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アンケート-選ばないという選択-  作者: 菊池まりな


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第59話 グレーのジャケット

翌朝も、晴れていた。


美佳は八時に起きた。カーテンを開けると、昨日と同じ青い空だった。二日続けて晴れるのは、今週初めてだった。


コーヒーを入れて、窓の前に座った。


今日は明後日の前の日だった。出勤前の日だった。特に何もしなくていい日だった。

そう思っていた。


十時頃、朝倉から連絡が来た。

今日、会えますか。話したいことがあります。


美佳は会えますと返した。


昼、カフェの近くで。


分かりました。


朝倉が「話したいことがある」と言うときは、大体、自分の中で整理してから来る。急ぎではないが、置いておけない何かがある、という種類の連絡だと美佳は思った。


待ち合わせは十二時だった。


美佳は少し早めに家を出た。


商店街を歩いた。晴れているせいか、人が多かった。八百屋の前に人だかりができていた。何かが安いのだろうと思いながら、通り過ぎた。


カフェの前を通った。明日来る場所だった。ガラス越しに見ると、ランチの時間で混んでいた。先輩が動き回っているのが見えた。

美佳はその場に立ち止まらずに、通り過ぎた。明日でいい。


朝倉は先に来ていた。


カフェから少し離れた、小さな公園のベンチに座っていた。手に缶コーヒーを持っていた。


「早いですね」と美佳は言った。


「早めに来ました」と朝倉は言った。「少し考えたかったので」


美佳は隣に座った。


「話したいことって何ですか」と美佳は聞いた。


朝倉が缶コーヒーを両手で持った。少し間を置いた。


「グレーのジャケットの男のことです」と朝倉は言った。


美佳は「第1章から視界の端にいた人」と確認した。


「はい」と朝倉は言った。「公民館の後に消えた男性と同一人物かどうか、ずっと分からなかった人です」


「同一人物だったんですか」


「違いました」と朝倉は言った。

美佳は少し驚いた。「じゃあ、誰ですか」

朝倉が缶コーヒーを一口飲んだ。それから話し始めた。


「翔に頼んで調べてもらいました。廃施設に行く前後から、ずっと気になっていたので。昨日、翔と廃施設で話しているときに結果が出ました」


「昨日、報告しなかったのは」


「整理する時間が欲しかったから」と朝倉は言った。「美佳に話す前に、自分で一度受け取っておきたかった」


美佳は「分かりました」と言った。


「グレーのジャケットの男は」と朝倉は続けた。「LAPISの最初の参加者の一人でした」


「参加者」


「アンケートに答えていた人間の中の、一人です。翔がログを照合しました。端末のIDが一致した」


美佳はその言葉を、一度頭の中で整理した。


「なぜ私の周辺に現れていたんですか」


朝倉が少し間を置いた。「そこが、整理に時間がかかったところです」


「聞かせてください」


「男性は──LAPISが止まった後も、美佳の周辺を見ていたようです。翔の調べでは、@LAPIS_echoのフォロワーの中に男性のものと思われる端末IDがありました。ただしDMは受け取っていない。コミュニティへの参加もしていない。ただ、見ていた」


「なぜ私を」


朝倉が「そこまでは分からなかった」と言った。「翔も、動機の部分は追えなかった。でも──」


「でも」


「男性が美佳に危害を加えようとしていた形跡は、どこにもなかった。ただ、見ていた」


美佳は少し考えた。


「LAPISに答えていた人間が、システムが止まった後も、何かを求めていた」


「そう見えます」と朝倉は言った。


「設計者候補として選ばれていた私の周辺を、見ていた」


「はい」


「私に何かを求めていたのか、それとも LAPISの残像を見ていたのか」


「分からないです」と朝倉は言った。率直に言った。「でも翔は、依存のグラデーションと表現していました。システムが止まっても、問いへの依存が残っている人間がいる。その一人だったかもしれない、と」


