二章VII 『二軸』
軽快な足取りは、どんどんと暗く重くなっていった。
(何を考えてるんだ、一体。ここは娯楽施設、何を不安になる必要がある――?)
ただひたすらに歩き回っている。
歩き回り楽しむのではなく、思考を巡らせることに連動して、思わず体が動いているようなものだ。
「単なる思い出って可能性の方が有り得るんだ、深く考え込む必要はないさ……」
勝手に動いていた足は湖の前で止まった。
(一度顔でも洗っておくか)
脳をリフレッシュさせようと、湖の水で顔を洗い、水面に映る自分を見つめていた。
(いや、今日の朝思ったことが相まって困惑しているんだな。今までで解消しきれなかった疲労が脳に影響しているかもしれないし――っ!?)
――突然、背中に何か衝撃が走った。
顔が水面と平行になる。
「えっ――?」
押された、何者かに。
そしてそのまま湖へ飛び込む形になってしまった。
湖が突然の来訪者により飛沫を上げたのと同時に、自分の中でも何かが一つから複数へ弾ける音がした。
(何故……?いや、一瞬、一瞬だが反射で見えた)
己の動体視力を誇りたい所だが、それよりも、それで読み取った情報の方が気になった。
一瞬水面に見えた自身の背後にいた者。
「あれは……まさか……?」
意味がわからなかった。
わかるはずもなかった。
考えても無駄だと思った。
ただ、今はこの深い湖に沈んでいるだけ。
現実で死にはしないが、水中の感触が直に伝わってくるようで苦しい。
(まずい……このままだと……)
室内で水もないのに溺れてしまう。
――その心配も、徒労に終わった。
突如視界が暗転した。水面から通る光すらも見えなくなった。
また、自身の体の内で不可解な出来事が起こった。
〈望んでいるのか?〉
「何っ?脳内で声……!?」
〈君は望むか?嘘は、良くないな?〉
最も聞き馴染みのあるようで、自分ではその本質を理解していない声だ。
「何を勝手に――!」
土足で、ノックもなく自分の部屋に入られたような不快感を得た。追い出すことも出来ない曖昧な声が脳内で響く。
(拝ませてあげるよ、君の――いや、僕たちの本当に望む世界)
そしてまた、景色は一変した。
「おい……これは……」
何も無い……というよりか、何も無くなったと言った方が正しいような、荒廃した街のような景色に、紅い空が広がっている。
「なんなんだよ?!」
「これが、僕らの望むもの――」
「後ろっ?!」
振り返る。
人型の何かがいた。だが、その正体は隠れていた。
黒い霧が所々に掛かり、その者を包み込んでいる。
だが、自分には答えがわかった。というか、僕にしかわからない。
「お前……僕か――?!」
「僕たちが望むものは修復や再生なんていう、偽善染たものじゃない」
「勝手に進めるなよ……!」
異様な光景に、身を一歩退かせた。
「望みはただ一つ、《破壊》だ」
だが、影のようについてくる。離れればその分、近づいてくる。
「は――?」
「この現状、これこそが望み」
両腕を大きく広げるかのように霧が動き、全方位に広がる紅い世界を示した。
「何を言って……?僕はこんな世界なんて……」
「なら、何故この景色が映し出される――?そして、何故今、疑問を感じた――?」
このシステムは、無意識下からでも、脳内に広がる世界を再現する。
「疑問に……?」
「地球の再生を望んでいるのかどうか、何故疑問に思った?」
「――っ!違う、あれはただ――!」
今朝の出来事を掘り返されている。この世界に、記憶を失くして今を生きる者達の総意を得ずして再生を行っていいのだろうかという疑問だ。
それを思っても、自分は今地球の再生の為に戦っているのだという意を伝える為、否定しようとしたのだが、言語化をする前に遮られた。
「何が違う?君は、僕らは今まで世界の相続を願ったことなんて、たった一回もない。なら、都合よく再生について疑問に思うのも不思議じゃあない、そうだろう?」
「そんなんじゃあ……!」
提示される事実に対して、必死に踠こうとする。
「この仮想現実は、思う世界を創り出す」
「くっ……!」
この言葉をトドメに、僕の中で何かが一気に瓦解した。
「この景色も、君の脳内だ」
「そんなはずがない、そうだとしたら、僕は今戦えていないだろ……!」
完全崩壊を防ぐ為の、最後の切り札だ。無意識的にでも、このような世界の破滅を望んでいるのなら、どこかで戦う気は失せているはずだと考えた。
「仕方なく、だ」
「確かに頼まれたさ!けど違う、僕の意志でも!」
「他人の言葉無しに、君は意気込むことができたか?」
「っ……!」
手札は尽きた。防御策はなくなり、焦りが顔に滲んだ。
自分に言い負かされる自分を、空は見下ろす。
「やっぱり、こうなるか」
「もう、やめてくれ……」
「僕らが望むは破壊だ。今の変わった世界すらも、いずれは、ね」
「考えは変わったんだ……例え僕が嫌う世に戻ったとしても、地球は綺麗なんだって……突き放したくない人間がいるんだって……」
「――弱いな」
言う事全てがキッパリと切り捨てられる。他でもない自分に諭されていることから、脳は全てを『事実だ』と受け止め、精神を蝕む。
「もう離れろ、今の僕に寄るんじゃあない……!」
やけになり、霧に包まれた自分を振り払う。影はそれ以上近づいては来なかった。
「まぁいいさ、今はまだ早い。この先も長いし」
霧が薄くなっていくのを、勝手に泳ぐ目で確認した。
「君は僕だ。いずれは収束する。無論、破壊に」
この目で確認しても、何故かその霧が完全に消えるような予感がしなかった。
「じゃあね、また対面する時まで、せいぜい頑張るんだ」
別れを告げ、姿を消した。だが僕は、黒いモヤがいつまでもその場に残っているように見えた。
(破壊……僕は……破壊を……?)
