第二百十二話 俺もこの世界にバレンタインデーを普及させようか迷ったんだよ。今くらい景気が良ければ多少高くても甘い物を相手に贈られるけど、去年までだと少し厳しかったからな
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楽しんでいただければ幸いです。
二月十四日。元の世界ではチョコレートの売り上げが凄まじい日だったが、あいにくとこの世界にはバレンタインデーなんて風習は無い。今まで来た異世界人がひろめなかったのが原因だけど、この辺りだと砂糖もまだまだ高いしクッキーを渡すのが精々じゃないかな?
そもそもこの辺りではまだチョコレートが普及していないんだから、プレゼントにチョコレートってのがハードルが高すぎるんだよね。来月のお返しで飴とかでも結構するし。
ただ、多分別の世界だろうけど俺がいたような世界から来て結婚まで秒読みな恋人がいる雷牙は結構凹んでいた。だからこの辺りにはチョコレートなんてないんだって。
「バレンタインデーって風習が無いというか、今まで別の世界から来た人間でバレンタインデーをこの世界に普及させようとした人間がいないのが面白いんだよな」
「そうか……。そういえばこっちだとそんな風習はなかったのか。数日前から今日になるまでずっとそわそわしてた俺を見て、エヴァが何となく気にしてたようではあるんだけど」
「俺もこの世界にバレンタインデーを普及させようか迷ったんだよ。今くらい景気が良ければ多少高くても甘い物を相手に贈られるけど、去年までだと少し厳しかったからな」
「一年でここまでこの辺りの生活を変えたお前の手腕が凄すぎる。これも世界を平和にする方法のひとつだろう」
これで戦争とかが多い世界だとまた違ったんだろうけどね。この世界は戦争をするにはあまりにもバランスが悪すぎる。
超強力な魔法使いが相手にいれば終わりというクソゲー。敵対勢力の誰かが万が一にもオリジナルの魔法を使えた場合、最悪この世界のどこにいても射程範囲ってバカげた状況だからね。
「カロンドロ男爵やスティーブンの協力。それに各ギルドが協力してくれたおかげさ。俺はほんの少し手を貸しただけだよ」
「……スティーブンが聞いたら複雑な顔をしそうなセリフだな。あいつから聞いた話だけでも相当色々関わってるだろ?」
「アイデアとほんの少しの手法を広めただけさ。最終的にこの世界が平和になれば、俺のした事なんてなんでもなくなるよ」
当たり前の様に誰もが幸せに暮らせて安全で安心できる生活を送れる。
お腹を空かせて泣く子供も、その子供に何も差し出せずに苦悩する親の姿も見たくない。そんな状況が生まれない様に食糧事情だけは最優先で改革してきたからね。
「ほんとに無欲というか、自分の功績をひけらかしたりしないな」
「誰かを助けて恩着せがましいブレイブなんていないだろ? 力や知識を持つ者はそれにふさわしい行いをする物さ」
「違いない。ここまで平和になると俺も暇にはなるんだが」
まだ黒龍種アスタロトと邪神の残滓がいる以上、雷牙にこの街から離れて貰う訳にはいかないしな。
せっかくブレイブが三人もそろったんだし。
「ルッツァみたいに冒険者ギルドで新人の育成とか、学校で先生とかもいいと思うぞ。この世界の文字は読み書きできるんだろ?」
「ああ。だが俺はなんとなくなんだけど人に教えるのは割と苦手でな。しかしこのままだと本当に何も仕事が無い。いくら金を持っているとはいえ、結婚するのに無職は無いだろ?」
「金を持ってるんだったら店開いて店長を雇うって手もあるぞ。オーナー経営者的な感じでね」
「その手もあったか……。しかし、それはうまくいくのか?」
「ある程度料理の修行をしたら、自分に店を持ちたいって人はいると思うけどね。スティーブン辺りに相談するのもいいかもしれない」
あまり忙しい仕事の場合、何かあった時に抜け出せなくなるしな。
土方の方は建築関係で大忙しって言ってたし、あいつも現場から抜け出すのは少し苦労しそうな気がする。
「オーナーか……。それは働いてるといっていいのか?」
「働き方なんて人それぞれさ。身体を動かしたいんだったら喫茶店のマスターって手もあるぞ」
「汎用戦闘種に襲撃されそうだからやめとくぜ。……働き口についてはスティーブンに相談してみるか」
「そうした方がいいだろうね。あいつだったらあまり忙しい仕事は回してこないと思うぞ」
まだ敵が残ってるのを理解してるだろうしな。
「それはそうとして、来年はバレンタインデーのチョコとかもらいたいとか思わないか?」
「まだそこにこだわってたのか? この世界でチョコレートを普及させるのは無理だって。アレは相当手間のかかる食材なんだぞ」
「お前がそこまで言うんだったら相当なんだろうな」
「元の世界みたいに完成品のチョコ溶かして固めるならともかく、一からチョコを作るのは相当に手間だ。カカオ豆自体もそんなに手に入らないし」
俺が寿買で板チョコ買って渡せばいいんだけどね。転売があるからファクトリーサービスで作ったのじゃないとダメかな?
