第1章-13話「騎士の意地、少女の涙」
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燐の封印術式とバルカス隊の集団魔術。その連携が、帝国軍の陣形に乱れを生んでいた。
地に伏す帝国兵が数名。後退する者もいる。
バルカス隊の兵士たちの表情に、僅かな希望が灯った。
しかし、それは一瞬だった。
「――雑魚どもが、群れたところで!」
後方で戦況を見つめていたヴァルドが、雷鳴のような怒声を発した。
その声には、彼のプライドを傷つけられたことへの明確な苛立ちと、裏切り者と異端、そしてそれに与する連合軍への、底知れぬ憎悪が込められていた。
彼はもはや、後方で指揮を執ることに満足できなかった。
ヴァルドは傍らにいた副官らしき兵士に短く指示を出すと、自ら長剣を抜き放ち、一直線に燐へと向かって突撃を開始した。
その動きは、先ほど燐と対峙した時よりもさらに速く、鋭く、そして殺意に満ちている。
目標は明確だった。連携の起点となっている燐、そしてその背後にいる、全ての元凶たる『禁忌』。
この二人さえ排除すれば、残りの連合兵など取るに足らない、と。
「まずい! 隊長が!」
「止めろ! 総員、援護!」
ヴァルドの突出に気づいたバルカス隊の兵士たちが、慌てて魔術弾や魔力銃で牽制射撃を行う。
だが、ヴァルドはそれらを意にも介さない。
迫る魔術弾を最小限の動きで回避し、あるいは魔力剣で弾き飛ばし、その速度を一切緩めることなく突き進んでくる。
その瞳は、ただ一点、燐だけを捉えていた。
「時雨! 来るぞ!」
仲間の兵士の一人が叫んだ。
燐もまた、ヴァルドの尋常ならざる気配と速度に気づき、迎撃しようと刀を構え直した。
だが、これまでの戦闘による消耗は、彼の身体を蝕んでいた。
魔力は枯渇し、体力も限界に近い。反応が、僅かに遅れる。
ヴァルドはその隙を見逃さなかった。
彼は燐との距離を一気に詰めると、帝国騎士団の奥義の一つであろう、高速の連続突きを繰り出した。
魔力を纏った剣先が、残像を伴いながら燐の急所へと殺到する。
燐は必死で刀を振るい、その突きを捌こうとする。
金属音が連続して響き、火花が散る。
数合は受け止め、あるいは逸らすことができた。
だが、その攻撃は止まらない。
そして、ヴァルドは突きの一撃をフェイントとし、がら空きになった燐の胴体目掛けて、強力な横薙ぎの一閃を放った。
それは、燐の背後にいるロリごと両断しようとするかのような、非情な一撃だった。
「―――っ!!」
燐の脳裏に、ロリの怯えた顔が浮かんだ。
考えるよりも早く、身体が動いていた。
彼は、迫りくるヴァルドの魔力剣の前に、自らの身体を投げ出すようにして、ロリを庇ったのだ。
ザシュッ!!!
肉を断ち、骨を砕く、鈍く、生々しい音。
ヴァルドの魔力剣が、燐の左肩から脇腹にかけて、深く、斜めに切り裂いた。
鎧のように硬化させていた戦闘服の一部が破れ、夥しい量の鮮血が噴き出す。
「ぐっ……ぁ……っ!」
燐の口から、詰まったような呻き声が漏れる。
視界が真っ赤に染まり、立っていることすらできないほどの激痛と衝撃が全身を襲う。
膝が折れた。地面に崩れ落ちる感覚が、ひどく緩慢に感じられた。
「リン!!!!!」
その瞬間、背後で息を潜めていたロリの、魂を振り絞るような絶叫が、森全体に響き渡った。
それは、ただの悲鳴ではなかった。
大切な存在が目の前で傷つけられたことへの激しい怒り。
失うことへの絶対的な恐怖。
そして、彼を守りたいという、心の底からの強い、強い祈り。
それら全ての感情が――しかし前回とは決定的に異なる一つの衝動が――彼女の中に眠る力の形を変えた。
あの時は、「来ないで」だった。迫りくる刃を拒むための、本能的な叫び。
だが今、少女の心を支配しているのは、全く別の祈りだった。
(リンが、死んじゃう)
涙で歪んだ視界に、倒れた燐の背中が映る。戦闘服を裂いて広がる、赤黒い染み。
(いや。いやだ。死なないで。お願い――治って)
――治したい。
壊すのではなく。止めるのではなく。この人の傷を、塞ぎたい。
少女の小さな手が、無意識に伸ばされた。
