第10話 怒りのスイッチ
「ゴエモンとタイガがケンカしてる!」
チビのひよりが叫びながら調理場に飛び込んできた。
薪を割っていた手が止まり、アヤカは一瞬、自分の鼓動が早くなるのを感じた。
何がどうとは言えない。
けれど、その言葉を聞いた瞬間、考える間もなく走り出していた。
広場に着いた時はもう終わっていた。
地面にはタイガが大の字に倒れ込み、その横で、ゴエモンが鬼のような形相で立ち尽くしていた。
その表情は、アヤカが今まで一度も見たことのないものだった。
普段の彼からは想像もできない、怒りが顔に浮かんでいた。
「取り消せよ、さっき言ったこと。そして二度と言わないと誓え。」
「わ、わかったよ。ほんの冗談なんだからさ。こんなつまんない山奥の生活で、こんな妄想するくらいいいじゃないか」
「いいわけないだろう!」
その一言には、ゴエモンの内なる激しさが表れていた。
「今度言ったらマジで立てなくしてやるぞ」
それだけ言うと、ゴエモンは踵を返し、無言で去っていった。
「何があったの…?」
アヤカが隣にいた女性に聞いても、誰も詳しいことはわからないという。
ただ、見ていた子どもたちによれば、突然ゴエモンがタイガに掴みかかり、叩きつけたのだという。
「アヤカ姉、ひより聞いちゃったよ」
後から走ってきたひよりが、少し息を切らせながら告げた。
「タイガ、ゴエモンに『アヤカは俺の女だ』って言ったの。そしたらすぐ、どかーんって…」
「私のこと…」
アヤカの胸が、ぎゅっと締め付けられた。
タイガは3つくらい年下で、すごくチャラい。
アヤカが落ちてきてすぐ、タイガは執拗に言い寄ってきた。
チャラい男が大の苦手なアヤカは、一度里の皆の面前で張り倒してから相手にしていなかった。
以来タイガは、アヤカの悪い噂をあちこちで吹聴していたらしい。
しかし、アヤカをよく知る里の皆は、誰もそんな事を信じなかった。
その後タイガは孤立していくばかりで、最近は大人しくなっていたのだが、新入りのゴエモンにまた悪い癖を出したらしい。
(私なんかのことで、本気で怒ってくれる人がいたんだ…)
思いがけないことで、胸の奥が静かに熱くなる。
誰かが、自分の尊厳を本気で守ろうとしてくれたことが。
“嬉しい”
アヤカはその場に立ち尽くしながら、自分でも気づかぬうちに、ゴエモンを目で追っていた。
-その晩
アヤカはなかなか眠れなかった。
囲炉裏の火が赤々と残る寝小屋の片隅。
敷き藁に身を横たえても、目を閉じるたびにあの光景が浮かんでくる。
ゴエモンの怒った顔。
「取り消せよ」と言った時の低い声。
ふいに見せた、男の目。
(…あんな顔、するんだ)
里に来てからずっと、ゴエモンはどこかおっとりしていて、少し抜けているくらいに見えていた。
でも今日、アヤカの知らない“戦う人間”としての彼が、確かにそこにいた。
(あの目は、誰かを守ろうとする人の目だった)
自分のために怒ってくれた
そう思うと、胸の奥がふわりと温かくなる。
普段なら、そんなことで気を許したりはしない。
だけど、なぜかゴエモンだけは別だった。
(あたし、あの人の前だと…)
ふだん、誰かと一緒にいるときは緊張して肩がこわばるのに、あの人の隣にいると、ふと力が抜けている。
あの日、初めて話した時も、そうだった。
話したあとで、
(あれ、私、男の人とふつうに話せた)
と驚いた自分がいた。
(…なに考えてんの、あたし)
寝返りを打ち、藁布団を引き寄せて顔を埋める。
―翌朝
アヤカは、いつもより早く目を覚ました。
(まずいな……会いたくない、というか、会ったら動揺するのは間違いない)
朝の支度当番ではないが、少しでも顔を合わせないようにと、皆が来る前に作業を済ませようと考えたのだ。
食料庫に入ると、狭い棚の隅に干した野菜を詰めた籠が置かれていた。
アヤカはそれを持ち上げようとした途端、バランスを崩して後ろに倒れそうになった。
その瞬間。
「おっと、大丈夫?」
突然、後ろから伸びてきた手が、アヤカを支えた。
「きゃっ…!」
肌が触れた。
咄嗟に出てきた腕にしがみついてしまった。
思わず籠を落としかけてしまったが、横からその籠もしっかり支えたのは、間違いなく…
「ゴ、ゴエモン…なんでここに……?」
「いや、鍛錬の前にオユキさんに棚の補修頼まれてたんだけど…。
アヤカさんこそ、朝早くからどうしたの?」
その無邪気な目が、まっすぐにこっちを見ていた。
昨日、あんなに荒々しい姿を見せた男とは思えない、いつもの優しいゴエモンがそこにいた。
「べ、別に。目が覚めただけよ。気にしないで」
「そっか…でもよかった。昨日のこと、気にしてない?」
ドキリ、とした。
「…なんで?」
「いや、アヤカさんに関係あることだったし、俺、勝手に熱くなっちゃったから。
なんか、迷惑だったかなって」
ゴエモンの表情には、気遣いが滲んでいた。
それが逆に、アヤカの胸の奥をついた。
「…迷惑じゃない。むしろ、ありがと」
「え?」
「別に。忘れて」
「うん。…あのさ」
ふいに、ゴエモンが声を落とした。
「俺、ああいうの、許せないんだ。誰かを傷つける噂話とか、卑怯なやつとか。
特にアヤカさんみたいな人が、そんな目にあうのは、見過ごせなかった」
「あんた、ちょっとバカ正直すぎるわよ」
そう言いながらも、アヤカはほんの少しだけ、微笑んでいた。
その表情に、ゴエモンもふっと肩の力を抜いたようだった。
(この人の怒りのスイッチは自分のためじゃなく、誰かを守る時に入るんだ…)
アヤカはゴエモンの一面を知って少しうれしい気分になっていた。
今回はアヤカ視線のお話です。
次回からしばらくアヤカは出番が少なくなるので、アヤカの揺れる心情を書いておこうと思いました。
ちょっとラブコメ調が続いていましたが、次回からは冒険活劇になります(^_-)-☆




