第二十話 落選が続いても、モチベーションを保つ努力をしよう
私ぐらいになると、落選でもまたか~と慣れたものです。でも数をだしておくと、落ちても次の発表があるとちょっとした楽しみができますです。受賞できたらいいなあという気分で真剣さが不足しているから受賞できないのかもしれません。でも大丈夫。受賞者より落選者が多いしね。私のような人は多かろう。
現実の多忙さに埋没して、創作に時間がかけられなくなる……フェイドアウトしちゃう……いつの日かまた創作する時間ができるかも、ご隠居さんになったらできるかも、です。受賞者の数自体が少ないのでその他大勢の人の方が多いのですから気楽にいきましょうよ、です。
ただ、最終選考に残りましたという電話や通知をいただくと話は別です。やっぱり連絡をいただいたからには、受賞したい。無神論者の私でも神様お願いします、と祈願にいったこともあります。でも受賞できないのは何らかの理由があります。講評で教えていただけることもあります。
落選したけど、近場だと、のこのこと授賞式にいって主催者のスピーチで本当に欲しい作品はどういうものかがわかることもある。それは選考委員の講評と微妙に乖離している時もあります。こういうのは実際に行かないとわからない。
電話をいただいてもぐっと若い学生さんに持って行かれたときはしばらく落ち込んでいました。でも仕方がないです。自分が悪いのです。慰めのつもりか、年のせいもあるよと言われた時もあります。若い人は今後も書けると踏んで、将来性を見込んで受賞させるのではないかと。言われてみたらそれはありだと思います。書いていくうちにもっと上手になって大きな賞を獲る可能性が私よりもずっと高いから。それを聞かされたときは、納得しました。それはそれでよい。私は書くことには変わりない。教えてくれた人からも君はそれでいいやな、と言われました。
出版されて映画化もされてという才能も運もある人のほうが希少種なのです。世の中にはいくら書いても目立たぬ私のような人の方が多い。小説は一人で書くものです。だから賞レースに負けるものかと力むと逆に媚びるようなストーリーに、計算高いストーリーになってしまうこともなきにしもあらず。というわけであまりこだわらずに書けばいいかと思います。
以上、ここまでお付き合いいただいてありがとうございます。
それではまたどこぞで会いましょう。ごきげんよう。