湖に落ちてから別れるまでの出来事が、脳内に強く刻まれた。
(望んでいるのか――?こんな、跡形も無くなった世界を?消し炭になることを――?)
不安と先程の回想が絶え間なく体に集ってくる。
「違う、僕は、ルクスにだって託された……あの美しい輝きを見るために戦っている……!」
自分に必死に言い聞かせる。もう限界を迎えていることを知っていながら、まだ首の皮一枚で助かろうとしていた。
「違う、違う……僕はそんなんじゃない……!違う、違う、違う――!」
精神が完全に崩壊した時、体のどこかでプツンと断ち切れ、別れる音が聞こえた。
無意識に、右手にあったボタンを押した。
意識は現実へと戻る。
「違う、僕は――!!」
〈な、なんだ!?〉
〔緊急停止ボタンを押したようです〕
「はあっ……はあっ……」
〈ど、どうしちまったんだよ、次から次へと!〉
誰もが焦り始めた時、赤く染まる部屋のドアが開く。
「どうしました!?」
〈クレア!ちょっと助けてやってくれ!〉
「え?あっ、はい!」
困惑の露呈した表情をしながら、クレアは朧の座る椅子に近づく。
「僕は……僕は……!」
「朧さん!朧さん!どうしたんですか?!」
肩を揺らすが反応は見せない。
「何のために……何を……」
「と、とりあえず、装置を外しますよ!」
クレアが、小刻みに震える朧に付いていた装置を外す。
「朧さん!――ど、どうすれば……」
クレアがアタフタとしている時、ガジェットと、それに遠隔から接続しているオムニアが助けを呼んだ。
〈どうかしたのかい?オムニアさん〉
〈マ、マター!繋がった……!至急、FAFに来れねえか!?〉
〈うん?行けるが、どうして?〉
〈命をどこか落ち着ける場所に運んで欲しい〉
〈命くん?――わかった、すぐに行こう〉
〈クレア!数分待ってくれ!〉
「わ、わかりました!朧さん!数分です、数分!」
「何故……なんだ……」
数分後――。
「命くん!どうかしたかい?!」
「あっ、局長さん!なんだか急におかしくなっちゃって――!」
「うっ……ぁあ……!」
「精神崩壊……?一体何が……」
〈俺ぁ途中までしかしっかりと見てねえんだが、変な世界でも見ちまったか?〉
通話しながらも一部始終は確認していたが、咄嗟に適当な文言が口から放たれ、「いや……」と訂正しようと再度口を開く。
〔申し訳ありません、一時的に他者へ連絡を繋いでいた為、確認できませんでした〕
口を開いたが、その前にルクスの声が聞こえ、意図せず遮られた。
「クレア、あまりやってはいけないが、確か履歴は残っているはずだ、見られるか?」
「は、はい!一応……」
「や、やめ……」
自分のことで精一杯で、他者が脳内に踏み込むのを今は躊躇った。
「わ、わかった。話は後で聞こう。命くん、立てるかい?」
「うっ……」
「良い子だ。空中タクシーは手配した。行こう」
「お荷物お持ちします!」
〈(こいつ……)〉
タクシーに乗り、マターの部屋まで直行した。
頭痛がした。
悪夢を見た。
戦慄した。
朦朧とした。
後は――なかった、目が覚めた。
「うぁ――ここは……?」
「お持ち帰りさせてもらったよ」
「マター……?」
いつの間にか寝転がっていたようで、朧の寝ている横にマターは腰掛けていた。
〈変なこと言いやがって……〉
「冗談さ。平気か?水か白湯、どっちがいい?」
「水で……」
どっちでもいいと思いながらも、細かな気遣いに感謝した
「ほら、軟水だ」
掴まされた水を飲み干す。
「僕、なんでここに……?」
体を起こすよりも先に疑問が放たれた。
「機械じゃなくて、急に君の方が壊れだしてね。ここへ搬送したんだ」
「なんだって?すまない、手間をかけたね」
「いいさ、気にするな」
意識はあやふやで、起こったことを覚えているが、明瞭にするには時間がかかった。
その後どうなったのかは何もわからなかった。
「僕、暴れたりしなかったか?」
「部屋の方は特に何ともなかったよ。私の部屋に着いた時には君の方がシャットダウンしていた」
〈車ん中でも割かし静かだったしな〉
「何があったんだい?聞かせてくれ、モルモットくん」
