組曲『組織崩壊 終曲』
1
一方その頃。
赤城冴鋭は己の組員を引き連れて、二手に別れて黒島嶽夫と朱禪善之介神父とを探していた。次々と襲いかかったくる黒島組組員たちを斬りつけていくうちに、護衛についていた刑事らを蹴散らしていくという流れに変わっていき、組の総頭である嶽夫の所在が近づいてきた事を示していた。行く先々で押し入れの戸を引くたびに、中から襲撃してくる黒島組組員たちを倒していき、これを怠らずにひとつひとつ開けては確認しての繰り返しのなかで、中庭に出たところに、倉庫の扉で耳を当てているムツを発見。
四本腕の赤頭巾が、疵顔の女に目を合わせるなりに、頷いた。これに冴鋭は、でかしたぞムツと口の端を歪めて歯を見せていく。あちこちに“散らかっている”斬殺体を踏まぬように、音を立てないよう気をつけながら、中庭へと足を踏み入れていく冴鋭の一団。ひとりの組員に指示を送って、残りが扉から距離を置いた。銃弾で錠を破壊したのちに、ゆっくりと押し開けていったそのとき。奥から火花を放って銃撃がきた。扉に面々が背を預けて、いったん止んだときに拳銃やショットガンなどで反撃。冴鋭のハンドガンで刑事たちの肩を撃って退けたすぐに、後ろから脇から部下たちによる第二陣により、黒島組組員らは全滅。
そして、警戒しながらも中へと足を進めていった瞬間。銃弾を喰らった、ひとりの部下が床に伏せた。これを機に、冴鋭からの集中放火が始まっていき、遂にはその目的をあぶり出した。が、相手はそれでも怯むことなく撃ってきたところを、冴鋭が放った銃弾が肩を貫いて倒したのだ。次に、隠れていたもうひとつの影へと足を突き出して、蹴り倒すと胸元を踏みつける。小型の懐中電灯を後ろから取り出して、床で悶える二人を照らすと、ムツを呼んで顔を確認させた。そして頷いた少女の様子を見るなりに、ひと言。
「この二人で間違いないようだな」
それは、黒島嶽夫と朱禪善之介神父だった。
2
後ろ手を捕って、男二人を八畳間へと連れてきた冴鋭たちは、畳に放り投げた。そしてムツが足を運んだ先と、髪を掴みあげられて強引に嶽夫と善之介神父とが向かされたその先には、リンとハクが並んでいた。仇は何処かと探していた二人は、連絡を受けて来たようだ。姉たちの隣りに立ったムツは、目の前で跪かせられている男二人を見つめてゆく。
「これで、ようやく、五十余年に渡り虐げられてきた、お父様とお母様の無念を晴らすことが出来ます」
リンの零したひと言に、妹二人は頷いた。その仇二人の後ろにいる冴鋭に目を合わせて、鱗顔の赤頭巾が言葉をかけていく。
「今回、このように貴女の惜しみないご協力に私たち姉妹は本当に感謝しています。いくら言葉で表しても、容易にかたちに出来ない程です。―――ここまでされても、見返りを求めて来られないのは、胸が張り裂けそうなくらい痛みます」
これを受けながら、女が疵の走る口元を緩やかに曲げた。どうやら、本当に感謝してもし足りないようで、一度思いの火蓋を切ったら消えるまで止まないらしく、リンの語りは続く。
「私たち―――――」
「お前たちが可愛いからさ」
と、云いだしたところを冴鋭の言葉で遮られた。しかし、リンは不快な顔にならずに、むしろ、微笑みを浮かばせていた。
「―――というのもあるが。アタシは、この神父に因縁があってな。コイツはとっくに忘れちまっているかもしれないがな。―――こんなアタシでも、十七(歳)のときに初恋で悩んでいてね。ある男子と云い争って、泣いて、通っていた教会に駆け込んで懺悔室で相談したその時の相手が、この善之介神父だったのさ。しかし、コイツは相談を受けてくれるどころか、まだろくに男なんぞ知らなかったアタシを犯したんだよ」