倒れ伏す燐の背に、震える指先が触れる。
その瞬間、ロリの身体から光が溢れ出した。
だがそれは、前回のような波動ではなかった。
戦場を覆い尽くすほどの奔流ではなく、少女の指先から燐の傷口へと流れ込むように注がれる、淡く金色がかった柔らかな光。まるで温かい水が、傷の奥深くへと染み渡っていくように。
光は燐の裂かれた肩口から脇腹にかけての傷を覆い、そこに集中した。
燐は、意識の底で何かが変わるのを感じた。
焼けつくような激痛が、唐突に引いていく。
痛みが消えたのではない。傷そのものが――塞がろうとしている。
裂けた肉が、ゆっくりと、しかし確かに寄り合わされていく感覚。溢れ出ていた鮮血が止まり、断ち切られた筋繊維が繋がり直すような、生暖かい疼き。
それは魔術による治療とは根本的に異なっていた。魔術治療は患部に外からマナを与え、肉体の自然修復を促進する技術だ。だがこの光は、もっと直接的で、もっと原始的な力――生命そのものを、強制的に巻き戻しているかのような。
完全な治癒には至らない。だが、致命傷だったはずの深い斬撃痕は、数十秒のうちに、辛うじて出血が止まる程度にまで塞がっていた。
最初に異変に気づいたのは、ヴァルドだった。
止めを刺そうと踏み込んだ彼の目が、信じがたいものを捉えて凍りつく。
「……傷が、塞がっている、だと?」
ヴァルドの声は、低く、掠れていた。
自分が全力で刻んだ斬撃痕。骨まで達した一撃。それが今、目の前で消えていく。あの幼女の手が触れた箇所から、淡い光に包まれて。
それは、「敵を止める力」とは全く別種の恐怖だった。
前回の力は理解できた。強大な魔力による制圧――桁外れではあるが、現象として説明がつく。
だがこれは何だ。人間の肉体を、傷をなかったことにするかのように修復する力。そんなものは、帝国の最高位の治癒魔術師にも不可能だ。
「化け物め……!」
ヴァルドの声が、僅かに裏返った。初めて見せる動揺だった。
周囲の帝国兵たちも、その光景を目の当たりにしていた。
「おい、あれを見ろ……あの傷が……」
「塞がっている……血が止まって……嘘だろ……」
「触れただけで……? あの幼女が……?」
前回のように身体を拘束されているわけではない。武器を持ち、動くことはできる。
だが、誰一人として動けなかった。
傷が癒えていく光景が、彼らから戦意を根こそぎ奪い取っていたのだ。
人の肉体を意のままに修復する力。それはつまり、人の肉体を意のままに壊すこともできるということではないのか――そんな本能的な恐怖が、剣を握る手から力を抜かせていた。
バルカスは歯を食いしばり、その光景を凝視していた。
長い戦歴の中で様々な異能を見てきた。だが、これは次元が違う。
先ほどの「拒絶」の力とは明らかに性質が異なる。破壊と再生。二つの相反する力が、一人の幼女の中に宿っている。
バルカスの背筋を、氷水が伝い落ちるような感覚が走った。
しかし、光は長くは続かなかった。
ロリの身体から急速に輝きが消えていく。指先が、燐の背から滑り落ちた。
少女の顔は蝋のように白い。唇から血の気が完全に失われている。
それでも、小さな手だけが燐の戦闘服の裾をきつく握ったままだった。
ロリは燐の背にもたれかかり、そのまま静かに意識を手放した。
「ロリ……」
薄れゆく意識の淵で、燐は背に感じる少女のわずかな重みと、服を掴む小さな指の力を感じていた。
この幼女は、自分を――傷を、癒してくれたのだ。
あの途方もない力を、壊すためでも、拒むためでもなく、ただ自分を生かすために。
戦場は凍りついていた。
血に濡れた長剣を手にしたまま、自分が刻んだ傷が消えたという現実を呑み込めずにいるヴァルド。
武器を構えたまま動けない帝国兵たち。その目には、戦意ではなく、理解の及ばない現象への原始的な恐怖だけが浮かんでいる。
バルカス隊の兵士たちもまた、呆然と立ち尽くしている。敵も味方もなく、全員がただ一つの問いに囚われていた。
――あの少女は、一体何者なのか。
倒れた燐の背にもたれかかるように意識を失った少女と、辛うじて命を繋ぎ止められた燐。
次の一瞬が、どのような結末をもたらすのか、誰にも予測できなかった。




