第五幕:第二幕
「待ってください、玲央!そっちは舞台ではありませんよ!?」
僕が倉庫を出てすぐに、今度は開演を告げるアナウンスが聞こえた。もう、幕は開いている。
「今から直接舞台に行ってたら、ロミオの出番に間に合わない!」
現時点で、確実に第一幕には間に合わない。そこはきっと、みんながなんとかしてくれているはずだ。でも、第二幕に遅れるわけにはいない。だって第二幕は、ロミオのセリフから始まるから。大丈夫。絶対に、間に合わせる。
僕は必死に、観覧席へと走った。そっちの方が舞台裏へ回るよりも近いからだ。重い、観客席の扉の前にようやく辿り着いて、息を整える。何回も息を吸って、吐く。冷たい空気が、肺を満たしていく。その冷たさに、頭が少し冷静になった。心臓の音が、バクバクとうるさい。
……そうだ。この先には、あの目がたくさんあるんだった。夢の中で何度も何度も、繰り返し経験した、あの目……。それを思い出して、一気に体が冷えていく。
「玲央」
「……玲央」
「玲央ぉ!」
「……みんな……」
僕の緊張を感じ取ったようで、みんなは僕の名前を呼んで、そっと手を握ってくれる。指先から、じんわりと暖かさが戻ってきた。
そうだ。みんなが言ってたじゃないか。観客が見ているのは、僕じゃない。……ロミオだって。
「みんな、ありがとう」
僕はぎゅっと、みんなの手を握り返して、ゆっくりと放した。扉の向こうから、かすかに声が漏れ聞こえる。どうやら今は仮面舞踏会のシーンみたいだ。ゆっくり、僕は気づかれないように観客席の扉を開けた。扉は二重になっているので、光で気づかれることはまずないだろう。でも、万が一があるので、僕はじっと気配を殺して壁際に立つことにした。
舞台の上では、朱里さんがダンスを踊っている。本来であれば、僕と一緒に踊って、二人が恋に落ちたことを示すシーンだ。けれど、それを朱里さんは見つめる視線だけで、ロミオに恋心を抱いたことを表現している。
「……やっぱり、すごい」
たった一人で、二人が恋に落ちたことを表現してしまうなんて。でも、次のシーンはそうはいかない。第二幕は僕の……ロミオのセリフからなんだから。僕は目を閉じて、すっと息を吸う。大丈夫。大丈夫だ。だって……。だって僕は、ロミオだから。
ゆっくり眼を開けると、舞台が暗転していた。シーンの切り替わりだ。僕が、ロミオが、出ていかないと。僕は下ろしていた前髪をかき上げて、後ろへ流す。いつもと違って、周りがよく見えた。一歩、また一歩、観客席の通路を進んで行く。そして、
「……言いたいようにいえばいい」
舞台に向かって歩きながら、僕は声を張り上げた。その瞬間、パッと僕の元にスポットライトが当たる。
「奴らはこの痛みを知らないから、好き勝手言えるんだ」
僕は自分の胸を、ぎゅっと掴んだ。本来なら、ロミオはこの後すぐにバルコニーに出てきたジュリエットを見つける。けれど、それだとまずい。第一幕で、ジュリエットがロミオに恋をしたことは観客に伝わっている。けれど、ロミオの気持ちはまだ伝わっていないからだ。だから、
「それにしても、あの仮面舞踏会……。一緒に踊ることこそ叶わなかった。けれど、あの美しさ……」
少しだけ、アドリブを入れる。これで多分、ロミオの心情がわかりやすくなるはずだ。
「仇の娘だって知ったことか。彼女を、彼女をまた一目見たい……その一心で、ここまで来てしまった。けれど、彼女のためなら、屋敷へ忍び込むなんて造作もない」
そう言って、僕は舞台の方を見上げる。目線の先にあるのは、例のバルコニーだ。そこへすっと、朱里さんが姿を現す。
「なんだ、あの光は?この方角は東、とするならばジュリエットは太陽だ!俺の思い人だ!!あぁ、なんと美しい瞳だろう。夜空にまたたく星に勝るとも劣らない。いや、きっと星の方が見劣りしてしまう。それほどまでに美しい」
よし。これで元の流れに繋がった。僕ははやる気持ちを押さえて、舞台に登る。
