第十四話
三人で走っていた爽葵たちだったが、固まって捜索をすることは効率が悪いということで結局散らばって香澄を探すことになっていた。
現在爽葵が歩いているのは校舎一階の下駄箱付近。
この学校の下駄箱は一階に一年生、二年生各クラスの下駄箱がズラッと並び、二階に三年生用の下駄箱が鎮座するあまり目にしない形を取っている。
爽葵が確認しているのは一年生用の下駄箱。香澄のクラスは二組だが、取りあえず全ての下駄箱の影を覗いてみる。
鞄を置いてそのまま帰ることはないとは思ったが、一応念のため様子を見ておくことにした。
けれど、案の定空振り。次はどこを探そうかと、下駄箱に背中を預けた時だった。
不意に、ズボンの右後ろポケットに入れていた携帯が震える。
香澄が見つかったかな、と携帯を開いてみるも、携帯ショップから送られてきた『機種変するなら今がお得』と全く関係のないメール。
(さて、上北はどこに行ったものやら。つか、あの二人もどこ行ったんだ。校舎内をこうして歩いても遭遇しないとか……)
狭い校舎で男の爽葵が小走りで走れば、歩幅の違う女子の走る姿と遭遇しそうなものだがそんな気配は全くない。
一応爽葵は逃げた人間が起こすアクションを考えて、各々が在籍する教室や保健室、屋上に続く階段や下駄箱などを探したのだが、それでも誰とも合わない。となると杏奈と紗央莉の二人は校舎外にでも探しに行ったのだろうか。
じゃじゃ馬娘はどこに行ったのかとため息をつきながら下駄箱を離れて、すぐ近くにある職員室を横切った時だった。
「前から常々言っていますが、いい加減その頭を何とかしなさい!」
「い、いいじゃねえかこのくらい! 最近の若い奴は皆髪くらい染めてるだろ。先生だって染めてんじゃねえか」
「……私のは白髪染めです! それにその男口調も何とかなさい。あなたも女の子なんだから女の子らしくですね――」
言い争う声が耳に届いたので、爽葵は野次馬根性で扉の隙間から様子を覗いてみると、中々面倒なことになっていた。
どこかに逃亡したと思われていた香澄だったが、まさか教師に捕まり職員室で注意及び説教を食らっているとは。
それも相手は香澄の担任である一年二組の女性教諭。風紀を乱すことを嫌い、女子のスカート丈や男子のシャツ出し、当然頭髪の色等々に関しても普段からというか毎日誰かしらを捕まえて口うるさく物申してくる。誰が呼んだか常清のアイアンメイデンと陰であだ名が付けられた。
いつもは十分にも満たない授業の合間の休み時間に注意をしてくるが、今回はそんな短い時間ではない。下校時間まで大よそ一時間はある。
香澄と女性教諭以外には他の教師たちの姿は見えず、不幸にも誰かが止めてくれることはない。
とある噂では、放課後頭髪に関してこの女性教諭に捕まった男子生徒が注意されたにも関わらず言うことを聞かなかったため、その場で強制的にバリカンを使い坊主にされたという。よくよく考えればハラスメント行為にも繋がることなので真偽の程は分からないが、この女性教諭ならばし兼ねないという理由で噂は広がるものだ。
(はぁ……。どうして俺ってこういう面倒事に巻き込まれるんだろうか)
深い溜息をつきながらも頭の中では香澄を助け出すプランニングを行う。
何事も無く香澄を返してもらうに越したことはないのだが、まずそんなことはありえなさそうだ。
適当に回転させた頭は意外にもよく回り、中々自信のある作戦を思いついた。ただそれを完成させるには最後のピースが必要。爽葵は自分の携帯を操作し、未だ登録していない杏奈から受け取ったメッセージを受信ボックスから探して返信機能を使いメールを送る。
(じゃあ、行きますか)
作戦が成功することを祈りながら、爽葵は躊躇うことなく職員室の扉を開く。
