表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/1

呼びだしは手紙

「フィリス・ネヴィル! わたくしの兄、モリテス公爵子息と今日この場で婚約を結びなさい!!」


 挨拶もそこそこに、ビシッと音が聞こえてきそうな勢いで指先を突きつけ、わたしの名を高らかに呼び公爵令嬢は宣言をした。

 なにを言っているのか――いや、言葉の意味はわかる。わかるだけに、なんて返事をするべきかわからない。


「あの……わたしの身分はご存じでしょうか?」

「もちろんよ! ネヴィル男爵のご息女でしょう? わかっていなかったら、お茶会に誘うことは叶わなかったと思うのだけど」


 ですよね、と言葉にするわけにも、にが笑いをするわけにもいかなかったため、誤魔化すために用意されたレモングラスに口を付けた。


 季節は初夏。

 強い陽差しを遮るようにお茶会の席は生い茂る木々の真下に設置されている。夏の風物詩ともいえる大量に発生する虫除けに関しても当然完備だ。


 季節の花でもあるハーブとアサガオが籐を編み込んだ白いテーブルの中央に美しく活けられ、瑞々しい香りだけでも暑さを和らぐ効果を与えていた。

 パッと見ただけ、わたしの家とは天と地の差ほどの違いは歴然としているが、趣向はこれだけでは終わらない。


 天使像を中心とした噴水が視線の先に見え、時折吹く風が水の冷たさを運んでくる。

 当然だけど、客であるわたしをもてなすため、様々なお菓子が用意されている。その中、目の前に置かれた涼やかなゼリーが、テーブルが揺れたことでぷるんと気持ちよさそうに震えた。

 清涼感が溢れ招待側の趣向がこらされている。わたしの家では、お水にミントを浮かせるぐらいがせいぜいだ。


 これらはすべてタウンハウス。

 もてなしようの料理は本邸との差はないかもしれない。だけど、庭の広さなどは大きく違うはずだ。残念なことにどちらもわたしの家より素晴らしく、足元にも及ばない。


 だというのに、そんなわたしを――この場合はそんな男爵令嬢をという意味だけど――婚約者に、と。

 子供の冗談かもしれないけれど、公爵令嬢がわたしという存在を知っていることにも二度驚かされてしまう。

 彼女にとってわたしは路に転がる石なのに……。



「ちょっとあなた、聞いておりますの!?」

「はっ、はい!!」


 テーブルをバンッと叩く音に弾かれ、顔を上げる。自分が俯いていたことに気がつき、すぐに謝罪の言葉を述べた。


「す、すみません。その、素晴らしいお茶会に呆然としてしまって……」

「そ、そう? そんな風に褒めていただいてうれしいですわ! 全てあなたのために用意させたものだから、堪能していってくださいな」


 アイスブルーの瞳をキラキラと輝かせながら一気に話して喉が渇いたからかグラスを掴む。礼儀を完全に無視してレモングラスを一気に飲み干す姿は弟たちと重なった。

 身分の差に緊張し、半ば現実逃避をしながらタウンハウスを訪れたけれど、ほんの少しだけ体の強ばりが緩くなる。だからなのか、今さらながらにどうしてお茶会に来てしまったんだろうと、一週間前の自分に想いを馳せた。



「――嘘! 公爵令嬢からわたしに手紙? どうしてそんな方から届くの⁉」


 取り込んだ洗濯物の籠を足の上に落としてもなんのその。

 お構いなしに自室の机に手紙を置いてあると告げた母に対し、声を上げてしまった。

 だけど、母は落ち着いたもので、「あらあら」と内職の途中だった縫物を続けながらおっとりと笑った。


「それがよくわからないのよ。私たちも公爵家の方たちとご縁はないからね。ただね、公爵夫人からもお手紙が添えられていて、大丈夫そうだから受け取ってあげたらどうかしら」


 受け取ってあげたら――最悪のときは、届かなかったことにするつもりだな、と母の調子のいい性格を羨ましく思いながら溜息をひとつ吐く。

 