拳に力が入っていく。
「それ以降、(アタシは)クリスチャンを辞めた。―――“中には”いい神父もいるだろうが、もう一度成る気になんてならん。ましてや、教会に足運びたくなかね」
すると、当の善之介神父が、小さいながらも肩を震わせてきたではないか。そして、鷲鼻の下の口を釣り上げた。
「そうか、思い出したぞ。高校生ながらにして、妙に大人びた色を持っていたあの娘が、お前だったとはな。―――しかし可笑しい。―――そこまで根に持っていながら、どうして警察署にでも駆け込まなかったのだ」
特徴的な嗄れ声に加えて、罪の意識など一滴も感じられないほどに、実にカラッと乾いた口調が続いた最後は、語尾を上げるといったもの。この瞬間に、八畳間の空気は凍りついた。切れ長な目を流して、善之介神父を見下ろした冴鋭が、僅かばかりながらも嘲りに目元を歪ませたのだ。
「ワザと云いよっとか。それとも本当に知らんとか。まあ、いい。―――セカンド・レイプが嫌だったんだよ。アタシは」
「ほほう」
「そういうこった。―――じゃあ、あとは煮るなり焼くなり好きにさせてもらうぜ」
そのあと冴鋭は、「ほらよ」を“よいしょっと”といった感じで云いながら、善之介神父と嶽夫との背中を蹴飛ばした。男二人して畳に鼻と口とを、強く打ちつけてしまう。ここまで一連の光景を見ていたリンが、真一文字に結んでいた唇を開いてゆく。
「なるほど。そのような事が……。―――朱禪神父に、黒島嶽夫さん。私ら姉妹がある事情を持ち込んで通報すれば、貴男たちを訴えることが出来るのですよ。―――どんな事か知りたいですか?」
這いつくばっている二人に、この上なく冷徹な笑みをリンは見せつけると、言葉を繋げていった。
「国家反逆罪です。―――私たちのお父様こと、十文字明将は、国の命を受けて来栖島の屋敷へと身を置いたのです。それは、遺伝子レベルから手術して『奇病』を減らす。と、いった研究でした。―――これについてはお父様は命を受ける以前から専攻していましたし、御国の為に与えられた任務と重なったことで、張り切っていたのですが。それを、それを貴男たちは全てを奪った。お母様を汚し、お父様に絶望を与え、その結果、この私たち姉妹が造られた」
冷静沈着に声を発しつつも、その奥深くから感じる溶岩の沸騰していくような姉の怒りを受けて、両側に立っていたハクとムツが、それぞれの武器の柄を力強く握りしめていく。
「貴男たちは実に愚かで、哀れです。ただ、じぶんらの信じる原理主義と欲を満たすことに目が眩んでしまい、最悪の過ちを冒した。奪い、汚して、侵し、そして、未来の光りを消してしまった」
「ふん。―――何が光りだ。所詮は悪魔的な行いを続けていたではないか。だから儂が清めてやったのだ。そのような事をし続けていても、奇病は無くならん」
「いいえ。―――可能性は、決してゼロではありません。将来性が高く、確実なものです。それを踏みにじった貴男たちは万死に値する」
「生意気な」
「生意気でよろしくてよ。仰りたいことは、まだおあり?―――ハク、ムツ。準備はいいかしら。待たせたわね」
妹たちに呼びかけたのちに、それぞれの刃物を振りかざしてゆく。善之介神父は、冴鋭から再び髪を掴まれて、躰を起こされた。そして。
ハクの刀が袈裟へと振り下ろされ。
ムツの四本の刃が胴に突き刺さり。
リンの鉈が喉へと真横に走った。
瞬間、善之介神父は口を開けたそれらの切れ目から、赤い飛沫を噴き上げながら倒れ込んで、しばらく喉を掻きむしり悶えたのちに、息を長く吐いて絶命した。三姉妹が、これを静かに見終えたあとに、長女が呟いていく。
「……貴男に償ってもらおうなど、私たちには毛頭ありません」
