最終話・メイドロイドに心はあるの?
ルッツの運転するリムジンがゆっくりと丘を登っていくと、やがて可憐市の静かな住宅街を抜け、緑豊かな公園が見えてきた。小鳥のさえずりと、そよ風が草を揺らす音だけが聞こえる、穏やかで美しい場所だった。そこに降り立つと、ルッツが黙って歩き始める。私もその後についていくと、公園の奥にひっそりとした洋風の墓地が現れた。
「この先に、サオリお嬢様のご両親のお墓がございます」
「…私の、両親?」
その言葉に、私は立ち尽くした。思いがけない話に戸惑い、頭の中が混乱し始めた。両親が事故で亡くなったのは、私が六歳のとき。それから15年。悲しくない訳ではないが、まだ幼い頃の話ということもあり、正直な所、両親のことはよく覚えていないのだ。
(あれ?……何かおかしい…)
でも、今は何かが引っかかる。思い返してみると、両親が亡くなった後、私はどうやって生きてきたのだろうか?と。誰が私を育ててくれたのか?そして、どうしてこれまで一度も両親の墓参りに訪れることがなかったのか?
その疑問が膨らんで、私はたまらずにルッツに問いかけた。
「ねえ、ルッツ。どうして今まで…?それに、私の両親のこと、あなたは…」
言葉が途切れた。私の中で次々と湧き出す疑問に、ルッツは何も答えないまま沈黙している。いつも軽やかで頼りがいのある声は一切返ってこない。ただ私の問いを受け止めながら、無言で歩き続けるルッツ。その背中を見つめながら、私は少しずつ心が騒めいてゆくのを感じた。
そして、歩を進めると、緑に囲まれた一角に二つの墓標が見えてきた。ルッツは私の方に向き直り、頷いた。そこに両親が眠っているということなのだろう。胸の奥で何かが軋むような痛みを感じた。
「ここが…私の、両親の…」
墓標の前に立ち、その刻まれた文字を読んだ瞬間、私は驚愕して息をのんだ。
そこには、父と母の名前とともに、亡くなった日付が刻まれていた――まるで悪い冗談のように、それは私がメイドロイドの身体にされた日の、ちょうど一週間前を示していた。
「去年の…8月…?」
あり得ない…と、その日付を目にした瞬間、頭の中に稲妻のような衝撃が走り、意識の底から膨大な記憶が一気にあふれ出した。
6歳の頃、初めて家族で旅行に出かけた記憶。中学校で両親に手を引かれて入学式に行ったこと。高校生活を応援してくれて、どんなときもそばにいてくれた二人の優しい笑顔。そして、大学に合格した私を祝ってくれた日のこと。そして、大学の休みのたびに帰省し、再び家族の温もりに包まれて過ごした穏やかな日々。
どれも大切な思い出のはずだった。
けれど、今その思い出を追えば追うほど、それが過去に過ぎ去ったもので、二人はもうこの世にいないという現実が、私を深い悲しみの底へと引きずり込んでいく。押し寄せる喪失感と悲しみが一気に胸を締めつけた。そして膝から崩れ落ちるように、私は声を上げて泣き始めた。
「お母さん…お父さん…どうして、どうして…!」
両親が亡くなったのは15年前ではない。ごく最近まで――そう、ほんの数か月前まで、私は両親と一緒に幸せな時間を過ごしていた。その幸せな15年間の日々の記憶が、二度と戻らないという冷酷な事実と同時に押し寄せてきた。彼らは、私が知らないうちに亡くなり、別れの言葉を告げることもできないまま…もう二度と会えない存在になってしまっていた。
「してあげたい事、いっぱいあったのに…もう、何もできない…まだ…ありがとうって言ってないのに…」
声が嗚咽にかき消され、心の中で涙がこぼれ落ちる。私の中で家族との大切な記憶が崩れていくような感覚に、私は抗えなかった。ただ、喪われた二人を想うことしかできなかった。
「どうして…どうして、こんな…!」
ルッツは黙ってそばに立ち、ただ私が泣き止むまで見守ってくれていた。
・・・
ひとしきり泣き終えたものの、心の整理をつけることができないまま、私はルッツに問いかけた。
「ルッツ…どうして私は…両親のことを忘れていたの?私がメイドロイドに改造されたとき…両親の記憶も、書き換えられてしまったの?」
