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職員室の閑談

 四月のまだ桜が咲いていた時期。

わたし、花車(はなぐるま) (のぞみ)は熱意に溢れていた。

 自分の担当教科である国語、特に学生が引っかかりやすい古典や漢文を中心に図書館で本を借りてみたり、先生方や生徒達と積極的に話をしたり。

忙しかったがなんだかんだ充実していた……ハズだったのに。

「どうしてこうなっちゃうかなぁ……」

「あらぁ、大きな声出してどうしたの?」

「えっ!?」

 突然の声に、わたしは大きな声を出してしまう。

大抵の生徒は帰宅した時間だが、職員室にはまだたくさんの先生方が残っている。

 わたしは集まってくる視線を見ないふりして、話しかけてきた先生の方を見た。

「月日出先生。」

「なぁに?」

 にっこりといい笑顔を浮かべているこの先生は、普段は保健室にいる非常勤の先生だ。

独特な話し方だけれど、生徒から人気がある。

教師の間でも生徒の悩み相談や適切な応急処置などが評価されている。

 要は、とてもいい先生という事。

わたしは思わず出そうになったため息を押さえて代わりに言葉を吐く。

「どうして職員室(ここ)に……?」

 こんな時間まで非常勤の先生が残っているのも珍しいが、それよりも職員室にいることの方が珍しい。

どうして職員室に、それもわたしの隣の席に座っているのか。

「ちょっとこの席の先生に用事があったのよ。」

 そう言って月日出先生は座っている椅子を揺らす。

わたしの右隣に当たるその席は、小戸路(おどろ) (しゅう)先生の席だった。

「小戸路先生に何かごようですか?伝言とかならできますけど……」

「ああ、伝言じゃないの。ちょっと聞きたいことがあってね。気にしないで、大したことじゃないから。」

「はぁ……」

 呆気に取られつつ軽く頷くと、月日出先生はニコニコと笑っていた顔を少し落ち着けた。

「それで、どうしたの。そんなに大きな声を出して。」

 頬杖をついてわたしの方を見ながら、月日出先生は優しく笑う。

普段はその奇抜な口調と態度に意識がいくが、こうして真正面から見つめられるとその顔が随分と整って見えた。

 そしてなにより、わたしを見ているその瞳がまるで柔らかい毛布みたいでどこか懐かしく、目が離せなくなる。

「アタシの顔に何かついてる?」

 月日出先生にうっすらと不思議そうな顔を向けられ、わたしはようやく先生を見つめたまま固まっていた事に気づいた。

「すいません!じろじろとみちゃって。ええと、さっきの声はなんでもないんです。ただちょっと、疲れてただけで………」

 慌てて弁明をして、忙しなく質問に答えようとするが、途中で言葉が出なくなってしまった。

声を出そうにもなんと言っていいのかわからない。

ただ、ひとつ明確にわかるのはわたしが今思っている事を完璧に月日出先生に伝えられたとしても、月日出先生を困らせるだけだと言う事。

「しゅうくんの事でしょ?」

「……へっ!?」

 思わず声が裏返った。

また周囲の先生に睨まれるかと思ったけれど、今度は誰もわたしの方を向すらしなかった。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないの。ま、しゅうくん仕事もできるし顔もいいものね〜。」

「そ、そういうんじゃありません!」

「しゅうくん関係なのは否定しないのね。」

 意地悪く笑う月日出先生に、わたしは慌てて否定するが、月日出先生は笑うばかりで取り合ってくれない。

「小戸路先生関係なのはそうですけど……別に本当にそういうんじゃ……」

「しゅうくん仕事できすぎるものね。世渡りも上手だし。」

「分かってるじゃないですか!!」

 思わず非難するような言い方をしてしまったけれど、からかわれていたのだからこれくらいならいいはずだ。

「だって、のぞみちゃんわかりやすいんだもの。」

「そうですかね………。」

「そうよ。四月にはよくしゅうくんと話してたのに、最近はさっぱりだもの。それに、前までは生徒達とおんなじように‘愁先生’って呼んでたのに、今は‘小戸路先生’って呼ぶじゃない。」

 うっ……

ここ最近小戸路先生を避けていたのが全部筒抜け……

 わたしは思わず月日出先生から目を逸らす。

「それで?悩みがあるなら聞くわよ。」

「……もうほとんどわかってるじゃないですか。」

 わたしの悩み。

それは、優秀な同僚への嫉妬だ。

「小戸路先生は生徒にも先生方にも信用されていて、仕事も早いじゃないですか。それに比べてわたしは……」

 生徒達には舐められがちで、先生方には若干距離を置かれ、書類を終わらせるのも小戸路先生よりもずっと遅い。

 なんとか追いつこうと春先は図書館に通っていたが、そこでの小戸路先生と生徒のやりとりを見ていつの間にか心が折れてしまった。

「あ〜、確かにしゅうくん、図書委員の子達とは仲良いわよねぇ。」

「図書委員の子達だけじゃないですよ。」

 小戸路先生はどの生徒にも好かれている。

いつも生徒達に囲まれて笑っているような先生だ。

「案外そうでもないわよ?」

「でも人気じゃないですか。」

「でも、生徒に人気があることだけが‘いい先生’じゃないでしょ?」

「うっ……。」

 正論に思わず言葉が詰まる。

でも、すぐに息を吹き返して言葉を返す。

「そ、それだけじゃないですよ。仕事も早いですし、先生方とも折り合いがいいですし……」

 そう、小戸路先生が凄いのはそこだ。

仕事量はわたしとそう変わらないはずなのに気づけば終わらせているし、他の先生方との連携も早い。

「しゅうくんの場合、ただただ腹黒いだけよ。」

「誰の腹が黒いんです?」

「えっ!?お、小戸路先生!?」

 思わずすっとんきょうな声をあげてあたりを見回すと、月日出先生の後ろに立っている小戸路先生と目が合った。

「俺がどうかしましたか?」

「い、いえ!どうもしてませんよ。」

 仕事終わりで疲れが出ていてもおかしくはないのに、さっぱりとした笑顔を見せる小戸路先生を見て、わたしはやや早口に言う。

今の話、聞こえていただろうか。

「あらしゅうくん。おつかれさま。今日も委員会?」

「はい。今日はみんなでテスト勉強をしましたよ。」

 笑顔で言いながら小戸路先生はお手製だというプリントの束を見せてくれた。

仕事で忙しいはずなのに、委員会の顧問の仕事もしてさらに生徒のためにプリントまで作るなんて、わたしにはできない。

それも、プリントには別で解説もついているようで、その解説文も小戸路先生が作ったものだという。

 わたしはまだ頼まれた職員会議の資料すら作り途中だというのに。

「それで、月日出先生はなんのようですか。」

「あらぁ、用もなく職員室に来たらダメなの?」

「ダメではないですけど俺の椅子を取るのはダメです。」

 文句を言いながらもにこやかに対応する小戸路先生を見て、わたしは思わず勢いよく立ち上がった。

「ど、どうしました?」

 あまりの勢いに小戸路先生が軽く驚いている。

でも、今のわたしに小戸路先生と会話ができる自信がない。

 今喋ったら、絶対に弱音を吐いてしまう。

「すいません、用事があるんで帰ります。」

 それだけ言うと、わたしは机の上にあった荷物を適当にかき集めて職員室を後にした。

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