↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

30/52

第30話 壁の条件


研究棟の、リゼットの新しい研究室。

統計課の窓のない片隅から移ってきて、まだ二週間しか経っていなかった。窓が一つ。机が一つ。書架が二つ。

机は、もう書類の山に埋もれ始めていた。

その机の前に、二人の女が並んで座っていた。

三つ編みの研究員と、赤褐色のまとめ髪の議長。

同じ書類を、同じ角度で、覗き込んでいた。


(……なんで、この二人が並んでるんだ)


アルトは、部屋の隅の椅子に座っていた。

付き添いのエルゼは、扉の外。今日は、付き添いが二人いる日だった。もう一人は、扉の内側の壁際に直立していた。

クラウディアだった。


「騎士団の訓練計画に関わる話と伺いましたので」


彼女は、そう言って同席を申し出たのだった。


一週間前のことだった。

魔導院に、七都商盟から書状が届いた。


『研究協力の件で、改めてお話を。当盟は、フェンネル卿の壁について、魔導院の知見を必要としています。代わりに、当盟の持つ情報を提供いたします』


院長は、書状を読んで眉をひそめた。

先日、流通の件で決裂したばかりの相手だった。


「断りなさい」


院長は言った。

その書状に、リゼットが目を通した。

一行だけ、引っかかった。


『当盟の持つ情報』


「院長」


「何かしら」


「七都商盟は、王国全土の商会の記録を持っています。……スキルを持つ女性商人たちの、成長の記録も」


院長は、黙った。


「当院の記録だけでは、壁の条件を推定するには、データが足りません」


リゼットは、淡々と言った。


「利害が、一致します」




「こちらが、当院の記録です」


リゼットが、紐で綴じた束を机の上に置いた。

魔導院に残る、スキルを持つ女性たちの成長記録。レベルの推移。素の力の推移。壁で止まった期間と、越えた日。


「こちらが、当盟の記録です」


マルグリットが、革装の帳簿を一冊開いた。

七つの都市の、商人ギルドの記録だった。算術や交渉や鑑定のスキルを持つ女性商人たちが、何年もかけてレベルを上げてきた跡。


「商人は、自分の成長を記録するのが好きなのです」


マルグリットは、微笑んだ。


「どれだけ伸びたかは、どれだけ稼げるかに直結しますので」


リゼットは、帳簿の頁をめくった。

速かった。

一頁ごとに、彼女の目が、数字の列を上から下までなぞっていく。


「……データの質が、高いですね」


「ありがとうございます」


「記録の形式が、都市ごとに統一されていません」


「……それは、これから統一するつもりです」


リゼットは、記録板に何かを書き留めた。

マルグリットは、それを横から覗き込んだ。


「その表の作り方、効率がいいですね」


「当院の、標準形式です」


「当盟でも、使わせていただいても」


「……構いません」


(仲良くなってる?)


(いや、違う)


(お互いの手口を、盗み合ってる)



二人は、二つの記録を並べて、照らし合わせ始めた。

魔導院の記録。商盟の記録。レベルの推移と、素の力の合計の推移。

壁で止まった地点。越えた日。


「第一の壁は、レベル二十の手前」


リゼットが、表の一点を指さした。


「当院の記録では、例外がありません」


「当盟の記録でも、同じです」


マルグリットが、帳簿の一点を指さした。


「どのスキルでも、二十で一度止まる」


「止まったときの、素の力の合計は」


「人によって違います。ただ」


マルグリットは、帳簿の別の欄を指でなぞった。


「授与の日の合計と、越えた日の合計の比を取ると」


リゼットのペンが、走った。


一行。二行。三行。


「……一・四倍前後」


「当盟の記録でも、一・三八から一・四五の間に収まっています」


二人は、顔を見合わせた。


「授与の日の合計の、およそ一・四二倍」


リゼットが、記録板に書いた。


「フェンネル殿の、授与の日の合計は」


彼女は、天賦の儀の記録を開いた。


筋力十四。体力十六。敏捷十五。器用二十二。魔力十八。知力四十一。精神八十五。


「二百十一」


ペンが、静かに計算をした。

二百十一に、一・四二を掛ける。


「……二百九十九・六二」


リゼットは、ペンを止めた。


「端数を切り上げて」


彼女は、顔を上げた。


「三百」


部屋が、静かになった。

アルトは、部屋の隅の椅子で、その数字を聞いていた。


(三百)