「……読まないと駄目ってことはわかったよ。その前に洗濯物をしまって、夕食の支度を手伝うね」


 嫌なことは後回し。

 駄目だってわかっていてもやることは山積み。下手に読んで悩むなんてことになったら、食事の支度に支障をきたす。十歳の弟と八歳の妹と五歳の妹をお風呂に入れないといけないし、弟妹が汚した部屋を片付けることだってしないといけない。悩んでる暇なんてどう考えてもない。


 よしっ、と自分の考えが正しいことを確認し、落とした洗濯物の籠を拾おうとしたとき母の柔らかな声が聞こえてきた。


「洗濯物の片づけや食事の支度は私ひとりで大丈夫だから、部屋に戻って手紙を読んだらどう? お返事が遅くなるのは失礼になるからね」


 わたしが母の性格を理解している以上に、母はわたしの性格を理解しているのだった。



 

 公爵令嬢から届いた一通の手紙は、美しい装丁がなされていて封蝋を剥がすだけで緊張を誘う。ぴりっ、と蝋をはがす音がやけに響いた気がして「ひえっ」と声をあげ手が止まり、開けないまま放置したくなった。

 不幸の序曲にもってこいじゃないだろうか。

 ぴりってなに。

 蝋にはヒビが入っていて、わたしの将来を暗示しているように見える。

 被害妄想とわかっていても、不安しかない。


 わたしの身分は男爵令嬢。

 猫の額程度のささやかな領土しか有さない貴族。どちらかと言えば、平民に近い存在。豪商と呼ばれる人たちよりも有する財産は少ないだろう。

 唯一誇れるとすれば、我が男爵家は建国以前より続く古の血を継ぐ家系という点だろうか。けれど、古の血といっても魔術に明るいわけでもなく、血を脈々と受け継いでいるだけ。その血だって、子孫を重ねることで薄まっているからなんの価値もない。


 お世辞にも立派とは言えない身分。

 普通であれば公爵令嬢と知り合うことも、手紙を交わすこともない。


「あっ、ひとつだけあった! 取り巻きになれってことなのかな……」


 だけど、会ったこともないわたしを名指しで取り巻きになれ、なんていうだろうか。

 謎が謎を呼ぶ。

 たった一通、されど一通。


「はあ……こうなるから、やることやってから向かい合いたかったのに……」


 難癖をつける手紙だったらどうしようと不安が首をもたげ、陽に手紙をかざしてみる。まあ、文字が読めるはずもない。お母さんは大丈夫だと添えられていたと言っていたけど、気を許したところで実際はなんてことだってあるのに。


「ああ、もう! 考えたってわからないんだから、開けるしかない‼」


 意を決して開けようと……した手が、あがくように止まる。

 嫌な緊張の仕方をしているせいか微かにお腹が痛くなってきた。やっぱりやめようか。だけど、嫌なことを後回しにしたってろくなことにはならない。起きたためしがない。今まで後回しにして、どれだけ後悔したのか忘れたのか。実際、忘れていたわけだけど、ここはここは一気に開けるのがベスト!


 そもそも封蝋を剥がす行為が間違いなのだ。

 祖母から引き継いだチェストからペーパーナイフを取り出し、いっきに封を開けた。



 ふわり、と花の香りが流れるように漂う。

 優しい匂いは鼻孔をくすぐり落ち着かなかった気持ちが幾分凪いだ。まるで、わたしのことを気遣うような趣向に心が温かくなる。

 さっきまで怯えていた自分に苦く笑いながら、たしかに心に響いた香りをもう一度吸い込んだ。


「公爵家のご令嬢は素敵な方なのかな……」


 そうだといいな、と続けることはできないけれど、零れてしまった本音。この先、万が一にも同じパーティーに招待されたとしても、挨拶はおろか近づくことすら叶わない相手だ。気にするのはどうかしている。


