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2/11

元カノ、過去の真相

校舎裏から猛ダッシュで走り去り、昇降口の陰に滑り込んだ瞬間。




 あたし――日向坂愛瑠は、壁に背中を預けてズルズルと床にしゃがみ込んだ。




「はぁ、はぁ……っ! あーもうっ……」




 バクバクと狂ったように警報を鳴らす心臓を両手で強く押さえ、一人で身悶えする。夕日の光を背負って立っていた、あの凛とした佇まい。




 中学時代よりも少し低くなった、耳の奥をくすぐるような声。そして、あたしを冷たく射抜いた、あの氷みたいな視線。あんなに冷たく突き放されたのに、あたしの頭の中は、彼への「好き」っていう感情は少しも変わらず、破裂しそうな風船みたいだった。この、二年間ずっと。





『今更、戻ってきても……もう、遅い……から』




 さっき彼が放った言葉を反芻した瞬間、胸の奥をキリキリと締め付ける生々しい痛みが蘇る。




 視界がじんわりと滲んで、涙がこぼれそうになった。




 ――当然だ。当たり前じゃん。あんな酷い振り方をしておいて、どの面を下げて「やり直したい」だなんて言えたんだろう。嫌われてて当然。怒らせて当然。全部、あたしが蒔いた種なんだから。





 第二ラウンドね、なんて強気なセリフを言って、走ってきたけど、あの場に留まっていたら号泣して崩れ落ちそうだったから、逃げるしかなかった。




 本当は、中学の時から、ずっとずっと、好きだったから。振ってしまった時の言葉も全部嘘だって、言いたかった。でも、言えるはずがないし、言うべきじゃない。





中学の時、クラスの片隅でいつも大人しく本を読んでいた彼――たかじょーくんは最初、そんなに印象が強い男子ではなかった。でも、何故だか時々目に入ってきて……、それから、あの出来事があった。きっと、彼はたかじょーくんは覚えてないような、彼にとっては普通の出来事が。





アタシはその日から、たかじょーくんの不器用な後ろ姿が、なぜか妙に頭から離れなくて。気づけばあたしは、教室の片隅から、廊下の窓から、彼の姿をそっと目で追うようになっていた。





 一度見つめ始めると、彼の世界が、次から次へとあたしの胸に流れ込んできた。


 テスト前、騒がしい放課後の教室で、彼は一人、ボロボロに擦り切れた参考書と黙々と向き合っていた。周囲の雑音なんて耳に入っていないかのように、ただひたむきに、鋭い眼差しでペンを走らせる横顔。




 夕暮れの誰もいない武道場の隅で、彼は一人、マメだらけの手で弓を引き絞っていた。ピンと張り詰めた静寂の中、パァン、と乾いた弦音が響き、矢が吸い込まれるように的を射抜く。こっそり遠くから見てるあたしに気付くわけもなく、彼は一人で汗ばんだうなじを拭いもしないで、また静かに次の矢を番えていた。





 あたしはどうしようもなく惹かれた。推しだ! と思った。で、すぐに気づいた。これは、推しでもあるけど、それ以上に、恋だ! 二か月くらい一人で大騒ぎして、ウザがらみとかもして、少しずつ仲良くなって、それからやっと、自分から「好きーーーーー!」って告白しちゃってた。彼は照れくさそうにうなずいてくれた。




 周りは、オタクに優しいギャルのやつだ! なんて言ってたけど、それは逆。


二人でいる日常がとても幸せだった。





だけど、夢みたいな交際が始まってしばらくした頃、あたしの幸せの裏側で彼が少しずつ摩耗していくことに気づいちゃった。




『大丈夫、次のデートも楽しみにしてるから』




 そう言って笑う彼の目の下には、日に日に濃い隈が刻まれていた。




 たかじょーくんは勉強も、弓道も、成績を落としていった。練習不足でマメがなくなった、手のひら。




 それから、決定的なあの出来事が起きた。もう、ダメだと思った。




 ――あたしと一緒にいるせいで、たかじょーくんの大切な未来が壊れていく。彼が、彼らしくいられなくなっていく。そう気づいた瞬間、目の前が真っ暗になった。だから、喉の奥が引きちぎれそうな痛みを堪えて、人生で一番、最悪の嘘を吐き出した。




『地味だから超つまんない。ハイスペな人と付き合いたいんだよね』




 あの日、彼の前で見せた、心にもない冷たい笑顔。背を向けた瞬間に涙がぼろぼろと溢れて、声を殺して泣いたあの日の夕暮れ。




 あたしの嘘を信じ込んだ彼は、そこから、以前よりさらに努力を始めた。高校に入り、彼が「完璧なハイスペック男子」として噂されるようになるたび、あたしは遠くからそっと胸を撫でおろしていた。




 周りの女の子たちはこぞって「高城くん、急にイケメンになってヤバい」って騒ぎ立て出してるのにも気づいた。




 はー!? 何言ってんの!? 昔からたかじょーくんは変わらずバチクソカッコいいんだが!? ずっとああだが!? とか思いつつ、それは表に出せない。そんなことを言う資格はあたしにはなかったのだ。




彼は傷ついたから頑張っていて、傷つけたのは、わたしだ。




が。


が、である!