美佳は公園の地面を見た。落ち葉が何枚か、風に吹かれて動いていた。


「今、その人は」


「消息は分かっています」と朝倉は言った。


「日常を送っています。翔が確認しました。@LAPIS_echoからも離れています。今は何もしていない」


「そうですか」と美佳は言った。


しばらく二人とも黙っていた。


「怖かったですか」と朝倉が聞いた。


「今は怖くないです」と美佳は言った。「でも、聞く前に怖いと思っていたかというと──そうでもなかった気がします。なぜだろう」


「気になっていたけど、怖いとは別だったんじゃないですか」と朝倉は言った。


「そうかもしれない」


「俺は少し怖かったです」と朝倉は言った。


「美佳に話す前に、怖い話になったらどうしようと思っていました」


「そのために整理していたんですね」


「はい」と朝倉は言った。少し照れているような、でも照れを隠していない声だった。


美佳は「ありがとう」と言った。


「もう一つあります」と朝倉は言った。


「何ですか」


「男性の端末に、二年前に届いたメッセージを翔が見つけました」


美佳は「どんなメッセージですか」と聞いた。


「一行だけです」と朝倉は言った。それから少し間を置いて、読み上げた。「『問いは、答えより先に存在してはいけないの?』」


美佳の胸の中で、何かが静かに動いた。


「同じ文面だ」と美佳は言った。


「はい」


「男性にも、届いていた」


「翔が確認した限りでは、他にも何人かに届いていました。同じ文面で、同じ時期に」


「番号は」


「非通知です。でも、美佳に届いたものと同じ番号だと翔は判断しています」


美佳はしばらく、その事実を持っていた。

二年前、あの問いは美佳だけに届いたのではなかった。何人かに届いていた。グレーのジャケットの男にも届いていた。


「ミオが送ったんだと思います」と美佳は言った。


「俺もそう思います」と朝倉は言った。


「自分の問いを、誰かに届けたかった」


「設計図に書いた問いと同じですね」


「同じです」と美佳は言った。「LAPISを作る前に、直接届けようとしたのかもしれない。システムの前に、まず問いそのものを」

朝倉が「そう考えると」と言った。「ミオという人間が、少し分かる気がします」


「そうですね」と美佳は言った。


風が吹いた。


落ち葉がまた動いた。一枚がベンチの前まで来て、止まった。


「美佳」と朝倉が言った。


「はい」


「昨日から考えていたんですが」


「何を」


「これで、伏線は全部出ましたね」

美佳は少し考えた。「空白のメッセージ、グレーのジャケットの男、黒いコートの女性──」


「全部、輪郭が見えた」


「久坂は去った。ミオに会った。ユリは帰った。翔はサーバーを監視している。彩音はアカウントをどうするか考えている」


「あとは」と朝倉は言った。「美佳が、カフェに戻る」


美佳は少し笑った。「そう整理するんですね」


「そう整理しました」と朝倉は言った。「一番大事なことだと思ったので」


「男性のことは」と美佳は言った。「翔に伝えてください。教えてくれてよかった、と」


「伝えます」


「それと」と美佳は言った。「その人が今、日常を送っているなら、それでいいです。何もしなくていい」


「追わなくていいですか」


「追わなくていいです」と美佳は言った。「LAPISに答えていた人たちが、今どうしているかは、私には分からない。でも、一人一人が自分の問いと向き合っていると思いたい」


「思いたい、という言い方をするんですね」


「確かめる方法がないから」と美佳は言った。「でも、そう思うことを選びます」


朝倉が頷いた。


二人でベンチを立った。


「昼、どこかで食べますか」と朝倉が聞いた。


「食べましょう」と美佳は言った。「どこかでいいです」


「商店街に新しい定食屋ができていました。先週通りかかったときに」


「行きましょう」


二人で歩き始めた。


商店街に入ったところで、美佳は立ち止まった。


「どうしましたか」と朝倉が聞いた。


「あそこ」と美佳は言った。


商店街の入り口近くの壁に、新しいポスターが貼られていた。


白地に黒い文字ではなかった。


手書きだった。小さな紙に、ペンで書かれていた。


問いを持って、今日も生きています。


署名はなかった。


美佳は少しの間、そのポスターを見た。


「誰が貼ったんでしょう」と朝倉が言った。


「分からないです」と美佳は言った。「でも──」


「でも」


「@LAPIS_echoを見ていた誰かだと思います。久坂さんが関わっていない、誰かの言葉だと思う」


「それは良いことですか、悪いことですか」

美佳は少し考えた。「良いことだと思います」と言った。「問いが、システムの外側に出た感じがするから」


朝倉が「そうですね」と言った。


美佳はもう一度そのポスターを見た。


手書きの文字は、少し歪んでいた。上手い字ではなかった。でも、ちゃんとした字だった。


誰かが、今日も問いを持って生きている。


それだけのことが、今日の晴れた空の下に、静かにあった。


二人で定食屋に入った。


木のテーブルが並んだ、狭くて明るい店だった。


メニューを見た。朝倉が「日替わり定食でいいですか」と聞いた。「いいです」と美佳は言った。


注文して、水を飲んだ。


「明日から出勤ですね」と朝倉は言った。


「そうです」


「緊張しますか」


「少し」と美佳は言った。「でも、会いたい人がいます」


「誰ですか」


「常連客たちです。ちゃんと来ているかどうか、確かめたい」


朝倉が「会えると思います」と言った。


「そうですね」と美佳は言った。


定食が来た。


二人で食べた。


窓から商店街が見えた。人が行き交っていた。晴れた昼間の、普通の景色だった。


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