続いて、畳に這いつくばる嶽夫に顔を向けた。返り血を浴びた三姉妹の相貌に、男は頬を痙攣させていく。身をよじって、なんとかその場から離れようとしたところで、肩を踏まれて押しつけられた。苦痛に呻きつつも目をやってみたら、アルビノの赤頭巾から薔薇色の虹彩で見下ろされていたのだ。ハクは足元の嶽夫へと、血色の良いその唇を歪めてみせていく。次に、もう片方の肩をムツから踏みつけられる。このうつ伏せにされた嶽夫の腰を跨ぐように場所をとったリンが、鉈を構えながら話す。
「その代わり、黒島嶽夫さんには罪を感じていただきます。ただし、その程度の軽傷では心許ないでしょうね。私たち姉妹から増やしてあげるわ。―――さあ、歯を食いしばって」
この合図を機に、リンの鉈は両方のアキレス腱を断ち、ハクの刀は背中と脇腹とを貫いて、ムツの四本の鉈と包丁とが肩甲骨と背中を突き刺した。その途端に、嶽夫に映る景色は真っ白となり、意識を飛ばしていった。しかし、全ての急所は外しており、男が目を覚ましたときにはひと月ほど経っているであろう。白眼を剥いた男から離れた三姉妹は各々の刃に付いた血を振り払って、収納した。その時だった。
一発の銃声とともに身を仰け反らせて倒れ込んだ姉を見た妹たちが、歯を剥いて、再び刃を引き抜いて構えてゆく。
「おっと、妹さんがた。余計な手出しはせんでくれよ。大切な姉さんが無様になるのを見たくなかったら、静かにしてろ」
こう拳銃を突きつけて吐きつけた男は、黒島厳嶽だった。
3
そして、その後ろの冴鋭たちにも銃口を向けていく。天井を仰いでいるリンに跨がって、空いた手で結び目を解き頭巾を剥ぎ取った。
「へぇ、こりゃ想像しとった以上やな。―――さっきから聞いてみれば、どうやら“なける”のはアンタだけらしいな」
「ハク、ムツ。動かないで」
姉から念を押された二人は、渋々と身を引いて、刃をしまい込んだ。これに気を良くしたのか、腰元からナイフを取り出した厳嶽がリンの上着を縦に引き裂いてゆき、露わになった白いインナーに刃先を滑らせてその中央を断ち切った。
「口が利けるのは、アンタだけだ。いい声で“ないて”くれよ」
勝ち取ったも同然な笑みを浮かばせながら、切っ先でインナーを左右に開いてリン胸元を晒したとき。厳嶽が表情を一変させるなりに大きく上体を反らせて、下の女から跳ぶように離れた。それは、障子の影から忍び寄ってきた者から、短刀で脊髄を刺されたため。柄を握った手を腰に置いて、体当たりをして、狙った箇所を確実に貫く。たちま厳嶽は息を詰まらせていき、吐き出す言葉も途切れ途切れになっていく。そして、後ろの者を確認するなりに目を剥いた。
「よ、よ、厳子、……お前……っ!」
「やあ、お義兄ちゃん」
微笑みかけて、義兄の背中から引き抜く。傷口を押さえて、腹違いの妹へと銃口を振りかざして引き金に指をかけた刹那、手首ごと斬り落とされた。顔中に青筋を浮かべて、怒り任せにナイフを厳子の心臓へと突き立てた、筈だった。走らせた切っ先は翳された左腕により不発となり、その代わりに男の心臓に太い稲妻に貫かれたのである。しまいには、投げられた己のナイフで喉を突かれてトドメを刺された。
口から吐血しながら息を引き取ってゆく義兄を無言で見つめていた厳子は、それを最後まで見届けたのちに、呆気にとられていたリンへと手を差し伸べて起こしてあげると、先ほどとは明らかに違った芯からの笑みを見せた。はだけた胸元を隠して、リンは戸惑い気味に礼を述べる。
「ありがとうございます」
「どう致しまして」
それから礼儀正しく頭を下げていく。
「初めまして皆さま、私は黒島厳子といいます」
