真実の祈り
「その後、お加減はどうですかなフィオネル殿」
冥界で起きた事件から数日後。
魔王城の一室にて、ダクラネルとフィオネルは話し合っていた。
部屋の主であるアイリーンは黙ってお茶のカップを傾けている。そんな魔王の娘をよそに、フィオネルは頭を下げた。
「ありがとうございます。皆様に尽力していただいたおかげで、私も一命を取り留めることができました」
ユリアのアジトにあった解毒剤は、正真正銘フィオネルのためのものだった。
最悪偽物という可能性もあったが、そこはあの冥王の娘も小細工はしなかったということか。
それともあるいは、きちんと本物を渡すことでアイリーンの信頼を得ようとしていたのか――と、そこまで考えて、アイリーンはぴくりと眉を跳ね上げる。
だがあくまでそれだけだ。思いを語るには至らない。
この思考はあくまで、根拠のない仮説なのだから――とアイリーンがお茶と共にその気持ちを飲み込んでしまおうとすると。
「ぶぅ」と声がして、一匹のウサギがフィオネルにタックルしてきた。
「待て! みぞおちはやめろ、メリイ!」
「はっはっは。自分もいたのだと言いたげですな、我が小さきものは」
加減なしの一撃に、フィオネルは咳き込み、飼い主のダクラネルは快活に笑う。
そしてアイリーンはお茶を吹き出しそうになった。冥界から脱出するときにダクラネルの翼には、このウサギも乗っていたのだ。
忘れてられてしまっては困る――と言わんばかりに、メリイは鼻をふんすと鳴らす。かつてダクラネルが失いかけ、そして取り戻した『小さきもの』。そのときの事件の経緯が経緯だっただけに、彼女も忘れられることには敏感なようだった。
フィオネルが「分かっている分かっている、おまえのおかげでもあるさ」と言うと、メリイはよろしいと言わんばかりにダクラネルの膝に飛び乗る。
そんな白ウサギを撫でつつ、ダクラネルはここに来た目的を述べた。
「……ユリア様は、しばらく冥王城でご静養、という形になるそうですな。一連の事件に関して、特に魔王様や冥王様からお咎めはございませんが」
ここ最近の事件を魔界上層部に報告した暗黒竜は、下された沙汰を持ち帰ってきたのだ。
「まあ、ある意味では謹慎といったところでしょうか。お元気がないという話も聞きますので、今回の一件はだいぶ堪えたのだと」
「あれだけお灸をすえたのだもの。大人しくなってもらわなければ困るわ」
ダクラネルの報告に、アイリーンはさすがに唇を尖らせた。
日記から炎が出るわ大量のゾンビに襲われるわ従者に毒を盛られるわと、散々だったのだ。
ユリアは少々やりすぎた。
たとえそれが『アイリーンと仲良くなりたい』という目的のためであっても。
「……やり方が間違っていたのよ。だから否定するしかなかった。私が探偵で、あの子が犯人だというのなら」
最後に洞窟で交わした会話を思い出し、アイリーンはぽつりとこぼす。
『たすけて』『おいていかないで』。
その言葉を振り切って前に進むのは、なかなかに堪えた。
「指摘するしかなかったのよ。真実を。そうしなければあの子は止まらなかった」
「アイリーン様……後悔しておいでなのですか?」
「いいえ。少なくとも最後あそこで立ち止まっていたら私以外は全員八つ裂きだったろうから、そこは正しい判断だったと思っているのだけど」
「まさかのそんなシビアな選択だったのですか。あそこ」
一歩間違えればバットエンドまっしぐらだったと知り、フィオネルが真顔で突っ込んでくる。
だが、実際そうなのだ。
最後の最後に甘い顔を見せてしまっては、結局なにも解決しないと分かっていたから、アイリーンは走った。
貫き通した。
「けれど……まあ、そうね。ちょっとかわいそうだったなとも、思っているわ。正しさを信じきれないところが、私の探偵としての未熟なところなのかしら」
「そんなことはありませんぞ、お嬢」
ため息と共にようやく本音を吐き出したアイリーンへと、声をかけたのはダクラネルだ。
魔王城の重鎮は、膝のウサギを撫でつつ言う。