 自嘲しながら手紙を開くと、なんとお茶会に招待したい旨が書かれていた。


「えっ、えっ……本当にわたしなの!?」


 信じられなくて思わず声に出してしまった。

 それだけじゃなく、丁寧にもう一度読み直す。


「そんな、本当の本当にわたしをお茶会に?」


 自分の目が信じられなくて、十回確認。そのあと、両親や弟妹、果てには友人にも手紙を読んでもらい確認し、自分宛なのだと確証を得て……それからが大忙しだった。


 ドレスを新調する余裕なんて我が家には時間も金銭もない。

 幸い夏ということで社交界シーズンだ。今回だけ両親にともない王都へ行くことになる。交通費はこれでなんとかなるけれど、問題はドレスだ。こればかりはどうすることもできず、ぎりぎりだが子供のお茶会ということで普段来ているワンピースに即席のレースをあしらい少しだけ可憐さを増した服を用意して、手紙の返事を出していないことに気が付いて両親が真っ青になりながら手紙をしたため今日のお茶会に臨んだ。


 そして、ものすごく緊張しているわたしに対し婚約宣言をしたわけだけど、まったく意味がわからない。誰か大人の方は……と視線を彷徨わせるけれど、婚約者宣言された当の本人でもある兄君は我関せずといった様子でぼんやりと噴水を見ている。


 そうなのだ。

 ふたりっきりだと思っていた場に公爵子息も同席していた。


「で、どうですの!」


 ばんっ、と先ほど以上の大きな音がする。

 見れば令嬢がテーブルに両手をついて身を乗り出していた。

 籐で編み込まれたテーブルが汚れてしまいそうで焦る。本人はまったく意に介していないようで、きらきら輝くアイスブルーの双眸が覗き込むようにしてわたしを見ていた。


「あ、あの……その……」


 水から流れる飛沫のように美しく、吸い込まれるようにして顔を上げ彼女を見返す。


「綺麗ね、あなたの瞳の色。イラストで見ていた時以上にかわいいし」


 公爵令嬢の言葉に軽く唇を噛み締めてしまう。すぐに笑みを浮かべたけれど、うまく笑えた自信がない。


 ピンクゴールドと呼ばれる色合いの瞳は、柔らかな印象を人に与えるとよく言われる。これが両親や弟たちと同じなら素直に喜べた。だけど、家族のみんなはダークブラウン。

 この事実は否応なく悪い噂へと繋がり、狭い領地では様々な憶測がささやかれた。

 もっとも多いのは孤児院から引き取られたといった内容で、これは良心的なものだと今なら思うけど幼心は傷ついた。質が悪く両親を怒らせたものは母の不義を疑う内容だ。しかし、この内容を声高に話していた相手に正面から言い返すわけにもいかず、忸怩たる思いをさせられている。


 両親は古の血ゆえのものだと、過去にもわたしと同じ色合いの者がいたことを教えてくれてたけれど、口さがない人たちはどこにでもいて、これからも存在し続ける。


 ――ただ、それだけのことなんだから、気にする必要なんてないのに。


 褒められているとわかっている。

 真っ直ぐ見つめる瞳はキラキラしていて、本当に美しくて。

 だけど、綺麗なものに与えられた褒め言葉だからって平気なわけじゃなかった。


「わ、わたくし、変なことを言ってしまったみたいね。ごめんなさい!」

「……!」


 まさか、まさか! 

 公爵令嬢が男爵令嬢に対して謝罪の、それも頭を下げるなんて予想していなくて言葉を失う。


「ただ、本当にきれいだって思ったから言ってしまっただけで、他意はなくて……」


 吊り目の瞳が情けないぐらい垂れ下がる。

 アイスブルーの瞳には本物の涙が浮かびそうで、わたしは慌てて首を横に振った。


「いえ、気にしないでください。褒められたことがなくて、驚いてしまっただけなんです」


 今度は素直に笑うことができた。

 なんだか、本当に妹と接しているみたいだ。

 

「そうなの? それならいいのだけど……だけど、本当にごめんなさい」


 誤魔化していることがわかっているのか、視線を彷徨わせながらお世辞にも上手いとはいえない笑みを浮かべる。そして一気飲みしたグラスを手に取り空だと気づくと、困った表情を表情に変わった。この流れでメイドにおかわりを要求してもいいのか、と悩んでいるのだろう。