「初めまして。私はリン。―――こっちはハク。そして、そっちがムツ」
厳子の丁寧な挨拶に、リンはそれなりに返した。だが、ついさっき繰り広げられた身内殺しの光景を流していたわけではない。よって、畳に転がる三体の男たちに目を配っていき、厳嶽の骸へと視線を定めて少し間を置いたあとに、再び厳子に向き直ったリンが尋ねていく。
「この方は、貴女の肉親ではなくて」
「……終わらせたかったんです」
「どういう事でしょう。この事ならば、私らが片付けていた筈。それを、貴女は自ら」
「私自身の手で終わらせたかったから」
そう語ってゆく厳子の白い腕を、傷口の端から赤い線を三本ほど引いていき、細い指先から滴り落ちていく。
「そう……」
静かに相槌を打ったのちにリンは、後ろに手を回すなりに、三冊の本を厳子へと差し出した。随分と黄色化が進んで、茶色くなった冊子である。紙と紙とが“カサリ”と擦れる音を立てて、かなり古びた物だと想像がついた。
「受け取ってください」
「これは……?」
手に取ったときに、僅かながら脂の臭いがした。背を紐でとめている。しかも、黄ばんでいるわりには、埃まみれではなかった。なんだろうか、手にしたときに不思議と“重み”を感じる。物じたいは大した重さなどないのに。
「うふふ。やっぱりちょっとタバコ臭いかしらね。―――これは、十文字明将の手記と研究記録です」
姉に続いて、ハクとムツも後ろからそれぞれ冊子を複数取り出して、厳子に手渡していった。その数、計十冊。今度こそ、その物理的な重さを体感した厳子。
「これも、ですか」
「手記は一番下から三冊ですが、その他の研究記録になります。けれど、これらは極一部です。それら含めた全てを、厳子さん、貴女に託します」
「何故、ですか。―――私と貴女たちは初対面なのに、どうしてそこまで……」
「それは、貴女が相応しいと思ったからです。法廷の場で、法律から裁かれたそのとき、黒島嶽夫は本当の最期を迎えるわ。生い先短いこの躰に、追い討ちをかけるように私ら姉妹が刻んだ傷によって、彼は二度と塀の外の土を踏むことなく、その生涯を終えましょう。―――たとえこの結末になったとしても、を私たち姉妹は黒島嶽夫を赦せません。いいえ、初めから赦す気などありません。永久にです」
呼吸を整えていく。
「ですが、それでもなお、これを託します。そして、一族が崩壊して消えるまで、黒島家の血を受け継ぐ貴女自身に見届けてほしいのです。お父様の記録の全てを提出した上で」
「……そこまでして貴女は……」
一旦俯いたものの、顔を上げた厳子は口を強く結んだ。次第に溢れてくる物を必死に抑え込み、声を繋げてゆく。
「私は、いいえ。私も、この一族に最期が来ることを望んでいました。それが迎えにきた時は見届けようと決めていました。今もこの気持ちは変わりません」
「そうだったのね」
「はい」微笑む。
「解りました。―――では、手元の記録を前にこう付けて示してください。『十文字明将の研究資料』です、と。あとはスムーズに進むと思います」
その名前を提示する事によって、複雑に派生していた枝がひと思いに簡略化されて融通が利いてしまうとは、この男、十文字明将の研究がいかに大きなものだったか。
その後。
こうした一連のやり取りを終えて、厳子に託したのちに、あとの事は冴鋭に任せるかたちをとって、リンとハクとムツの赤頭巾三姉妹は、黒島邸を後にして長崎市へと去っていった。
故郷の来栖島を目指して。
『怪物赤頭巾』《前編》完結。
そして《後編》へと続く。
ここまでお読みしてくださった方々、ありがとうございます。
この書き物は、次の後編で完結しますので、よろしくお願い致します。