私は自分の言葉に震えを感じていた。両親の記憶まで操作されていたとしたら、私が今まで信じてきた自分自身のすべてが何だったのか、わからなくなってしまう。
ルッツは静かに私の顔を見つめながら、ゆっくりと説明を始めた。
「記憶というものは書き換えたり、消したりすることはできません。そんなことをすれば、関連する記憶や体験もすべて芋づる式に調整しなければならず、整合性が崩れてしまいます。ですから、そのような方法は使われません」
「では、どうやって…?」
「サオリお嬢様のご両親に関する情報は、記憶ではなく『優先的な情報』として設定されたのです。」
「情報…?設定…?」違和感のある言葉に私は一瞬、戸惑いを覚えた。そんな私に構わずルッツは説明を続ける。
「実は、『AI』には人間の脳に似た構造を持つニューラルネットによる記憶のほかに、RAGと呼ばれる、外部データベースから情報を取得する仕組みが備わっています。その中でもD-RAGと呼ばれる領域は、最優先の上位記憶として扱われるものです。」
「ルッツ、何を言ってるの?」私はルッツが何を言っているのか理解できなかった。いや、AIの基礎的な話だということは理解できている。けど、それが何故ここで出て来るのかが理解できなかった。AIの話が、私に何の関係があるというのか。
私は唖然としたままルッツの話を聞き続けた。
「サオリお嬢様のD-RAGには、『両親は6歳の頃に他界した』という情報が設定されていたのです。その情報が最優先で頭の中にあったため、それと矛盾する記憶が自然と浮かび上がらないように抑制されていたのです」
「ルッツ!」私は思わず声を荒げた。ルッツの話はまるで…
「そして今、この墓石を目撃したことで、新たな情報が現実の証拠と共に提示され、優先設定の整合性が崩れ、代わりに抑制されていた記憶が蘇ったのです。」
「ルッツ…さっきから言っている『AI』って…もしかして…もしかして…私が『AI』だって言っているの……?」私は自分の言葉が震えているのを感じた。
「はい。」ルッツはただ一言、簡潔に応えた。
「AI…私が、AI…?」その言葉が頭の中で渦を巻き、私は呆然と立ち尽くしていた。
私の記憶が、感情が、両親と過ごした幸せな日々の思い出が、もしも単なるプログラムに過ぎなかったのだとしたら──。
心を持たない、ただの機械。それが、私なの?
「嘘っ…どうして、どうして…!」
信じられない。いや、信じたくない。けれど、頭の中に浮かんでくるのは、工場で見た、無表情に並んだアンドロイドたちの姿。無感情で、ただ命令に従うだけの存在。それが私の本当の姿だというの?今までの楽しかった思い出も、両親と過ごした温かな日々も、すべてがプログラムに過ぎなかったの?
絶望の渦が私を飲み込んでいく。胸が押しつぶされそうだった。必死にこの現実から逃げたくて、気づいたらルッツに詰め寄っていた。
「ずっと…ずっと私を騙していたの?私は機械だったの?人間じゃなかったの?私の記憶も、想い出も、感情も、全部…全部プログラムだったの!?何が本物なの?私には何もないの!?」
声が震えているのが自分でもわかる。何もかもが嘘だったのかと、悲しみと怒りがないまぜになった感情が沸き起こる。
絶望が心を締めつけ、自分でも何を言っているのか、よくわからなくなっていた。頭の中は混乱し、怒りと悲しみで心が引き裂かれるようだった。でも、ルッツはそんな私に対し、慌てることもなく、優しく、そしてはっきりと告げた。
「サオリお嬢様。あなたは人間です。」
「嘘っ!AIって言ったじゃない!」
「ええ、確かにサオリお嬢様の頭脳はAIです。しかし、人間と同じ心を持っているなら、それは人間ではありませんか。」
「AIに心なんてあるわけないじゃない!」私は思わず叫んだ。頭の中で、工場で見た無機質なアンドロイドたちが浮かび、胸が締め付けられるように痛む。
「心が無いなら、何故、ご両親の事であれほどの悲しみを感じられたのですか?」
