願わくば明日も何事もないうちに終わりますように。
「一応、報告は以上です」
「報告書はその辺にでも置いとけ」
草臥れた絨毯といつから積まれているのかわからない紙の束、更に埃。それらが渾然一体となって形成された砦の中に立つ私は妙な既視感に襲われていた。
取り敢えず積まれた書類の少なそうなあたりに今回の一件の報告書を置く。
嗚呼そうだ、赤い目をした魔王様の部屋もこんなだった。彼の部屋を見た時はそれが上司の部屋に似ていると不愉快になったものだが、帰って来てみると逆に向こうが懐かしい。
気がする。
「さて、お前には言わなきゃならんことがあるな」
「私には話すことなんてありませんが」
「違う、此方がお前に言わなきゃならんことだ」
慣れた仕草で上司は煙を吸って、不味そうに吐き出す。
「あれですか。勝手に必要ないことに走り回ったりしたこととか」
「それも、だ」
それも、ねぇ。
上司はひとつ、息を吸った。
「面倒なので説明はせん。どうせわかっているだろう。勝手に考えろ」
「雑ですね」
「……この度、お前には謹慎が……」
「あら予想以上に緩いですね」
「……」
「黙らないで下さいよ。期間は」
「×××××だ」
「……まぁ、その程度が妥当でしょうね。その間はどうしていましょう。旅行気分で出かけても良いでしょうか」
良いわけない。一応茶々を入れるのは私がこの妙な空気に耐えられなかったからだ。目の前の上司までなんだか玄妙な顔しちゃって。哀れんでいるのだろうか。
哀れんだところで何もできないくせに。
「ここでふたつ質問がある」
「私の質問は無視したくせに?」
「ひとつめ。お前はあの時、何を考えていた」
あの時とはどの時だろう。
「お前が夕焼けだと、そういった時だ」
夕焼けだと思った。それはどうしようもなく美しかった。あの世界だったから綺麗だと思ったのか、あの景色だから尊いと思ったのか、はたまた実際は欠片程も感動なんて覚えていなくてただ単に美しかったと勘違いしているだけなのかもしれない。
「覚えていません。ただ、今はひたすらに美しいものであったと思うだけです」
どれであれ、また見たいとは思わないのだけれど。
「では、次。お前はあの主犯を見つけたか」
「ええ」
これには今まで表情を変えなかった上司も目を丸くする。
しかし主犯といったあたりから私の弟あたりが画策したことではないと薄々感づいてはいたのかもしれない。勘でしかないが。
「今回の件だけでいうなら依頼人はこれまでの評判というか悪評というかを聞きつけたあの世界の神様で、それを受けたのがいつもの奴ら、ですが。……主任が聞きたいのはこれではありませんね?」
煙管片手に神妙な顔をした上司が小さく頷く。
そして彼は言った。
「確かにお前の弟やらは凄いんだろう、お前の片割れだという程だ。……が、それでも単体でひとつの世界を壊せるとは思わない。なら、初めのひとりがいる筈だろう。それを、知りたいと望む」
あのとき。私は懐かしい夢を見た。スクリーンに映された私たちの物語。その時に隣にいたアレ。
妙に間延びした口調と夢の中にいるような不安定さ。長い黒髪の彼女。
忘れもしないあの暇潰しに人生捧げていそうなあいつ。
自慢げに世界を狂わせてやったと嗤っていた彼女こそ主犯と呼ぶにふさわしいだろう。きっと彼女はあの狂った世界の最後の光に取り憑かれ、そして魅せられた。
まるで、昔の私たちのような。
否、私たちが彼女に似ていたのだろうか。
「ゆうい」
単語をひとつ、吐き出した。
ふと、私の顔を見た上司が怪訝そうな顔をする。
「名前は“ゆうい”姓は“ししば”」
言葉の続きを考えながら。
「さぁ。これ、誰かわかりますか」
残念なことに、私にも彼女のことはうまく説明できないのだけれど。
けれど、主犯が誰か、と問われているのならばこの答えはあながち間違いでもなかろう。
「知らん。お前の家の出ってことだけはわかった」
「それだけわかればいいんじゃないですか。私にもそれ以上は説明のしようがありませんし」
「だが、それはお前とお前の弟の他に生きてる奴がいる、と考えていいのか」
