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中年エスパーの大冒険  作者: 奏多 晴加
序章 少年時代
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A3 新聞少年

 俺は「美少女の委員長と二人乗り(にけつ)をするためにバイクに乗る」という当初の目的を忘れてはいなかった。

 大型バイクの運転免許を取得したその日にバイク屋へ行き、ヘルメット2個、手袋グラブとともにバイクを注文した。

 お年玉やお小遣いをめていたお金と半年間の新聞配達でめた給料で大型バイクを現金一括で購入できた。

 しかも逆輸入車だ。発売ほやほやの900cc。世界最速を目指して開発されたイカすモンスターマシンだ!


 身長が既に190cmに近かったため猿っぽい名前の原付きバイクに乗っているとロシアのサーカス団にいる熊のようになってしまう。

 でかいバイクじゃなきゃ駄目なのだ。

 スクーターを作らない、硬派なバイクメーカーが満を持して発売した赤い900ccはオートバイなのに115馬力もあり車体も大きくて俺好みだった。

 硬派な俺にとってこの硬派なバイクメーカーの単車しか選択肢はない!


 余談だが翌年、このバイクメーカーのイメージカラーである「ライムグリーン」が発表された。限りなく南の果てにある国のみで売られていたためアパル○ヘイト仕様と揶揄やゆされたが、俺はライムグリーンが欲しかったため悔しかった。


 月末の日曜日に納車されバイク店からいえに乗って帰った。

 両親にはバイクを買うことを告げていたが父親がまさかノリノリだったとは気づかなかった。玄関先で俺を待ち受けていた。


「でっかい単車だなぁ。ちょっと乗せろ!俺は昔、カミナリ族だったんだぞ!!」


 当時は免許取得直後でも二人乗りができた。ヘルメットも2つある。

 父親に予備のヘルメットを渡し後部座席を親指でくいっと指して「乗れよ」といったら蹴飛ばされた。

 どうやら運転したいらしい。おい親父おやじ!バイクの運転なんて何年ぶりなんだ!?


「でっかいなぁ。俺が昔乗っていたサイ○ロン号とは、別物だなぁ!」


親父おやじ殿、250ccの単気筒と同じにしないでくれ!)


 またがってサイドスタンドを足で跳ね上げセルを回す。

 つま先立ちくらいしか足が届いていなかったが、クラッチを切って方向転回していたら・・・・倒しやがった。

 タチゴケである。納車されたばかりのド新車だぞ!逆輸入車で高かったんだぞ!!


「何てことをしやがった!」


 余りにも突然だったので念動力テレキネシスも加速○置も発動できなかった。

 まさか自分の父親が息子の買ってきたバイクを買ったその日に倒すなんて・・・。


「ばかやろう!バイクなんて傷がつく乗り物なんだよ、いちいち騒ぐな!!」


 反論する気にもなれず、俺は泣いた。高校生なのに子供のように大泣きした。

 傷ついたカウルに折れたミラー。ステップも曲がっている。

 念動力テレキネシスも、加速○置も、発動できなかった自分が不甲斐ふがいなくて泣いた。

 大声で泣き続ける俺をみて「悪いことをした」とやっと反省した父親がバイク屋に連絡し、修理に出してくれた。


 高校3年間は新聞配達に励んでいたせいでこのバイクに乗る機会はほとんどなかった。

 取り回しに慣れた父親が母親と二人乗り(にけつ)して、よくツーリングに出かけていた。

 バイクの保険代や税金はほとんど乗らない俺が払っていた。維持費を払っていない父親が走行距離を積み重ねていった。何なんだ!?この父親は!!

