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第27話 上がらない


「レベルが……先週と、同じです」


神殿の小鑑定室で、セラフィナが首を傾げた。

水晶板の表示を、もう一度読み直している。指先で、一文字ずつなぞりながら。


アルト・フェンネル十八歳男


筋力23/体力27/敏捷22/器用24

魔力19/知力44/精神87


スキル:【ステータス貸与】Lv19契約3/3


「十九」


「先週も、十九でしたか」


「はい。その前の週も」


セラフィナは、記録簿をめくった。

先々週、Lv19。先週、Lv19。今週、Lv19。


「その前は、毎週上がっておりましたのに」


アルトは、水晶板の表示を見つめていた。


レベル。


天賦の儀の日は、Lv1だった。最初の契約で、少しずつ上がり始めた。騎士団と契約して、上がる速さが増した。魔導院と契約して、さらに増した。


Lv12。Lv14。Lv17。Lv19。


そこで、止まっていた。


「……契約が、三つとも埋まったから、でしょうか」


「それは、関係ないように思います」


セラフィナは、記録簿を指でとんとんと叩いた。


「契約が埋まっても、供給は続いております。神殿も、騎士団も、それから」


彼女は、そこで少しだけ言葉を切った。


「……魔導院の方も」


五本の鎖が、しゃら、と鳴った。



その答えを持ってきたのは、リゼットだった。

三日後の、月曜の夕刻。

神殿の小鑑定室に、三人の女性が揃っていた。

セラフィナ。クラウディア。リゼット。

アルトが、セラフィナに相談したのだった。レベルが上がらない理由を、一度みんなで確かめたい、と。

セラフィナは、少し考えてから頷いた。


「では、お二人にも、お声がけいたします」


そうして、三人が揃った。

小鑑定室は、狭かった。

机が一つ。椅子が二脚。その椅子に、アルトとセラフィナが座っていた。

クラウディアは、扉の横に直立していた。騎士服のまま。束ねた黒髪。いつも通りの、一分の隙もない姿勢。

リゼットは、窓際の壁にもたれていた。三つ編み。白衣。記録板を胸に抱えて。

救護室で、セラフィナとクラウディアは同じ枕元に座った。比較実験では、三人とも同じ実験棟にいた。

けれど、こうして同じ部屋で、同じ問題について、正面から向き合うのは。

初めてだった。


(……空気が、重い)


アルトは、椅子の上で背筋を伸ばしていた。


(三人とも、いい匂いがする)


(ミルクと、花と、石鹸……と、ちょっとだけ日向)


(いや、今それどころじゃない)


「経験値の推移を、計算しました」


リゼットが、記録板を開いた。


「天賦の儀の日から今日までの、全部の鑑定記録と、供給の記録をもとにしています」

彼女は、記録板の頁を、机の上に広げた。


細かい数字が、びっしりと並んでいた。


「経験値は、三つの経路で溜まります。供給のたびに入るもの。貸与を続けている間、毎日入るもの。それから、契約者が貸与分を使った日に、上乗せされるもの」


「……そんなに、細かく」


クラウディアが、扉の横から言った。


「騎士団の訓練日誌と、神殿の記録簿の時刻を突き合わせました」


リゼットは、淡々と答えた。


「副長殿の日誌は、所要時間が正確で、たいへん助かりました」


クラウディアの耳の先が、わずかに赤くなった。

セラフィナが、膝の上で鎖を握った。


「……神殿の記録簿も、正確に書いておりますが」


「はい。リース神官の記録も、一画の誤りもありませんでした」


リゼットは、セラフィナを見ずに答えた。

記録板を見ていた。


「ただ、夕刻のご来訪の記録が、月曜と金曜で、記載の形式が少し異なっておりましたので、照合に時間が」


セラフィナの指が、鎖の上で止まった。


(今、なんか)


(今、なんか、ぴりっとした)


