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アンケート-選ばないという選択-  作者: 菊池まりな


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第17話 勧誘ではない接触

 有栖川から連絡が来たのは、美佳が昼のシフトを終えた日の夕方だった。


 「少し話せますか。急ぎではないので、都合のいいときで構いません」


 美佳はメッセージを見て、少し考えた。


 急ぎではない、という言葉が、かえって引っかかった。急ぎではないのに連絡してくる。それは、話したいことがあるけれど、押しつけたくない、という配慮なのか。それとも、急ぎではないように見せたい、という意図なのか。


 ──考えすぎだ。


 美佳は自分に言い聞かせて、「明後日の午後なら」と返した。


 有栖川から「ありがとうございます」とすぐに来た。場所は美佳に任せる、と。


 美佳は少し迷ってから、自分が働くカフェを指定した。ホームグラウンドの方が、落ち着いて話せる気がした。


 明後日の午後、有栖川は時間通りに来た。


 カフェのドアが開いて、有栖川が入ってきたとき、美佳はカウンターにいた。シフトは今日も入っていたが、店長に頼んで少し早めに上がらせてもらっていた。


 「ここで働いてるんですね」と有栖川は言った。店内を一度見回して、「落ち着く場所ですね」と続けた。


 「気に入ってます」と美佳は言った。


 カウンター席に案内した。美佳はコーヒーを二杯淹れた。自分の分と、有栖川の分。それだけの動作が、少し手を落ち着かせた。


 「先日は、急に色々話してしまってすみませんでした」と有栖川は言った。


 「いいえ」と美佳は言った。「聞けてよかったです」


 「怖かったと思います」


 「怖かったです」と美佳は素直に言った。


 「でも、知らないままの怖さと、知った上での怖さは、種類が違うので」


 有栖川は少し目を細めた。「どう違いますか」


 「知らないままだと、輪郭が見えない。知ると、輪郭が見える。輪郭が見えた方が、まだ扱える気がします」


 有栖川は「なるほど」と言った。否定も肯定もしない、静かな相槌だった。


 高校のとき、有栖川はどんな話し方をしていたんだろう、と美佳はふと思った。別のクラスで、交差しなかった。だからまったく知らない。今目の前にいるこの人が、高校時代の延長線上にいる人間だという実感が、まだうまく持てなかった。

 

 「今日来たのは」と有栖川は言った。「一つ、確認したいことがあったからです」


 「何ですか」


 「先日、私はミオの話をしました。ミオが美佳さんのことをデータの中で見ていた、名前を知っていた、話したいと思っていた──そういう話を」

 

 「はい」


 「それを聞いて、美佳さんはミオのことを知りたいと思った、と翔さんから聞きました」


 美佳は少し驚いた。「翔さんが話したんですか」


 「私から聞きました。美佳さんがどんな反応をしたか、気になったので」


 美佳はコーヒーカップを持ったまま、有栖川を見た。


 「確認したかったのは」と有栖川は続けた。「その『知りたい』という感覚が、今も続いていますか、ということです」


 「続いています」と美佳は言った。迷わなかった。「なぜですか」


 有栖川は少し間を置いた。


 「ミオが伝えようとしていたことを、私はまだ知りません」と有栖川は言った。「最後のメッセージが来なかったから。でも──美佳さんが知りたいと思っているなら、一緒に探せるかもしれない、と思って」


 美佳は少し黙った。


 一緒に探す。その言葉の意味を、ゆっくり確かめた。


 「それは」と美佳は言った。「勧誘ですか」


 有栖川は少し間を置いた。「勧誘ではありません」


 「でも、何かに巻き込もうとしている?」


 「巻き込む、という言葉が正しいかどうか分かりません」と有栖川は言った。「ただ、美佳さんはもう十分に巻き込まれています。私が何もしなくても、ミオが名前を知っていた事実は変わらない。端末のログは残っている。@LAPIS_echoのDMは届いている。それは私が来なくても、すでにそこにある」


 美佳は少し黙った。

 

「それは」と美佳は言った。「だから一緒にやりましょう、という理屈ですか」


 「違います」と有栖川は言った。即座に。


「だから、知りたいなら一緒に探せる、と言っています。知りたくないなら、それでいい。私は美佳さんに何かをさせたいわけじゃない」


 「何かをさせたいわけじゃない」と美佳は繰り返した。「でも、才能があると言った」


 有栖川は少し止まった。


 「言いました」と有栖川は言った。「それは本当だと思っています。でも才能があることと、使わなければならないことは、別のことです」


 美佳はカウンターの内側から、窓の外を見た。


 藍都の夕方が、少しずつ暗くなっていた。街灯が一つ、また一つ、点き始めていた。

 

 「有栖川さんは」と美佳は言った。「ミオのことを、どう思っていますか」


 有栖川は少し意外そうな顔をした。質問の方向が変わったからだろう、と美佳は思った。


 「複雑です」と有栖川は言った。少し間を置いてから。「設計したことは、問題だと思っています。人の選択パターンを、気づかせないまま収集した。それは許容できない。でも──ミオが考えていたことの、核にあるものは」


