第2章-22話「異端の力、探求の目」
グリフォンズ・ネスト砦での軟禁生活が始まってから、一週間ほどが過ぎた頃。
燐の身体には、僅かな、しかし確かな変化が訪れていた。
きっかけは、数日前の夜のことだった。
なかなか寝付けずにいたロリが、暗闇の中で小さな声で「リン……一人で寝るのが、少し怖いです……」と涙目で訴えてきたのだ。永い孤独な眠りから覚めたばかりの彼女にとって、夜の闇と静寂は、未だに拭い去れない恐怖の対象なのかもしれない。
燐は一瞬ためらった。監視下の状況で、余計な行動は慎むべきだ。しかし、震える小さな肩と、助けを求めるようにこちらを見上げる潤んだ瞳を前にして、彼は拒否することなどできなかった。
結局、彼は自分のベッドをロリのベッドのすぐ隣に移動させ、手を繋いだまま眠りについたのだ。監視役の兵士にどう思われたかは分からないが、少なくともその夜、ロリは安心して穏やかな寝息を立てていた。
そして、その翌朝。
燐は、目覚めと共に、自身の身体の内側で、これまで感じたことのない微かな感覚を覚えた。
それは、枯れ果てていたはずの魔力の泉の底から、ほんの一滴、また一滴と、新しい水が滲み出してくるような、そんな感覚だった。
魔力が回復している。それも、これまでの停滞が嘘のように、僅かではあるが、確かな速度で。
(まさか、昨夜、ロリと手を繋いでいたから……? 彼女の力が、俺の魔力回復を促しているのか?)
驚きと、にわかには信じがたい思い。
ロリの力は、治癒や精神安定だけでなく、他者の魔力循環にまで影響を及ぼすというのか。
あるいは、砦で受けた治療が、時間を置いてようやく効果を発揮し始めただけなのかもしれない。
理由は定かではなかったが、僅かでも力が戻り始めたことは、この絶望的な状況において、一条の光であることに違いなかった。彼はこの変化を誰にも悟られぬよう、内心の動揺を抑え、慎重にその経過を観察し始めた。
* * *
そんな変化の兆しが見え始めた矢先、砦に新たな訪問者が訪れた。
その日、燐とロリが部屋でいつものように文字の勉強をしていると、バルカス軍曹に伴われて、二人の男女が部屋に入ってきたのだ。
一人は、白衣をラフに着崩した、白髪と長い顎髭が特徴的な老人。その瞳は老いてなお爛々と輝き、部屋に入るなり燐とロリの姿を捉えた瞬間、その輝きが一層増したように見えた。
「おお! この気配……!間違いない!実に興味深いぞ、バルカス君!」
老人は、まるで長年探し求めていた稀覯書でも見つけたかのように興奮し、子供のようにはしゃいでいる。
もう一人は、対照的に、若く理知的な雰囲気を持つ女性だった。連合軍の技術士官の制服をきっちりと着こなし、銀縁の眼鏡の奥からは、冷静で観察的な視線を燐たちに向けている。彼女は老人の隣で、やれやれといった表情で溜息をついた。
「教授、落ち着いてください。まずはご挨拶からでしょう」
「紹介しよう」
バルカスは、どこか面倒くさそうな顔で言った。
「こちらが、本国から派遣された能力調査チームの責任者、エルド・マイスナー教授。そして、補佐のリディア・ベルゲン技術士官だ」
エルド教授は、リディアに促されて咳払いを一つすると、改めて燐たちに向き直った。
「ふぉっふぉっふぉ、エルドじゃよ。古代の魔術やら魔法やら、胡散臭いものばかり研究しておる変人じゃ。よろしく頼むぞ、リン君」
彼は人懐っこい笑顔を見せたが、その瞳の奥は、燐の存在そのものを解剖するかのように鋭く光っている。そして、彼の視線はすぐに、燐の後ろに隠れるように立つロリへと移った。
その瞬間、エルド教授の表情から笑みが消え、驚愕と、信じられないものを見るかのような困惑、そして何よりも強い知的な興奮の色が浮かんだ。
彼はロリの姿、輝く銀髪、深い青藍の瞳、透き通るような白い肌を食い入るように見つめ、そして微かに震える声で呟いた。
(まさか……この容姿……このマナの質……古文書にあった記述と……? いや、そんなはずは……『始祖』……『リリエル』の……? 伝説は伝説のはずじゃが……!)
