第9話
12/14 改稿しました
それからユーニスは、お腹の子を気遣いながら実家で過ごした。
たった一晩だけれど、そのひと時で恋してしまったアメジストの瞳の彼。恋した気持ちは、もう二度と思いだすことはないと思っていたところに、彼とつながった思い出の結晶が出来た。
ユーニスの中では再び彼への想いが日の出のようにじわじわと闇夜からのぞき始め、その時を思いだすと自然と笑みがこぼれる。
(本当に……笑った顔がかわいらしい方だったわ)
カッコいいはずなのに、かわいらしいと感じてしまう。大人の男性である彼にそう言ったら怒られてしまいそうだけど、無邪気な少年のような感じがしてそう思ってしまうのだ。
二人で過ごした時間はまさにバカ騒ぎといってよく、まるで草原を駆け回っていた昔の自分に戻った感覚だった。
彼の前でだけは本当の自分に戻れる。
誰も知らない、彼と自分だけの思い出。騒がしく、情熱的で、なのに安心できる記憶は、何度思いだしても色褪せずにユーニスの心を満たしてくれる。
それに浸りながら、ユーニスは日々大きくなる自分のお腹を愛おしそうに眺めていた。
そんなユーニスを、嫡男である兄と、その妻は喜んで迎えてくれた。
二人の間にもすでに3歳になる女の子がいる。
お腹の子の父親が誰なのかは、シン伯爵はもちろん、誰も訊ねなかった。
誰の子であろうとも、ユーニスが産むと決めたのなら、反対しない。
それがシン伯爵家の総意であった。
****
月日はあっという間に流れ、ユーニスは一人の男の子を産んだ。
無事に生まれた我が子を抱きかかえたユーニスは、その瞳を見て彼との子どもだと確信する。
(あの人と同じ……アメジストの瞳だわ)
宝石のように透き通った紫の瞳。髪はユーニスと同じ燃える赤色で、間違いなく二人の子どもだと感じさせた。
もう二度と会えないであろう彼との思い出が、決して幻ではないと教えてくれる存在に愛おしさがこみあげてくる。
(この子を父親と会わせてあげられないのは残念だけど、それが気にならないよう、愛してみせるわ)
アメジストの瞳の男性と会ってから、1年近くが経っている。
あのとき彼は婚約解消したと言っていたけど、もしかしたらもう違う女性と婚約し、結婚もしているかもしれない。そう思うと胸が痛いけど、彼にとってユーニスは所詮一晩の相手。
今更子供が生まれたからといって、彼の人生に自分が介入してはならないのだ。
ふと、赤ちゃんを抱いたままドミニクの元を訪れた女性たちを思いだした。元夫のしでかしもそうだが、子どもができたからといって余所の家庭に介入し、それをぶち壊す所業は許されるものではない。
自分はあんなことはしないと、固く誓った。
(私はあんな人たちとは違う。一人でも、この子を育て上げてみせる)
自分の腕の中ですやすやと眠る小さな命に、ユーニスは産むときと同じく、守っていく覚悟を決めた。
一方、あらたな孫の誕生に喜んだシン伯爵だが、その瞳の色を見て顔色を変えた。
彼は紫の瞳に見覚えがあったからだ。
それも、この国ではたった二人しかいない瞳の持ち主。
(…まさか、ユーニスの相手は王弟殿下なのか?)
現国王の異母弟である、ロイ王弟殿下。
彼は先代国王の側妃の息子だ。側妃は隣国から嫁いだ姫君なのだが、隣国の王族の特徴が紫の瞳。当然ロイも紫の瞳を持ち、孫と同じである。
現在は騎士団の団長を務めており、兄である国王の身を守る存在だ。
シン伯爵は王宮に出仕しているため、ロイの身辺もある程度把握している。
1年ほど前に、ロイの婚約が解消された話があった。相手は公爵家の娘だったが、その娘の不貞が発覚したのだ。表向きは解消だが、実質破棄に近い。
(確かその日、それにショックを受けた王弟殿下が一晩だけ街に繰り出し、翌朝まで戻らなかった話を聞いた気がする。日付だけ考えれば合致しているが、まさか……)
ユーニスが悪阻を発症した日、子どもが生まれた日。それらから逆算すると、そう日にちはずれていない。まして、その瞳の色が決定打だ。
当然父は悩んだ。
孫が隣国の、それも王族の血を引いているのはその瞳から明らかだ。隠し立ては出来ないし、下手をすれば隣国を巻き込んだ外交問題に発展しかねない。
幸いにも隣国との関係は良好だ。
それだけに、婚約解消の事件は隣国との関係悪化を危惧するほどだった。
なんとか国王と外交部の尽力でそれは避けたが、元凶となった公爵令嬢は軟禁の上、公爵家は多額の賠償金を払っている。
さらに、ロイの母親である先代側妃の口添えもあり、事なきを得た。
そこに生まれた孫の存在だ。
間違いなく大騒ぎになるだろうし、もしかすればユーニスがロイを誘惑して子どもを作ったなんて悪評すら流れかねない。
(それだけは絶対に許さない!だが、そのためにはロイ王弟殿下の御意思を確認せねば…)
やっとユーニスに訪れた幸せだ。それを壊すような邪魔事は可能な限り排除すべきだと考える。。
二人がどんな事情で関係を持ったのかは分からない。
しかし、ユーニスはともかく、ロイは王宮で会っても変化はなかった。彼にとって娘との関係は無かった事なのか。それなら腹立たしいところではあるけれど、ユーニスも触れない以上、お互いに同意の上なのかもしれない。
(ならば、このまま二人は表に出さず、ずっと屋敷に閉じ込めておくしかない。あるいは、王族の目が届かない僻地で、ひっそりと暮らしてもらうか…)
