15・彼の純粋な闇は何処から来たのか。
竜人族にこれほどまでの苦戦、被害をもたらしたのは、ロッドランドの魔導の技術の精度もさることながら、彼らの剣の向く先の躊躇いにあった。
黒尽くめはいざ知らず、ロッドランドはロズタリアの人間だからだ。
何かの義理があるかの如く、その切っ先をロッドランドに向けることをしない。そのせいで、矢継ぎ早に紡がれるロッドランドの魔術を捌ききれず、竜人族は受けに徹することしか出来なかった。
その結果、何人もの竜人族が、無惨に地面に沈む光景を生む。
手繰る炎が、強固であるはずの竜人族の武器を焼き払い、渦巻く旋風も鱗を引き裂く。
「・・・どうして。こんなひどいことを」
目に涙を浮かべながら、アスターシャは震える手で何度も問いかける。
「貴方はこの国へ来て、余計な感情を産んでしまった。それはこれから生きていくには不必要な感情です。貴方のお気持ちは、我々の国の人間のためだけにあればいいのです」
それはまるで、この国の存在を否定するようじゃないか。竜人族をいないものとするような言葉ではないか。
「貴方は誰に対しても分け隔てなく、優しかったではないですか!」
幼少期のアスターシャの根幹を形成したのは、ロッドランドのその教えがあったからだと言っても過言ではない。
誰に対しても平等であれ、その優しさと愛を秤に掛けることなかれ。
だから、アスターシャは誰に対しても別け隔てなく、接して来たつもりだ。
だが、それはあくまで人間に対してのみの言葉。ロッドランドの目には、竜人族は見えていない。
「何が、貴方をここまで変えてしまったのですか・・・!?」
そのアスターシャの慟哭に、嘲るようにロッドランドは笑って見せる。
「私は何も変わっておりませんよ。私は貴方をお慕い、王を敬愛し、民を愛し」
ロッドランドの目が、歪む。
「人間ではない竜人族を憎む」
その今までに見たことのない目に、アスターシャは心が掴まれる感覚を覚えた。
刹那、周囲の空気が変化し。
ロッドランドの口元が、禍々しい呪文を紡ぎ。
凄まじい爆風が辺りの地形を変化させて。
声もなく、ドリュー、ヴァンデラ。地面に倒れ伏せる竜人族の兵士をも吹き飛ばし。
無事なのは、アスターシャのみ。
攻撃対象を選別する、上級の魔術だ。流動的な熱風ですら、ロッドランドの意のままだ。
アスターシャと黒尽くめを除いて、身を焼く追尾する電熱の槍。並の人間ならば貫かれたものはその身を悶えさせ、息をする間に絶命する。
その威力と正確性は、老いてなお衰えること無く。
それを誇ることなく、さも当たり前の用にロッドランドは息を吐く。
そして、絶望に震えるアスターシャに向かって、柔和な笑みを浮かべた。
歩み寄ってくるロッドランドがこんなに恐ろしく感じたことはなかった。
「さあ、帰りましょう」
まるで、夜の帳が降りるまで外で遊んでいる子供を迎えに来た親のように。
氷の彫像の如く固まるアスターシャの手を、ロッドランドの手が取ろうとした瞬間。
「・・・ぐ、ふっ」
ロッドランドがその漏れ聞こえる声に反応し、表情を変えた。
その身を焼けただれさせながら、ドリューがかろうじて息を吹き返したからだ。
ドリューのみならず、全ての竜人族を絶命させるには至らず、ロッドランドはその表情を微かに歪める。
「・・・しぶといな。この地に住む害虫は」
何の迷いも無く、そんな言葉を吐ける。
本当にこの男はアスターシャの知るロッドランドなのだろうか。外見だけが別の人間にすり替わっていると言われたら、アスターシャは信じてしまうだろう。
「・・・灼甲とやらで相殺させたか」
ロッドランドは言いながら、その右手に新たな術の光を生む。
「やめて!」
アスターシャが懇願と共にロッドランドの腕を取る。
アスターシャが止めなければ、ロッドランドは何の躊躇いもなく産んだ光球を竜人族へと向けて解き放っていただろう。
「お離しください姫」
「・・・どうしてそこまで、彼らを目の敵にするのですか」
