(70) ルチアはルチアでした
それから、ジェレミアとは他愛ない話をしたり、一緒に食事を摂ったりした。記憶持ちたちのことはほとんど話題にされず、その日は彼が宣言した通り、眠るまでずっと一緒にいた。
とはいえ、ドーラには妙な目つきで見られるし、たまにパオラも顔を出したり、公爵が訪ねてきたりとそれなりに忙しかったが、わたしはたっぷりとジェレミアを見られて嬉しかった。
そのおかげか、夜はぐっすりと眠れ、夢にまでジェレミアが登場したほどだった。
心から安心して、わたしは心身ともに休むことが出来た。
そしてその翌日。
病人でもないのに寝ているのもおかしいと思ったわたしは、まだ寝ていた方がいいと言い張るドーラを説得し、いつものように起きて着替えて動き回ることにした。
当然だが外出はしない。
あれほどきつく言われたし、わたしも出歩きたいとは思わない。
何やらゴタついている間に春は近づいていたが、それでもとにかく寒いことに変わりはなく、曇りの日も多い。冬の王都はあんまり天候が良くないのが通常だと聞いていたが、本当にそうだった。
窓の外の風景を眺め、わたしはとりあえず手紙を書くべきか、それともルチアに会いに行くべきか迷った。
「とりあえず、デニーは休んでくれているみたいだし」
彼女はあれ以降顔を見せない。ということはつまり、ちゃんと休息してくれているはずだ。そうは思ったものの、一抹の不安はある。
わたしは首を小さく左右に振って、いやいやここは信じないと、と自分に言い聞かせてそのことは考えないことにした。
ちなみに、ジェレミアはパオラと一緒に小用とかいって出かけている。理由は不明だが、すぐに戻ってくると思う。
ドーラは自分の仕事で忙しい。
食事まではまだ時間がある。
わたしは「よし」とつぶやいて部屋を出た。
途端、視線が幾つかこちらへ向けられるのを感じた。わたしはやや顔を引きつらせつつ、普通を装って歩く。
――やっぱり、見られてるなあ。
わたしが勝手な行動を取らないよう、特に邸の外に出て行かないよう見張れとパオラが命じているのだろう。
何と言うか、見るのは良くてもこうして見られるのはいたたまれないが、仕方がない。
わたしはぎこちない動きで目的の場所へと向かった。
もちろん、目的の場所とはルチアの部屋である。
正直、ずっと気になっていたのだが、ジェレミアやパオラ、ドーラがずっと張りついていたので、訪ねようにも訪ねにくかったのだ。なぜなら、わたし一人の時の方がルチアも話がしやすいかな、と思ったからなのだが、それ以外にも理由はある。
ジェレミアが近くにいる状態で、パオロのことを話題にするのは抵抗があったのだ。
やがてルチアの部屋に着くと、ノックして呼びかける。すぐにルチアの小間使いが出て来て中に招き入れてくれる。それからルチアにわたしの来訪を告げに行く。
と、すぐ隣の寝室から押し殺したうめき声が聞こえてきた。
「な、なに?」
呼ばれるまで待とうと思っていたが、びっくりしたわたしは思わず寝室に入ってしまっていた。
そこで見たのは、盛り上がって小さな山みたいになった布の塊だった。恐らく、ルチアがふとんをかぶって丸まっているのだと思う。
ここまでされることをしたり、言った覚えはないんだけど。
しかも微かに震えてるし……。
「……えーと」
困惑して小間使いを見れば、彼女は疲れたような顔をして言った。
「申し訳ありません。ずっとこうなんです……レディ・アストルガがいらしてもこの状態で、中々出て来て下さらなくて」
それはご苦労様です。と言うか、原因はパオラかな。多分そうなんだろうけど、ジェレミアも一役買ってそうな気がするのは気のせいだろうか。
あの姉弟、眼力半端ないからなあ。
そんな風に見られてもわたしなら狂喜乱舞するけど、ルチアは怖かっただろうし、と思いつつ眺めていると、小間使いが布の山を揺さぶり始めた。
「ルチア様! ロレーヌ様ですよ、怖くありませんから。ロレーヌ様は何もしませんし、仰りませんよ~」
ほらほら~、出て来てくださ~い。と、かなりおざなりな調子で言いながら揺する小間使い。もうかなり面倒になっているらしい。しかし、それが良かったらしい。
布の塊から声がした。
「ロレーヌお姉様?」
「そうですよ、もうこちらにいらしてます」
小間使いの言葉に、ようやく布の塊が動いた。もそもそと音がし、布から頭がちょこんと出る。その様子はどことなく亀っぽい。
とはいえ、やっとこれで話せる。わたしは笑みを浮かべて言った。
「おはようルチア、あの、大丈夫?」
その問いに、ルチアはすぐに反応せずにしばらくわたしをじっと見てくる。わたしはどうしたら良いかわからず、気づかわしげな笑みを浮かべたままで固まる。
やがて、ようやく硬直の解けたルチアは言った。
「お姉様……申し訳ありませんでした」
しおしおとそのまま萎びて倒れてしまいそうな調子でうなだれるルチア。わたしは慌てた。
「も、もう終わったことだし、わたしも貴女も無事だったんだからいいのよ。大変だったけど、わたしだって悪かったんだもの」
ね、と言うと、ルチアは珍しく素直に「はい」と頷いた。
「それより本当に大丈夫?」
先ほどの状態はかなり尋常じゃなかった。
原因については思い当たるふしがないでもないので、余計なことは言わないことにする。今のルチアにはちょっとした単語や人の名前すら聞かせたらマズい気がするからだ。
すると、ルチアは質問に答えずになにやらこちらを見て口を開いた。
「ロレーヌお姉様、わたし、いつもお姉様が羨ましかったんです。だって、いつも楽しそうで、嫌な場面でもニコニコしてて。わたしにはそんなこと出来なくて、もしかしたらお姉様を真似たら出来るようになるかもって思ったんですよ」
「……はあ」
「それからは格好いい男の人を陰から見てニヤついたり、じっくりと観察したり、地味な格好をして人の目から隠れたりしてみました。そうしたら、誰の目も気にならなくなって、嫌なことを言われても耳に入らなくなったんです」
――なんだろう、微妙にいたたまれないんですけど……。
自分の恥ずかしい部分をあげつらわれているようで落ち着かないが、ルチアは真剣そのものだ。わたしは仕方なく、止めてと言いたいのをこらえて聞くに徹することにした。