「結論から申し上げます」


リゼットは、記録板の一番下の数字を指さした。


「経験値は、溜まり続けています」


「溜まって、いる」


「はい。レベル十九になった日から今日まで、三週間で、経験値は二万八千ほど増えました。供給の頻度を考えれば、想定通りの増え方です」


彼女は、別の数字を指さした。


「過去の記録から推定すると、レベル二十に必要な累積経験値は、およそ十万。フェンネル殿は、すでにそれを超えています」


「……超えているのに」


「上がっていません」


リゼットは、眼鏡を押し上げた。


「つまり、経験値以外の何かが、足りていないのです」


小鑑定室が、静かになった。


「何か、とは」


セラフィナが聞いた。


「現時点では、仮説です」


リゼットは、記録板の新しい頁をめくった。


「当院には、スキルを持つ女性たちの成長記録が残っています。職業のスキルを、何年もかけて伸ばしてきた方々の記録です」


「女性の」


「はい。スキルは、男女ともにレベルで伸びます。そして、記録を見ると、ところどころで、成長が止まる地点があるのです」


彼女は、一枚の表を指さした。

女性の名前と、レベルの推移。その推移の、いくつかの地点で、線が平らになっていた。


「止まっている期間、経験値は溜まり続けています。そして、ある日、急に、まとめて上がる」


「まとめて」


「はい。そして、上がった日の前後を調べると」


リゼットは、表の別の欄を指さした。


「必ず、素の力の合計が、ある値を超えています」


「……壁」


クラウディアが、扉の横で呟いた。

全員が、彼女を見た。


「騎士の訓練でも、似たことがあります。いくら剣を振っても、ある段階から先へ進めない。進めるようになるのは、ある日突然、体の方が追いついたとき」


「はい。まさに、それです」


リゼットが、わずかに頷いた。


「壁があります。フェンネル殿のスキルは、レベル二十の手前に、壁を持っている。そして、その壁を越える条件は、経験値ではなく、素の力の合計」


アルトは、水晶板の数字を見た。


筋力二十三。体力二十七。敏捷二十二。器用二十四。魔力十九。知力四十四。精神八十七。

合計、二百四十六。


(体力さえ、あれば)


救護室で、そう思った。

体力が足りなければ、供給が続かない。だから、第七号を飲んだ。騎士団で鍛えた。体力は、少しずつ戻ってきた。

それで、全部解決したと思っていた。


(違った)


(体力の次に、もう一個、壁があった)


「その、素の力の合計とやらは」


セラフィナが、身を乗り出した。


「どれほど、必要なのですか」


「まだ、分かりません」


リゼットが答えた。


「前例のないスキルですので、女性の記録をそのまま当てはめることはできません。推定するには、もう少しデータが」


「どうすれば、分かるのです」


クラウディアが、扉の横から一歩踏み出した。


「訓練で素の力を伸ばせばよいなら、騎士団は計画を立て直します。今日中にでも」


「それには、どの項目をどれだけ伸ばすべきかの見積もりが」


「体力です。何より、体力」


「……体力だけ伸ばしても、合計が条件に届くとは限りません」


「では、何を」


「それを、今」


「神殿では」


セラフィナが、二人の間に割って入った。


「祈りで、魔力を伸ばすことができます。魔力も、合計に入るのでしょう?」


「入ります。ですが、効率で言えば」


「効率の話では、ございません」


「では、何の話でしょうか」


「ですから」


三人が、同時に口を開いた。


「体力を」「魔力も」「データを」


三つの声が、小鑑定室の中でぶつかった。

ミルクと、花と、石鹸と日向の匂いが、一度に押し寄せた。

三人が三人とも、アルトの方を向いていた。


(——三人とも、俺の体の話をしてる)


(俺の体を、取り合ってる)


(神様、ありがとうございます。ハーレムって、こういうことだったんですね)


「……皆さん、ありがとうございます」


アルトは、穏やかに言った。


「どの方の案も、ありがたく」


三人が、口をつぐんだ。

それから、三人とも、少しだけ気まずそうに目を逸らした。


結局、その日は結論が出なかった。

リゼットが、データを集め直すと言った。クラウディアが、訓練計画を見直すと言った。セラフィナが、祈りを増やすと言った。

三人とも、少しずつ違う方向を向いていた。

ただ、帰り際に、小さなことが一つあった。

扉の前で、クラウディアがリゼットに声をかけた。


「ハーシェル殿。日誌の写しが要るなら、いつでも」


「……感謝します」


リゼットが、窓際で振り返った。


「神殿の記録簿も、お持ちしますね」


セラフィナが、静かに言った。


「月曜と金曜の、形式を揃えて」


リゼットは、少し間を置いた。


「……ご配慮、感謝します」


三人は、それ以上何も言わなかった。

ただ、それぞれが、少しだけ、相手を見た。

牽制と、連帯の、ちょうど真ん中くらいの目で。


その夜。

アルトは、自室の寝台で天井を見上げていた。

素の力の合計。


二百四十六。


それが、いくつになれば、壁を越えられるのか。越えたら、何が起きるのか。

レベルが上がる。たぶん、まとめて。契約の枠は、どうなるのか。今は三つ。全部埋まっている。


(体力さえあれば、と思ってた)


(でも、体力の次は、合計で)


(合計の次は、たぶん、また別の何かで)


アルトは、目を閉じた。

慢心していたわけではなかった。ただ、少しだけ、思っていた。

第七号があって、訓練があって、三人がいて。これで、もう大丈夫だと。


(……壁、か)


窓の外で、夏の虫が鳴いていた。



七都商盟、議長室。

夜更けだった。

机の上に、帳簿が広げてあった。インクの染みのついた指先が、ある頁の余白をなぞっている。


『香封じ手に取る、十二呼吸』


その下に、この二か月で書き足された数行。


『神殿契約』

『騎士団契約』

『魔導院契約第七号独占納入』

『契約枠三すべて埋まる』

『レベル十九にて停止理由壁と推定(魔導院内部より)』


マルグリット・オーベールは、最後の一行を指でなぞった。

それから、帳簿を閉じた。

ぱたん、と乾いた音がした。


「……ようやく」


彼女は、誰もいない議長室で、小さく呟いた。


「こちらの、出番ですね」



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