 有栖川は言葉を選んでいる様子だった。


 「否定しきれない、と先日言いました。今も同じです。問いを持つことで人は考え続けられる、という考えは、おかしくない。ただ、問いを外から与えることと、自分で問いを持つことは、全然違う。ミオはそこを、見落としていた」


 「見落としていた、と思いますか」と美佳は言った。「気づいていたけど、止められなかった可能性は?」


 有栖川は少し目を細めた。


 「あります」と言った。「むしろ、そちらの方が近いかもしれない。だから怖くなった。怖くなって、止めようとした」


 「止めようとして、止めきれなかった」

 

 「そう思っています」


 美佳は少し黙った。


 「それは」と美佳はやがて言った。「ミオへの、同情ですか」


 「同情じゃないと思います」と有栖川は言った。「ただ、理解、というか──私も似たような場所にいたことがあるから」


 「似たような場所」と美佳は繰り返した。

 

 「LAPISの設計思想を理解してしまったとき」と有栖川は言った。「私は怒っていたはずなのに、否定しきれなかった。それはミオが正しかったからじゃなくて──問いを疑うという発想が、私にはそれまでなかったから。ミオと話して初めて、自分が問いを疑わずに答え続けてきたことに気づいた」


 「それが、内側に入った理由ですか」


 「入った、とは少し違うんですが」と有栖川は言った。「でも、外にいられなくなった理由ではあります」


 美佳はその言葉を聞いて、何かが少し腑に落ちた。


 有栖川は、引き込まれたんじゃない。理解してしまったから、外にいられなくなった。それは弱さじゃなくて──正直さの結果だ。否定できないものを、否定できないと言える、そういう正直さ。


 「高校のとき」と美佳は言った。「有栖川さんは、どんな人でしたか」


 有栖川は少し驚いたような顔をした。「突然ですね」


 「気になって」


 「答えるのが得意な人間でした」と有栖川は少し間を置いてから言った。「問いが来たら答える。答えたら終わり。そのつもりでいた」


 「今は違いますか」


 「今は」と有栖川は言った。「問いの方が、大事かもしれないと思っています」


 美佳はその言葉を聞いて、少し黙った。


 問いの方が、大事。


 それは美佳が、アンケートの後からずっと感じていることと、どこか重なった。答えを急がない。問いを持ち続ける。迷い続けることが、終わりじゃない。


 外はすっかり暗くなっていた。


 有栖川はコーヒーカップを両手で包んだまま、「一つだけ」と言った。


 「はい」


 「ミオが最後に伝えようとしていたこと、私には分かりません。でも──ミオが美佳さんに伝えたかったなら、美佳さんが一番近い場所にいると思っています。データの中で、ミオが一番長く見ていた人間だから」


 美佳は少し間を置いた。


 「それは、プレッシャーをかけていますか」


 「かけているつもりはありません」と有栖川は言った。「ただ、事実として」


 「事実として」と美佳は繰り返した。「私が、一番近い」


 「そう思っています」


 美佳はカウンターの端を、指先でゆっくり触れた。


 一番近い、と言われても、美佳にはミオが何者かまだ分からない。名前しか知らない。どんな顔をしていたか、どんな声だったか、何を好きで何が怖かったか、何も知らない。


 でも──知りたいと思っている。


 「分かりました」と美佳は言った。「一緒に探す、という意味を、もう少し教えてもらえますか。具体的に、何をするんですか」


 有栖川は少し目を細めた。今度は驚きではなく、何か別の表情だった。


 「まだ決まっていません」と有栖川は言った。「でも、美佳さんが聞いてくれるなら──次に翔さんと動くとき、一緒に来てもらえますか。それだけでいい」


 「それだけ?」

 

 「それだけです。来て、聞いて、嫌なら断ってください」


 有栖川が帰ったあと、美佳はしばらくカウンターにもたれていた。


 店内には他に客が二人いた。どちらも美佳には関係ない、静かな午後の続きだった。


 勧誘ではない接触、と美佳は頭の中で言葉にした。


 勧誘じゃない。でも、何かに近づいている。有栖川はそれを「一緒に探す」と呼んだ。翔はそれを「美佳さんが知りたいなら」と言った。誰も、やれとは言っていない。でも全員が、美佳の「知りたい」という感覚を、起点にしている。


 ──私が知りたいと思っているから、話が動いている。


 それは、主体的ということなのか。それとも、うまく誘導されているということなのか。


 美佳にはまだ分からなかった。


 でも一つだけ分かることがあった。


 知りたい、という感覚は、本物だ。誰かに植えつけられたものじゃない。翔に「自分の問いですか」と聞かれたとき、根拠はないけれど、と答えた。その「根拠はないけれど」という感覚が、今も変わっていなかった。


 美佳はスマートフォンを取り出して、朝倉にメッセージを打った。

 

 「有栖川さんと話した。次に翔さんが動くとき、一緒に来てほしいって言われた」


 すぐに既読がついた。


 「どうするの」と朝倉は返した。


 美佳は少し考えてから打った。


 「行くと思う。朝倉も来る?」


 「行く」と朝倉はすぐに返した。


 美佳はスマートフォンを置いて、カウンターを拭いた。


 一度。


 戻って、もう一度。


 今日は、それが選択癖だとは思わなかった。ただ、手を動かしたかっただけだ。それだけのことが、少し前より自然にできている気がした。


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