16・純粋で、狂おしい猛念。
アルガス・ロッドランドは母ひとりに育てられた、貧しい家の生まれだった。
生きているだけで苦しい貧困から抜け出し、母に楽をさせるため、自分の時間を全て勉学に注ぎ込み、高名な学校を目指した。
その努力が実り、彼は難関と言われる有名校へと入学を果たす。そこは選ばれし者への道へと続いている、はずだと信じて。
だが、その入学を待っていたかのように母が逝去し、ロッドランドは天涯孤独の身となったものの、幸いにも勉強により得た知識の海を武器に、のし上がっていった。
その中で、彼はとある女性と出会う。
正確には、彼が一方的に感情を奪われた存在だった。
クラスに燦然と輝く花のような麗しさ。名をエルナと言い、貴族の娘だった。
ロッドランドとは生まれからして天と地ほども隔たっていたが、彼女はそんなことを鼻にかけることもなく、誰に対しても平等に、太陽のような笑顔でクラスメイトに微笑んだ。それはロッドランドに対しても例外ではなく。
全身を電光のように衝撃が貫いたのを、セピア色の思い出の中で唯一色のある光景だったのをロッドランドは覚えている。
だが、当時彼女は人気者で、近寄るものは男女限らず絶えることはなく。境遇からか喋るのも苦手なロッドランドには、遠間から見ているだけで心が満ち足りるほどの高嶺の花だった。
やがてロッドランドは学校を首席で卒業。
エルナはロズタリアという一国の王子と出会い、恋に落ちる。なんでも、その国の風習である世界を回る旅の途中で出会ったのだという。
ロッドランドは何より彼女の幸せを祈った。
勉強だけの日々から救ってくれたのは、エルナだった。少しでも彼女の力になりたい。
ロッドランドの夢は、世界に名を馳せる魔導の賢者を目指すという夢を捨て、とある城に籍を置く。できれば中枢、王政にまで関われる身分になれればいいとも思っていたが高望みはしない。彼女を同じ場所で過ごせるだけで、彼は幸せだった。
ロッドランドは昔に増して研鑽を刻む。
腕っぷしでは彼女の助けどころか、彼女を守護する騎士にも劣る足手まといになるだろうから、ロッドランドは頭でエルナの助けになるように学びを加速させた。
やがて努力が身を結び、神官としてロズタリア城への配備が決まった初日。
整列する騎士、神官、導師を激励するエルナは、学生時代よりも美しさを際立たせ、ロッドランドの心を掴んで離さなかった。命を掛けて支えるに値するお方だと確信した。
それと同時に、不純な気持ちが湧き出すのをロッドランドは感じた。
彼女を娶った王は、容姿も財力もロッドランドとは比べるまでもない。だが、彼女を想う気持ちは負けていないつもりだ。その漏れ出る気持ちを塞ぎ、抑える日々を過ごした。
やがて、エルナは身ごもり、ひとりの女の子を産み落とす。
ローザと名付けられた少女は、すくすくと育っていった。
お目にかかることの叶った幼い赤子は、未来と希望に溢れた優しい寝顔で、ロッドランドの決意を更に固いものにさせてくれた。
だが、ある日ロッドランドを絶望が襲う。
友好国へと向かう外遊の帰り、エルナは乗っていた馬車ごと崖崩れに巻き込まれ、命を落とした。
ロッドランドは気が狂うほどの、何処にもぶつけることの出来ない怒りと無力感に苛まれ、その現実逃避のように勉学にのめり込む。
