02 BAN-HOT
チエの熱い抱擁に倒れた智を孝臣に任せ寮を出た武は、夕食の材料を調達するためスーパーに来ていた。
校内にあるのだから、スーパーと言っても購買部みたいなものだろうと思っていたが、校内図を頼りに たどり着いた立派な建物に唖然とする。
スーパーどころか、ショッピングセンターと言っても申し分ないほど だだっ広い。
さすが私立は違うな と目を輝かせながら買い物カゴを手に取った。
野菜は地元で採れたものを売っているのか、鮮度が良いうえに安価だ。
生鮮食品や嗜好品の品揃えはイマイチな上に値段も高いが、こんな山の中にある学校にしては頑張っているほうだと思う。目当ての物がすべて揃うことはなかったが、これだけあれば まともなものが作れる。
最後に牛乳をカゴに入れレジに向かおうとしたところで、突然 後ろから突き飛ばされた。
倒れながらもカゴだけは しっかり護った武が文句を言おうと顔を上げると、そこには、ハネ毛が ひどい前髪をピンで上げた 醤油顔の男が立っていた。
「すんまへん」
そう悪びれもせず無邪気に笑った男は、そのまま駆けていってしまった。
相手が関西弁のようだったことに不意を食らい怒鳴ることも忘れてしまった武だったが、よくよく考えてみれば、山形の学校だからといって生徒全員が山形県民というわけではない。
この学校に在籍しているのは、その ほとんどが少年院を出て帰る場所が無い少年たちだ。
つまり、全国から集まってきている。
関西弁を喋る者がいたからといって、何も奇妙なことはない。
と、そこまで考えたところで まさかと思いズボンのポケットを確かめる。
……大丈夫だ。財布は無事だった。
安堵して立ち上がったところで、カゴに見覚えのないものが入っていることに気づく。
四角い紙パックには、湯気を立てるココアの上に妙にクラシカルな文体で「BAN-HOT」と表記されている。
初めて見る商品だ。地域限定で売られているものだろうか。
入れた覚えは全くないが、興味本位で もう2本をカゴに追加した。
寮に戻ると、自販機前のソファに男が2人 座っていた。
いかにもな奴と そうでもない奴だ。
目が合うなり興味深そうに立ち上がった いかにもな奴に、武は自然とビニールの持ち手を握りしめる。
「見ない顔だな。新入り? 俺、2年の佐伯。よろしくな」
意外とフレンドリーだった。
差し出された手を握ると、がっしり握り返される。
遅れてやってきた そうでもない奴も2年で、小原というらしい。
学年を訊かれ同学年だと答えると、佐伯から口笛と共に何故か拍手された。
「丁度、先月クラスの奴が3人 消えちまったから、今年の体育祭はシケてんなーって思ってたとこ。タイミング良いよ、あんた」
「消えたって、どういうことだよ?」
佐伯が口を開いたところで、小原が慌てた様子で飛び出してきた。
「やめとけって! 呪われるぞ」
更に気になる言葉を耳にする。
そのまま佐伯の背を押して立ち去ろうとした小原を引き留めた武は、頼むから事情を話してくれと願い出た。
顔を見合わせるなり すぐに楽しそうに笑った佐伯に、小原は肩を落とす。
立ち話もなんだ とソファに案内された武は、テーブルを挟んだ向かいに座った2人を見つめた。
最初に口を開いたのは、やはり佐伯だ。
「どこの学校にも怪談話は付きものだが、うちのは ちょっとばかし謎めいててね。そのひとつに、【クラブの呪い】ってのがあるんだ。なんでも、うちの学校には昔、月イチで教師が気に入らない生徒を殺す《生徒狩り》って風習があったらしくて、多くの生徒がその犠牲になった。その中でも最も陰湿で執念深い殺し方をした教師がいてな、そいつが殺した生徒の遺体は展望塔の地下に埋められたって話だ。以来、あの展望塔は殺された生徒の怨念で呪われてて、立ち入った奴は例外なく殺されるらしい」
サスペンスホラーかよ とひとりでツッコミながらゲラゲラ笑う佐伯。