 まぁ、ガソリンだけはいつも満タンにしてくれていたけど。


 その通知は突然やってきた。

 俺は高校生なのに税金を払わなくてはいけないらしい。

 新聞配達の給料は良かった。金持ち気分だった。何でも買えた。ファミ○ンで新しいソフトが出るたびに買っていた。

 それだけ稼いでいると父親の扶養家族でいられる限度額をあっという間に超えてしまったらしい。扶養限度額なんて言葉、初めて知った。

 ついでに言うなら健康保険も自分で国民健康保険に入らなくてはならなくなった。

 超体力のおかげで小学生の頃から怪我けがも病気もしてこなかったから「入らなくてもいいんじゃないか?」とも思ったが、素直に加入手続きを行った。


 父親からは「扶養手当が支給されなくなってしまったから補填しろ!」と言われ、毎月3万円を家に入れるようになった。

 バイト代を扶養限度額以内に押さえれば税金も、国保も、家への補填もしなくていいと言われた。

 しかし新聞販売店に「給料を減らしてほしいから配達を減らしてください」とは言い出しづらい。俺はすっかりベテラン扱いなのだ。頼りにされちゃっている。

 給料から税金や国保、家に入れるお金、新聞配達店でやっている積立金等を差し引いても、放課後にファストフード店のバイトをしている同級生よりも手元に残るお金は多かった。

 バイクの点検整備や自賠責、自動車税、オイル代、タイヤ代等々の維持費はたくさん欲しいしゲームソフト代も稼ぎたい。

 俺は新聞配達店のオヤジに頼み、逆に配達割り当てを増やしてもらった。


 免許を取ってから新聞配達はバイクを使うようになった。

 原付きのビジネスバイクで新聞をたくさん積んでもよく走る。

 浜松にある3つの音叉おんさマークの会社で発売しているビジネスバイクだけが2ストロークエンジンで力があるから採用していると新聞配達店のオヤジが言ってた。


 他の新聞配達員の2倍くらい積み込んで配達に出かける。

 念動力テレキネシスで補助をしているのでこれくらいの量なら余裕だ。

 しかし俺は欲が深かった。この量を搭載して配り終えるとまた販売店に戻り再度搭載。

 何往復もして新聞を配った。

 新聞配達数に対してバイクのガソリンが余り減らないので新聞販売店のオヤジに怪しまれるかと思ったら、逆に褒められた。


「さすが大型バイク免許を持っているだけあって運転がうまい!みんも見習ってガソリンを節約しよう!」


 運転がうまいから燃費が良いという訳じゃないんだけど。念動力テレキネシスで車体を軽くしているからなんだけど、そんな秘密はいえない。

 ガソリンが節約できたら、その分は新聞配達店のオヤジのもうけになるから、朝礼で毎朝のように「安全で効率の良い運転をしよう!」という、標語になってしまった。


 ちなみに高速思考で配達してみたが動きの速さに新聞紙がついてこられず、破損してペナルティになってしまうため、使えなかった。


 高校3年生の夏休みを過ぎた頃から、生活が慌ただしくなってきた。

 進路相談では「僕は東大に行きます」と宣言した。この当時、センター試験は共通一次試験といっていたが、これを受けることにした。

 誕生日には普通自動車運転免許をとった。何てったって俺の誕生日は高校の創立記念日だから! 結果的には母親に3年間、うそをつきつづけてしまった。

 高校2年の頃から「東大を目指すのならば自宅学習だけでは無理なんじゃないか」と思って、進学塾や予備校の教室に千里眼を派遣していた。


 黒板を見ているだけではチンプンカンプンだったので、超感覚を研ぎ澄ませていたら音も聞こえるようになった。

 念動力テレキネシスで物を動かせたらもっと便利じゃないかと思いイメージし続けたらできるようになった。

 つまり千里眼で遠くに意識を飛ばし、見る聞く動かすができるようになったのだ。

 もうこれは「疑似分体」といっても過言ではない。すごいぞ、俺!