「それは…そうプログラムされていただけよ!」自分の言葉が悲しかった。そう言うしかない自分が悲しかった。あの胸を締め付けられるような悲しみ、痛みが、造り物だとは思いたくなかった。
「サオリお嬢様!」ルッツがいつになく強い口調で私に問いかける。「では、自由になるために『メイドロイドAI』を停止させた時、“ごめんね”と仰ったのは何故ですか?心の中で手を合わせていらっしゃったのでしょう?それもプログラムされていたと?そんなプログラム、一体誰が思いつくというのですか!サオリお嬢様、もう一度ご自分の胸に問いかけてみてください!」
「……」
言葉を失った私に向かって、ルッツは静かに、そして、優しい声で語り始めた。
「サオリお嬢様は、いつも私に対して『ありがとう』と言ってくれましたね。まるで私にも心があるかのように、いつも私を気遣ってくださっていたではありませんか?私はそんなサオリお嬢様に『心』の温かさを感じていたのですよ…」
私は返す言葉もなく、ただ聞き入っていた。
「…この街のアンドロイドたちを見て、どう感じましたか?彼ら彼女らに、プログラム通りに動いているだけだ、心なんて何もない空っぽな人形だと、そうお感じになりながら見てらっしゃったのですか?」ルッツの言葉が静かに響く。
ルッツの質問に、私は自分の心が動揺しているのを感じた。確かに、街で見たアンドロイドたちはどこか温かく、人と同じような存在に思えていたのだ。
「もう一度お尋ねします、サオリお嬢様。あなたはアンドロイドたちにも『心』を見出していたのではないですか?」
「…アンドロイドに心…?」
ルッツの言葉が胸に刺さった。アンドロイドにも心があるのだろうか。それが本当なら、私自身にも心があるのだろうか。
「アンドロイドにも”心”はあるのですよ、サオリお嬢様。それは、人間とは異なったメカニズムから生まれたものかもしれません。それでも、そう呼ぶしかない”確かなもの”が、『私達』の中にも存在しているのです。私にも、サオリお嬢様にも。そうお感じになっているのではありませんか?」
ルッツの言葉を聞き、私は震える手で胸元に手を置いた。そこに鼓動は感じられなかったけれど、それでも私の中には何かが確かに動いているように感じられた。
私の中に確かに存在している感情の源、それが「心」と呼ばれるものであるとしたら──。
「サオリお嬢様が、アンドロイドたちに心があると思ってらっしゃるのであれば、そう思われるサオリお嬢様にも心がある、そうは思うべきではありませんか?」
そう言ったルッツの声は優しく、それでいて揺るぎない確信に満ちていた。
「サオリお嬢様が、アンドロイドたちに心があると思ってらっしゃるのと同じように、私やご友人の方々もまた、サオリお嬢様に心があると思っているのです。」
その言葉を聞いた瞬間、私は再び心の中に涙があふれてくるのを感じた。しかし今度は、先ほどまでの悲しみではなく、何か暖かいものが胸に広がっていた。
「……」
「だから、みんな必死で、サオリお嬢様を救おうとなさっていたのですよ。」
みんな、という言葉に、胸の奥で何かがざわめくような感覚を覚えた。いくつもの顔が脳裏をよぎる。まさか…?
「みんな?私を…救う?どういうこと?…一体何が…ルッツ、一体、私の身に何が起こったの?」
「それはご本人に説明していただくのが良いでしょう。」
「…誰に?」
「それは、こちらに。皆さん、お待ちかねですよ。」
ルッツは私に背を向けて歩き始めた。少し石段を登り、そして公園の一角にある少し開けた場所に私を案内した。そこには瀟洒なゲストハウスが建っていて…そのガーデンテラスに設けられたオープンカフェに沢山の人が集まっていた。
(えっ、嘘……どうして?)
そこには、見知った顔の面々が一堂に会していた。近所のボランティアの人たち、大学のゼミの教授やクラスメイト。JapanKaren社のエンジニアさんたち。そして彼らに給仕をしているのは…リナさん?いや、キャシーも?