「姫こそ。どうしてこのような蛮族が傷付くのにそんな悲しい涙を浮かべるのです」
アスターシャの行動が心底理解できないといった感じで、ロッドランドは眉根を寄せる。
「建物に沸く、彩る花に群がる害虫を処分したところで、誰も悲しまないでしょう。むしろそれは喜ばしいはずです」
「害、虫?」
「竜人族は、かつて太古の時代に突如この地に降り立った。その竜人族を開祖とし、世界各地のその存在を増やしていきました。まずは、始まりの地としてグレートピークに巣食うゴミの掃除をはじめなければ」
「掃除、って!彼らは!」
人間も、竜人族も、この世界に等しくあまねく命だ。
「彼らは元よりこの世にいてはならない存在です。ここより異なる世界から湧き出るように現れた彼らに、この世界での居場所はありません」
何の理由も原因も分からず、この世界に降り立ったドリューたちの祖先を、そんな言葉で簡単に切り捨てられる。
「ぐ、ふっ。ぐ。はあ、はあ・・・」
ドリューに続いて、ヴァンデラもその身体に大きな火傷と傷を穿ちながら、息を整え、取り戻す。
「・・・ひとつ聞きたい」
気を抜かなければ途切れそうな意識の中、ヴァンデラは苦悶の表情で問いかける。
「貴方は、その情報を何処で、誰から知りえた?」
腹部を筆頭に、身体の様々な部位を滲む穴で飾るヴァンデラが、息も絶え絶えに耳を傾けている。
ロズタリアの王族と竜人族との関係が、王族にのみ口伝されるもので、それは誰にも漏れ出るものでなければ、例え大臣だろうとその情報を耳にすることはないだろう。
「・・・貴方たち竜人族も、一枚岩ではないでしょう?」
その答えに、ヴァンデラは目を細めた。
「・・・なるほど」
竜人族の住む場所、街は何もこのノルダッドだけではない。
遥か彼方の時代に袂を分かった分隊が、ヴァンデラたちと同じく文化を育て、この世界に根付いた。ドリューのかつて住んでいた場所も、ここより他の地だと聞いた。
「黄金色の鱗の一族が、懇切丁寧に過去のことを話してくれましたよ。まあ、いずれ彼らも滅ぼすつもりですがね」
ロッドランドのその言葉に、ヴァンデラは目を細め、
「・・・黄金色の鱗?」
と、不可解な色を浮かべる。
「ぐ、うっ」
ずん、と重厚な音を響かせ、ドリューが膝を突く。屈強な戦士であるドリューですら、その負ったダメージに耐えきれず、初めて手を地に付く姿を見た。
「ドリュー様!」
アスターシャはロッドランドの元を離れ駆け出し、血と傷で塗れた身体を支える。
当然、アスターシャの衣服だけでなく、手も足も、その赤に染まる。生温かい、生の感覚。
それにロッドランドは柔和な笑みに皺を刻み、怒りの表情へと変化させる。
「姫に触れるなっ!下賤で低俗な化け物がッ!」
信じられないほどに汚く、強い言葉。アスターシャはただただ悲しく、旨を痛める。
「本来は同じ場所で息をするのも叶わない、崇高な存在であらせられるのだぞッ!貴様らの汚い手で姫の高潔なお体を汚すなっ!」
「・・・随分な言いようだな」
ドリューは呆れたように、その言葉をただただ受け入れる。
「仕えるべき王の、悲しむ顔を振り払うのが、下で支える者の努めだろう」
言葉数は少なくとも、ドリューの根幹にあるのはヴァンデラの、ノルダッドへの忠誠があるからだ。それは、他者を汚い言葉で侮蔑して、遠ざけようとすることではない。
「・・・人間の矜持を、トカゲ風情が語るか」
ドリューの言葉を、ロッドランドが嘲る。
「・・・殺れ。トカゲ共を皆殺しにしろ。ただし姫には傷ひとつ付けるな。これは絶対だ」
ロッドランドの命令に、黒尽くめが剣を構える。
ドリューはアスターシャの支える手を解き、支えにしていた剣を武器へと戻す。
もう、立っているのもやっとだろうに。
「・・・ぐ、ううっ!」
アスターシャに自分から離れるように促し、立ち上がる。
じり、と間合いを計り筒迫る黒尽くめ。
張り詰める空気の中、ひとりが駆ける。
剣を構える手が未だ震えるドリューに、煌めく白刃が襲いかかり。
刹那、烈火の如く斬撃が空気を走る。どっ!