最初は死をも覆す魔導の開発を目指したが、いかに知識を得た彼であろうと、自然の摂理を越えることは出来なかった。
その心を切り裂かれる絶望を和らげてくれたのは、エルナの娘であるローザだった。
彼女はまさにエルナの分身かのように母の面影と共に成長し、ロッドランドの心を癒やした。そして、そんな彼女に仕えることを、ロッドランドも誇りに感じていた。
時は流れ、やがてローザも運命の人と出会い、子を成す。
だが、更なる悲劇が襲った。
元々病弱だったローザは、ロズタリアの掟である世界の旅の途中で病にかかってしまったようだった。
その身体は病に打ち勝つことを叶わず、娘の誕生と入れ替わるように息を引き取った。
ロッドランドの捻り切れるように穿った胸を吹き抜ける、虚しさ。ある種、恋い焦がれたふたりの女性が、続けてこの世を去った。
もう、あんな悲劇を繰り返しては行けない。
ローザの忘れ形見であるアスターシャも、例に漏れずロッドランドの記憶の中の少女と寸分違わぬ程に重なる。
調べていくうちに、ローザの死の原因が分かった。
ローザはどうやら旅の途中、とある山間部に身を寄せていたのだという。
そこには竜の頭部を持つ奇妙な人種がいるという。
その竜人の住まう地は高山で、普通の人間ですら身体に負担を掛ける。病弱だったローザの心身が耐えられるはずもない。
そこでの暮らしで病を貰ったのかも知れない。だとしたら許しがたい、万死に値する話だ。
ロッドランドは、当時のローザと旅を共にした人間を糾弾した。汚い言葉で罵り、彼を城から追い出すほどに追い詰めた。従者は、主を守るために旅の随行する。剣の腕を極めた、選りすぐりの騎士のはずなのに。主を守れず、何が騎士だ、と。
そして、竜人族なる、人とは異なる容姿をした存在。
同じ轍を踏むわけにはいかない。
ロッドランドは、残りの人生をアスターシャのために注ぎ込むことを誓った。
エルナの魂を宿した、我が君主。
最初から彼が忠誠を誓った者は、初恋の人間を奪った王などではなく、勉強しか知らなかった自分に、知識だけでは知り得なかった、身を焦がすほどの熱を感じさせてくれたエルナだ。
ロッドランドの目的は、みっつ。
まず、ロズタリアの時期王位継承者の、見識を広げる旅の制度の撤廃。
それを控えたアスターシャが、ローザと同じ末路を辿るかも知れない。従者も信頼は置けない。
自身がもっと若ければ、その旅に同行するのは自分だ。どんな危機や障害でも守る自信があり、どんな虫も寄せ付けないつもりだ。
そして、ローザが死ぬ原因となった竜人族の壊滅。それは言いがかりに等しいものかも知れない。だが、心が許さない。アスターシャが、かつての竜人族と約束とかいう名目でノルダッドに連れて行かれたのは、沸騰するほどの怒りを禁じ得なかった。それをみすみす許す王の危機管理の無さにも怒りが湧いた。竜人族が、どれ程信頼のおける存在だと言うのだ。
そして、もっとも重要な最後の望み。
それは、アスターシャを自分が攫い、あの日の想いを成就させることだった。
「・・・だから、貴様らが邪魔なのだ。ローザ王妃を殺し、アスターシャ姫まで奪おうとする、貴様らを!」
ロッドランドの言葉が怒気で滲んでゆく。歪んでゆく。
周囲の竜人族の戦士、そして名を呼ばれたアスターシャでさえ、その言葉の意味が分からず、困惑している。