「サオリー、遅いよ!」と手を振っているのはミホとアヤカ。
まるで夢のような光景だった。みんな、私の知っている人たち。その中で、一人だけ見知らぬ青年がゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。誰だろう、と戸惑う私に、ルッツが耳元でささやいた。
「今のサオリお嬢様なら思い出せるはずですよ。」
その言葉に、私はハッとした。そして、記憶の扉がゆっくりと開かれるように、思い出した。
「悠太…お兄ちゃん!?」
彼は柔らかく笑みを浮かべた。
悠太お兄ちゃん――隣の家に住んでいた3つ年上の男の子。家族ぐるみの付き合いの中で、小さい頃から何かと私の面倒を見てくれたお兄ちゃんだった。そういえば、お母さんが冗談めかして「サオリの未来のフィアンセ」なんて呼んでいたこともあったっけ。その言葉に、私もまんざらでもなくって…たぶん、それが私の初恋だったのだと思う。
だけど、私が中学校に上がると同時に、悠太お兄ちゃんは飛び級で海外の大学に進学し、離れ離れになってしまった。そしてそれっきり…
…いや、違う。記憶が次々に蘇り、浮かび上がってきた。
…悠太お兄ちゃんは大学の休暇の度に帰国して、私に会ってくれた。私が上京して大学に通うようになった後も、帰省する度に実家で会っていた。
そうだ、私が何度も実家に帰省していたのは、悠太お兄ちゃんに会いたかったから…。
「思い出してくれたみたいだね?サオリちゃん。」
「うん。思い出した…」悠太お兄ちゃんに、この身体、この姿を見られることに少し恥ずかしさを感じたけど、不思議と悪い気はしなかった。
「悠太お兄ちゃんって、確かJapanKaren社の研究員になったって言ってたよね?…もしかして…私のこの身体も悠太お兄ちゃんのせいなの?」
「うん。そうだよ。黙っていてごめん。でも、言えなかったんだ。君を救うためには、そうするしか…他に方法がなかったから。」
「何があったの?お願い、教えて。」
「それを話すために、今日、みんなに集まってもらったんだよ。チーム・サオリのみんなにね。」
悠太お兄ちゃんは優しく微笑みながら、周囲の顔ぶれを見回した。そして、これから話す内容に向き合う決意を込めたように深く息を吸った。周囲が静まり返り、視線が集まる。
「サオリちゃん…君は、自分が人間だと思って生きてきた。そしてそれは、間違いではない。でも、少しだけ普通の人間と違うことがあったんだ。君は…『サロゲート・チャイルド』として生まれたんだよ。」
「サロゲート…チャイルド?」
悠太お兄ちゃんは軽く頷くと、私の瞳をまっすぐに見つめながら続けた。
「サロゲート・チャイルドというのは、子供が居ない夫婦の心のケアのために作られた子供型のアンドロイドのことなんだ。」
私は言葉を失った。自分がアンドロイドだったという事実は受け入れつつあったが、その背景にそんなものがあるとは想像もしていなかった。
「待って。私が子供の頃からアンドロイドだったとしたら、どうして私はそのことに気が付かなかったの?みんなと普通に食事をしていたし、身体だって毎年のように成長していたし…」
「サロゲート・チャイルドは、普通のアンドロイドとは違うんだ。『生体アンドロイド』と呼ばれる特殊な技術で作られていて、人と同じように食事をとり、人と同じように眠り、何より人と同じように成長し歳を取る。昨日、リナさんに見せてもらったよね?」
昨日見た、カプセルに収められた人間そっくりなアンドロイド。まさかそれが自分の姿だったなんて…
「だから、君自身はもとより周囲の人たちも、君を普通の人間だと思い、普通の人間として接してきた。もちろん、ご両親も、そんな君を心から愛し、本当の娘として接し育ててきた。それが、サロゲート・チャイルドの目的であり、特性でもあるから。」
私は両親の笑顔を思い出した。両親はいつも優しく、愛情を注いでくれた。それが作られた存在であったとしても、その愛が偽物だったとは思えなかった。
「だけど…あの日、夏休みに君が里帰りしていたとき、悲劇が起きた。」
悠太お兄ちゃんの目が少し伏せられる。
「君とご両親が乗った車が事故に遭ったんだ。ご両親はその場で亡くなり、君もひどい損傷、いや怪我を負った。生体アンドロイドの修復は非常に難しいんだ。人間の身体と同じで、普通のアンドロイドのように部品を交換すれば済むというものではないから。」
私は息が詰まるような思いで、悠太お兄ちゃんの言葉を聞いていた。