「失礼します」
扉が開いた音に女性教諭の体が僅かに跳ねた。どうやら完全に説教に集中していたらしい。
そんなことは気にせず爽葵は香澄たちの元へと近づく。
「ご迷惑をおかけしています。上北を引き取りに来ました」
一礼を女性教諭にして、さりげなく香澄の右腕を取りその場を後にする――ことはやはり簡単にいかなかった。
女性教諭も同時に香澄の左腕を取り、その場から逃がさない。
「待ちなさい。まだ話は終わってないわ。それにあなたクラスと名前は?」
「一年六組の綾音爽葵です」
「そう、綾音君ね。ちょうどいいわ、あなたからも言ってちょうだい。この子、髪の色を元に戻そうとしないのよ。風紀を乱すことこの上ないでしょう?」
「だから、別にこのくらい――」
香澄が反抗した態度で口を挟むも、女性教諭の獣のような相手を威嚇する鋭い眼差しによって有無を言わせず止められた。
直線的な物言いしか出来ていない香澄の残念さに爽葵は胸中でため息をつきながら作戦を開始する。
「あれ、先生は上北の担任でいらっしゃるのにご存じないんですか?」
「……何をですか?」
「コイツの髪の色遺伝なんですよ」
爽葵の唐突な一言に、香澄が「はぁ!?」と驚きかけたので、右脇腹へチョップを入れて黙らせた。思いのほか弱い個所にクリティカルヒットしたらしく、脇腹を押さえてうめき声を漏らす。
「はぁ……。何を言うかと思えば。庇うのは仲間意識で済ませますが、年上に嘘をついたことに関しては一言お説教をしておきましょうか。それと、今携帯のバイブレーションが聞こえましたが?」
「え? 気のせいじゃないですか?」
「……とりあえず置いといてあげましょう」
絶対説教が一言で終わるはずがない。というよりも、この女性教諭の説教は自身のストレス発散なのではないのだろうか。
説教が始まる前に爽葵は二の口を開く。
「先生って人の話聞かないってよく言われませんか?」
「何ですって?」
女性教諭の眉がピクリと吊り上り、はっきりと機嫌を損ねた感じが分かる。
これで作戦が失敗すれば爽葵もただでは済まなくなるだろう。
しかし、もう後には引けない。押して押して押し込むだけである。
「そう怒らずに。風紀を乱しても常清高校の生徒なんですから、言葉くらい耳に入れてくださいよ」
「……いいでしょう。聞くだけ聞いてあげます」
「さっき上北の髪の色は遺伝って申し上げましたけど、おばあ様がヨーロッパの人なんですよ。だから髪から瞳の色まで遺伝してるんです。よく見てください、瞳の色も明らかに薄い茶色でしょ?」
「お前、さっきから何言――だっ!」
悶えから復活していた香澄が余計な茶々を入れ始めたので、再び右脇腹にチョップを入れて黙らせた。
だが、香澄が茶々を入れる前に今発言した遺伝の話は中々無理が生じることくらい自分でも分かっていた。瞳の色に関しても日本人でも色素が薄い人はいる。
案の定、女性教諭ははっきりした疑いの眼差しを爽葵へと向けていた。
「それに、コイツの髪の毛見てください。金髪よりもちょっと赤みがかっているでしょ? プールの授業や太陽の紫外線で色が抜けてるところもあるんですよ」
「もう結構です。言いたいことは十分に分かりました」
「理解していただいてありがとうございます。では、僕らはこれで――」
「まだに決まっているでしょう」
(……ですよねー)
このまま言いくるめられてくれれば楽ではあったのだが、さすがに無理だろう。
御託に御託を並べた所でそれは単なる薄っぺらい仮面を覆いかぶせたに過ぎない。そんなものはすぐに剥がすことが出来る。
簡単なたった一言で。
「綾音君。あなたがそこまで言うのなら証拠はあるんでしょうね?」
やはり来たか、と爽葵は握り拳を作り、唇を噛みながら俯く。何か手はないかと考えるように視線が自然と泳ぐ。