 くすっ、と無意識に零れながら公爵令嬢に告げた。


「モリンティス公爵令嬢様、おかわりを頂いてもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんよ!」


 自分ができることがあったとき、妹が浮かべる満面の笑みと重なり、吹き出してしまった。


「ど、どうして笑っているの?」

「申し訳ございません。妹と……ふふっ、同じ反応をされたので」

「い、いいのよ!!」


 耳まで真っ赤に染め、メイドさんに視線を向ける。主の意図を汲み、水滴が浮かぶグラスは下げ、新しい飲み物を持ってきてくれた。

 モリンティス令嬢は恥ずかしさもあって喉が渇いていたのだろう。勢いを落したとはいえ、いっきに飲み干してしまった。

 かくいうわたしも先ほどまでの緊張が消えたからか、喉の渇きを覚え二口ほど頂いた。


「そんなことより、わたくしのことは家名ではなくレヴィテース……これも長いわよね。愛称のレヴィって呼んでちょうだい!」

「わたしは男爵家の娘ですよ? そんな失礼なことはできません!」

「わたくしがいいって言っているのだから、いいのよ。ねえ、呼んでみてちょうだい」


 無茶がすぎます、はい。

 さっきの婚約の話といい、なにがどうしてこうなるのだろう。

 無理です、と断るものの公爵令嬢は引かない。妥協点として名前で呼ばせてもらうことになったけれど、本当にいいのか不安しかない。


「ご了承くださりありがとうございます」

「もう、頑固なんだから。どうして呼んだらダメなのよ」

「それは、身分の差がありますから……」

「あなたは兄の婚約者になるんだから、身分の差なんてあってないようなものよ。むしろ、わたくしがお義姉さまって呼ばないといけないわ」

「…………ご冗談ですよね?」

「まさか、本気よ! だからこうして、兄にも同席してもらったんだもの!!」


 ばんっ、と音が鳴りそうな勢いで令嬢は兄君が座っているほうに両腕を伸ばす。


 やっぱり兄君だったんですね……という気持ちと同時に、お茶会が始まった時から座っていたけれど今の今まで一言も彼は口を開いていない。椅子に深く腰を下ろし、ぼんやりと空を見つめているだけだ。

 公爵子息が断ってくれれば、と正直思うものの今も反応を示すことはない。非礼になるとわかっているけれど、自分で何度だってお断りするほかないようだ。

 

 いや、そもそも子供同士で正式な婚約を結べるわけがないから、真面目に答える必要はないかもしれないけれど。なんていうか、目の前の令嬢はやると決めたら貫く勢いのようなものを感じる。だから中途半端な返事はしたくなかった。


「わたしの一存で決められることではありませんから、その申し訳ありませんがお断りさせてください!」

「大丈夫、だってあなたは好きな人と結ばれる運命があるんだから! あなたが私の兄と婚約したいって思えばきっと叶うわ!!」


 根拠なし、としか言えない。

 わたしが好きな人と結ばれる運命にあるって、そんな都合の良い話があると誰が信じる。貴族とはいえ末端。どちらかといえば平民の分類にはいるわたしは、現実主義なのだ。


「運命とかよくわからないんですが、そもそも身分が釣り合いません」

「平気よ! 運命なんだから、なんとかなるわ」

「いえ、運命とかちょっとよくわからくて……。ここはやっぱり現実的に身分が釣り合う方がいいと思うんです!」


 はっきりお断りしても伝わらず、むしろ運命論まで持ち出されてしまった。こうなってくると返す言葉が見つからない。


「もう! 何が気に入らないっていうの? こういえばいいのかしら」


 ビシッと腰に手をあて、わたしに人差し指を向けてくる。

 決めポーズかなにかだろうか。ぼんやりと指先を見ていると――


「悪役令嬢の命令は絶対なのよ!」


 頬をぷくぅと膨らませる姿は、愛らしすぎて同い年には到底見えない。悪役というより、小悪魔令嬢に近いのではないだろうか。キラキラ輝く瞳も磨き抜かれた髪も肌をみても誰からも愛される要素がつまっている。