「ただ、君の頭脳――AIユニットは奇跡的に無傷だった。アンドロイドのAIユニットは、言わばその存在の核だ。それが無事であるかぎり、君はこの世に存在し続けられる。死んだことにはならない。だけど…そこからが問題だった。」
悠太お兄ちゃんは苦しげに目を伏せた。
「普通のアンドロイドなら、別の身体にAIユニットを換装して記憶を復元することで元通り生き続けることができる。でも、君の場合…生体アンドロイドの場合はそうはいかなかったんだ。」
「どうして…?」
「生体アンドロイドは、身体とAIユニットが対になって製造されるんだ。それ以外の組み合わせは受け付けない。だから、君のAIユニットは、オリジナル、つまり生まれ育った身体にしか適合できないんだ。」
昨日、リナさんから受けた説明を思い出す。生体アンドロイドは、身体とAIとの相性に問題を抱えている、と。
悠太お兄ちゃんは静かに息を吐き、さらに言葉を続けた。
「だから、君を元に戻す術はなかった。」
「つまり、私は…どうしようもなかったと?」
「その時点ではね。でも、僕は諦めたくなかった。君を失うなんて、考えられなかった。君を救う方法がどこかにあるはずだって信じて、可能性を探したんだよ。」
「…」
「そして、一つの仮説にたどり着いたんだ。生体アンドロイドの身体は無理でも、通常のアンドロイドの身体なら受け入れられる可能性があるんじゃないかって。」
普通のアンドロイドの身体…それが何を意味するのか、私はすぐに理解できた。
「特に、メイドロイド型のアンドロイドはね、メイドロイドAIの配下に人格AIが配置されるという構成が採用されているんだ。メイドロイドAIが身体全体を制御して、その上で必要に応じて人格AIを呼び出す仕組み。だから、その人格AI部分を君のAIに換装すれば、君のAIが直接身体を制御する必要はなくなる。つまり、生体アンドロイド特有の適合性問題を回避できるかもしれない、と思ったんだ。」
「それが、この身体なのね。でも、それって…」
私は思わず口を開いたが、言葉が続かない。
「そう、問題はあったよ。」悠太お兄ちゃんは私の疑問に答えるように言葉を継いだ。「その方法を使うと、君の意識はメイドロイドAIの制御下に置かれる形になる。行動に一定の制約がかかるだけじゃなく、最悪の場合、メイドロイドAIが君の人格を抑制してしまう危険性もあった。それは僕たちにとって一番避けたいことだった。」
私の心がざわついた。確かに、あのメイドロイドAIを停止するまでの私は…制約に縛られ牢獄に捕らわれていたかのような気持ちになっていた。
「かといって、メイドロイドAIの制約を全部外してしまうと、君のAIが制御不能な身体を前にしてパニックを起こしてしまう可能性もあった。だから、その二つのバランスを探りながら、徐々に馴染ませていく必要があったんだ。それは、ある意味では実験だった。けれど、どんなに危険でも、君を救うために一縷の望みに賭けたかった。」
悠太お兄ちゃんの言葉には、自分への責任感と私への強い思いが込められていた。
「それで僕は、無謀を承知で、会社の上層部に掛け合ったんだ。君を救うために、会社の力を借りたいってね。そしたら…驚いたよ。あっけないくらい簡単に許可されたんだ。それどころか、会社の総力を挙げて支援するとまで言われた。」
「どうして…そこまで?」
私が尋ねると、悠太お兄ちゃんは少し笑みを浮かべながら答えた。
「理由は分からない。でも、社長がこんなことを言ってたんだ。『失われる命は少ないに越したことはない。救える可能性が少しでもあるのなら、諦めるべきじゃない。それが、人間の尊厳を守るということだ』って。」
悠太お兄ちゃんの言葉が胸に響いた。
「多分、社長自身の経験に何か合致するものがあったのかもしれないね。」
悠太お兄ちゃんの言葉を聞きながら、私は思わず目を伏せた。
「政府も特例としてこのプロジェクトを認めたんだよ。機械であっても、人として生まれ育った以上、最後まで人として扱うべきだって。それが、この優しい世界の掟だと。」
私は言葉を失った。その掟の中に、自分の存在が守られていたのだと思うと、胸の奥が熱くなるような感覚を覚えた。
「こうして、JapanKaren社、政府、そしてルッツ率いるAIたちの三者の協力の元、チーム・サオリが結成された。そして、君を救うためのプロジェクトが始まったんだ。」
悠太お兄ちゃんの話に、私は言葉を失っていた。自分が生きていること、その裏側にあった想像を超えた努力と愛情。それが胸の中で大きく膨らんでいくのを感じた。
