放課後の駄々喋り ―The Present Box
「昔の人は言いました。『他人の恋路に口出す奴は、馬に蹴られて死んじまえ』」
そう言った上水流がため息をついたのは、創作部部室、翌日放課後のことだった。
「トーコが今頃、馬に蹴られてなければいいんだが」
「うちには馬術部はないですから、どこかの動物園から暴れ馬が逃げ出してない限り大丈夫ですよ」
「そうか」
なら良かった。「やれやれだ」と、上水流は胸をなで下ろす仕草をした。しかし、
「それ、わざとらしいですよ。先輩」
「当然だ。わざとやったんだからな」
机の向こう、向かいの席に腰かけて呆れたように言う後輩・鑑に、上水流はしれっと答えてやった。
――昨日。
トーコが手紙の差出人を暴いたあと、いったい何が起きたかというと――端的に言ってしまえば『予想外のことは特になかった』。
一から十まで暴露され、腹をくくった三谷原が、秘めた心の内を胡桃に吐き出して。
しかし、散々「俺は何もしてない」などとそらとぼけられ、放課後の時間を使わせられた上、その動機が、特筆することもないただの恋心だなんて、「そんなもの、校内新聞の記事にもならないわ!」――
三谷原の恋愛感情が学内スキャンダルというジャンルにおいて取るに足らぬものかどうかはさておき、『そんなもの』に奔走させられた胡桃の怒りたるや、である。
告白の答えの代わりに返されたものは一発のビンタで、張った手は、パンッといい音を立てた。
「三谷原氏は、どうして胡桃に好意を抱くようになったんでしょうね」
「さて。単純にクラスメイトだったからかもしれないし、一目惚れだったかもしれない。……三谷原くんはバスケ部を怪我で辞めているらしいから、もしかしたらそのへんの関係かもしれないな」
「バスケ部?」
「新聞部なら、部活の取材もするだろう」
新聞部のバックナンバーを探せば、それらしき記事を見つけることは可能かもしれない。
しかし、散々に終わった恋を詳らかにしようなど、それこそ悪趣味の極みだ。言わぬが花というやつだろう。
そんなことを答えたら、
「『死体蹴り』の方が合ってませんか?」
確かに。
話題を変えることにする。
「胡桃はどうしてる?」
「朝、俺の教室まで来たんですけど、そのときはいつもと変わらず元気そうでしたよ。……ああそうだ、『昨日は世話になったわね! みんなで食べて!』って、これ預かりました」
「うん?」
鑑が取り出したのは、二十センチメートル四方の箱。ふたを開けると、中にはいっぱいのクッキーが詰められていた。焼き具合が一定でないところやかたちが屋や歪なところを見るに胡桃が手作りしたようだが、ご丁寧にも、一つ一つ小袋やセロファンを使ってラッピングされている。
一つを手に取り、ラッピングを解いて中身を口に。……クッキーには妙なえぐみも酸味もなかった、と言ったらトーコに失礼だろうか。手作りなりの荒さはあるが、程よく甘くて、添えられたオレンジピールの酸味がよいアクセントになっていた。
「うまいな」
「はい」
しかし。
いくつ食べた頃だろうか、昨日のことを思い出し、ため息が出た。
「また、恨みを買っただろうなぁ……」
腕組みをし、椅子の背もたれに寄りかかりながら唸る。
自身の転機とも言える場面に、創作部――捜査部――を巻き込んでしまったことが、三谷原の最大の敗因だったように思う。無論、彼自身が望んだことではなかったとしても。
そうやって、誰かのささやかな嘘やらごまかしを暴いていく小桜二高の団体は、さて、十代青少年の活動として健全と言えるのだろうか。
上水流のぼやきに、鑑はしれっと答えた。
「今さらじゃないですか」
「うーん」
それはそれで、身もふたもないように思う。
創作部の有り様になど興味はないのか、それとも『それすら引っくるめて我ら』と信じて疑っていないのか、いずれにせよ鑑はその話題には興味がないようだった。