「現在の、合計は」


マルグリットが聞いた。

リゼットが、最新の鑑定記録を読み上げた。


「筋力二十三。体力二十七。敏捷二十二。器用二十四。魔力十九。知力四十四。精神八十七」


「合計、二百四十六」


「あと、五十四」


マルグリットが、帳簿にその数字を書き込んだ。


「五十四、伸ばせば、壁を越える」


「それから、もう一つ」


リゼットが、魔導院の記録の束をめくった。


「壁を越えたときに、何が起きるか」


彼女は、ある女性の記録を指さした。

王都の鍛冶ギルドの、熟練の職人だった。鍛冶のスキルを持ち、第一の壁を十年前に越えている。


「この方の記録によれば、壁を越えた日から、自分の技能を弟子に分け与えられるようになったと」


「分け与える」


「スキルの効果が、一段階広がったのです。それまでは、自分の鍛冶の腕を上げるだけだったのが、自分の持っている技能そのものを、他者に伝えられるようになった」


マルグリットの手が、止まった。


「技能、そのもの」


「はい。似た記録が、当院に三件。いずれも、第一の壁を越えた日から」


リゼットは、記録の束を閉じた。


「フェンネル殿のスキルは、貸与型です。もし、同じように一段階広がるなら」


「……ステータスだけでなく、技能も、貸せるようになる」


マルグリットが、引き取った。

声が、わずかに上ずっていた。


「計算の技術も。法の知恵も」


リゼットが、頷いた。


「推定、です」


マルグリットは、帳簿を胸に抱えた。

深緑の目が、輝いていた。


「それに、契約の枠も」


「当院の記録では、壁を越えると、スキルの対象範囲が広がる例が多い。枠が増える可能性は、高いと推定します」


「何枠に」


「……推定に足る記録が、ありません」


マルグリットは、部屋の隅のアルトを見た。

まっすぐに。

商人の目だった。

まだ誰も見ていない先に、賭ける目。


「では」


マルグリットは、立ち上がった。


「七都商盟が、出資いたします」


「出資」


アルトが、椅子の上で聞き返した。


「フェンネル卿の、素の力を伸ばすための費用を。当盟が持ちます」


彼女は、帳簿を開いた。


「家庭教師を、つけましょう。知力を伸ばすために、王都で一番の学者を。算術、法学、地理、歴史。それから、訓練の費用も。騎士団の訓練に必要な装備、食事、医師」


ペンが、頁の上を走った。


「合計で、五十四。それを、最短で」


「……最短で」


「商人は、時間を買うものですので」


マルグリットは、にっこりと笑った。


その瞬間、扉の内側の壁際から、声がした。


「異議があります」


クラウディアだった。

直立のまま。灰色の目が、マルグリットを見ていた。


「家庭教師、と仰いましたね。知力を伸ばすための」


「ええ」


「素の力の合計を伸ばすなら、体力です」


クラウディアは、一歩前に出た。


「フェンネル殿の体力は、現在二十七。一般の成人女性の平均の、九割ほどです。まだ伸びる余地が、大きい」


「知力も、伸びる余地は大きいですよ」


マルグリットが、穏やかに返した。


「現在、四十四。家庭教師がつけば、短期間で大きく伸びます。それに、知力が伸びれば、技能の貸与にも直結する」


「体力が伸びれば、供給の頻度が維持できます。倒れずに済む」


「第七号がありますので」


「薬に頼りすぎるのは」


「……当院の製品に、何か」


リゼットが、机の前から口を挟んだ。

三人の視線が、交差した。


「効率の観点から申し上げれば」


リゼットが、記録板を開いた。


「伸ばしやすいのは、低い項目です。体力、筋力、敏捷。ただし、知力は、もともとの素地がある分、教育による伸びが急です。どちらも、合計への寄与は」


「体力です」


「知力です」


「……両方です、と申し上げようとしました」


アルトは、部屋の隅の椅子で、三人のやりとりを聞いていた。

体力。知力。効率。寄与。合計。

どの言葉も、自分の体のことだった。


(……俺の体の話、ですよね?)


(俺の体の、どこを伸ばすかを)


(俺抜きで、決めてる)


三人とも、こちらを見ていなかった。

互いの顔と、互いの書類だけを見ていた。


(まあ、いいか)


(……いや、よくない)


(いや、でも、三人とも真剣に、俺のこと考えてくれてるし)


(……いや、俺の体のことを考えてるだけだな、これ)


結局、その日の結論は、こうなった。

午前は、騎士団の訓練。昼は、家庭教師。夕刻は、供給。

体力と知力を、両方伸ばす。費用は、七都商盟が持つ。

マルグリットが、帳簿に最後の一行を書き込んだ。


「では、日程表を作成して、明日お届けします」



翌朝。

フェンネル家の玄関に、七都商盟の使いが現れた。

封筒を一通、差し出した。

母のマルタが受け取って、封を切った。

一枚の表が、出てきた。

羊皮紙に、細い線で升目が引いてある。横に曜日。縦に時刻。

月曜から日曜まで、全部の升目が、文字で埋まっていた。


六時、起床。

七時、騎士団訓練場。

十一時、第七号服用。

十二時、家庭教師(算術)。

十四時、家庭教師(法学)。

十六時、家庭教師(地理・歴史)。

十八時、供給(曜日ごとに、神殿・騎士団・魔導院)。

二十一時、復習。


母は、表を上から下まで読んだ。

それから、もう一度、上から下まで読んだ。


「……アルト」


「はい、母上」


「この表、どこにも、睡眠と書いていないのだけど」


アルトは、母の手元の表を覗き込んだ。

六時、起床。

その前の欄は、なかった。二十一時、復習。その後の欄も、なかった。

表の一番下に、マルグリットの几帳面な字で、小さく添え書きがあった。


『※休息の時間は、各自でご調整ください』


(各自で)


アルトは、静かに表を母の手から受け取った。


(……壁まで、あと五十四)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。