103 瘴気の浄化……何も知らずに現れた、その原因②
「ふふっ、そうだったわね、お姉様は記憶がないんでしたっけ。リナのことも覚えていないのかしら」
「今はジュディと話をしているので、邪魔をしないでくれませんか」
「あ~そういうことねぇ。リナがお姉様を探してきてって頼んでいたからなのね。うふふっ。な~んだ、見つかったのなら教えてくれればよかったのに」
にっこりと笑いながら、わたしたちに向かって近づいてくる。
アンドレがリナを買い物に誘っていたけど、行かないよね、という期待を込めて、ぎゅっと彼の手を握る。
「ちょっとお姉様。リナの婚約者の手を離してくださいまし」
アンドレをフィリベールだと思い込んでいるリナから、ぎろりと睨まれる。だとしてもここは一旦落ち着け。
陛下とアンドレが秘密裏に進めている計画が分からない以上、ここは状況を見極めだんまりを貫くべきだ。
すると、アンドレが口を開いた。
「あなたはどうしてこちらに来たんですか? 部屋で待っているように、シモンから指示があったはずですが……」
「ねぇ、アンドレ。部屋って……、リナと二人きりで会うつもりだったの……。寂しいから行かないでよ」
リナへ告げたその言葉がズキンと刺さり、思わず口出しするが返事はない。
「だぁって、久しぶりに会えるんですもの、部屋でじっと待つことなんてできなかったわ。一緒に行きましょうフィリ」
「……ああ」
と一言、低い声で同意を示したアンドレは「ジュディ、手を離してくれますか」と、わたしの手を振りほどく。
するとリナが、にまにまと嬉しそうにわたしを見てくる。
「ふふっ、馬鹿ねぇ。彼が必死に探してくれたから、好きになったのね。だけど、フィリが誰よりも愛しているのはお姉様じゃなくて、あたしなの。ごめんなさい」
にやぁ~とする口元が、フィリベールの執務室で起きた出来事を思い出しカチンときた。言わせておけば、どこまでも図々しいんだから。もう我慢できない。
そう思って「彼は……」と、わたしが言いかければ、アンドレが「黙っていて」と小さな声で呟き、リナの元へと向かう。
「フィリベールがジュディに未練でも持っていれば、許しがたいなと思っていたが、そんなことは、ないようで僕としては嬉しい話なんですが……」
「フィリ?」
何を言っているんだと理解できない様子のリナは、きょとんとした顔で、彼を見ている。
そうすれば、静まり返ったこの空間に彼の冷たい声が響く。
「生憎だが僕はそんな名前じゃない。残念だったな、愛しのフィリじゃなくて」
「な、何を言っているのかしら。悪い冗談はやめてよね。あっ、もしかしてお姉様に気を遣っているのかしら。ふふっ、ごめんなさい、勝手にここへ来て邪魔をしてしまって。結界の件、お姉様を説得できたのかしら」
くすりとリナが笑う。
なるほどね。確かにフィリベールとリナが揃えば、彼らの利害関係は一致しているはずだもの。
無駄に魔力を使いたくないリナにとっても、結界を張る任務をわたしに押し付けたいのだろう。相変わらず都合のいい妹だと顎が外れる。
それにしても、アンドレってあんな口調で怒るのね。そっちの方が驚きなんだけど。
「どちらにしても、お宅の部屋を訪ねるのは、パスカル殿下だったけどな。僕は顔も見たくなかったのに、図々しく押しかけてくるとは、不愉快だ」
「えっ、ちょっとフィリったらどうしたの? お姉様に唆されたの? やだ、変なことを言わないでよね」
焦るリナは、ぎろりとわたしを見て、「人の婚約者を誘惑して許さないから」と怒鳴り散らす。
「お宅の愛しのフィリは、今ごろ、監獄塔で新顔の洗礼を受けているころだろうな。遠隔魔法とやらを使えば、やつの無様な姿が見えるんじゃないか? あそこの囚人は節操がないから、新人を見ればすぐに手を出すからな。監獄塔の外まで悲鳴を響かせているんじゃないか? 聞こえないか?」
「ぁっ! えっ? やだぁ~、ちょっとあんた……その髪も顔も偽装魔法なの? あんたはお姉様が仕込んだ、男だったのね。すっかり騙されたじゃない。フィリが投獄されるはずないもの。適当なことを言わないでよ!」
「適当ではないさ。僕も監獄塔に出入りしていたからな。よく知っている」
「ああ~馬鹿馬鹿しい、あんたみたいな偽物に用はないの。本物のフィリを探すわ」
「髪を赤色に偽装して、王宮内を自由に歩けるわけがないだろう、愚か者。自国の王族に無礼な言葉を吐くのも容認できないが、僕の大切な姫を侮辱するやつに、無駄な気遣いは必要ないからな」
この場に興味を失ったリナが踵を返そうとしたが、アンドレの声を聞いて再び向き直った。
「……王族? そっ、それではフィリは……少し前までリナの結婚式の話をしてたのよ……ぁっ」
やっと事態を理解し始めたリナが、真っ青な顔でふるふると首を横に振る。
「だから教えてやっただろう。お宅のフィリはとっくに幽閉されているさ。そして禁術である黒魔術を使ったドゥメリー元公爵令嬢のお前も、ジュディが目覚め次第拘束するよう陛下から命令が出ている」
「黒魔術なんて、滅相もございません。そのような禁術は使っておりません」
「公爵家の屋敷で使っていたはずだが」
「いいえ。リナの体をお調べになっていただいて構いませんわ。黒魔術の跳ね返りなんてございませんから。それはお姉様……いえ、お母様かもしれないわね」
「ドゥメリー元公爵夫人は既に拘束済みだ……。それにしても、お前が聖なる泉を瘴気だまりに変えたのに、よく言えるな。偽装魔法で痣を隠しているだけだろうが……。魔力がなくなればすぐに分かる事だ」
「あ、あわ、あ、あわ……。助けて――。お、お姉様ぁぁ——」
言い逃れを繰り返すリナに、呆れた様子のアンドレが魔力を放つ。
リナが縋るようにわたしを見てきたところで、前兆もなくバタンと顔面から地面に倒れた。「あっ」彼の催眠魔法か。
先日わたしには、相当ゆっくりと催眠魔法をかけていたんだから、調整はお手のものなのに、わざとやったなと可笑しくなる。あれは痛そうだ……。
彼は、倒れているリナには目もくれず、わたしの元へ駆け戻ってきた。
「余計な邪魔が入ってしまったけど、ジュディと何を話していたんでしたっけ。思わず頭に血が上って、忘れてしまいました」
「食事を摂ろうって話だったんじゃないかしら」
馬鹿ッ! 何かを言いかけていたのはアンドレなのに、どうして忘れているのよ。ムッとして違う話を振ってみた。
「申し訳ありませんが、僕の予定が大きく狂ってしまったので、ご一緒できそうにありません。僕も時間をみて、適当に食べるのでジュディは先に食べててください」
そんな話をしていると、シモンがこの場にやって来て、倒れているリナを他の騎士に命じて運ばせていた。
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