第63話 六角堂
ゴエモンはアヤカ、サイゾウ、オユキを伴い六角堂(頂法寺)を訪ねた。
六角堂の敷地内には既に救民小屋が立っていて、数人が住み着いているようだ。
住職の快玄は60くらいの厳格な雰囲気を醸し出していたが、長年弱者救済を行ってきた寺の僧として、信長肝いりの救民活動を積極的に支援すると言ってくれた。
「当寺の救民活動は、こちらの円空という寺僧に万端任せるので、今後は委細円空に相談の上進めてくだされ。」
そういうと快玄は席を辞した。
円空という僧は、まだ25,6の若い僧で、柔らかな物腰の、いかにも慈悲深い僧という雰囲気をたたえていた。
「あなたが近頃評判の風結庵のご主人ゴエモンさんですね。それとあなたがご内儀のアヤカさん。」
「はい。そしてこちらが今回救民活動の手伝いとして国から呼び寄せた従兄のサイゾウとその内儀オユキでございます。」
二人と円空は互いに目礼しあった。
「現在敷地内には3か所救民小屋を設置してあります。今はあまり入っている人がいませんが、噂の伊賀侵攻があれば、この数では足りなくなるかもしれません。それ以上に、人が増えれば疫病が増えます。それを増やさない良策があればと思い、風結庵のお二人に相談した次第です。」
アヤカは遠巻きに小屋の様子を眺めていたが、円空に向かい言った。
「小屋の中、見せていただけますか?」
「はい、どうぞこちらに」
円空が先だって歩き出す。
円空に気づくと、小屋の入所者は「おはようございます」「これは円空様」と挨拶してくる。
小屋は板敷きで何もないだだっ広い空間で、皆雑魚寝している。
窓はなく、寝具も藁のかけ布団1枚。
入所者は着のみ着のまま。着替えもない。
外に出ると、共同の井戸と便所がある。
ざっと見てアヤカは円空に言った。
「率直に言って、せっかくの救民小屋だけど、これではかえって入った人を病気にしてしまうわね。」
アヤカの忖度なしの評価に円空も少しムッとした感じで問い返してくる。
「何がどういけないのでしょうか?古来救民小屋とはこのような形でずっとやってきております。当寺の扱いが不当に悪いわけではございません。」
「ごめんなさい。言い方が悪かったわ。これまでのやり方を踏襲してきたのは仕方ないけど、根本的に考え方を変えなきゃダメなの。」
「それはどういう意味ですか?」
「疫病の原因は、目に見えないくらい小さな生き物が鼻や口から体内に入ることが原因なの。だから、鼻や口に入るものを綺麗にしなければならないわ。その一番は何だと思う?」
アヤカにそう言われ円空は考えた。
「食器や箸でしょうか。」
「それも大事。でも一番大事なのはこれ」
といってアヤカは手のひらを円空の正面に差し出した
「これ...は、手…でしょうか?」
「そう。人は全ての所作を手で行うわ。手が汚染されていると、食器や箸はもちろん、手が触れるあらゆるところが汚れていくの。それが疫病の元になるわ。」
公衆衛生という観念が無く、顕微鏡なども当然無い時代である。細菌やウイルスなどの存在も知られていない。円空にはアヤカが言う意味が半信半疑であった。
だが、市井でアヤカが神業の持ち主という評判であることも聞いているだけに、その言を信じてみようという気にもなっていた。
「具体的にどうすればいいのでしょうか。」
「そうね。石鹸なんかあるわけないから、今できることはとにかく水で手を洗うこと。特に食べ物を食べる前、排せつをした後は必ずね。手洗用のたわしがあると効果的だわ。あと、夏場はいいけど、冬場は水が冷たいと皆やらなくなるから、お湯を常時沸かすことも大事ね。」
円空は頷きながら聞いている。
「あとは、お風呂。入所者は3日に1度は湯に入れて体を清めることが大事よ。」
この時代の風呂は蒸し風呂が中心で、湯に浸かるのは一般的ではなかった。それには薪などの燃料費がかかることも理由にあった。
「それは、ちょっと費用もかかるのでできるかは即答しかねますね...」
円空は少し考え込んでいる。
アヤカは構わず続ける。
「小屋の中も陰湿で空気の通りが悪いわ。一度病気が発生すると蔓延するのが必定だわ。なので、まずは窓を設けましょう。明かりをいれることで雑菌は死滅するし、喚起をすることで悪い空気が外へ出ていくわ。」
円空はもう頭が付いていかなかった。
とりあえずアヤカがいうことを一つ一つ記憶に留め置こうと必死だった。
「あとは…」
さらにアヤカが続けようとすると、円空は慌てて手を振った。
「あ、アヤカさん、今日のところはこれまでで。一度に言われても私も初めてのことばかりで、一度整理する時間をいただきたく...」
ゴエモンが優しく諭す
「そうだよアヤカ。僕らにとって当たり前のことでも、円空さん達には馴染みないことばかりなんだから、考えてもらう時間をあげないと。」
「あら、私ったらつい夢中で。ごめんなさい。」
「いえいえ、この救民所のために真剣にお考えいただきありがたく思います。当寺には私以外にも多数の寺僧がおられます。一応私が責任者とされていますが、古くからのやり方を変えることを良しとしない者もいます。そうした方々を説得する時間もいただきたいのです。」
「よくわかります。ただ、時間はあまりないので、できるだけ早く動きださなければいけません。資金面については、事前に神谷様に話を通して、町衆の援助をいただける手はずは整っています。」
「何から何までぬかりありませんな。ご公儀があなたを責任者としたことがわかります。私も寺内を説得し、皆さんのご意向に沿うよう努力いたします。」
そう言うと円空は一礼し、踵を返した。
「アヤカさすがだね。」オユキが感心している。
「わたし、仕事のことになるとつい夢中になっちゃって…」アヤカがちょっと照れ臭そうにしている。
「サイゾウさん、オユキさん、僕らは風結庵もあるので、ここが本格的に動き出したら、お二人にお任せすることになると思います。」
「あぁ、何でも言ってくれ。俺たちも京で生きていく地盤を作らないとな。」
「そうね。私たちにできることも色々考えなきゃ...」
そう言って立ち話しているところへ、
「オユキ姉!サイチチ~!」
叫びながらひよりが走ってくる。
リンと千草と左輔も一緒だ。
朧が少し後ろから見守りながら付いてきていた。
子供達にとってお寺の境内はかっこうの遊び場だ。
「かくれんぼしよう!」
ひよりが言うと、千草もリンも笑顔で頷く。
「女に俺は捕まえられないぜ~」左輔が自慢気に言うと、朧が笑顔で「それでは私がリンちゃん達に助太刀いたします」とリンたちの肩に手を置いた。
「あ、それはずりぃよ~」左輔が困惑顔でへたり込み、皆笑顔になった。
そういう光景を見ながら、ゴエモンはこの平和な日常がずっと続いて欲しいと思っていた。
「よ~し、それじゃあ左輔には俺が加勢してやるよ!」
「お、ゴエモンさすが~」
左輔が満面の笑みで立ち直る。
「私たちもやろっか。」
オユキがアヤカとサイゾウの手をとり、子供たちの輪に入っていった。
六角堂の片隅に、風結庵の大人と子供の楽し気な笑い声がこだましていた。