鑑はクッキーをもう一つ、手にする。しかしラッピングを解こうとはしないままだ。赤いセロハンを手の上で転がす彼は、いったいどうしたというのだろう。
尋ねてやるべきか迷っているうちに、彼が口を開いた。
「……『恋にこがれてなく蝉よりもなかぬ螢が身をこがす』」
「うん?」
「どうでしょう。黙って忍んでいた方が良かったんですかね、三谷原は」
都々逸。きっと、先ほどの上水流の言葉に対して返したつもりなのだろう。もう一度重ねるべきかと思ったけれど億劫でやめた。
返すべきことを考えながら――しかしながら、と上水流は思い、迷う。恋愛というものに対し、何かを語れるほどの知識はないからだ。まだ高校生の身空で、身を焦がすような恋などしたことのある人間など、この世にどれだけいるのか知らないが、少なくとも上水流にはまだ、覚えがなかった。
それでも鑑は、何か答えを待っているらしい。上水流は、クッキーの箱に伸ばした手を、何も取らないまま引き寄せた。それを顎に当てて――
「……わたしは」
「お疲れさまですー!」
ドアの開く音。
言うべきことを決められずにいた上水流を遮って、元気のいい挨拶をくれたのは、昨日の功労者トーコだった。
にっこりと、笑ってやる。
「お疲れ、トーコ。何かいいことでもあったのか」
「えへへ。実はですね、胡桃ちゃんにクッキーを貰ったんです! ……って、あれ?」
自分が今、鞄から取り出した箱と、机の上で部員二人に食い散らかされている最中の箱。それらがよく似ていることに気づいたらしく、きょとんとした表情で二つを交互に見ている。
トーコが貰ったのは、一人用として作られたもののようで、上水流たちが食べている箱よりは少し小さい。謎解きを果たしたトーコには特別世話になったから、部に対する礼とは別に贈ったということなのだろう。
「わたしたちも胡桃から貰った。一緒にどうだ」
「どうせ中身は同じだろ。お前が貰ったものは、家に持って帰って食えばいいよ」
それ以上何も答えず、クッキーをまた一つ取る。トーコはしばらく二人を見ていたが、やがて「飲み物買ってきます」と回れ右して部室を出ていった。その声も足取りも、弾んでいた。良いことだ。
向かいの鑑は、鞄からペットボトルを取り出して呷っている。クッキーに口の中の水分を奪われたからであって、別にトーコの発言に誘われたとかいうわけではないだろうが――
黙って忍んでいた方が、か。
「わたしは恋愛感情には詳しくないけれど」
「え?」
「堪え忍ぶことは、できなかったんじゃないのかね」
それが先ほど自分が発した疑問であるということに、鑑はしばらく気づけなかったようだった。
二度、三度とペットボトルを傾けて、ようやく「ああ」と言う。
「そんなもんでしょうか」
「そんなもんだろう」
そうとも、そんなものだ。きっと、たぶん。
鑑は生返事をしながら、教室のドアをぼんやりと眺めている。その、あまりにも気の抜けた横顔を見ながら――
上水流は。
「お前が、トーコの力になりたいと思うのと同じだよ」
ペットボトルを傾けていた鑑の喉が、んぐ、と妙な音を立てるのを聞いた。
創作部が何か事件に巻き込まれるたび、文句を言いながらも証拠集めに奔走すること。たとえ自分のそれが間違っていて、関係者に罵られたとしても、トーコが真実を見つけるための一助になれるなら、と――彼の、不器用な行動原理。
気付かれていないと思っていたのだろうか?
「……いや。余計なことだったな。忘れてくれ」
後輩の不器用な恋心に口を出す奴も、馬に蹴られる可能性がある。
耳まで赤くなった鑑から、なるべく自然な様子で目をそらし、上水流はまた、箱の中に手を差し入れた。
おしまい。
お粗末様でした。ありがとうございました!