彼の内心の動揺は、燐にも伝わるほどだった。ロリは、その老人の異様な視線に怯え、さらに燐の後ろへと隠れてしまう。
「こほん。……えーっと、失礼」
エルド教授は我に返り、再び笑顔を作った。
「そちらの可愛らしいお嬢さん……ロリ殿、とお呼びしてよいかな? 我々は君たちの『力』について、調査するために来たのじゃよ」
「調査……ですか?」
ロリが不安げに燐を見上げる。
「もちろん、強制ではないが……」
エルド教授は続けた。
「協力してくれれば、君たちの処遇改善にも繋がるかもしれんぞ? それに、君たち自身も、自分たちの力の謎を知りたいのではないかね?」
その言葉は、燐の心を的確に突いていた。
燐はしばらく考えた。リスクは大きい。だが、エルド教授ならば、自分たちの能力の秘密を解き明かす手がかりを与えてくれるかもしれない。そして、それはロリを守るためにも繋がるはずだ。
「……分かった。協力しよう」
燐は答えた。
「だが、条件がある。調査は俺たちの安全が確保された場所で行うこと。そして、この子、ロリに過度な負担をかけるようなことは絶対にしないでほしい」
「うむ、当然じゃな! 好奇心が先走って対象者を壊してしまっては元も子もないからのう!」
エルド教授は快活に頷いた。
「では、早速始めさせてもらおうか! リディア君、準備は良いかね?」
「いつでも」
リディアは冷静に頷き、携帯していた魔術的な測定機器を取り出した。
* * *
調査は、砦内に急遽設けられた研究施設の一室で行われた。
壁には様々な測定機器や解析装置が設置され、中央には診察台のようなものと、複雑な紋様が描かれた床がある。
まずは燐へのテストから始まった。
最新式と思われる魔力測定器、生体スキャナー、そして脳波測定用の魔術装置などが、リディアの正確な手つきで燐の身体に取り付けられていく。エルド教授は、様々な角度から質問を投げかけ、あるいは簡単な魔術の発動を指示した。防御障壁、魔力放出、そして燐が得意とする封印術式。
「ふむ……魔力は低い。だが回復傾向にある。興味深い曲線じゃ」
「魔導結晶との同期率が低すぎる。まるで身体が外部装置との接続を拒んでいるようじゃ」
エルド教授は、次々とデータを確認しながら、まるで誕生日プレゼントの包装を剥がす子供のように目を輝かせていった。そして、封印術式の脳波データを見た瞬間、椅子から跳ね上がった。
「見ろ、リディア君! 脳の未知の領域が丸ごと発火しておる! 通常の魔術行使とは全く違う!」
リディアが眉を上げた。「落ち着いてください、教授。椅子が倒れました」
だが教授は椅子など気にも留めなかった。
「つまりじゃ、リン君! 普通の魔術師は魔導結晶という道具を使って術式を計算する。しかし君は、それを頭の中だけでやっておる。楽器なしで交響曲を奏でるようなものじゃ。古代の文献にのみ記録が残る力。『思考魔法』じゃ!」
リディアは、そのデータを冷静に分析しながらも、驚きを隠せない様子で呟いた。
「……データ上は、教授の仮説を裏付けています。非科学的です……でも、これは……」
燐自身も、示されるデータとエルド教授の言葉に、大きな衝撃を受けていた。自分の能力が、近代魔術とは根本的に異なる、古代に失われたはずの力……? まだ確信はない。だが、これまで感じていた違和感の正体が、少しだけ見えた気がした。
* * *
調査は次にロリへと移った。
彼女は、燐がすぐそばで見守ることで少し落ち着きを取り戻していたが、それでも見慣れない機器やエルド教授の探るような視線に、不安げな表情を浮かべていた。調査は、細心の注意を払って行われた。
しかし、結果はやはり異常としか言いようがなかった。