「貴女は私と共に一緒になるべきだった!そうすれば、違う運命が待っていて、死ぬことはなかった!」
ぐ、とロッドランドの手がアスターシャの手を掴み、握り、その身体で押し迫る。
細く、嗄れた、手。しかし、その長く時代を生きた手は熱く、アスターシャの手を捉えて離さない。
「エルナ姫!私はずっと貴女をお慕い、恋い焦がれておりました!」
真っ直ぐと、ロッドランドの目が、澄んだアスターシャの瞳を貫く。
「だ、大臣!私はお祖母様ではありません!」
その迸るような情熱は、およそ老人の放つには強く、熱を帯びていて。いかにエルナが心を占めているのかが痛い程にわかる。
だが、アスターシャはエルナではない。
「私とあの時からやり直しましょう!私なら、貴女を幸せにできる!ロズタリアのしがらみに囚われることもない!」
その剣幕に、周囲も困惑している。
「人間の恋慕がどうであろうと知ったこっちゃないが、それはあまりにもみっともないんじゃねえのか」
グエルがアスターシャからロッドランドを引き剥がそうとする。
だが。
グエルの右手がロッドランドに触れる瞬間。
「ぐうっ!?」
グエルの全身を、痺れる衝撃を伝った。
「触れるなっ!下賤の者がッ!」
「きゃあっ!?」
怒りに満ちるロッドランドから迸る波動に、周囲の竜人族が怯む。
そして、ロッドランドのか細い腕が、アスターシャの首元から手を回し、身体を捉える。
「貴女は、私と来ていただきたい。ふたりで、共に暮らしましょう」
「だ、大臣。わ、私は」
思わぬ告白に、アスターシャはただ困惑している。
「・・・竜人族ですら触れることの叶わない結界術です。奴らは我々に手出しは出来ない。ロズタリア王ですら、我々の間を引き裂けない!」
弾かれた腕を庇いつつ、グエルは剣を抜く。
「その剣ですら、私には届かない。さあ、そこをどきなさい」
ロッドランドを取り囲む竜人族に道を開けるよう、促す。
だが竜の輪は、割れない。強い決意と戦意に満ち、剣を構える手を下げない。
「どけと言っているっ!」
新たな熱の渦が生まれ、火花が咲くように散り、無数の光球が周囲に着弾。苛烈な爆発を生む。
吹き飛ぶ瓦礫。猛る炎。いくつも重なる戦士の悲鳴。ドモロでも対応出来ないほどの魔力の奔流。
「トカゲ共が、人間に敵うかあっ!」
アスターシャは、目を逸らす。
見知った顔が貫かれ、倒れ、血を吐き出し、痛みに叫ぶ。
「やめてえっ!」
もう、彼の言う通りに従えば。少なくとも、彼らが酷い目に合わされずにすむ。
「・・・竜人族の抹殺は、後回しにしましょう」
誰ひとり動かなくなった、目を覆いたくなる光景。
血の匂いは不快なものを胸にもたらし、ロッドランドは満足しない表情を見せるも、それ以上の追撃をせず、アスターシャを拘束する手に力を込める。
アスターシャは、目から溢れ出る涙の止め方が分からず、ただただ彼らへの謝罪と、どうか無事であることを祈るばかりだった。
「ま、待てっ!」
そんな時、知った声が聞こえた。ある意味、今は一番聞きたくない声だった。
ジュレルと、その他の子供達。
手に木の棒を携え、侵入者であるロッドランドを睨めつけている。
「先生を離せっ!」
「に、逃げてくださいっ。むぐ」
その叱責にも似た忠告を、ロッドランドは手で塞ぎ、新たな魔力の奔流を紡ぐ。
「ゴミ虫めが。柔らかい幼体の肌なら、消し飛ばすのは訳はない」
やめて!
