最終話
あの対決から早くも三日が経とうとしていた。
大久保の言う通り今回の戦いで爽葵の人生に新たな黒歴史が刻まれ、クラスメイトや見知らぬ生徒から冷やかされたり勧誘されたりと後を絶たなかったが、一応ほぼほぼ平穏を取り戻せたと言えるだろう。
悠里製作の爽葵黒歴史ノートは全て日菜の手によって焼却処分され、約束を反故にされることはなかった。意外にも自分から処分を名乗り出た姉の対応に驚いていた爽葵だったが、やはり自身が殻を破り一皮剥けたことに対しての褒美なのかもしれない。
認められて少し嬉しい気分を一度置いといて、爽葵は当初から交わしていた約束を果たさせるために部室へと歩く。だが、あの面々が素直に約束を守るとは限らない。一応それなりの覚悟を決めておくことにし、迷うことなく一気に部室の扉を引いた。
「待っていたよ爽葵君!」
「………………」
紗央莉、杏奈、香澄の三人が組体操の扇を披露しながら待ち構えていた。
一体いつからその姿で爽葵を待っていたのか、全員筋肉疲労でプルプルしている。
元々嫌な予感はしていたが、こうまで予想的中だと逆に自分がエスパーなんじゃないかと錯覚する。落ち着きを取り戻しつつ、温和な視線を送る他なかった。
「ほら見ろ、あいつのムカツク顔! だからあたしは嫌って言ったんだ!」
「それはジャンケンで負けた香澄ちゃんが悪いかな。ウチだって長時間我慢してるんだから」
「紗央莉はいいですよね、真ん中なんですからっ! わたしはもうさっきから腕の感覚が……」
「じゃあさっさとやめたら?!」
意外と全員嫌々だったようだ。
爽葵のツッコミに反応してか、筋肉に限界が来たからか、三人は組体操を解き何故か横並びに立った。
「綾音さんの御用は皆まで言わずとも分かっています」
「そうか、なら早く渡して――」
杏奈がポケットをゴソゴソしながら頷く。
だが、爽葵は知らない。女子のスカートにあるポケットは手帳が入る程大きくないことを。
「そのプロポーズお受けいたします……」
「何が分かってたって?! そして何か怪しい紙が出て来た!」
杏奈に差し出された紙は紛うことなき婚姻届だった。そして、何故だか三枚もある。
「綾音さんは誰を選びますかっ!」
「何で今人生における究極の選択を迫られている!?」
何も分かられていなかった。そして、相変わらず爽葵の人権は無視されていた。
香澄が物凄い形相で杏奈にメンチを切っていたが、どうやら気にしていない様子。紗央莉は自分の出番がないやり取りに飽きたのか、携帯をいじり始めた。
「そんなことより、早く約束の黒手帳を渡してもらおうか!」
「そんなこととはなんですかわたし達は本気で――痛いっ!」
杏奈の頭に香澄のチョップが飛んだ。
「勝手に話を進めるな! あたしだって心の準備が……」
「何に対しての心の準備?!」
「ウチも意外とやぶさかではない感じだよ」
「やめて意味のないプチ修羅場!」
いつも通り杏奈の暴走を二人が止めてくれると思いきや、若干乗り気で話を進め始めた。
杏奈も二人がノリについてくるとは思っていなかったらしく、若干焦り気味に無理矢理話を変える。
「まぁ、アレだ綾音。杏奈のことは置いとくとして……」
「何だよ、上北? そんな言いにくそうに……」
「その内イイコトあるだろうから、それまで頑張れよ」
「え、何その不穏な空気丸出しの慰め……」
どこか申し訳なさそうに、可哀想なものを見るような目で香澄が爽葵を見つめ、肩をポンポン気安く叩く。今までの香澄ではありえない行動に爽葵の両腕に鳥肌が立った。
「木枯っ……」
さっきから杏奈の意味不明な暴走に香澄の憐みの視線。一体自分の身に何が起こっているのかといつでも若干頼れる紗央莉から真実を聞き出そうとしたが、何故か腹を抱えて蹲っている。加えてプルプル小刻みに震えていた。時折「ぷふー」やら「うっくく」やら奇妙な笑い声が漏れ聞こえている。
「……よく分かんないけど、瀬戸が持ってんだろ? 約束通り渡して――」
「――嫌ですっ」
一瞬で交わした約束が反故にされた。交わした約束は忘れられた。