それに甘さを出すのに使う砂糖の量がね……。
「あきらめざるを得ないのか?」
「もし仮に俺が板チョコをエヴェリーナ姫に渡したとしてだ、彼女の腕で湯煎して固めるだけで済むと思うか?」
「多少の事は目を瞑る」
砂糖が山ほどぶち込まれた激甘チョコレートが出来るか、それとも塩とか何かを混ぜたチョコレートモドキが出来るかはちょっと興味があるな。
ファクトリーサービス製の板チョコはっと……、あるある。
「板チョコだ。湯煎の方法が書かれた本と型もつけてやるけど、こっちの文字じゃないから気を付けろよな」
「サンキュ!! これで練習してくれれば、来年にはチョコが貰えるだろう」
「頑張れよ。俺もヴィルナにチョコを渡してみるかな」
そういえばヴィルナはあまりお菓子類を作らない。
砂糖が高いから? いや、でも砂糖も結構な量を渡してるしな。厨房の棚には小麦粉とかも保管してあるし。
「結果の報告はまた今度するぜ」
「おう。一応作る所も見守ってた方がいい気がするけど」
「そこは信じてるさ」
エヴェリーナ姫クラスのアレンジャーは信じたらダメだろ?
料理を教わりに来た時でヴィルナの叫び声が聞こえない時が無いしな。
「健闘を祈るぞ」
いざという時は万能傷薬でなんとかするだろう。強力な毒消しも預けてあるし……。
◇◇◇
「お菓子じゃと? ふむ、そういった風習があったのか」
「本当は別の物を送ったりする日だったんだけどさ、なぜか俺のいた国では女性から男性にチョコレートを贈る日だった」
「チョコレートとはあのココアという飲み物を固めたような物か?」
「わりと似てるね。両方とも原材料はカカオ豆だし」
「チョコレートケーキは食べた事があるのじゃが、そこまで執着するほどの物でもなかろう? 甘いだけであれば他に幾らでもよい物があると思うのじゃ」
果物とか他のケーキの方が好きっぽいしな。ヴィルナはチョコレートの苦みが割と苦手なんだろう。
バタークッキーとかは大好物だしね。
「チョコレートは栄養価が高いからってのもあるんだろうけど、俺はそこまで固執してはないかな。ヴィルナの愛を疑ったりしないし」
「わらわもソウマの愛を疑ったりはしないのじゃ。そうじゃな、あの男だけチョコを送られておるのはソウマに悪いじゃろう」
「チョコって割と扱いが難しい食材だから……。チョコの作り方とかチョコを使ったデザートの作り方が書かれた本もあるよ」
「今日はわらわがついでに晩御飯まで作るのじゃ。ソウマはシャルと遊んでおるといいのじゃよ」
「なぁぁぁご♪」
シャルがヴィルナの膝から俺の膝に飛び移ってきた。もう完全に成猫なのに子猫っぽさが抜けないんだよね……。
「シャルにチョコは毒だから食べさせられないよ」
「わかったのじゃ。欠片とかにも気を付けねばならぬな」
「あまりチョコを出した事がなかったのもシャルがいるからだしね」
ネコに食べさせたら危険な物は多いし、嗅がせてもダメなものは多い。うちだとラベンダー系の香料とかも完全排除してるくらいだ。
◇◇◇
「今日は鍋にしてみたのじゃ。チョコレートはデザートじゃな」
「豚バラ肉と毛長鶏のモモ肉入りのみぞれ鍋か。この時期は大根もおいしいよね」
大根おろしが山ほど入った鍋。
肉も柔らかくなってるし、豚バラ肉が入ってるのにあっさりして食べやすいんだよな。
「シャルには鳥モモ肉を柔らかく煮た後で細かく刻んであるのじゃ。いまだに大きな塊で食わぬのは不思議なんじゃが」
「ずっと細かく刻んでるから、あの形で慣れちゃったのかもしれないな」
「うみゃぁぁっ」
「美味しそうな顔をしてるからあれでいいかも」
「そうじゃな……」
腹八分目に留めてあとはデザートを待つばかり。さて、ヴィルナはどうするかな?
「チョコレートを溶かしてクッキーを漬け込んでみたのじゃが」
「ラスクっぽくなった? 美味しいよ」
「ソウマはそういってくれると思っておったが、流石にわらわもこれでは納得がいかぬできなのじゃ。しかし、これを使いこなすにはかなり時間がかかりそうじゃな。来年には何とかしてみせるので期待しておいてほしいのじゃ」
「後でまた本を渡すよ」
この世界初のバレンタインデーは俺にとって割と甘い夜とセットとなったけど、雷牙の奴はなぜか三日ほど寝込んだみたいだ。武士の情けで詳細は聞かないでやったけど、エヴェリーナ姫はチョコにいったい何を混ぜたんだ?
読んでいただきましてありがとうございます。
誤字報告ありがとうございます。とても助かっています。