魔力測定器は、彼女の身体に触れると計測不能となり、逆にエネルギーを吸収されてしまう。生体スキャナーも解析不能な独自の生体パターンを示すばかり。まるで、彼女の存在そのものが、近代科学と魔術理論の限界を超えているかのようだった。
「ふむ……やはり、通常の測定方法ではこの娘さんの本質は捉えられんか」
リディアは冷静に判断し、自身が開発したという特殊なマナスキャナーを取り出した。それは、周囲のマナの流れや性質を、色や光のパターンとして視覚化する装置だという。
リディアが装置を起動させると、ロリの周囲の空間に、淡く、しかし複雑で美しい光のオーラのようなものが現れた。そして、驚くべきことに、そのオーラの色や動きが、ロリの感情の揺れ動きに呼応して、繊細に変化する様子が観測されたのだ。
燐が優しく声をかけると、オーラは温かい金色に輝き、穏やかに波打つ。
尋問官の話や、外の兵士たちの敵意を思い出したのか、彼女が不安げな表情をすると、オーラは淀んだ灰色に変わり、収縮するように動きを鈍らせる。
そして、燐が保守派による危険性を話した時、リディアが意図的に誘導した結果だが、彼女が強い拒絶感を示すと、オーラは鋭い青白い光を放ち、周囲のマナを弾き返すような、明確な防御的な波動を示した。
「……すごい……」
リディアは、その神秘的で美しい光景に息を呑んだ。
「まるで、マナと感情が、魂そのものが直結しているみたい……。彼女自身の生命力が、そのまま力になっている……? これが、『固有魔法』……?」
エルド教授は、その観測データを見て、もはや興奮を抑えきれない様子で、しかし今度は確信に近い響きを込めて呟いた。
(やはり……間違いないかもしれん……古文書にあった『始祖』の特徴……リリエルの……!)
彼はゴクリと唾を飲み込み、そして、今度は研究者としての冷静さを取り戻そうと努めながら、燐に向かって言った。
「これぞ! 神話の時代の力の片鱗じゃ! 近代魔術とはまるで別の……もっと根源的な、世界そのものと繋がっているかのような力! この娘さん……ロリ殿は、極めて重要な存在である可能性が高い!」
その言葉の重みに、部屋の空気が張り詰める。
しかし、エルド教授はすぐに表情を引き締め、厳しい視線で燐に警告した。
「だがリン君、忘れてはならん。君の『思考魔法』も、ロリ殿のこの力も、近代の秩序とは全く相容れない、異質すぎる力だ。特に保守派の連中は、これを『穢れ』『災厄』として、存在自体を認めず、全力で潰しにかかるだろう。君たちは、とてつもなく危険な宝を、その身に抱えているのだよ。決して、油断してはならん」
燐の口の中が乾いた。
異端。災厄。全力で潰しにかかる。
教授の言葉の一つ一つが、石のように胃の底に沈んでいく。真実を知りたい。だが、知れば知るほど、足元の地面が崩れていく感覚がある。
調査は一旦終了となったが、研究者チームは今後も定期的に調査を続けることを告げ、機材と共に引き上げていった。
部屋に残された燐は、隣で疲れた様子のロリの小さな頭を、そっと撫でた。ロリは目を閉じ、燐の手に頬を預けるようにして眠り始めた。
その時、廊下の向こうから、エルド教授の声が漏れてきた。
「――こんな数値は見たことがない。理論上、あり得んのだ。マナの自己増殖だぞ? 既存のどの法則にも……」
「教授、声が大きいです。ここでは――」
リディアの制止で、声は途切れた。足音が遠ざかっていく。
燐は壁に背を預けた。
あの老学者の声に混じっていたのは、知的興奮ではなかった。紛れもない恐怖だった。
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