28話 織田信長見物
忠次に案内された宿は随分と手配が行き届いており、特段不便は感じないままそれなりの時間が過ぎた。
まさかここまで足止めされるとは思っておらず、昌秋らが数度忠次の代わりに残された者へと確認を取っていたが、返事は忠次が戻って来るのを待って欲しいの一点張り。
俺はそこまで心配していなかったのだが、護衛の間では明らかに不穏な空気が流れていた。
「殿、やはりこれは何かおかしいのでは」
「おかしいことではあるが、殺気立つ必要はない」
「ですが」
「左兵衛。ここは吉良のお膝元でもある。不用意な発言をすることのほうが俺のみを危険にさらすと理解してくれ」
「…かしこまりました。ですが周囲の監視の目はより厳しくさせていただきます。どうかそれだけはお許しください」
「まぁそれくらいであればな。ただし問題だけは起こしてくれるなよ」
「はっ」
昌秋が護衛を纏める立場であるからこのように言ったのだ。先ほどにも述べたように、昌秋以外も似たような感情を抱いていることであろう。
ただしここは吉良家の治める東条の地。どこであの男が聞き耳を立てているかなど分からぬからな。
あくまであの男は独立した人間として、この地を治めているのだから。
そしてしばらくしたころ、ようやく忠次が部屋に姿を現した。隣にはどこかで見た気のする男が立っている。
「その者は」
「内藤三左衛門信成」
「殿の異母弟にあたる御方でございます。これより岡崎までの道中は、三左衛門様が皆様をお連れすることとなりましたのでご挨拶に」
「ふむ。ならば左衛門尉は如何する」
「もちろん私も同行させていただきます」
内藤信成、な。その名を聞いた覚えは過去を遡っても無いのだが、いったいどこでこの顔を見たと思ったのか。
顔を合わせる機会があれば、いつどこで会ったのかくらいは記憶にありそうなものなのだがな。
「三左衛門殿、これより先のことよろしく頼む」
「あぁ」
随分と不愛想な男ではあった。
しかし元康が遣わせたのだから、ただ不愛想なだけというわけではないのだと思う。忠次に目を向けると、どこか申し訳なさそうに目を伏せた。
やはり訳アリか。しかし元康はどれだけ訳アリを抱えているのか。どれだけ俺が配慮しなければならないのか。面と向き合って話す時は遠慮の塊であるくせに、こういう間接的な関わり合いでは遠慮の欠片も無い。別にそれはよいのだが、そうであるならば面と向かった時も遠慮なく接してくれればよいのにな。俺としてもそっちの方が嬉しい。二つの意味で。
「それよりも左衛門尉。いったい何があって俺たちはこの地で足止めを喰らっているのだ。時間は限られているゆえ、出来るだけ早く岡崎に向かいたいのだがな」
「申し訳ございませぬ。現在岡崎城の方が随分と慌ただしくしておりまして、なかなか一色様をお連れできぬ状況なのでございます」
「慌ただしく?もしや三河国内で何かあったか」
俺の問いに忠次は微妙な反応のみで、それ以上のアクションは何も無かった。
一方で信成の方は随分と面白くなさそうな顔で、俺たちのやり取りを見守っている。いや、ボーっと見ているというべきか。
どちらにしても良からぬことが岡崎城で起きていることは確かなようだ。俺を巻き込みたくないという思いからなのか、はたまた俺に見られると都合が悪いということなのか。
ただ言えることは、もうこれ以上の足止めは待っていられないということだ。庄兵衛の迎えもあるし、護衛たちの感情的にもここらが限界だろう。
「これ以上待たせるというのであれば、こちらにも考えがある」
「…考えでございますか」
「俺の帰りが遅くなればなるだけ、領地に残っている者たちが心配するであろう。ゆえに岡崎城に入ることが出来ぬというのであれば、俺達はこのまま来た道を戻って領地に帰る。対応次第では久殿の輿入れも」
「そ、それだけはどうか」
「それに別に俺たちが岡崎城にまで出向く必要もあるまい。どこかにまで久殿を連れて来てもらえれば、そこから共に大井川領に戻ることだって出来る。だが松平としては面目丸つぶれとなるであろう。もしくは俺をいますぐに岡崎城に連れて行け」
最後に最も現実的な提案をする。そもそもそう言う話だったはずだ。