 同じ十二歳だと聞かされているけれど、やっぱり妹みたいだ。思わず、人を指さしてはいけないなんて言ってしまいそうになるぐらいに。


「あなたが頷くまで帰さないんだから!!」


 とんでもない宣言をされてしまった。

 さて、どうしたものか。なんて考えていたら、兄君がため息を吐いた。

 あっ、息してた、なんて失礼極まりないことを考えながら、彼に視線を向ける。なにかアクションを起こしてくれるのだろうと期待を込め。


「…………」


 待つこと数秒。

 溜息を吐くだけで、終わってしまった。

 嘘でしょ⁉ わたしに丸投げのその姿勢に狼狽したが、それは公爵令嬢改めレヴィテース様も同じようで、情けない声をあげていた。


「……念のため教えてください。どうしてわたしに婚約を勧められるのですか?」

「ふふん、よく聞いてくれたわ! わたくし、今度王子と婚約するの」


 王子様と婚約するのはめでたいと思うけれど、どうしてわたしが公爵家のご子息と恋愛をする流れになるのかさっぱりわからない。

 困ってしまったわたしはマナーなんてもの丸投げして、スプーンの先でゼリーをつっついてみる。ぷるぷる気持ち良さそうに揺れる様子に、少しだけ気持ちが和らぐ。


「その、おめでとうございます。でも、わたしとどう関係してくるんでしょう」


 レヴィテース様は大きく頷き、得意げな顔になって説明をしてくれた。


「わたくしの知識? っていえばいいのかしら。婚約してもらいたい理由はいくつかあるのだけど、まずひとつ目! 兄が行方不明になるのを阻止してもらいたいの!」

「えっ、ゆ、ゆくえ不明!?」


 ちらっ、と彼を見るけれど、たしかにいる。

 存在感はすごく薄いけど、大丈夫。


「ふふっ、今すぐってわけじゃないわ。何年か後よ。まあ、今も放浪癖があって、あまり屋敷にいないんだけどね。もう少し先の未来で、いなくなってしまうの」


 そう発言する公爵令嬢の表情からあどけなさが消え、ありえないのに大人の女性のように見えた。


「……レヴィテース様は未来視ができるんですか?」

「まさか! 無理に決まってるわ!!」


 力いっぱい語る彼女はさきほどまでの少女と同じ笑顔だ。

 不思議な方だ。


「そしてふたつ目! さっき話した通り、わたくし王子の婚約するんだけど、恋をする予定なのよ」

「え!? 予定?」


 初恋がまだのわたしが言うことじゃないけど、恋って予定でするものなの?


「現時点では欠片も興味がもてないんだけどね。だけど、将来的にはきっと恋に落ちるんだけど、あなたの行動次第ではわたくしのライバルになる可能性があるのよ!」

「は? わたしが王子殿下と?」


 ありえなさすぎて、現実味がまったくない。

 貴族社会の最下層とこの国のトップ。

 絶対にない、とハッキリ言える。

 デビュタントで会うかもしれないけれど、それもファーストダンスで踊るぐらいなもので、そこから恋に落ちる? まったく想像がつかない。

 この国にも貴族が通う学校制度があるけれど、わたしのような貧乏貴族は通うこはできないのだ。かなしいかな、金銭的な事情から。


「……わたしには、今のところそんな予定ありませんけど」

「将来の話だから気にしないで!」


「そんなわけで、ライバルになる可能性があるから、先に他の男性と恋に落ちてもらっちゃおう作戦を決行したのよ!!」

「…………」

「わ、わかってるわよ! ワガママだって。だけど、誰かと争うよりそっちのほうがいいじゃない。悪いことなんてしたくないし」

「……はあ」


 これしか言葉がでてこない。


「でね、お兄様ってのんびりしているところがあるけど、とっても優秀な方なの。それゆえ、浮き世離れしすぎて、誰も傍にいなくなるって設定なんだけど……わたくしとしては兄だから、幸せになってもらいたいの。あなたはヒロインだから、幸せにしてもらえるんじゃないかって思って」


