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第2章-22話「波紋、内なる水面」

 

 燐がゲルトナーによる最初の尋問を終え、重い足取りで軟禁部屋へと戻った頃、彼とロリに関する報告は、既に砦の司令官の手を経て、連合の本国中枢へと送られていた。


 最高機密扱いで暗号化された魔力通信は、国境の辺境から、連合の政治と軍事の中心地、例えば海洋王国アクアリアの首都や、評議会が置かれる中央都市などへと瞬時に届けられ、その内容は関係各所のトップに驚きと混乱、そして激しい議論の波紋を広げることとなった。


 連合最高司令部の地下深く、盗聴防止の高度な魔術結界で守られた一室。


 円卓を囲むのは、連合軍の最高幹部たち、情報部のトップ、そして評議会から派遣された有力な政治家たちだ。彼らの手元にある魔術的な情報端末には、グリフォンズ・ネスト砦から送られてきたばかりの報告書が表示されている。


「――帝国特殊部隊『時雨』の生き残り、リン・アッシュ。及び、所属不明の幼女、『対象X』。帝国本隊、聖罰騎士団含む、による執拗な追跡。交戦時、幼女は『固有魔法』らしき未知の力を発現、帝国軍を一時的に無力化。リン・アッシュは帝国に関する重要情報を保持していると主張……」


 情報部長官が報告書の要点を読み上げると、室内に重苦しい沈黙が落ちた。最初に口火を切ったのは、軍服に身を包んだ、鷲のような鋭い目つきの老将軍、軍強硬派の重鎮だった。


「固有魔法だと? 馬鹿な、伝説上の存在ではなかったのか! だが、もしこれが真実ならば…!」


 彼の声には、抑えきれない興奮が滲んでいた。


「帝国に対抗しうる、いや、凌駕しうる切り札になるかもしれん! 早急に専門家を派遣し、あの幼女の力を徹底的に解析すべきだ! そして、制御可能ならば…我が連合の最終兵器として!」


「お待ちください、将軍」


 即座に異を唱えたのは、荘厳な法衣を身に纏った、アステリア聖教の一派「刻の守り手」の代表である高位神官だった。その顔には、深い憂慮と宗教的な嫌悪感が浮かんでいる。


「聖典に記されざる異質な力……それは、神が与え給うた秩序を乱すもの。古代の伝承によれば、そのような制御不能な力こそが、世界に『大崩壊』をもたらしたとされておりますぞ! まさに災厄の元凶! 断じて許容できるものではありません!」


「しかし神官殿、現状、帝国とのパワーバランスは決して楽観できるものではない」


 今度は、現実主義者で知られる改革派の有力政治家が口を挟む。


「もし帝国が先にこの力を手に入れれば、どうなる? 我々は今度こそ滅ぼされるかもしれんのだぞ。危険は承知の上で、この力を解析し、制御下に置く努力をすべきではないかね? 元『時雨』の男が持つという情報も、使い方次第では大きな武器になる」


「力を求めるあまり、道を踏み外すというのか! 帝国と同じ轍を踏むおつもりか!」


 保守派の貴族議員が反論する。


「『禁忌』に触れることは、我々自身の破滅を招くことになりかねん! あの幼女は、厳重に隔離、あるいは……『浄化』すべきだ!」


 会議は紛糾した。


 ロリの力を「希望の切り札」と見る改革派。


 ロリの存在を「災厄の元凶」と断じる保守派。


 そして、その間で情報不足を理由に慎重論を唱える穏健派。


 それぞれの立場、利害、そして信念が激しくぶつかり合い、結論は容易には出そうになかった。


 結局、この日の会議では、「さらなる詳細な調査のため、各派閥の代表を含む特別調査団を砦へ派遣すること」「対象二名の厳重な監視と最高レベルの情報統制を継続すること」といった、玉虫色の決定が下されるに留まった。


 しかし、水面下では、各派閥が独自の思惑で動き出すのは明らかだった。改革派は能力解析と利用計画を、保守派は排除あるいは無力化計画を、それぞれ秘密裏に進め始めるだろう。