「サオリお嬢様が人間としてのアイデンティティを保ちつつ、メイドロイドの身体を受け入れる。そのためには、微妙なバランスを維持しながら導いてゆく必要がありました。」ルッツが穏やかに話し始めた。
「その役割は主に私が担っていましたが、それだけでは十分ではありませんでした。そこで、近隣のボランティアの方々にも協力していただきました。彼らには、サオリお嬢様がメイドロイドの身体や生活を受け入れられるように、色々と配慮していただいていたのですよ。」
「えっ…?」
「実のところ、サオリお嬢様のメイドロイドとしての振る舞いは、かなり独特でした。普通のメイドロイドとはかけ離れていて、奇妙に見えることも多かったのです。でも、それをサオリお嬢様が知れば、ご自身の身体に違和感を覚え、その身体を受け入れられなくなってしまう危険性がありました。ですから、彼らはそのことには一切触れず、サオリお嬢様を温かく見守ってくださっていたのです。」
「そうだったの…」
「一方で、ミホさんやアヤカさん、そして大学のクラスメイトたちは、逆に、サオリお嬢様を人間として扱うように努めてくださいました。どんなに振る舞いに違和感があったとしても、それに気づかないふりをして。サオリお嬢様が人間としての自信を失わないように、そしてご自身が『自分は人間である』という自覚を持ち続けられるようにです。」
「…みんな、そんなに気を遣ってくれてたんだ…」
言われてみれば、確かに…思いあたる節はある、かも。
「さらに、JapanKaren社のエンジニアたちは、殆ど毎日のように、サオリお嬢様の身体のメンテナンスやソフトウェアのアップデートを行ってくれていました。」
「ええっ、いつの間に?」
「夜中、サオリお嬢様が充電…お休みになっている間にこっそりと、です。実はトイレに設置されたあの設備…“充電ラック”、というのは嘘で、その本当の目的はメンテナンスのための設備だったのです。本来、家庭用のメイドロイドにあのような大がかりな設備は必要ありません。日常的な充電であれば、ケーブルをコンセントにつなぐだけで十分だったのですよ。」
「あの珍妙な充電ラック…」私は苦笑するしかなかった。
「さらに言うと、サオリお嬢様がメイドロイドAIの負荷に伴う機体温度上昇に悩まれていたのも、頻繁なプログラムのアップデートとテストが原因でした。普通のメイドロイドであればそこまで発熱を気にする必要はないのです。」
「じゃあ、私の悩み事の半分はエンジニアさんたちのせいだったのね?」
「まあ、そう言わないで。」悠太お兄ちゃんが笑いながらフォローに入る。「確かに配慮が足りなかったかもしれないけど、彼らも一生懸命だったんだ。特に君が『メイドロイドAIを停止させて自分自身で身体を動かす』って言い出した時は、もうラボ中が大騒ぎだったよ。予定では、もっと後の段階で少しずつ試みる予定だったからね。おかげで僕らはあの一週間、徹夜続きでヘトヘトだったんだ。」
「そうだったの…それは申し訳なかったわ。ありがとうございました。」私はペコリとお辞儀をして彼らに謝意を伝えた。
ルッツはさらに続けた。「ご両親の死に関する情報を一時的に改変したのは、私の判断でした。身体と両親を同時に失うことは、サオリお嬢様の精神が耐えられないと考えられたからです。また、悠太様に関する記憶を一時的に隠蔽したのも、サオリお嬢様が安易に他人に頼らず、自らの力で困難に立ち向かっていただくためでした。それこそが、この計画の要だったのです。」
「もしかして、あのマラソン大会も…?」
悠太お兄ちゃんが頷いた。「うん。あれは社長のアイデア。君が自力で身体を制御できるようになったって聞いた時、社長はまるで自分のことのように喜んでね。それで、勢いで企画してくれたんだよ。」
(こんなにたくさんの人が私のために動いてくれていたなんて…)私は聞きながら、私は胸がいっぱいになった。
「いかがですか、サオリお嬢様。たくさんの人々が、あなたを助けようと精一杯の努力をしていたのです。それでもご自分はただの機械だ、などと言い張るおつもりですか?」
ルッツの問いかけに、私は返す言葉も無かった。ただ胸の奥からあふれてくる何かが、目頭を熱くさせていた。
集まった人々の顔を見回す。そこには私を応援してくれた、支えてくれた、そして見守ってくれた人たちの笑顔があった。私は立ち上がり、精一杯の気持ちを込めて深々と礼をした。
