凍り付いた思い出
私の中学の思い出は水泳だけ。水泳部で私は中3まで、エースとして活躍してきた。しかし、あの忌まわしいプールサイドの出来事以来、私の人生は一変した。水泳に対する情熱は消え失せ、水に入ることさえ苦痛になった。練習に集中できなくなり、タイムは見る影もなく落ちていった。
「芦川! 何をグズグズしているんだ! もっと速く泳げ!」
梅垣先生の罵声がプールサイドに響く。以前にも増して、彼女の指導は厳しくなった。特に私への風当たりは尋常ではない。
「すみません……」
小さく謝りながらも、体が思うように動かない。泳ぐべきなのに、足が重く感じる。腕をかいても、水を捉えられない。まるで悪夢の中を泳いでいるようだ。
ある日、自由形の練習中だった。疲労でフォームが乱れた瞬間、梅垣先生の怒声が飛んだ。
「芦川! そんな泳ぎ方は許さん! やり直せ!」
彼女が近くに置いてあったタオルを掴み、勢いよく私に向かって投げつけた。タオルは私の頬に命中し、鋭い痛みが走った。思わず水中で顔を押さえる。
「っ……!」
水面に赤いものが浮かび上がる。頬が切れたらしく、血が滲んでいた。
「なんだその顔は! 文句があるなら言ってみろ!」
梅垣先生はまったく反省の様子もなく、むしろ挑発するように言い放つ。部員たちは息を潜めて見守るだけだ。あの日と同じように。誰も助けてくれない。
それだけではない。部室での更衣時や練習中にも、屈辱的な行為が続いた。
「芦川、今日のメニューは特別だ。水着を脱いで泳いでみろ」
ある日の午後の練習中、梅垣先生は突然そう告げた。
「……え?」
聞き間違いかと思ったが、彼女の冷たい目は冗談を言っているようには見えない。
「聞こえなかったのか? 水着を脱いで泳げと言ったんだ。近頃、お前のタイムが下がっているからな。プレッシャーをかける訓練だ」
周囲の部員たちの視線が集まる。顔が火照るのがわかる。あの日の悪夢が蘇る。スクール水着を脱ぎ、裸で泳いだ屈辱と寒さ。二度とあんな目に遭いたくない。
「せ、先生……それは……」
言葉に詰まっていると、梅垣先生が一歩近づいてきた。
「まさか断るとは言うまいな? 委員長であり、エースであるお前が。この前だって同じことをやったじゃないか。見本を見せるんだろ?」
最後の一言は囁くような声だったが、鋭いナイフのように私の心を抉った。
「……わかりました」
震える声で答えるしかなかった。他に選択肢などないのだから。スクール水着をゆっくりと下ろす。ひんやりとした外気に肌が晒され、鳥肌が立つ。プールサイドに水着を置き、裸のままプールへ入る。冷たい水が体を包み込み、歯の根が合わなくなる。
「よし、じゃあクロール200mだ。休憩はなしだぞ」
梅垣先生の指示が飛ぶ。涙が止めどなく流れ落ちるが、プールの中なので気づかれまい。必死に泳いだ。周囲の視線が突き刺さる。部員たちも見て見ぬふりをしているか、あるいは哀れみの目で見ているのだろう。もうどうでもよかった。早く終わってほしい、それだけを願っていた。
こうして私の中学最後の年は、苦痛と屈辱の連続だった。エースの座は後輩に譲り、チーム内での立場も微妙なものになった。同級生たちは、かつての栄光の選手が転落していく様をどう思っているのだろうか。時折向けられる視線には、同情や戸惑いだけでなく、どこか優越感のようなものも混じっている気がして、なおさら惨めになった。
それでも部活をさぼることはできなかった。多香美女子校は全寮制だから逃げ場がない。それに、そもそも水泳をやるためにこの学校に入ったのだ。寮の門限は厳しく、外出も自由でない。教師や寮監だけでなく、同じ水泳部の部員たちの目もある。私がうかつなことをすれば、すぐに梅垣先生の耳に届いてしまうだろう。またどんな目に合うか、考えるだけでも身震いした。
「芦川、部活動に参加していないようだが、どうしたんだ?」
それでも一度だけ、体調不良を理由に休んだ時があった。しかし、すぐに梅垣先生に呼び出され、厳しい詰問を受けた。
「体調管理もスポーツマンの基本だ! 怠けているんじゃないだろうな!」
結局、次の日には否応なく部活動に出させられた。