満を持して、マターが訊ねた。
頭の中をゆっくりと整理し、順序を立てた。
「仮想現実にいたんだ、それも平和だった。けど、急に湖に落ちたと思ったら、世界は暗くなって、そして……」
「ふむ……」
「荒んだ世界に立たされ、急に人影が出てきた。それはもう一人の僕だった――って、にわかには信じ難いよね」
「ほう……仮想現実の中の世界が唐突に一変、か」
〈機械側のバグ……とは言い切れねえな〉
「ああ、そんな一例は今までなかったからね」
〈もう一人のお前は、何をしてたんだ?〉
「えっと……『君が望むのは破壊だ』――とかなんとか」
「変に諭されているね」
〈そっからおかしくなった訳か〉
「世界の改変、もう一人の自分、そして対話……一人の中に二つの並行した思考があるのか?」
「バグがなくて、FAFの仕様に則るなら、確かにそうは言えるけど……」
〈つまり、命の中には決して交わらない別々の考えがあるって言いてえのか?〉
「かもね、精神科とか脳科学は専門でないからあまりわからない」
〈てことは、多重人格とも言えるな〉
オムニアの言葉に注目が向く。
「なんだって?僕が?そんな兆しはないと思うけど……」
「有り得る話ではあるが、個人的にも、君はそうには見えないね」
〈よくわかんねえな〉
「やはり君、特殊な人間だね」
「僕だってこんなことは初めてさ」
(この世界に来て、僕自身もおかしくなっているのかな……)
「そういえば僕、どれだけ寝てた?」
「ええと……今が十九時だから、ざっと五時間程は寝ていたね。大きな昼寝だね」
「まじか……こりゃ失態だな……」
「ふふっ、私も退勤しないと、もう残業だな」
「そうか、君は出勤日か、すまない」
「案ずるな、ギルの改良は六割ぐらいは終わった」
〈流石だぜ、早いな!〉
「ふっ、今日終わる予定だったがな」
「たったの一時間半くらいで六割も終わったのか……凄いな」
出勤したのが正午で、ここに連れられたのが十四時程と考えると、大体作業時間はこのくらいだろう。
「よせよせ、慣れてるだけだ」
〈んで、結構話してた訳だが、体調の方は?〉
「目立って問題は無くなった」
「それは良かった。それで、どうする?泊まっていくかい?」
「子供じゃないんだ。それに、隣なんだし、ちゃんと自分の部屋で休むよ」
ようやく体を起こし、そのままベッドから降りた。
「ベッドは一つしかないから、そう言ってくれて助かる」
「ご最も。なら、僕は行くとするよ」
「そうか。ではまた」
そう言って、外して貰っていたガジェットを装着して部屋を出た。
(はあ……食欲は無いし、風呂入って寝るか)
夕飯をサボり、迅速に風呂へ入った。
(まずい、眠くないな)
さっと入浴を終え、部屋に何をするなどもなく立っていた。
〈おう、上がったか〉
「――!?まだ繋いでいたのか……」
ガジェットから突然聞こえた声に驚愕する。
〈悪い悪い、少しボーッとしていたら忘れててよ〉
「君、意外にそんな人間だったんだね」
〈仕事終わりとか、こんな感じだぜ?〉
「ほんの少し、わかるよ」
〈あぁ、そうだ、思い出した〉
「ん?」
〈明日、自由区の方に来てくれって言おうと思ったんだよ、武器についてちょっと気になってな〉
「気になった……?」
〈ああ。もしかしたらその武器、もっと強い武器――っていうか、奥義みてえなのを思いついたんだ。だから、それに少し付き合って欲しい〉
「思い付いた?君も開発者なんだね」
〈まあ、そうでもある〉
武器に付ける……?確かに、快癒のツインナイフとか異なり、この武器に奥義のようなものは見られなかった。
「わかったよ、明日の何時だい?」
〈まあ昼の二時から三時くらいにゃ来てくれりゃいいぜ〉
「わかった、行こう」
〈おう!じゃあな!〉
通話を終了し、オムニアとも別れた。
そして、朧は自身を投げ捨てるようにベッドへ寝転がった。
(さっきのは嘘だな、十分眠いや)
さっきまでの目覚めが嘘だったかの様に感じる程、疲労による眠気を感じている。
羊を数えるまでもない。
(二つの思考……ね。変化してるな、僕も)
この脳内台詞を最後に、夢の世界へと墜落した。