アスターシャは、ロッドランドの手の中で、叫ぶ。
ロッドランドは歪んだままの表情のまま、一筋の光線を正面に。
放つ。
破壊音。
だが。
石をも貫く熱の線は、ジュレルを貫くことはなく。
剣を盾にしたドリューが、それを弾いた。代わりに剣の刀身は溶け、砕け。
逸れた熱線がドリューの身体に一筋の傷を刻む。
叫びにならない声ですら、押さえつけられて。
地面に膝を付くドリュー。もう、立っているのもやっとだろう。
だが、次の瞬間には、ドリューは拳を杖代わりにして、立ち上がる。
それを忌々しそうにロッドランドは見て、殺し切れないことに口惜しそうに舌を打つ。
「・・・彼女は、我々の客人、だ。置いていってもら、う」
ドリューの息も途切れ途切れ。言葉も細切れ。
「思い上がるなよ。人間と同じ目線に立つことすら、非礼と知れ」
トドメと言わんばかりに、ロッドランドは炎の剣を生み出す。
「死ね」
それを。
投げつける。
ドリューの目が見開かれ。
赤く染まる鱗とともに、剣を受け止める。
刹那。
熱風を伴う空気が走り。
アスターシャの目は、信じられないものを捉えた。
ドリューの胸を、向こう側が見える穴で、穿つ。
灼甲は発動したはずだ。あの攻撃魔術も弾き返せていたはずだ。
「トカゲの生態を、天才である私が解析出来ないはずがない。同じ轍は踏まん」
攻撃を弾き返す爆発を生むのなら、相殺できない攻撃を叩き込めばいい。実に簡単な話だ。
「ドリュー様あああっ!?」
感情が溢れる。
どんな時も強かったドリューが。そんなはずはない。
ロッドランドは、不快に満ちた目を細める。
「・・・どうやら粉微塵になるまで叩き潰さねばならんらしいな」
かろうじて起き上がるドリュー。
だが、胸からはおびただしいほどの血が吐き出され、口元からも血の味が溢れ出る。ロッドランドが手を掛けずとも、危うい命だろう。
「大臣!私は貴女の妻になります!だから!ドリュー様をお助けください!」
涙を溢れさせ、アスターシャは懇願する。それに答えたのはロッドランドの邪悪な笑みだ。
「それとこれとは話は別です。思い出しました。これは私が成し得なければならないこと。竜人族は最初からこの世界にはいなかった。そう思えば済む話です」
肌が不快な風が撫でる。
ロッドランドの紡ぐ魔術が生む風は、大気を揺り動かすほどの粒子の加錬を生み、滅びを形作る。
「あんなもののために、涙を流すのももったいない」
微笑みかけてくれた子供も、老獪なドモロも、近寄りがたかったグエルも。この街に住むみんなを。
誇り高きドリューも。
全てを消す気でいる。
渦を巻く滅びの風の中、ドリューが吠える。
それを、ロッドランドは虫の息の、取るに足らない強がりだと嘲った。命の灯火の消える前の悪あがきだと。
ドリューの体表が、再び熱を帯びる。ロッドランドの生み出す魔術は、もう灼甲では防ぐことは叶わないだろう。
だが、ドリューの目的は灼甲での防御ではなかった。
苦悶に震えるドリュー。
ドリューの口から血の塊がこぼれ。
傍らに転がる折れた刀身を口に咥える。
一体、何をしている?
ドリューの口元が赤く迸り。
口を離した刀身が地面に転がる。
真っ赤に染まった、融解直前までに焼けた刀身を、ドリューは苦悶の表情で手でつかみ取り。そして、刀身の欠片を傷口に押し付ける。
何かが焼けるような音が響き。
ドリューが傷口から手を離した時には、その傷口は塞がっていた。
目が破裂しそうなほどに見開き、熱に耐えたドリューの傷口は、大きな火傷で塗り替えられていた。
血は乾き、ドリューは駆ける。
「何っ!?」
まさか馬鹿正直に正面切って突撃してくるとは思っていなかったのだろう。
ロッドランドは今紡いでいる魔術の詠唱を中断。
別の光球を生み出し、それを前方に放つ。
高温度の光球を、ドリューは手で弾く。それですら、高密度の炎の収縮体だ。生身で触れれば、その分身体が焼け、削がれる。
ドリューの腕が、アスターシャを掴み、ロッドランド以上の力で引き剥がされ。
してやられた。そんな表情を浮かべて。
「ドリュー、様」
血と傷で塗れた逞しい腕が、アスターシャの身体を包む。自身で焼いて塞いだ傷跡は痛々しく、でも場違いな温か差を感じて。
「薄汚い手で触るなと、何度言ったら理解できる!?エルナ姫を離せ・・・!」
怒りで豹変させたロッドランド。だがドリューは息を上下させながらも、冷静に対峙する。
「老人の痴呆には付き合いきれないな。彼女の名はアスターシャだ。我々ノルダッドへの、大切な客人だ」
ドリューはそう言い、アスターシャを離すまいと抱き寄せる腕の力を、ぎゅっと強めた。