まさか あの展望塔にそんな怪談話があったとは意外だ。
とはいえ、先程スーパーからの帰りがけにも見たが、まだ日があった頃は悠然と そびえてなんとも近代的な建物に見えたが、夜闇に包まれると白く凛としていた壁が影を落とし、更には下に広がる森が陰気さに拍車をかけて たちまちサスペンスドラマの殺人現場のような雰囲気に変わってしまっていた。
あれでは確かに、そんな怪談話が生まれても仕方がないのかもしれない。
「違う……。ただの怪談じゃない」
それまで顔を俯けていた小原が、そう呟くなり膝の上で組んだ手を握りしめた。
「本当にあそこは呪われている。……聞こえたんだ。あれは、人間の声だった」
突然 頭を抱え震えだした小原に、武は ただならぬ空気を察知する。
しかし、隣の佐伯は そんな小原をゲラゲラと笑って楽しんでいるようだ。
「聞き間違いに決まってんだろ。それか、あれだ。度胸試しで入った奴が、なんかを幽霊と見間違って叫んだんだ」
「じゃあ、なんで次の日 堀江も田中も安藤もいなくなったんだ!? 3人が いっぺんに消えるなんておかしいだろ! ・・・・・・殺されたんだよ、展望塔の幽霊に」
真っ青な顔で階段を駆け上がっていった小原に、慌てて立ち上がった佐伯は、悪いな と言って小原を追いかけていってしまった。
幽霊に殺されたというのは信じ難いが、行き場が無かったためにこの学校にやってきたのであろう生徒が唐突に消えるというのは奇妙だ。
もしかすると、まだ ろくに高校生活をエンジョイしていないうちから いきなりホンボシを捕まえられるかもしれない。
それはそれで惜しいなと思うが、協会が動いたとなれば少なからず今回の事件には怪異が関わっているということだ。
さっそく孝臣に相談して、今晩にでも調査する価値があると判断した武は、ビニール袋を握り締め立ち上がった。
暗視ゴーグルに防弾チョッキ、極めつけにイカしたグローブと完全武装した武は、孝臣と打ち合わせた通り、21時50分を待って静かに自室を出た。
ところが、薄暗く影を落とすテーブルの前に誰かが立っていることが分かるやいなや、驚いた拍子に誤って扉を叩いてしまう。
あとから孝臣が出てきたことからも分かる通り、孝臣ではない。
暗視ゴーグルを起動させるまでもなく智だ。
どこに行くのかとの至極当然な問いに焦った武は必死で はぐらかそうとしたが、自分でも何が どうなったのか分からないうちに つい口を滑らせてしまい、展望塔に行くことが ばれてしまった。
孝臣が心底 呆れたとでも言いたげな目をしているが、どうせ お前は何も喋らないのだから結局のところこうなることは決まっていたと言いたい。
苦肉の策とばかりに、夕食を作ってやったのに加え、あの地域限定ココアが大好物だと言うので自分の分もやったんだから見逃してくれと願い出たが、それはそれ、これはこれ となんともジジ臭い言葉で脇に置かれてしまった。
「消灯時間以降の外出は、寮則で禁じられている。見つかれば、連帯責任として俺まで罰せられんだよ。もし俺が お前らの立場だったら、いくら今日 会ったばかりの他人とはいえ、この学園にいる間は運命共同体だ。親切心からの忠告には笑顔で従って、お互い気持ちよく明日を迎えるね」
そう実にカッコよくテーブルに腰かけ睨まれてしまっては、さすがに出るに出られなかったが、渋々 部屋に戻った武の無線に、孝臣から通信が入る。
「どのみち、このミッションが終わったらここを去るんだ。人間関係なんて一過性のものを気にする必要はない。窓から出よう」
冷たい孝臣の言葉に共感したくはなかったが、目的を達成するためにはそれしか方法がない。
窓を開けた先で見つけた配管に手を伸ばした武は、そのままそれを伝ってなんとか下に降りることに成功した。
今度はできるだけ音は立てずに出られたはずだ。
せめて智にはバレていないことを祈り、孝臣とともに寮を離れた。