シン伯爵は悩んだ。
ユーニスに、そしてロイにこの話をすべきか。
結局彼は、最も信頼する妻に話をした。一人で結論を出すとろくなことにならないというのが、近年の彼の学び。
相談を受けた妻は毅然と言い放った。
「ユーニスに決めさせましょう」
妻は娘に甘い。そう思っていたシン伯爵だが、要所要所では試練とも思える決断を、娘にさせてきている。
これこそが、本当の親としての厳しさなのだとシン伯爵は夫として思いながら、娘を呼びだした。
子ども―ウォルト―を寝かしつけたユーニスは、父からの呼びつけで執務室を訪れる。
そこで、久しく見ていなかった父の厳めしい顔に、体を縮こませた。
(お父様が厳しい顔をしているわ。話しって、何かしら?何か、まずいことでもあったのかしら……)
赤ちゃんのことか、あるいはとっくに離縁した元夫のことだろうか。緊張で顔をこわばらせる娘を前に、シン伯爵は一度息を吐いて心を落ち着かせると、ゆっくり話しかけた。
「ユーニス、お前は息子の父親を知っているか?」
「……いいえ、知りません」
もしかしたらいつかは聞かれるかもしれない。そう身構え、これまでずっと聞かれなかった質問だ。ついに来たと思いつつ、ユーニスは首を横に振った。
知るのは諦めているし、知ったとしても今更子どもができたなどと言っては、彼にとっては迷惑かもしれない。それは、自分が最もよく知っている。
なら、もう知らないままの方がいいと思っていた。
「そうか。……知りたいか?」
「えっ?お父様は、知っているんですか?」
しかし、予想だにしない父の返事にユーニスのほうが驚いた。
だが、父の表情が硬いままなのに違和感を覚える。
(もしかして、ずっと高貴な方なのかしら?そういえば身にまとっていた衣服も、すごい上等だったような…)
今更ながら、自分がとんでもない人と寝てしまったのではないかと、ユーニスは焦り始めた。
「知っている。おそらく…その方で間違いない。知れば、もう引きかえせない。それでも、聞くか?」
「………」
ユーニスは悩んだ。
知りたい、もう一度会いたいと思ったのは間違いない。でも、もう無かったことにしようと、あの時彼と一緒に決めたのだ。その約束を、破りたくない。
しかし、彼との子どもができてしまった。決して望んだわけではないけれど、ユーニスにとっては己の存在意義を丸ごと塗り替えてくれる愛しき存在。
彼はどう思うだろう?喜んでくれるか、それとも迷惑がるのか、全然想像がつかない。
(赤ちゃんを産んだことを迷惑がられるんじゃないかと思うと、怖い。……けど、もし、喜んでくれるのなら)
彼と過ごした一晩は、本当に楽しかった。
羽目を外して飲みすぎてしまったけれど、彼の無邪気で楽しそうな顔は、今でも思いだせる。彼との情事は、ドミニクとの情事では考えられないほどに満たされたのだ。
何度、もう一度会えたらと思ったか分からない。
父は答えを知っている。その上で、聞くかどうかの決断をユーニスに委ねてくれた。知りたくないといえば、父は黙ってくれるのだろう。それも一つの決断かもしれないし、少なくとも平穏ではいられると思う。
けれど、彼を想うと胸が高鳴る。彼の腕にウォルトが抱かれている光景を考えてしまった。その隣に自分がいて、思い描いた親子の理想があるかもしれない……そう願ってしまった。
一度浮かんだ願望を無かったことにするのは難しく、一度描いたキャンバスを白で塗りつぶしても、裏地にはしっかりと存在が残っている。
(せめて、今あの人がどうしているのか、それだけでも知りたいわ)
もし、もう婚約して結婚していたら、この気持ちは封印しよう。二度と表に出さず、ウォルトには父は死んだと伝える。けれど、もしまだなら……
ユーニスは覚悟を決め、知ることを選んだ。
「お父様、教えてください」
娘の覚悟を、シン伯爵は自分と同じエメラルドグリーンの瞳にしっかりと感じ取る。
一つ息を吐くと、ユーニスの目を見据えた。父が誰の名を口にするのか、緊張の中で静かに待つ。
「分かった。……おそらく、ロイ王弟殿下だ」
「…えっ、ロイ、王弟…殿下?」
まさかのとんでもない人物の名に、ユーニスの顔は青ざめ、思考は止まる。
だが、すぐに動き出した思考は、自分が王族というはるか格上の人物と酒を交わし、情事までした焦りと申し訳なさでいっぱいになる。
(私、とんでもないことをしてしまったんじゃ!?ものすごく失礼なことを言ったし、それにあんなことまで……!じゃあウォルトは王族の血を引いているということ!?えっ、ウォルトが王族なら私どうすればいいの!?)
「わた、私、ど、どうすれば……」
考えがまとまらず、混乱し、焦る娘を、父はそっと宥めすかした。
「大丈夫だ。ロイ王弟殿下は慈悲深く、優しい人物だ。お前と何があったにせよ、それを恨んだりする方ではない」
「お父様……すみません」
申し訳なさから震えて謝る娘に、父は苦笑した。
「大丈夫だと言っておろう。安心なさい」
父の言葉に、それでもユーニスは恐れ多いと震えたまま、青ざめた表情を崩さなかった。
やっと幸せを掴み始めている娘に、そんな表情をさせたくはない。父は今後どうするかを考えていた。
(大丈夫とは言ったが、孫は王族の血を引いている。早急に動かねば、いつ何時面倒ごとに巻き込まれるかわからん。……ここは、国王陛下にお伺いを立てねばならんな)