「我が身とこの小さきものを再び結び付けてくれたお嬢のことを、未熟とは思いませぬ。何か足りないものがあるとすれば――そうですな。判断材料が足りないまま、結論を出そうとしていることかもしれませんな」
「……判断材料?」
「左様。推理のための情報、と言い換えた方がよいのでしょうか」
他者の気持ちを推し量るのは、どれほどの年月を生きても難しいですからな――と、ドラゴンであるダクラネルは穏やかに言う。
「ユリア様のお気持ちは。今、あの方が何を感じ、どう思い、どんな風に考えているかは、直接聞いてみないと分かりませぬ」
「……それは、そうかもしれないけど」
「お嬢はお優しいがゆえ、気を回して色々考えてしまうかもしれませんが。真実を聞かぬまま気をもんでしまうというのは、このダクラネル、あまりいい状態だと思えませぬ」
お嬢にとっても、ユリア様にとっても――そうダクラネルは言った。
真実を。
憶測してはならない。暗黒竜は白ウサギを撫でつつ、ゆっくりと述べる。
「結論を出すのはまだ早いかと存じます。またお会いして、確かめてみましょう。今回の事件で、あのお方は本当に哀れであったのか。お嬢の行動は正しかったのか。直接お聞きして、ご両名で真実を確かめればいいではありませんか」
「でも、そんな日が来るとは」
「『ユリア様に、「たすけて」が言える相手が現れたとき』、でしたか。アイリーン様」
いったい、『その日』が訪れるのはいつになるのか――そう言いかけたアイリーンに、声をかけたのは最後の場面で一緒にいたフィオネルだった。
あのやり取りを聞いていたのか。
まあ隣にいるのだから聞いていただろうが、と渋面になるアイリーンに。
洞窟で落ちかけていた魔王の娘をすくい上げた執事は。
何も考えていない顔で、今日も彼女を助けあげる。
「いつになるかは分かりませんが、その日が訪れましたら私もお供させていただきます」
「……また毒でも盛られるかもしれないわよ?」
「まあそのときはそのとき、ですな」
「……というか。そのときまでフィオネル、ずっと私の傍にいるつもり?」
「はい。執事ですから」
にこやかに答えるフィオネルに。
アイリーンは渋面で「……馬鹿。馬鹿助手。馬鹿執事」とつぶやき、ぷいと横を向いた。
そんな主従を、ダクラネルはにこにこと見守っている。膝の白ウサギもごちそうさまといった風にぴすぴす鼻を鳴らしていた。
臣下の眼差しが温かすぎて、耳に集まった血がさらに沸騰しそうである。
雰囲気に耐えかねて、アイリーンは話題を逸らそうと口を開いた。
「と、ともかく。ユリアの件は解決したのだから、これでしばらくは平和ということよね」
「ですな。お嬢もフィオネル殿もここ最近は大変でしたでしょうし、少しゆっくりされてはいかがですか」
「賛成致します。これでアイリーン様も、危ない事件に首を突っ込まずに済むでしょうし――」
コンコン、と。
フィオネルの言葉が終わらないうちに、部屋の扉がノックされる。
あまりのタイミングに、全員が顔を見合わせた。
まさか、とフィオネルが制止する前に、アイリーンがにこやかに扉の向こうへと告げる。
告げてしまう。
「どうぞ」
「失礼します」
呼ばれて入ってきたのは、今回の一件でも関わった、楽譜庫の管理人イアンナだ。
洞窟では怪力無双でアイリーンたちを助けた赤鬼である。だが彼女の眉は今困惑したように寄っていた。
いったいどんなトラブルが――難事件がやってきたというのか。
冷や汗をかくフィオネルの前で、イアンナは言う。
「アイリーン様、実は故郷の東の国で鬼姫さまが暴れているみたいなんですけど――」
次いでイアンナが取り出した一通の手紙を。
「見せて頂戴、イアンナ」
目を輝かせてアイリーンが受け取ったのを見て。
フィオネルはしばらく平和な日々は訪れそうもないと、ただそれだけを直感していた。
ありがとうございました! ここでいったん、アイリーンたちの事件簿はひと区切りです。
また何かありましたら書き始めると思います。
もしよろしければ感想などいただけるとありがたいです。