刀身はドリューを襲うこと無く、その刃ごと大きく吹き飛んだ。
「・・・グエル」
現れた影の名を、ドリューが呟く。
「随分な格好だな」
こちらを見ずに、グエルだけでなく、無数の竜人族が姿を表す。
グエルも、手心を加えつつ剣を振るうのは慣れていないのだろう。全身に傷を走らせている。
「随分と羽虫のように湧き出る」
忌々しそうに、ロッドランドは唇を噛む。
ロッドランドの右手に新たな熱が生まれる。
「・・・おいおい。何かやばいんじゃないのか」
「・・・全方位に撒き散らされる、炎熱の槍だ」
ドリューの言葉に、辟易として目で、グエル。
「おい!ヴァンデラ王!こいつら片っ端から叩き切るこことはできねえのか!」
剣を肩に担ぎ、グエルが吠える。
「・・・ならん。人間を傷つけることは私が許さん」
その台詞に、グエルは小さく舌打ち。
「その前にあのジジイを取り抑えろってか・・!」
目を剥き、グエルが剣を構える。
「舐められたものだ。トカゲが、人間様の頭脳に勝てると思うなよ・・・!」
ロッドランドを言葉を紡ぎ、迸る火花を生みながら、熱の槍を生成する。その数、数百。
この場にいるアスターシャ以外の竜人族に十本ずつ突き立てても、余りある。いかにグエルの言葉がロッドランドの逆鱗に触れたか。
空気を振動する音を奏でながら。
無数の槍が。
放たれる。
アスターシャの脳裏に、先程の凄惨な光景が思い浮かぶ。
人知を超えた高温を発する槍は、竜人族の武器や鱗など容易に溶かし、砕くだろう。
だが、その槍がグエルたちに届くことはなかった。
驚愕に目を見開いたのはロッドランドの方だった。
竜人族に直撃せんとする無数の攻撃が、彼らに届く前に空中で霧散する。
その原因を、ドリューもグエルも驚きの表情で固まっている。何が起きたのかわからないようだ。
「ふうっ」
深い息を吐いたのは、ドリューでもグエルでも、ましてやヴァンデラでも無く。
「・・・ドモロ様」
杖を構え、自分のしたことに本人も驚いているようだった。
「見様見真似でやってみたが、存外できるものだの」
「・・・まさか、トカゲの分際で私の魔導を相殺させたとでもいうのか」
ロッドランドにとって、ここまでプライドを逆撫で、傷つけるものはあるまい。遥か格下と思っている相手に、知の賢人と言わしめた思考の魔術をかき消されたのだから。
ドモロは当然竜人族で、人間の生み出した技術である魔導を行使できる理由はない。
人間という存在に少なからず精通し、言葉と文字を操る博学のドモロだからこそできる技だ。
「大臣の魔術は儂が対応する。残った者は黒尽くめを!」
ズタボロになった竜人族の軍勢が、ドモロの言葉に活力を取り戻した。
黒尽くめが一斉に剣を構える。
「・・・舐めるなよ。矮小な虫けらのが、人間を越えることはありえない。今からそれを教えてやる!」
ロッドランドの呻くような声とともに、戦いの幕は開けた。
竜人族は、太陽の元でこそその能力を発揮する。
彼らの遠い祖先が住まう場所は、空の世界。
無論、今の時代に生きるドリューたちが、その事実を知るはずもない。
かつての祖が、今に残した文献以外では。
その世界は常に太陽が上り、太陽の輝きと白夜を繰り返す、闇のない世界だった。
だからむしろ、この世界に夜という存在を認識した時、本能的に力の変動が起きたのを彼らは知った。
夜という現象が、自分たちの戦闘能力を明確に引き落とす。それ故、竜人族は生活圏を増やさず、悪戯に移動させず、人目に触れずに生きてきた。
不要な争いを引き起こさないため。
それは半ば不文律のような掟。
だが状況が違えば、その掟すら取り払う。
太陽の光は、自身の力を開放してくれる。仲間を、国を救うために使う。
全ての竜人族の武器を持つ手に力が漲る。
それは友を守る、仲間を守る、この世界に生まれ落ちてから変わらぬ、一貫した剣。
だから、これほど強いのだ。
「ぐ、うう・・・!」
ロッドランドは怒りに満ちた目で追い込めれた状況に歯噛みする。
全ての黒尽くめが倒れ伏せ、戦況を不利と悟った残りは既に逃げ出している。
ロッドランドが追い詰められた時点で見限ったのだろう。所詮、金だけで繋がった、希薄な関係だ。
無数の傷を負った戦士が、腰を地面に落とした老体を囲んでいる。
鋭く、今にも手にした剣を振り下ろさん勢い。
「ロッドランド大臣・・・」
その中、アスターシャの複雑な表情。
その表情の意味は当然、なぜこんな行動を起こしたのか、だ。
「・・・なぜ、竜人族の皆さんにこんなひどい仕打ちをし、その凶行に至ったのか、お聞かせ願えませんか?」
しわがれた老人の顔は、先程までの荒ぶる影は微塵も感じず、アスターシャに懇願するように膝を擦り、迫る。
「姫!なぜ解っていただけないのです!竜人族は人間よりも劣る蛮族!ノルダッドなど、世から国とも認められていない、蟻の塚にも等しい!」
だが、その言葉を老人の盲言と切り捨てるには、あまりにも荒唐無稽に思えて。そう思い至るには、必ず原因があるはずで。アスターシャはそれを知りたかった。
「貴方をそこまで思い詰めたものは、一体何なのですか?」
「先にも言いました通り、私の考えは今も変わらず、これは私から生み出たもの。誰に変えられたものではありません」
そう言いながら、ロッドランドの生きてきた歴史が伺えるしわがれた手が、アスターシャの手に重なる。
「・・・ああ。この日を夢見ていました」
ロッドランド目が至福の時のように、溶け。
「エルナ姫」
そう、かつての主の名を告げた。