だが、ここで爽葵は引くわけにはいかない。あの手帳を葬るために意味不明なメタモルフォーゼ部へと入部し、メンバーに弄られる過酷な日々を過ごし、姉達との悪夢のような戦いに勝ったのだから。
すかさず杏奈の頬を指で連続して突いた。
「約・束・が・違・う・だ・ろっ!」
「あう、あう、あう……」
「綾音、これにはあたしにも原因がある。杏奈だけを責めないでやってくれ」
「だからどうして上北はさっきから不穏なフラグを立てまくるの?」
香澄の直球とも取れるフォローに未だ蹲っている紗央莉の口から長く大きな、笑い声を我慢する吐息が漏れた。
「わたしだってまさか綾音さんの吐いた嘘がここに来てフラグ回収になるとは夢にも思いませんでしたよ……」
「ん? 途中でアイアンメイデンに会ったのか?」
「ええ、まさに怒涛の攻防戦でした。まさかあそこで松村が串刺しにされるなんて……」
「また出て来ちゃったよ松村君! ってか串刺しにされたの?! アイアンメイデン何やってんの! ん、いや、あだ名通りか……ってヤバイなあの教師!」
「また一人学校の英雄が散ってしまったな。まあ、あの教師にアイアンメイデンって命名したの松村君だけど」
「自業自得だった!」
だが、そこで一つ重要な事実に気が付く。
実際事実確認をすればすぐにバレるような嘘だったので、バレたことは対して重要ではない。
「松村君の生死はともかくとして、俺の嘘がバレたことにどんな関係が……?」
直接嘘を言ったのは爽葵であるから、アイアンメイデンは普通爽葵に直接罰則を与えに来るはず。実際松村君は散ってしまったようだし。それなのに何故他のメンバーの元へ女教師は赴いたのか。そして、どうして彼女達は手帳を素直に渡してくれないのか。
「……そそそそれには海よりも深く、ててて天よりも高い理由が」
「……ああああれは、ししししょうがない犠牲だったな」
杏奈と香澄が二人揃って爽葵から視線を逸らし、どもり始めた。完全に後ろめたさがあることが一発で分かる程挙動不審。
もうこれは決定的にアレである。つまり、アレだ。もうアレだ。
どうせ杏奈の戯言だろうと決めてかかることは出来るが、困ったときの木枯さんが爆笑して床を右手で叩きつけていることから事実なのだろう。そしてこの人はどうしていつになく爆笑しているのか。
「爽葵君の嘘発覚に加えて、この間の小テストで十点台を取ったことを出されて、捕まる前にスケープゴートを使って逃げたんだよ」
一人で爆笑しすぎて笑い袋が鎮静化したのか、ケロッとした表情で紗央莉が華麗に復活した。本当に何に対して笑っていたのか。
「やっぱり捕まった理由がしょうもなかった! っていうか、前聞いたテストよりも点数下がってない?!」
図星を食らった馬鹿二人だが、明後日の方角を向いてピーピーと下手くそな口笛を吹いて誤魔化している。全く誤魔化せていないが。
――そう、色々な意味で誤魔化しが効いていなかった。
「……ん? 何をスケープゴートに使ったって?」
「……さあて、二組の白石さんをデートにでも誘ってこようかな」
「……そういや今日新作マスカラの発売日じゃん。早く買いにいかねえと」
「……わたし早く未来に帰らないと!」
「一人明らかにおかしいだろ!」
三者三様に理由を付けて爽葵の横を通り抜けて帰ろうとしたところを、すかさず一番理由になっていないやつの肩を掴む。もう何なら恥やセクハラをかなぐり捨てて抱きしめてもいいとも思っている。
そう思った瞬間――逆にぎゅっと抱き着かれた。思わぬ展開に爽葵の体が固まる。
「そ、そういうわけで綾音さん。次の標的はアイアンメイデンです。対教師ですが、また素敵な作戦をよろしくお願いしますね」
テヘペロと可愛らしく舌を覗かせ、爽葵が数秒フリーズした瞬間を見計らって三人は全力で逃走した。
「…………あ、あ、ありえねええええ!!」
今までの努力とこれからの尽力の切なさに、悲しみのこもった魂の叫びが校舎の外まで弾け飛んだ気がした。
爽葵の受難は……まだまだ続きそうである。




