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辺境に追放された悪役令嬢、特撮オタク保育士の知識で領地を聖地化したら死神公爵に溺愛されました  作者: 栗原りんご
第1章 ヴォルフラム編

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51. 死神はハニートラップにも揺らがない

ヴォルフラム城の広間。高い天井から注ぐ陽光が、カイルに連れられてやってきた銀髪の美女――カイエを神々しく照らしていた。


「……というわけで、海で行き倒れていたところを一時的に保護しました。とりあえず人手の足りない厨房や掃除を手伝う見習い侍女として置きますが、働き口が見つかり次第、出ていってもらう予定です」


淡々と説明するカイルの横で、カイエは儚げな百合の花を思わせる仕草でしおらしく頭を下げる。


「初めまして、奥様。カイエと申します。……右も左もわからぬ身ですが、精一杯お仕えさせていただきますわ」


その透き通るような美しさに、ルーナマリアは思わず身を乗り出した。


「爆美女ですね……。なんか、侍女にしておくのはもったいないような。ねぇ、そのビジュアル、次回作のヒロインとかライバル役に――」


「奥様。すぐキャスト側に引き入れようとする癖、やめてくださいね……?」

「は、はぁい……」


カイルの眼鏡の奥がキラリと光り、有無を言わせぬ事務的な威圧感にルーナはその場を引き下がった。


(くくく……この人がこの城の奥様か。調べたところによると、魔力ゼロの公爵令嬢。ネレイス様から授かったこの美貌に、あんな地味な女――まぁ、愛嬌だけはあるみたいやけど――勝てるわけあらへんわ! 城にさえ入ればこっちのもんや!)


カイエは心の中でほくそ笑み、さっそく標的であるギルバートを狙い定めた。


翌朝。

訓練場では、ギルバートと騎士団の朝の鍛錬が終わろうとしていた。荒い息遣いと、男たちの熱気が漂う中、カイエはここぞとばかりに、飲み物とタオルを盆に載せて近づいていく。


「カイエさんって、本当に綺麗な人だよなぁ。見惚れちゃうよ」

「バカ、お前。俺は断然、奥様派だ。あの元気な笑顔が一番だろ」

「それは完全に合意。異論なし」


騎士たちのそんな声を聞き流しながら、カイエはギルバートの前で柳のようにしなやかに膝をついた。


「ギルバート様……。タオルをお持ちいたしましたわ」

「……気安く名前で呼ぶな。ヴォルフラム閣下、だ」


氷のような冷たい声が飛ぶ。その瞳には一片の情愛もなく、ただの「物体」を見るような冷徹さが宿っていた。


「も、申し訳ございません……!」

(なんなんこの男。感じ悪ぅ。朝から心臓止まるかと思ったわ! まぁええ、勝負はこれからやで……!)


昼下がり。ギルバートとカイルが、午後の視察に向けて廊下を歩いていた。

カイエはここぞとばかりに、重そうなバケツを持ち、二人の前でわざとらしく足元をふらつかせる。


「あ……っ、立ちくらみが……」


カイエは計算し尽くされた角度で、ギルバートの胸元を目がけて倒れ込んだ。目を閉じ、長い睫毛を震わせ、今にも折れそうな花のような弱々しさを演出する。


(これでガシッと抱きしめられたあとに、上目遣いで……)

ドスッ。

「……ぐぇっ」


期待していた温かな腕ではなく、カイエの体に当たったのは、冷たくて硬いバケツの縁だった。

ギルバートは、まるで路上の石を避けるかのように軽やかな身のこなしで一歩横にズレ、倒れ込んできたカイエを完全にスルーしたのだ。

床に手をつき、バケツから溢れた水に濡れながら無様な格好で這いつくばるカイエ。


「…………」


ギルバートは立ち止まることすらせず、隣を歩くカイルに冷たく言い放った。


「カイル。不衛生だ。掃除の途中で倒れるような虚弱な奴に、この廊下を任せるな。……目障りだ」

「申し訳ございません、旦那様。すぐに代わりの者を寄こします」


カイルは倒れているカイエを見下ろし、二人は一抹の同情すら抱かない、ゴミを見るような冷徹な瞳を向けて去っていった。


(嘘やろ。心折れそうなんやけど……いや、まだや。夜は男が一番隙を見せる時間帯や。そこで仕留めたる……!)