 燐とロリは、知らぬ間に、連合中枢の巨大な権力闘争の渦の中心へと引きずり込まれていたのだ。


 *   *   *


 一方、グリフォンズ・ネスト砦の内部でも、燐とロリに関する噂は、燎原の火のように急速に広まっていた。


 バルカス隊の兵士たちが持ち帰った断片的な情報、医務室スタッフの困惑した様子、そしてゲルトナーのような本国の専門官がわざわざ派遣されてきたという事実。それらが組み合わさり、兵士たちの間で様々な憶測を呼んでいた。


「おい、聞いたか? あの帝国兵、やっぱり『時雨』の生き残りらしいぞ」


 食堂で、兵士たちが声を潜めて囁き合う。


「マジかよ……! どうりで強いわけだ。斥候三人を一人で……」


「だが、なんで連合に? 亡命か? それともスパイか?」


「それより、あの幼女だよ。とんでもない力を持ってるって話だぜ」


 別のテーブルでは、そんな噂が交わされていた。


「バルカス隊の奴らが言ってた。光を放って、帝国兵を動けなくしたって……」


「触れるだけで傷が治る、なんて話も聞いたぞ。もしかして、聖女様か何かなのか?」


「馬鹿言え、帝国の奴らは『禁忌』って呼んでたんだろ? きっと悪魔の子か何かだ。関わらない方がいい」


 噂は噂を呼び、尾ひれがついていく。


 燐は「裏切り者のエース」、ロリは「聖女」あるいは「悪魔の子」。


 真実は誰にも分からない。だからこそ、人々の想像力は掻き立てられ、それは時に根拠のない期待となり、あるいは理由のない恐怖へと変わっていった。


 砦内を移動する燐とロリに向けられる視線は、日増しに複雑な色合いを帯びていった。


 あからさまな敵意を向けてくる兵士。


 遠巻きに、好奇と恐怖が入り混じった視線を送る者。


 あるいは、ロリの無垢な姿に同情し、僅かな優しさを見せる者。


 砦全体の空気が、目に見えない疑心暗鬼と、不確かな情報によるざわめきで満たされていく。それは、嵐の前の不気味な静けさにも似ていた。


 *   *   *


 軟禁部屋の窓から、燐はそのような砦の空気の変化を敏感に感じ取っていた。


 部屋の前を通る兵士たちの囁き声。監視役の兵士たちの、以前にも増して硬くなった表情。そして、時折感じる、悪意のこもった視線。


(…状況は、悪くなる一方か)


 尋問で情報を小出しにしたところで、彼らの疑念が晴れるわけではない。むしろ、隠していることの重大さを確信させただけかもしれない。


 そして、ロリの力。あの力こそが、全ての元凶であり、同時に、彼女を守るための唯一の鍵でもあるのかもしれない。だが、今の彼女には、そして自分には、その力を制御する術がない。


「リン……?」


 燐が窓の外を見つめて考え込んでいると、ベッドに座って絵本を眺めていたロリが、不安げな顔で声をかけてきた。


 彼女もまた、自分たちに向けられる周囲の視線の変化に、子供ながらに気づいているのだろう。


「なんだ?」


 燐は振り返り、できるだけ穏やかな表情を作った。


「…みんな、なんだか怖い顔をしています。私のせい、ですか……?」


 ロリは俯き、小さな声で尋ねた。その声は震えている。燐はロリのそばへ行き、彼女の隣に腰を下ろした。

 そして、その小さな肩をそっと抱いた。


「お前のせいじゃない」


 彼は力強く言った。


「何も知らないお前が、悪いわけがない。悪いのは……この世界の歪みだ。そして、それに気づかない、あるいは利用しようとする奴らだ」


「世界の……歪み……?」


「ああ。だが、心配するな」


 燐は、ロリの顔を覗き込み、真っ直ぐにその瞳を見つめた。


「俺がいる。何があっても、そばを離れないからな」


 それが、今の彼にできる唯一の、そして絶対的な誓いだった。


 ロリは、燐の言葉とその瞳の力強さに、少しだけ安心したように、こくりと頷いた。そして、小さな身体を燐に預けるように、寄り添ってきた。


 窓の外では、陽が傾き始め、砦の壁に長い影が落ちていた。水面下で動き出した様々な勢力の思惑。次なる危機が、いつ、どのような形で訪れるのか。それを予感させる不穏な空気が、砦全体を、そして燐とロリのいる小さな部屋を、重く満たしていた。

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