 軽い妄想癖でもあるのか、と不敬にも感じたわたしを許していただきたい。とはいえ、兄君に対して言っていることは、家族を大切にしていることは感じとれた。


 だからといって婚約できるわけじゃないけど。

 そもそも貴族同士の婚約は子供が簡単に決めることは不可能だ。さらにいってしまえば公爵家と男爵家。天と地ほどの差があり、互いに政略結婚するメリットがない。


「えーと……説明をしていただきましたけど、やっぱり無理です」

「あら、わたくしの命令が聞けないっていうの!?」


 眉を吊り上げると一層吊り目なのがわかるけれど、一向に恐怖心がわいてこない。


「高位貴族の方の言葉を無下にするわけではありませんが、やはり身分の差が大きくありますし……」

「大丈夫よ! だってあなたは王子と婚約だってできるんだもの」


 何がどう大丈夫なのかまったくわかりません……。


「いや、でも、ですね……。こういうことって、互いの両親が打診するものでは……」

「そうなのよ! 三年前からお願いしていたのに、ちっとも進めてくれなかったの。だからこうして、動き出したってわけ!」


 どうしよう。

 会話が成立しないどころか、知りたくない事実が浮き彫りになっていく。


「あの、でも……公爵子息ご本人も無関心のようですし……」

「安心してちょうだい。お兄様はいつもこんな感じだから」


 いえ、ちっとも安心できません……。


 背中に変な汗をかきながら、なんとか笑顔だけは作っている。

 救いを求めるようにメイドさんたちを見ても彼女たちは、俯き知らん顔。どうしたらいいんだろう!


「その……」

「なあに?」


 キラキラとアイスブルーの瞳を輝かせながら、わたしの返事に期待している。

 今の会話の流れで、どうしてこんな視線を向けられるのかわからないけど、身分とか関係なしに断り難い。


 だから、もう、わたしは意を決して告げることにした。


「ひとまずお友だちになってくださいませんか? レヴィテース様」


 その後、ものすごく不承不承といった様子で頷いてくれた後は、王都ではやりのお菓子やわたしの領地の話をして穏やかなお茶会となった。



 それから、公爵家から失礼させて頂くため馬車の到着を待っている間、令嬢が気を利かせるわ、と良いながら兄君とわたしを二人きりに過ごす時間を用意してくださった。

 とても嬉しそうで自然と笑みが零れていたけれど、いざ二人の空間になると緊張するし、変に意識してしまう。


 お友だち発言はもちろんレヴィテース様に向けてだし、取り巻き予備軍でしかないこともわかっている。それでも、何かしら話した方がいいのかなと感じるのは、恋愛に興味があるからだ。

 弟たちの世話などで本を読む時間はあまりないけれど、ロマンス小説が好きだ。

 当然、身分差を題材にしたものは多く存在し、胸が何度となく高鳴った。


 ――あんなの、物語の中だから魅力的に見えるだけだけど。


 そんなことを考えていると、ご子息様が空を見上げながらぽつりと言葉を零す。


「……お疲れ」

「え……」

「レヴィの暴走。……あんた、困ってたでしょ」


 たしかに困っていたけど、わかっていたなら助けてほしかった。

 恨めしそうな目になっていたのだろう。

 彼はバツの悪そうな顔をして、小さく笑った。


「あー……俺が動けってことか。ごめん、そこまで気が回らない」

「別に構いません。下々の者が働くのは当然のことですから」


 むっとしているのと、この人の気の抜けた雰囲気が普段なら絶対に言わない言葉と態度をわたしに取らせる。

 

「だけど、わたしが了承したらどうするおつもりですか? あなた様は嫌だと思うんです。だから、ちゃんと断ってくれないと――」

「俺……? 興味、ない。それに丁度良くもある」


 ご子息の視線がわたしに向けられる。

 六つ歳が離れているからか、彼の背はとても高くて視線を重ねるには首を折るようにして見上げるほかない。

 やっとわたしに向けられた瞳は、レプリカの宝石を彷彿とさせる空の色だった。

 感情がまったく込められていない、令嬢とは真逆に近い空っぽの瞳に胸に寂しさが去来する。


「…………なに?」


 わたしは思わず彼の腕をとっていた。

 本当にどこかに行ってしまいそうで、不安が襲ってきたのだ。とはいえ、不敬であることに変わりはない。わたしは慌てて手を離し、頭を下げる。


「もっ、申し訳ありません!」

「別に……それじゃあ」


 視線の先にある靴が消え、遠ざかる足音が聞こえた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