3. 修行開始、ただし魔法は出ない
「アンナ、身支度を手伝って! 動きやすい格好がいいわ。……って、そんな服ないわよね。一番マシなドレスでいいわ、さあ!」
「は、はい! お、お着替えですね、ただいま!」
アンナが混乱しながらもドレスの紐を締め上げる。紐のきつさに、改めて現状のウェイトを思い知らされていると、部屋の扉がノックされた。
「ルーナ、入るよ」
父と母が、腫れぼったい目をして入ってきた。
「体の調子はどうだい? 記憶の方は……まだ、何も思い出せないのか?」
「大丈夫なの? ルーナ……。あぁ、なんてこと」
縋るような両親の目に、私は背筋を伸ばして微笑んだ。前世の保護者対応で鍛えた、最高に安心感を与える笑顔だ。
「お父様、お母様、ご心配をおかけしました。すっかり元気です。記憶については……断片的ではありますが、これからゆっくり取り戻してまいりますわ」
「なんだか、雰囲気が変わったわね……?」
母が不思議そうに首を傾げる。そりゃそうだ、中身は日曜朝に命を懸けている保育士だ。
「……とにかく、朝食にしましょう。話はそれからよ」
食堂に移ると、父が重々しく口を開いた。
「……輿入れの日が決まった。一ヶ月後だ。それまでに、できる限りの準備を整えておきなさい」
「一ヶ月、ですね。承知いたしました」
一ヶ月。短いようで、オタクの集中力をもってすれば十分な期間だ。
私はさっそく行動を開始した。まずは食事の席で、料理長を呼び出す。
「料理長。今日から私の食事は、高タンパク低糖質、野菜中心のメニューに切り替えてちょうだい。油物は一切抜きよ」
「えっ、しかしお嬢様、あんなにお好きだった揚げ菓子やクリームは……」
「今後は不要よ。私は、最高のコンディションで辺境へ向かいたいから」
次に着手したのは魔法だ。
だが、ここで大きな壁にぶつかる。元々のルーナマリアは魔法の才能が皆無だったらしく、使い方の感覚がさっぱり分からないのだ。
「うーん、魔力ってのは『気合い』とは違うのかしら……」
午前中は図書室に籠もり、辺境伯領の地理、魔獣の種類、そして「死神」と恐れられる夫・辺境伯の武勇伝を徹底的に調べ上げる。
(「剣の達人」……「一振りで魔獣を両断」……いいわね、アクション指導役には事欠かないわ!)
そして午後は、庭の片隅で魔法の基礎訓練と、前世の知識をフル動員した「特撮流・高強度インターバルトレーニング」に明け暮れた。
「1、2! 1、2! 必殺技は腰のキレが命……! 魔法よ出ろ! 出ろったら出ろ!」
ドレスを脱ぎ捨て、動きやすい寝間着姿で庭を激走し、見えない敵とシャドーボクシングを繰り広げる私を、屋敷の使用人たちは「記憶喪失のショックでついに……」という憐みの目で見ていたけれど、そんなことはどうでもいい。
全ては生き残るため。そして、理想のヒロインになるために。
そんな私の「修行」を、屋敷の人々は異様なものを見る目で眺めていた。
「ルーナマリア……また庭で、地面を転がっているのかい?」
父が窓から、土まみれで前転(受け身の練習)を繰り返す私を見て、力なく呟く。
「……ええ。なんだか、今まで溜め込んでいたエネルギーを爆発させているようで。でも、あんなにハツラツとした娘、見たことがありませんわ」
母もハンカチを握りしめ、複雑な表情でそれを見守っている。
使用人たちの間でも、私の噂は持ちきりだった。
「あのお嬢様が、揚げ菓子を一口も召し上がらないなんて……」
「今朝も執事に『もっと重い負荷はないの?』と、庭の石像を運ぼうとして止められていましたよ」
「昨日なんて、大きな鏡の前で『ミラクルパワー!』と叫んでポーズを決めていらっしゃったわ……。やはり、記憶と一緒に何か大切なものが……」
アンナにいたっては、毎日私の着替えを手伝うたびに、驚愕の声を上げていた。
「お、お嬢様……! ウエストの紐が、先週よりさらに奥まで締まります! それにこの背中……なんだか、指が跳ね返されるほど硬くなって……」
「いいわ、アンナ。もっと締めて。広背筋に意識を集中させるのよ」
「こ、こうはいきん……? は、はい……」
私が必死に魔法のイメージを練りながら、「出ろ! 光線! 出ろ! 爆炎!」と庭で木に正拳突きを叩き込むと
木の枝が…折れた。(物理的に)
「……かつて『大輪の氷の花』と称えられたあのお嬢様が、今や『猛り狂う赤熊』のよう……。旦那様、奥様、申し訳ございません。私の力不足で、お嬢様を真っ当な貴族に引き戻せませんでした……」
執事のセバスは静かに涙を拭っている。
(見てなさい……辺境に着く頃には、どんなピンチも物理と気合で解決できるヒロインになってやるんだから!)
そうして、屋敷中に困惑と「ある種の諦め」を振りまきながら、嵐のような一ヶ月が過ぎていった――。




