動力で後押しすればいいんだけど。
これで好きなときに行きたい場所へアンと出かけられる!
普通車免許証で牽引ができる、小さめのキャンピングトレーラーを購入した。
大きなキャンピングカーだと停めるところや狭い道で苦労しそうと考えた。
キャンピングトレーラーならいざというときは、2台分の駐車スペースがあれば分離して停められるので出先で困らない。
この頃には「道の駅」やオートキャンプ場も充実してきたからちょうど良かった。
アンはドッグランで走るよりも俺と一緒に出かけられることが楽しいようだ。
最近のお気に入りは空気のきれいな山の上である。
主にお蕎麦がおいしい海無し県へ出かけるのだが、ここは星がきれいに見えるのだ。天文台もあるくらい星がよく見える。
星を見ていると俺の超能力やアンが賢いことなんて、ほんの些細なことのように感じられた。癒やされる。
折角キャンピングトレーラーを購入したのだが俺は身長が190cmあるため、キャンピングトレーラーのベッドでは足が伸ばせない。
ダイニング部分をたたんでベッドにして斜めになれば何とか横になれる。
寒くない時期は後部座席をダブルフォールディングして荷室とつなぎ、助手席を前に倒してその背中側に寄りかかってSUVの中で寝た。
こうやって寝るとサンルーフ越しに夜空が見えるのだ。
星に抱かれて眠るようで俺は好き。ちょっと腰が痛くなるけど。
その日もアンと星空を見るために出かけていた。
天気予報では晴れるということだったが、上信越道に入ったあたりから天気が崩れ始めていた。
「山の天気は変わりやすいと言うから現地に行ってみなければわからないな」
助手席で不安そうに俺をみつめているアンに話しかけた。
(・・・うん)
運転中の車内ではノートパソコンが使えないのでアンは頷くか首を横に振るかで意思表示をしている。
「雨なら目的地を代えて、星の見えるところまで移動しような!」
(うん!)
目的地はアウトレットのある有名な避暑地の近くだったが、天気が悪ければ大きな湖のある町まで足を伸ばしたって良い。
俺とアンの旅行なんてキャンピングトレーラーを購入してからはほとんど行き当たりばったりだ。
「とりあえず、目的地にいってみるか」
高速を降りて町を目指した。
この町の中心地は高速道路から少し離れている。高速道路を降りてからはちょっとした峠道を走るのだ。
いつもは交通量も多く、そんなに寂しい感じではなかったのだが今日に限って車が走っていない。
霧も出てきて、しかも濃くて運転していて疲れる。俺は超感覚であたりを警戒しながら運転した。
「おかしいね」
(うん)
アンも犬なのでそれなりに嗅覚や聴覚は発達している。アンも様子がおかしいと感じていた。
俺は千里眼を使い、周囲を監視した。
やはりおかしい。
車が見えない。先々を見ようとしても真っ白な景色しか見えない。
「何だ!?この霧は?」
おかしいと思ったら引き返せばいいのだが、俺が運転しているのはキャンピングトレーラーを引っ張っているSUVである。
簡単にはUターンができないのだ。
ましてや何度も通ったことのある道であり、もう少し進めば霧も晴れるであろうと高をくくっていた。
ぽんっと俺の頭の中に「君子危うきに近寄らず」という言葉が思い浮かんだ。
助手席に座るアンを左手で押さえながら急ブレーキを踏んだ。
俺は前のめりになりハンドルを握っていた右腕で身体を支えた。左手はアンが頭をグローブボックスにぶつけないようアンの胸を支えている。
キャンピングトレーラーには慣性ブレーキがついており、ある程度は止まる力が働く。
しかし霧が出ていたため速度を抑え気味で走っていたとはいえ急ブレーキである。車+キャンピングトレーラーの重量と濡れた路面のせいで、かなりの距離を滑った。
連結部分を支点に「くの字」に曲がって止まった。
「何があったんだ?」
(はてな?)
アンは首を傾げて俺を見た。
いつの間にか霧は晴れ、アスファルト道路は獣道のような荒れた路面になっていた。
山に挟まれた峠道ではあったが俺の知っている道じゃない。
空を見上げたら太陽が2つあった。