 今の立派になった彼なら、もうあたしと一緒にいても自分を見失ったりしないはずではなかろうか?




 そして、あたしもあの頃よりは少し大人になれたから、今度こそ彼をちゃんと支えてあげられると思う。




 だから、もう大丈夫。さああの頃のことをゴメンして、そこからやり直していく感じで!




 ……本当は、ただ忘れることができなくて、このまま彼の人生の中から消えていくのがイヤだっただけだけど。




 高一の後半、彼の活躍を遠くから見つめながら、そう思ってたけど、自分の都合だけでまた近づくなんて、どの面さげて案件である。遠くから彼を見てはあうあう言いつつ、話しかけることもできないでいた。




 だから、あたしは神様に賭けをしたのだ。二年生へのクラス替え。もしも同じクラスになれて、おまけに席が隣同士になれたなら――それは神様が「もう一度頑張れ」って言ってくれたんだと、そう信じよう。もしそんな奇跡が起きたら、色々ゴチャゴチャしたことは一回全部捨てて、もう一度彼にアタックしよう、と。




 臆病な自分の背中を押すための、たった一度きりの賭け。




だけど、現実は非情だった。貼り出された名簿の中に「高城律人」の名前を見つけた瞬間は、心臓が跳ね上がるほど嬉しかった。でも、その後に決まった席順は――。




「離れてるじゃん……。全然、隣じゃないし……」




 やっぱり、神様は許してくれないんだ。都合よく戻ろうとするあたしを、呆れて見てるんだ。一度机に突っ伏して、泣きそうになりながら斜め後ろに視線を向ける。そこには、背筋をピンと伸ばして静かに黒板を見つめる、大好きな横顔があった。




 授業中、視線をほんの少し動かすだけで、いつでも彼の横顔や、右肩が視界に入る。




「……いや、待って?」




 あたしは机から勢いよく顔を上げた。




 隣の席ではない。けれど、視線的には遮るもののない、ほぼ直線上の特等席。授業中にちょっと顔を傾けるだけで、いつでも彼のことを見つめられる。ある程度距離もあるから逆にバレない! これって……実質、隣の席と言っても過言ではないのでは?





 うん。そうだ。絶対そう! 実質隣っしょ! これもうあたしの勝ち! セーフ!!




そんなの、ただの子供騙しみたいな屁理屈だ。運命に見放されたことを認めたくなくて、無理やりルールをねじ曲げただけ。でも、そうでもしなければ彼の元へ一歩を踏み出すことなんてできなかった。この奇跡(と決めたもの)を逃したら、もう一生、彼に謝ることも、好きだと伝えることもできないから。だから今日、震える足を必死に叩いて、彼を校舎裏に呼び出したのだ。




「あんな酷いこと言っておいて、ほんと、あたしって自分勝手だよね……」




 体育座りで膝を抱え、ぽつりと呟いた声が、静かな昇降口に吸い込まれていく。わかっていたはずなのに、冷たく拒絶された瞬間、胸に突き刺さったナイフの痛みに、本当は泣き崩れて絶望しかけた。




 でも、あそこで泣いて引き下がったら、マジでもう終わりになっちゃう。過去の過ちをちゃんと償って、これからの未来を一緒に歩くって決めたのは、あたしなんだから。




「……よしっ!」




 両手で思いきり、パンッ、と両頬を叩く。じんわりとした痛みが、弱気な心を弾き飛ばした。




 冷たくされたっていい。ウザがられたっていい。マイナスからのスタートなんて、最初から百も承知。




ちょっと過剰なくらい行く。恥ずかしくて無理とか、付き合ってもいないのにおかしいとか、そういうのは一回忘れる。それこそたかじょーくんが中学の時に読んでたラブコメラノベの女の子くらい積極的に行く。ありえないっしょこれ、と思っててゴメン。




どんなに冷たくされたっていい。




絶対泣かない。明るく、可愛く、元気よく! 




「今日から『第二ラウンド』……絶対に、あたしの方を振り向かせてみせるんだから」




 オレンジ色に染まる校舎を見上げ、あたしはギュッと拳を握りしめた。負い目も罪悪感も全部抱えて走る。運命だろうが何だろうが、全部捻じ曲げてでも。




 覚悟しててね、たかじょーくん。あたしの「好き」は、あのころからずっと、ガチのマジだから!

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― 新着の感想 ―
まあいいじゃないですか。全然いいと思いますし、普通にめっちゃおもしろいです。
真相がこうだとして、それを当時も今も説明もしなけりゃ ちゃんと謝りもしないのではただのクソ女なのである
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