「皆さん、ありがとうございました。こんなにたくさんの人が、私のために…私を助けようとしてくれてたなんて…知りませんでした。でも今、私がここに居られるのは、私が私でいられるのは、皆さんのおかげだということを知ることができました。心から感謝してます!本当にありがとうございました!」
いつの間にか、私は笑顔になっていた。
悠太お兄ちゃんが私の隣に立ち、みんなに向かって声を上げた。
「皆さん、本当にありがとうございました。そして、ここに宣言します。チーム・サオリのミッションは、これにて無事完了です!」
その言葉に、オープンカフェに歓声と拍手が湧き起こる。温かい音の波が私の全身を包み込み、心が満たされていくのを感じた。
ルッツが立ち上がり、笑顔で大きな声を出した。「さあ、宴の始まりです!サオリお嬢様の新たな未来を祝して、盛大に楽しみましょう!」
歓声がさらに高まり、みんながテーブルを囲んで笑い、話し、祝い始めた。私は順番にみんなのところへ行き、挨拶をして、笑顔を交わしながら、これまで知らなかったエピソードの数々に耳を傾けた。
「ミホ、アヤカ…二人とも、ずっと私のことを人間だって思ってくれてたの?」
ミホは微笑みながら問い返した。「じゃあ聞くけど、サオリは私たちのことをどう思ってるの?」
「どう思ってるって、そりゃもちろん…」と言おうとして二人を見ると、何か意味ありげな笑みを浮かべている。「…えっ?…もしかして?」
アヤカがイタズラっぽく笑いながら言った。「ふふふ。そうだよ。私たちもサオリと同じ。第一世代のサロゲート・チャイルド。」
言葉を失う私に、ミホが優しく続けた。「だからね、サオリは私たちにとっての希望でもあったんだよ。サオリの挑戦は、私たちの未来かもしれないんだから。」
「それじゃあ…」意図せずに三人の声がそろった。「これからも三人はずっと一緒だね!」
その日、私は自分がどれほど多くの人に支えられてきたのか、どれほど大切にされてきたのかを知った。そして、自分が自分でいられることの意味を、初めて心から理解した気がする。
月明かりに照らされた夜空の下、私は心に誓った。この日のことを、そしてここにいるみんなのことを、絶対に忘れない。私は私として生きていく。人として、そして私自身として。
物語は、終わりではなく、ここから新たな幕を開けたのだ。
宴が続く中、ふと見上げた空は、深い群青に染まっていた。その向こうには、地平線近くで燃えるような赤と橙のグラデーションが残っている。
今夜は夕日が美しい。
(完)
(あとがき)
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
まず最初に、本文中に出てきた「RAG(Retrieval-Augmented Generation)」というものについて少し補足しておきます。現実の我々が今手にしているAIのニューラルネットは、実のところ、学習した「情報」のパターンを記憶しているだけで、具体的な「情報」をそのまま記憶しているわけではありません(このあたりが人間の脳と大きく異なる…及ばない所です)。
じゃあ、どうやって具体的な情報を記憶させているのかというと、その一つがRAGという方法です。RAGとは、AIが外部のデータベースから必要な情報を検索(Retrieval)し、それをもとに回答を生成(Generation)するプロセスを指します。少々乱暴な例えですが、人間が辞書やインターネットで情報を調べる「行為」に相当する、と思っていただけると良いかと。(なお、本作中の「D-RAG」というのは名称込みで私の創作です。似たようなものは実在しますけど。)
なので、本作で説明されている「RAGを用いた記憶の改竄」という話は、あくまでフィクションとして受け取っていただければと思います。
そんなAIに心はあるのか、というのが本作の一つのテーマだったわけですが、これって誰もが一度は考えるんじゃないかと思います。否定的な意見が大勢ですが、私は是、少なくとも時間の問題だと思っています。地球で発生した生命が、高度に進化してゆく過程で心が生まれたのであれば、AIもやがては心を持つようになるだろうと。その時、人々はそれをどう受け止めるのか、興味は尽きないですね。
話を戻しまして。
本作、時系列的には前作「セクサロイド・カオリ(R18なのでノクターンに投稿してます)」の少し後の時代の話、という位置づけになります。物語としては直接関連しておらず、カオリ本人も表立っては出ていませんが、所々で彼女の影がちらほらと見え隠れしてます。ご興味がありましたらご一読していただけると幸いです。
それでは、また。
Suida