これに私は首を傾げる。さて、彼女は生きているのだろうか。何処にもいないと宣っていたけれどそれならばあのとき私が言葉を交わしたのは誰であろう。
残念なことに私は幽霊やらなんやらは信じていないし、ましてやそれが血縁者であればなおさら幽霊にはならないだろうと信じている。
私たちは死んでいるか生きているか、そのふたつの状態しか持ち合わせていないのだから。
死んでいるのは停滞であり、何処にもないことである。何もせずに人にも認識されなければ死んでいるのと同意だろうし、何処にもいないと自慢げに言っていた彼女はこれに当てはまる。
けれど私と言葉を交わして世界に影響を与えて、それは生きていることに含まれるのではなかろうか。
「さぁ……。多分……死んではないんじゃないでしょうか……?」
「なんだその煮え切らない返事」
「いやぁなんていうか、ほら……ししばの人なので」
神々廻といっても色々な人がいるから一括りにするのはあまり賢いやり方ではないが。
「……わかった、下がれ」
頭痛がするとでも言いたげに頭を押さえた上司に一礼する。
「失礼致しました」
そして背を向ける
謹慎はそう短くない。しばらく会うこともない。仕事もない。まるで休暇のようではないか。なんて心踊る響き。謹慎だけれど。
「あと、旅行には行くなよ」
「夢の極東ツアーは何処へ!?」
「知るか」
思わず振り返った私に上司が怠そうに何かを投げつけてきた。黒くて長く、細い……。
血溜まりに沈んだ黒髪と、アルトの声が不意に頭をよぎる。
自分は頭脳派だといい、自分から動くこともなく引き篭もりと呼ぶに相応しい出不精な上司だが、それでもただの人間とは比べ物にならないほど元が良いらしい。彼が投げたそれは私が一瞬気を抜いたその時に私に直撃する。
細く華奢な印象を与えるそれは思ったより重く、勢いよくぶつかり、私は鑪を踏む。
落ちそうになるそれを掴んで、上司を睨む。
「そう睨むな、くれてやる」
「……は?」
「よく見ろ」
手の中の確かな重みを見る。黒く細長い布に包まれたそれ。
袋を縛っていた紐を解いて布を投げ捨てた。
「雑だな」
白く、光を跳ね返す刃。
もう顔も思い出せない雛理と名乗った彼女の握っていた片刃の剣。あの世界での私を殺した刀。
「これを、何処で」
「死に掛けのお前のすぐそばに落ちてた」
なんだか、もう遠い昔の出来事のようだ。
「そうですか」
投捨てた布を拾い、そしてもう一度上司を向いて礼をする。
「それでは、しばらくお暇させて頂きます」
今度こそ踵を返し部屋を出る。
今度は呼び止める声もなかった。
▲▽▲
歩きながら布を巻き直した刀を抱いて歩く。
謹慎はつまらないから鞘を作ろう。引き篭もっていればいいんだから楽な話だ。飽きたら眠れば良い。何時間だって何日だって何年だってきっと私は眠っていられる。夢を見ることなく、ただ微睡に沈むように。
最後に夢を見たのはいつだろう。変わらない明日が来ると信じていた頃だろうか。
かつりかつり、一人分の足音が虚しく響く。
隣には当たり前のように弟がいて、たまにくる親戚に喧嘩を売って。
そういえば叔父さんはどうしているだろう。ちゃんと生きているだろうか。恋をしたとか言って、その後会った記憶はない。子供とかいるのかな。もしいるのなら従兄弟になる。ちゃんと普通の人間として生きていると良い。
取り留めのないことを、意味もなく頭の中で捏ねくり回して歩く。
ふと、前方から二人、誰か歩いてくるのが見えた。影になって顔は見えない。身長から、恐らく男性と女性。
こんなひと、此処にいただろうか。
「つまらなそうだね」
「つまらないですよ」
ふと、声が掛かる。
「じゃあ退屈かな」
すれ違いざま。
その言葉に一瞬、私は足を止めて。
「いいや」
その人の顔を見上げた。
「退屈では、ないよ」
「ああ、そう」
その人も立ち止まり、私を見た。その横の女性も立ち止まり、私を見て小さく、微笑んだ。
「それは良かったね」
そして私たちは逆の方へ歩き出す。
かつりかつり、一人分の足音しか響いていなかったけれど、決してそれは虚しくなかった。




