第1章-14話「騎士の意地、少女の涙」
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燐の封印術式による妨害と、バルカス隊の統制された集団魔術。
予期せぬ連携は、確かにヴァルド隊の計算を狂わせ、帝国軍の陣形に僅かな乱れを生じさせた。
地に伏す帝国兵が数名。負傷し後退する者もいる。
バルカス隊の兵士たちから、ほんの僅かこの状況に対する希望の色が漏れだす。
反撃の光明が見えたかのように思えた瞬間だった。
「――雑魚どもが、群れたところで!」
後方で戦況を見つめていたヴァルドが、雷鳴のような怒声を発した。
その声には、彼のプライドを傷つけられたことへの明確な苛立ちと、裏切り者と異端、そしてそれに与する連合軍への、底知れぬ憎悪が込められていた。
彼はもはや、後方で指揮を執ることに満足できなかった。
ヴァルドは傍らにいた副官らしき兵士に短く指示を出すと、自ら長剣を抜き放ち、一直線に燐へと向かって突撃を開始した。
その動きは、先ほど燐と対峙した時よりもさらに速く、鋭く、そして殺意に満ちている。
目標は明確だった。連携の起点となっている燐、そしてその背後にいる、全ての元凶たる『禁忌』。
この二人さえ排除すれば、残りの連合兵など取るに足らない、と。
「まずい! 隊長が!」
「止めろ! 総員、援護!」
ヴァルドの突出に気づいたバルカス隊の兵士たちが、慌てて魔術弾や魔力銃で牽制射撃を行う。
だが、ヴァルドはそれらを意にも介さない。
迫る魔術弾を最小限の動きで回避し、あるいは魔力剣で弾き飛ばし、その速度を一切緩めることなく突き進んでくる。
その瞳は、ただ一点、燐だけを捉えていた。
「時雨! 来るぞ!」
仲間の兵士の一人が叫んだ。
燐もまた、ヴァルドの尋常ならざる気配と速度に気づき、迎撃しようと刀を構え直した。
だが、これまでの戦闘による消耗は、彼の身体を蝕んでいた。
魔力は枯渇し、体力も限界に近い。反応が、僅かに遅れる。
ヴァルドはその隙を見逃さなかった。
彼は燐との距離を一気に詰めると、帝国騎士団の奥義の一つであろう、高速の連続突きを繰り出した。
魔力を纏った剣先が、残像を伴いながら燐の急所へと殺到する。
燐は必死で刀を振るい、その突きを捌こうとする。
金属音が連続して響き、火花が散る。
数合は受け止め、あるいは逸らすことができた。
だが、その攻撃は止まらない。
そして、ヴァルドは突きの一撃をフェイントとし、がら空きになった燐の胴体目掛けて、強力な横薙ぎの一閃を放った。
それは、燐の背後にいるロリごと両断しようとするかのような、非情な一撃だった。
「―――っ!!」
燐の脳裏に、ロリの怯えた顔が浮かんだ。
考えるよりも早く、身体が動いていた。
彼は、迫りくるヴァルドの魔力剣の前に、自らの身体を投げ出すようにして、ロリを庇ったのだ。
ザシュッ!!!
肉を断ち、骨を砕く、鈍く、生々しい音。
ヴァルドの魔力剣が、燐の左肩から脇腹にかけて、深く、斜めに切り裂いた。
鎧のように硬化させていた戦闘服の一部が破れ、夥しい量の鮮血が噴き出す。
「ぐっ……ぁ……っ!」
燐の口から、詰まったような呻き声が漏れる。
視界が真っ赤に染まり、立っていることすらできないほどの激痛と衝撃が全身を襲う。
彼の身体は、糸が切れた人形のように、膝から崩れ落ちた。
「リン!!!!!」
その瞬間、背後で息を潜めていたロリの、魂を振り絞るような絶叫が、森全体に響き渡った。
それは、ただの悲鳴ではなかった。
大切な存在が目の前で傷つけられたことへの激しい怒り。
失うことへの絶対的な恐怖。
そして、彼を守りたいという、心の底からの強い、強い祈り。
それら全ての感情が爆発し、彼女の中に眠っていた計り知れない力が、再び解き放たれたのだ。
ロリの小さな身体から、再び青白い光の波動が迸った。
それは、先ほどよりも遥かに強く、そしてどこか悲しみを帯びた、優しくも抗いがたい光。
光は瞬く間に戦場全体を包み込み、森の木々を淡く照らし出した。
光の波動に触れた瞬間、帝国兵も、連合兵も、全ての者が動きを止めた。
ヴァルドも例外ではない。燐に止めを刺そうと振りかぶっていた剣が、空中でぴたりと静止する。
彼らの身体は再び金縛りにあったように動かせなくなり、それ以上に、彼らの心を満たしていた殺意や敵意、興奮といった激しい感情が、まるで潮が引くように急速に薄れていくのを感じていた。
思考が鈍り、ただ目の前で起こっている神秘的な現象に、為す術もなく立ち尽くす。
武器を握る力が抜け、魔導結晶は異常な反応を示して沈黙する。
同時に、その光は、地に伏した燐の身体にも降り注いだ。
激しい痛みが、まるで温かい水に溶けていくかのように、すっと和らいでいく。
傷口から溢れ出ていた血の流れが、僅かに緩やかになったような気さえした。
それは完全な治癒ではない。だが、死の淵にいた燐の意識を、辛うじて繋ぎとめるには十分な、優しく、力強い生命力の奔流だった。
「なっ…なんだ、これは…!?」
「身体が…動かん…!」
「この光…暖かい…?」
動けない兵士たちの間から、驚愕と混乱の声が上がる。
バルカスもまた、その人間離れした現象に言葉を失い、背筋に冷たいものが走るのを感じていた。
(なんだ…この力は…!? 魔術ではない…断じて! あの幼女…一体何者なのだ…!? 神か、悪魔か…!?)
畏怖。
彼の脳裏に浮かんだのは、その一言だった。
しかし、その奇跡のような力の代償は、やはり大きかった。
光の波動が収まると同時に、ロリは力の全てを使い果たしたかのように、ふらりとその場に倒れ込みそうになった。
その顔色は、まるで雪のように真っ白だった。
「ロ…リ……」
薄れゆく意識の中、燐はその光景を捉えた。
最後の力を振り絞り、彼は倒れそうになる小さな身体に向かって、手を伸ばそうとした。
戦場には、奇妙な静寂と、理解を超えた現象に対する混乱だけが満ちていた。
憎悪と警戒に満ちた目でロリを睨みつけるヴァルド。
未だ動けず、呆然と立ち尽くす兵士たち。
そして、傷つき倒れた燐と、力を使い果たしたロリ。
勝敗も、敵も味方も、もはや意味をなさないかのような、異様な空間。
次の一瞬が、どのような結末をもたらすのか、誰にも予測できなかった。