 新聞配達は受験直前まで続けた。毎月の給料の中から引かれていた積立金が、辞めるときにはとんでもない額になっていた。

 この頃はものすごい好景気で金利もよく、後々には「バブル景気」と呼ばれている。

 受験直前なのに大金が入り、めていた新聞配達の給料と積立金で車を買ってしまった。

 地元企業の車を買う方が良かったのしれないが、当時は余り評判がよくなかったので中部地方に本社があるメーカーの車を選んだ。

 エンジンは浜松市にある音叉おんさマークの会社が作っていて、高回転までよく回るという評判でバイク乗りだった俺はそこにかれた。

 勉強もそこそこしていたが結局、千里眼のおかげで東大に合格した。

 カンニングじゃないよぉ、たまたま見えるところに参考書がおいてあったんだよぉ。


 やばい。高校生活の思い出は新聞配達しか頭に浮かんでこない。


 有名な港町みなとまちにある自宅から赤門までは遠かった。

 都内で一人暮らしをしたかったが、時代はバブル。家賃も駐車場も高くて、住宅ローンを抱えている両親に金を出してくれとはいえなかった。

 仕方なく駅まで自転車で行き、そこから電車、地下鉄を乗りついで通った。

 アルバイトをしたかったが時間的な制約で新聞配達は無理。ならば東大生らしく家庭教師をやろうと思いついた。


 高校3年間は「硬派なツッパリくん」を目指していたが、大学生にもなってツッパリはないだろう。

 頼れる知的で優しいお兄さんでもいいのではないか?

 路線変更である。これなら大学デビューでなく地でイケる。自分ではそう思っていた。

 世間の評判は違っていたようだ。

 高校でも身長は伸び、結局190cmにもなってしまった。強い意志で「2mは嫌だ!」と念じていたのでここで止まったようだ。

 身長2mだと単位がセンチメートルからメートルに変わり、動物か化け物のように感じてしまう。

 だからどうしてもセンチメートルの範囲でとどめておきたかった。

 そして体重も120kg前後に増えていた。デブじゃない。筋肉がゴツいのだ。

 プロレスラーか、相撲取りか、アメフト、ラグビーの選手という方がぴったりだった。


 家庭教師のアルバイトは自宅周辺だと知り合いが多くて嫌だったので、都内の家庭教師派遣会社をあたった。

 現役東大生という肩書きだけでも有利である。ましてはつい先日まで受験勉強をしていたので、教えやすいでしょうと、歓迎された。

 家庭教師心得のような研修を受け、依頼のあった家に出向いて勉強を教える。


 女子高生と現役東大生の禁断の恋・・・


「先生、ここをもっと詳しく教えてほしいんだけど・・・」

「ふふ、先生じゃなくて『お兄ちゃん』って呼んでいいんだよ」

「え・・・、じゃぁ、お兄ちゃん。教えて・・・」


 一人っ子なので妹が欲しかった俺は、可愛かわいらしい女子高生を教える場面を想像しながら現場に行ったら、だっさい男子だった。

 何軒か掛け持ちしていたが、すべて男子生徒だった。

 派遣会社の方で同性になるよう調整しているそうだ。つまらない。

 おまけにほとんどの生徒が「落ちこぼれ」で授業について行けない部分を家庭教師が補っている。

 ある程度授業について行ければ学習塾に通える。つまり「ちょっとトロい男子」を何人も相手にするのだ。


 幾ら教えても頭に入ってこないみたい。何でだろう?理解しがたい。

 どうして1度で理解できないのだ!