岡崎城で何が起きているのかは知らないが、そのようなこと俺たちにとっては本来関係のないことである。どうして俺たちが割を食わねばならぬのか。
「左衛門尉」
「あ、はっ。なんでございましょうか、三左衛門様」
「岡崎城で何が起きているのか。話してご理解いただくほかあるまい。このまま帰られては、姉上の顔に泥を塗ることにもつながるであろう。そのような結末を一体誰が望んでいるというのだ」
「それはその通りでございますが」
冷や汗をかいている忠次。想定外の背後からの味方撃ちに戸惑っている様子であった。
あるいは一門衆に対する遠慮なのか。
しかし久殿の顔に泥を塗ることを望んでいる男はいるだろう。そう、元康だ。二人の関係を思えば、少しでも久殿の印象は悪くなっていた方が元康としても先々やりやすいはず。
まぁあまり得策であるとは言えないが。なんせ泥を塗ったのがその松平家になるわけだしな。
「殿には俺から話す。ゆえに早々にこの場を収めよ」
「…かしこまりました。三左衛門様がそのように仰るならば」
そう言った忠次はしばらくの葛藤の後に口を開いた。
「…現在、岡崎城に織田弾正忠家の御当主様が滞在しておられます」
「なっ!?」
真っ先に声を上げたのは昌秋であったが、他の者たちも少なからず腰を浮かすなり、声を上げるなりの反応を見せた。
俺はかろうじて声を押さえることに成功し、忠次に先を話すよう目で訴える。
「突然の来訪であったこと、一色家の先代当主様が織田家との戦でお討ち死にされたことなどを考慮して、一時足を止めていただいたのでございます」
「弾正忠家の当主ということは信長か」
上半身を大きく前に揺らした忠次。これを肯定だと捉えて良いのであれば、大事件も大事件である。
「目的は」
「殿の御嫡男であられます、竹千代様と織田弾正忠家の姫様の輿入れについてのすり合わせであると」
「つまり別に目的があると」
「はい」
頷く忠次に、昌秋が真っ赤に顔を染めて俺を見た。
「今すぐに帰りましょう!あの男と顔を合わせることなど有りませぬ。いえ、むしろ会うことができればその場で斬って」
「待て、左兵衛」
「ですが殿!」
「待てと言ったんだ!」
一喝した。部屋の中に冷たい風が入り込んだのかと思うほどに空気が冷えた。
昌秋としては俺がこれほど声を荒げると思っていなかったのか、どこか不本意ながらも頭を下げている。他の者たちも血相を変えて頭を下げていた。
「戦場における死は、この乱世にとって当たり前のものであると思っている。俺は織田弾正家も信長もを恨んではいなし、平時において信長を殺してやりたいとは…。いや、平然と嘘を吐くことは出来ぬな。だがこの輿入れという目出度き日に、久殿を血濡れた手で大井川領まで共にしたいとは思わぬ」
「…殿」
「左兵衛、ここは気持ちを押し殺してはくれぬか」
俺の言葉に忠次が慌てた声を出した。
「まことに会われるおつもりでございますか!?」
「わざわざ顔を見に行くことは無い。城内でたまたま顔を合わせれば、それはそれという話だ。もちろんいきなりとびかかったり、不意打ちで殺そうなんてことは考えていない。理由は先ほど述べた通りだ」
「殿、俺の考えが浅はかでございました」
忠次が唖然としている中、昌秋が随分と落ち着いた声色で頭を下げた。握りしめる手は相変わらず力みまくっているが、それでも俺の意は汲んでくれるとのことである。相当に我慢させていることもまた理解しないといけないな。
「決して無理だけはしてくれるなよ」
「…いえ、無理だなんてことは」
「三左衛門殿、左衛門尉。俺たちを岡崎城にまで案内してくれるか」
「はっ」
「…かしこまりました」
さて、皆の不満も理解できるがいつまでも足止めを喰らっているわけにもいかない。
それにもし運がよければ前世において最も会いたいとおもっていた偉人、織田信長に会えるかもしれない。そりゃ皆の感情と相反するものではあるのだが、やはり日本史の偉人と言えばの代表格に会えるかもしれないという期待は何物にも勝ってしまうものだった。
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