その日の夜。執務室の前でカイエはタイミングを計っていた。


(あの紫のにぃちゃん、まだ中に居座っとるな……。でも、今更引いてられへん。ここが勝負どころや!)


カイエは料理長に頼み込んだハーブティーのトレイを手に、意を決して室内へ滑り込んだ。揺れるキャンドルの火が、彼女の横顔を妖艶に照らし出す。


「夜分に失礼いたします、閣下。……お仕事中の旦那様へと、奥様に頼まれてお持ちいたしましたわ」


「……ルーナが?」


書類に向かっていたギルバートの手が、初めてピタリと止まった。顔を上げ、銀色の瞳が怪訝そうにカイエを射抜く。


「はい。旦那様がお疲れの様子なので、温かいものを、と。……こちら、特別に調合されたハーブティーですわ」


カイエはしなやかな手つきでカップを机の端へ置き、蓋を開けた。琥珀色の液体から、心地よい香りが立ち上る。


「……入れ」

「は、はい……!」

(よし、食いついた! さすが奥様の名前は魔法の言葉やな!)


内心でガッツポーズを決めるカイエ。だが、その背後で静かに控えていたカイルが、眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。


「……ほう。本当にこれを、ルーナマリア様に頼まれたと?」


「えっ……。は、はい、もちろんですわ!」


「奇遇ですね。私は先ほどまで奥様とお会いしていましたが、そのような言付けは一切受けておりません。……そもそも、奥様が旦那様へ差し入れをなさるなら、自ら持っていらっしゃるか、私に託すのが常ですので」


カイルのアンバーの瞳が、獲物を逃さない爬虫類のように冷たく光る。


「いらん。……信用のある者か、ルーナが直接持ってきたものしか口にしないと決めている。持ち帰れ」


ギルバートの声は、先ほどまでの僅かな熱を失い、絶対零度の冷気へと戻っていた。


(くそっ、この眼鏡いらんことを……! 全然隙あらへんやん! こうなったら、強行突破や!)

「あ、あら……! キャッ!」


カイエはわざとらしく足を縺れさせ、トレイを持つ手を滑らせた。 ガチャン、と派手な音を立ててカップが躍り、熱いハーブティーがギルバートの膝付近へとぶちまけられる。


「た、大変! すぐにお拭きしますわ!」


カイエはポケットに忍ばせていたハンカチを取り出し、慌てるふりをして彼の膝――際どいラインへと指を滑らせた。豊かな胸を強調し、香油の香りを漂わせながら、彼の視界に無理やり自分を焼き付けようとする。


(どうや! どんな聖人君子でも、これで見逃すはず……)


「……俺の体に触れていいなどと、誰が言った」


ギルバートの低い声に、部屋の温度が瞬時に凍りついた。見上げれば、そこには「男」の顔ではなく、今すぐ獲物を屠ろうとする「死神」の瞳があった。向けられた明確な殺気に、カイエの肌に粟が立つ。


「ヒッ……!!」

(怖い怖い怖い!! 本気で殺される!!)


カイエはハンカチを放り出し、脱兎のごとく執務室から逃げ出した。


「……カイル。あいつ、ただの路頭に迷った女じゃないな。他に『目的』がありそうな気がしないか?」


バタン! と扉が閉まった後、ギルバートは狩りを楽しむ獣のように、ニヤリと楽しそうにほくそ笑む。


「おや、奇遇ですね。私も全く同じことを思っておりました。……あそこまで下手な誘惑を仕掛けてくるとは、別の意味で感心しますよ」


カイルは手慣れた手つきで新しい書類を整理しながら、アンバーの瞳を冷たく光らせた。「死神」の城に踏み込んだ愚かなネズミを、どう料理してやろうか――眼鏡の奥の瞳が、静かに獲物を定めていた。

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