誰が殺した
絵本へ目を戻す。
『願いは、長いあいだ誰にも届きませんでした』
『よい魔法使いの子供たちは、封印を守り続けました』
『やがて、その役目は、一人の王妃へ受け継がれました』
白いドレスの女が描かれている。
顔ははっきりしない。
それでも、王子にはわかった。
「母上……」
『王妃には、三人の王子がいました』
『一番幼い第三王子は、六歳でした』
頁の中に、小さな子供がいる。
青い髪。
青紫色の瞳。
片腕には、熊のぬいぐるみ。
絵の中では、まだ名前が書かれていた。
『テオ』
王子は、文字へ触れた。
ヨシュア以外が自分の名を示している。
たった二文字が、ひどく懐かしかった。
「続けますか?」
ヨシュアが尋ねる。
「読んで」
『ある日、テオは鈴の音を聞きました』
『音を追い、城の奥深くへ迷い込みました』
『そこには、古い石碑がありました』
『鈴は、手の届く場所で揺れていました』
絵の中の子供が、手を伸ばしている。
片腕に熊を抱いたまま。
母から、廊下を一人で歩いてはいけないと言われていた。
けれど鈴が鳴っていた。
寂しそうな音だった。
誰かが泣いているように聞こえた。
『かわいそう』
六歳のテオは、そう言った。
『そこにいるの?』
石碑は答えない。
鈴だけが鳴った。
ちりん。
『出たいの?』
もう一度、音がする。
子供は小さな手で鈴へ触れた。
『王子様が、封印を解いてしまいました』
ヨシュアの声が、図書室へ響いた。
王子は目を閉じた。
光。
大きな音。
石碑が割れた。
黒いもやが吹き出し、天井へ昇った。
熊が腕から落ちた。
泣きながら母を呼んだ。
「あなたは、どこにいたの」
「そこに」
「あのもやが、ヨシュア?」
「ええ」
王子は隣に座る青年を見た。
白い髪。
金色の目。
温かな手。
あの日の黒いもやとは、どこも似ていない。
「封印の中で、形を失っていました」
ヨシュアは自分の指を見た。
「身体も。顔も。声も。すべて、長い時間の中でなくなっていたのです」
「それで、母上を」
喉が震えた。
「ヨシュアが、殺したの」
紙の葉が揺れる。
囁きが消えた。
図書室全体が、答えを待っている。
「はい」
ヨシュアは答えた。
否定しなかった。
言い訳もしなかった。
王子は立ち上がった。
絵本が床へ落ちる。
身体が勝手に動いていた。
ヨシュアから離れなければならない。
足が卓へぶつかる。
燭台が倒れた。
「来るな」
王子は手を上げた。
指先に青い光が集まる。
魔法。
ヨシュアから教わった力。
ヨシュアは動かなかった。
床へ座ったまま、王子を見上げている。
「近づかないで」
「はい」
白い手が、膝の上へ置かれる。
「なぜ」
声が掠れた。
「なぜ、母上を殺した」
「あの方が、封印を守る者だったからです」
「それだけ?」
「私を、もう一度封じようとしました」
ヨシュアは淡々と答える。
「封印から出たばかりの私は弱っていました。守護者の血を引くあの方を残せば、再び石の中へ戻されるかもしれなかった」
「だから殺した?」
「はい」
「僕の母上だと、知っていたのに?」
ヨシュアは少し首を傾げた。
「そのときは、知りませんでした」
「知っていたら、殺さなかった?」
沈黙。
「答えて」
「殺したと思います」
青い光が大きくなった。
図書室の本が震える。
紙の葉が枝から離れ、二人の周囲へ舞い上がる。
「テオ」
「その名前で呼ぶな!」
叫んだ瞬間、光が弾けた。
魔法がヨシュアへ向かう。
白い肩を掠め、背後の本棚へぶつかった。
何十冊もの本が床へ落ちる。
ヨシュアの頬に、細い傷ができた。
赤い血が一筋流れる。
ヨシュアは傷へ触れなかった。
「申し訳ありません」
「何に謝ってる」
「あなたを悲しませたことに」
「母上を殺したことじゃないのか」
ヨシュアは王子を見つめた。
「王妃を殺したことを悔やめば、私は嘘をつくことになります」
どこまでも真っ直ぐな声だった。
「私は石の中へ戻りたくありませんでした」
「なら、逃げればよかった」
「弱っていましたから」
「ほかに方法があったはずだ!」
「私には、あれが最も確実でした」
王子は息を切らした。
目の前の青年が、知らない者に見える。
けれど、声も。
表情も。
話し方も。
何一つ変わっていない。
最初から、ヨシュアはこうだった。
王子が見ていなかっただけだ。
「続きを、お聞きになりますか?」
「まだ、何かあるの」
「はい」
「母上を殺した以上のことが?」
ヨシュアは床へ落ちた絵本を拾った。