 だんだんイライラしてきた俺は、こいつらの頭脳を何とか活性化できないかと考えた。

 すると「頭脳活性」の能力が芽生えた。

 試しに俺自身に頭脳活性を使ってみたら簡単に辞書や百科事典等が丸暗記できた。

 六法全書や判例集まで丸暗記できたのでこのまま弁護士にでもなろうかと思ったくらいだ。


 俺の超能力を他人に使うのはこれがはじめてだ。

 超能力がバレないように勉強を教えながら力を使う。家庭教師の時間が終われば、力は使わない。俺が教えている範囲だけバッチリ理解してくれればいいのだ。

 頭脳活性しながら勉強を教えるとたくさん詰め込める。俺は詰め込み教育と言われていた時代を過ごしていたが、それを上回るくらい詰め込んでやった。

 俺の教え子たちは全員、成績が急上昇した。希望の高校や大学に合格もできた。

 評判がいいので仕事も増える。仕事が増えればもうかる。時代はバブル。良い物にはお金をじゃぶじゃぶ使ってくれる。


 そのうちに派遣会社を通さずに個人的に仕事が来るようになった。

 自宅に俺専用の電話回線を引いてFAXを取り付けた。電話加入権が高かったけど、必要経費だからしょうがない。

 時給2万円とふっかけても順番待ちができる状態だった。

 かなりもうけた。通学の時間や家々を回る移動時間を家庭教師の仕事に使えれば、もっともうけられるのにと思った。


(そうだ、どこでも○アがあれば楽に移動できるぞ!)


 瞬間移動テレポーテーションが発動した。

 早速試してみた。転移先をイメージして跳躍する。行ったことがある場所にしか行けなかったが千里眼で見たことがある場所なら大丈夫だった。

 新規で家庭教師に行く家は大体のあたりをつけてから、最寄り駅のトイレの個室に跳躍した。

 千里眼で駅のトイレに入り、誰もいないことを確認したら個室のドアを念動力で閉める。

 そこに跳躍して「あぁすっきりしたーっ」という顔で出て行くのである。

 交通費も浮くし時間的な余裕もできる。いいことずくめだ。


 バブル景気は恐ろしかった。

 ディスコでは半分裸のお姉さんが毛羽けばたきを持って、高い台の上で踊っていた。

 都内では国民車ともいうべき○ローラよりも、西ドイツ製の小型車が多く走っていた。

 地価も株価も上がり続け、俺も楽してもうける手段はないかと模索していた。


 そして気がついた。宝くじである。

 ジャンボ宝くじは1等と前後賞合わせて7000万円だ。

 そして抽選方法は番号の書かれた的をまわして矢で射る。

 矢の当たったところに書かれた数字が当選番号である。


 千里眼で矢を射るタイミングを見て、念動力テレキネシスで的を回す速さを調整すれば1等賞なんて簡単だ!

 不正になる?でも俺がやったって誰も気づかないじゃん!

 みんなバブルが悪いのだ。

 あんなにがんばって新聞を配っていたことも、頭の悪い子供たちに一生懸命、勉強を教えていたことも忘れて、楽にもうけようとしていた。

 そういう風潮だったのだ。俺は悪くない。


 7000万円はあっさり手に入った。誤算だったのは未成年が当選すると当選金は保護者に渡されるということだった。

 両親は大喜びで家のローンを一括返済した。学費もかかるし、あれにもこれにもお金がかかるのだ!と言われ、俺は1000万円だけもらえた。

 学生にしては大金だが納得がいかなかった。


(フジャッケンナ! フジャッケンナ!)


 連続して1等が当選したら不正を怪しまれると思ったことと、成人してから当選しないと両親に搾取されてしまうことで宝くじ購入はしばらく様子を見ることにした。

 都内にワンルームマンションでも買おうかと思っていたが高くて買えなかった。

 しばらくは家庭教師を続け、成人したらまた宝くじを当てギロッポンあたりにマンションを買おう。ナカメでもいいかな。

 大学を卒業したらマンションは賃貸して家賃収入でもうけよう。

 うん、俺の将来は安泰だ!わははは!!


 またも思い出はアルバイトだけという学生生活を送ることになった。

 バブルど真ん中。とにかく金だった。金を持っているやつが一番偉いんだと思っていた。

 俺は金を稼ぐことに必死だった。


(俺は、銭の花を咲かすんや~っ!!)


 仕方がないのだ。当時はみんなこんな感じだったのである。

2016/01/11 脱字訂正

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