「あぁ……ロミオ……ロミオ!あなたはなぜロミオなの?仇敵なのはそのお名前だけ。あなたがその名前を捨ててくださるなら、私も喜んでこの名前を捨てますのに……なぜ……」
朱里さんも、いつもと変わらない。これなら大丈夫だ。僕はうっとり、ジュリエットの声に聞き入る。
「あぁ、なんて美しい声なんだ……もっと聞いていたい……」
「だれ?そこにいるのは?」
「……なんと名乗ったものか……」
けれど、僕の声に気づいたジュリエットが、バルコニーから僕を見下ろす。あのジュリエットが僕を見てくれている。嬉しい気持ちとは裏腹に、名乗るわけにはいかないもどかしさで胸をかきむしる。
だって僕は、モンタギューの息子だから。
「あなたの好きに呼んでくれて構いません。なぜなら俺の名は、あなたの仇敵の名前なのだから」
「まぁ!その声は、間違えるわけがありません。ロミオ様。ロミオ様なのでしょう?」
より一層、ジュリエットの表情が明るくなる。それはまさに、太陽のような輝きだった。
「いいえ、あなたが嫌がるのであれば、そのような名前のものではありません」
「それにしても、どうしてここへ?ここの塀はとても高いのに……いえ、それ以前に家の者に見つかりでもしたら……」
「なに、こんな塀くらい、軽い恋の翼があればなんとでも。あなたの身内ですら、恋の障害にはなりえません」
もっと近くでジュリエットの姿を見たくて、僕はバルコニーをよじ登り、ジュリエットの元へ行く。
「そんな!家の者に見つかれば殺されてしまうというのに!」
「殺されるよりも、私にはあなたの瞳の方がよっぽど恐ろしい」
そうだ。彼女の家の者なんかより、彼女の瞳の方が怖い。彼女に否定されてしまったら、それを思うだけで、この胸が苦しくてたまらない。
「どうやってここがわかりましたの?」
「恋の神に導かれて」
正直に、僕は答えた。恋の神の導きでないのであれば、この出会いはなんだというのだろう。
「待って。今恋っておっしゃったの?」
「えぇ。そうです」
僕はジュリエットの手を取る。そして、先ほどは叶わなかったダンスを踊るように、くるりと回った。
「……私は、あなたに恋している。いや、愛しているのです。ジュリエット」
まっすぐ、僕はジュリエットを見て自身の胸の内を伝える。ジュリエットは少し目線を逸らした。けれども、すぐに僕とまた目があう。
「まぁ。なんてこと?そんな私をからかって。いえ、本当でいらっしゃるの?本当に私を愛してくださるの?」
「愛しておりますとも。あの美しい月に誓って」
「いやよ。そんなあんなコロコロ形を変える不誠実な月になんて誓わないで。誓うのでしたら、あなたの名前にかけて誓ってくださいませ」
「では、僕の心にかけて……」
「あぁ、やっぱりおよしになって!あんまりにも軽率すぎますわ」
恥じらう彼女も、また美しい。この時間が、ずっと続けばいいのに。でも、
「ジュリエット様っ!!」
遠くから、ジュリエットの乳母らしき女性が、彼女の名前を呼ぶ。あぁ、ここまでか。そう思ったのに、
「まぁ、ばあやだわ。ねえ、ロミオ様。もしもあなたの愛が本物で、私と結婚をするつもりでいらっしゃるのでしたら……明日必ず使いを出します。そこでいつ、どこで式をするおつもりなのか、その者に言伝くださいませんか?」
あぁ、なんと嬉しいことか!ジュリエットから、まさか結婚の話が聞けるなんて。今ならどこへだっていけそうな気がする。
「ジュリエット様!」
「はい!もう行くわ!!!ねぇ、ロミオ様。必ずよ?」
「もちろんだとも!!!」
叶うなら、この手を離したくない。けれども、誰かにこの姿を見られるわけにもいかない。最後に優しく、僕は握ったジュリエットの手の甲にキスを落とす。ギリギリまで繋いだその手も、最後にはゆっくり離れて、ジュリエットは行ってしまった。
「必ず!必ず伝える!!!」
僕の声が、会場に響いた。その響きに合わせて、舞台がゆっくりと暗転する。




