4. いざ辺境!「怪人」旦那様と運命のエンカウント
嵐のような一ヶ月が過ぎ、ついに旅立ちの日がやってきた。
屋敷の門の前には、荷物を積んだ馬車と、見送りのために集まった家族、そして使用人たちが並んでいる。
「ルーナ……本当に、その姿で行くのかい?」
父が困惑した声を出すのも無理はない。今の私は、フリルだらけのドレスではなく、動きやすさを重視して特注させた、膝丈のタイトな乗馬服もどきに身を包んでいたからだ。
「ええ。長旅ですもの、機能性が一番ですわ。いつ魔獣に襲われても、すぐに『アクション』に移れないと困りますもの」
「あ、あくしょん……?」
母が震える手で口元を抑える。一ヶ月の「特撮流トレーニング」のおかげで、あごのラインが発掘され、背中の肉は指を跳ね返すほどの弾力を持つ筋肉へと進化していた。正直、体重はあまり減っていないが、中身の密度が違う。
「お嬢様……どうか、お達者で……!」
「セバスも、重い荷物の運搬を手伝ってくれてありがとう。広背筋、いい感じに仕上がったわ」
「……お嬢様。辺境でも、その……お健やかに」
執事のセバスは、最後まで何とも言えない複雑な表情で頭を下げていた。
――馬車に揺られること数日。
王都の喧騒が消え、窓の外に広がるのは険しい岩山と深い森。
馬車の窓からその森を眺めながら、この時の私は完全に舐めていたのだ。
ここが『魔法』と『魔道具』があり、『魔物』がいる世界だということを。
ヴォルフラム領に入って数時間で、私の自信は粉々に打ち砕かれていた。
「お嬢様! 出てきてはいけません!」
御者の悲鳴と共に、窓の外で異様な『音』が響く。
重い肉が叩きつけられる音。獣の低い唸り声。そして、鼻を突くような生々しい鉄の匂い――血だ。
「ひっ……!」
窓から外を覗いた瞬間、心臓が跳ねた。
そこにいたのは、特撮の着ぐるみのような愛嬌など一切ない、泥と体液にまみれた巨大な狼。
(……待って。嘘。これ、本物?)
テレビの向こう側で見ていた爆発も、派手な火花もそこにはない。
ただ、静かに、そして残酷に「命が奪われる現場」が広がっている。
一ヶ月鍛えたはずの私の足は、生まれたての小鹿のようにガタガタと震え、一歩も動けなかった。
(怖い。帰りたい。家に帰らせて……!)
死の恐怖に飲み込まれ、頭が真っ白になったその時。
「――下がっていろ」
低く、鼓膜を震わせる声。
闇を切り裂くように、一筋の銀光が走った。
「ギャンっ……!」
一瞬だった。
さっきまで騎士を蹂躙していた魔物の首が、コマ回しのように宙を舞う。
返り血を浴びながら、一人の男がそこに立っていた。
黒い軍服を血で染め、感情の欠落した銀色の瞳で死体を見下ろす男。
「死神」ギルバート・フォン・ヴォルフラム。
彼は剣についた脂を無造作に振り払うと、こちらを一度も振り返ることなく吐き捨てた。
「……お前がルーナマリア・スカーレットか。さっさと来い。金はもう受け取っているからな……今すぐ家に帰ってもいいぞ?」
冷たく見下したような視線。隣に立つ副官のカイルが肩をすくめる。
「閣下、面倒くさいからって……。帰るにもまた魔物に襲われたらそれこそ面倒でしょう」
「……それもそうだな」
悔しい。けど反論できない。
私は、ただ拳を握りしめるしかなかった。
* * *
「ここが……地球防衛軍本部……」
思わず喉が鳴った。窓の外を見ながら独り言を漏らしていると、ついに目的地である「黒鉄の城」に到着した。
馬車の扉が開かれ、一歩外へ踏み出す。
出迎えた使用人たちは、血まみれの主君を見て怯え、私を「すぐに逃げ出す四人目の犠牲者」を見るような目で眺めている。
ギルバートは外套を脱ぎ捨て、顔についた返り血を見せつけるようにフードを取った。
「ルーナマリア。今の惨状を見れば理解しただろう。ここには娯楽も、贅沢もない。あるのは死と隣り合わせの日常だけだ」
彼は一歩、私に歩み寄る。圧倒的な殺気の余韻。
「1週間やる。1週間後に王都へ帰れ。こちらから護衛をつけてやる。お前のような、温室で育った女が生き残れる場所ではない」
普通なら、ここで泣いて逃げ出す展開だろう。
だが、その時。
私の脳内の「オタク細胞」が、恐怖を上回る速さで再起動を始めた。
(……あ、あれ。この人……顔がいいのはもちろんだけど。何より、あの特撮向きの体つき……!)
無駄肉を削ぎ落とし、必要な箇所にだけ強靭な筋肉をまとった、まさにスーツアクター垂涎の『動ける肉体』。一瞬の隙もない重心移動に、返り血を避けない最短距離の斬撃。
彼が纏っていたのは、華やかな「正義」ではない。生き残るために削ぎ落とされた、究極の「機能美」だ。
(これは5人の戦隊枠でいうと……ブラックってところかしら? 初期は仲が悪くて、15話くらいでデレる孤高の戦士系……私こういうキャラに弱いのよねぇ)
期待に胸を膨らませた瞬間、彼が冷徹な銀色の瞳をこちらへ向けた。
(……あ、なんか目が光った。やっぱ怪人枠だわ)
「中盤で絶望を振りまきながら出てくる、中間フォームか最終フォームかで視聴者が議論になるレベルの強キャラよね……。あのルックス、あの腕の筋肉の躍動感……」
「……何をブツブツ言っている」
低く、地を這うような声に意識を引き戻された。
不快そうに背を向け歩きだそうとしたギルバートに対し、私は震える手で、自分の膝に力を込めて立ち上がった。
「……待って」
「何だ」
「誰が……帰るなんて、言いましたか……っ。私はこの地で叶えたい夢ができたから、絶対逃げ出さない。師匠に鍛えてもらうんだから!」
ギルバートが、ほんの一瞬だけ目を細めた。
——怯えているはずの目だ。だが、その奥にある光は、どこか異質だった。
「……誰が師匠だ。言っておくが、お前を愛するつもりも毛頭ないからな。家に帰るまで余計なことはするなよ」
去っていく彼の背中を見送りながら、私は顎に手をかける。
「……うん。初回登場回のつかみとしては、オッケーじゃない?」
私の「特撮」な日々が、予想もしない方向へ幕を開けた。