爽葵の様子を見た女性教諭は勝ち誇ったように笑顔を浮かべ、
「どうしたの? やっぱり証拠なんてないハッタリだったのかしら?」
椅子から立ち上がり、俯く爽葵の顔を覗き込もうとする。
「待ってくれ。コイツは関係ない。説教ならあたし一人で――ぐふっ! お前さっきから何なんだよ!」
香澄が脇腹を押さえながら、意義を申し立てる。せっかく庇っている校則違反を認めようとし始めたから当然ではあるが。
「証拠か……。証拠を見せれば納得してくれるんですよね?」
バッ、と覗かれる前に自分から顔を上げる。そこには不敵な笑みが浮かんでいた。
これには勝ち誇っていた女性教諭もたじろぐも、顔を強張らせて警戒心を見せる。
爽葵は後ろポケットに入れていた携帯電話を取り出し、素早い指先で画面をタッチしていく。
ものの数秒で目的のものを画面に出すことが出来、そのまま携帯を女性教諭の前にかざす。
「写真……?」
「ええ、昔の写真です」
画面に映しだされていたのは、赤縁眼鏡を掛けた中学生くらいの可愛らしい黒髪の女の子と、美人な黒いキャスケットを被った金髪の女の子の二人が頬をくっつけながらピースをしている写真。顔のアップが中心なので服装は見えにくいが、黒髪少女は白いフリルの付いたブラウス、金髪少女はベージュのカーディガンを着ていた。
どこかの街中で撮られた写真らしく、背景にはファーのついたコートやブーツを履いたマネキンやらが数体入り込んでいる。
「四組の瀬戸と上北が中学生のときに撮った写真です。高校でデビューするのはともかく、中学で金髪に染めてずっとこのままっていうのはありえないでしょう? 中学こそ立派な大人になるための基礎を教えるところですから。先生は教師だからもちろんご存知ですよね?」
「でもこれが中学生のときに撮ったものだという証拠は……」
「えっ! 先生、この瀬戸を見てもそんなこと思ってるんですか? ちょっと大人っぽい格好をしてる上北はともかく、こんなお無垢な嬢様っぽい格好する歳なんて中学生までに決まってるじゃないですか! さすがに、僕でもすぐ分かりましたけど……。まさか生徒をたくさん見ている先生がすぐ分からないってこと――さすがにないですよね?」
いくらなんでもありえない、といった風にオーバーリアクションを取ったりため息をついたりと相手を煽るように強弱をはっきり付ける。それも近距離で相手の目をじっと見つめて話しているため、女性教諭は爽葵の言葉を取り溢すことなど出来ない。
さすがに気圧されたのか、それとも教師のプライドを傷つけようとしている爽葵への抵抗なのか女性教諭は、
「分かるに決まっているでしょう! 私が何年教師をやっていると思っているんですか! ええ、分かりますとも。明らかに二人とも今より幼いことくらいは明確です。頑張って大人びた格好をしていることだって!」
と、腰に両手を当ててふんぞり返りながら深く頷いて爽葵の言葉を肯定する。
「上北のこと分かってもらえて何よりです。では僕らはこれで失礼します」
「あ……。いや、それとこれとは……」
貼り付けた笑顔を浮かべた爽葵は一礼すると、香澄の手を取って出口へ向かって歩き出す。
しかし、女郎蜘蛛のように獲物を逃がさんとする女性教諭は爽葵の手にある物の存在に気が付き、
「待ちなさい綾音君! あなた今携帯電話を出しましたね。当校は携帯電話の使用は禁じられています。即刻没収と、反省文を書いてもら――」
「ああ、これですか。これの許可は期間限定ですけど五組の担任に取ってます。ちょっと身内が危険なものですから。けど、もし取り上げたいのならどうぞ。その代わり――恨まれても後悔すんなよ?」
爽葵は携帯を差し出しながら笑顔を一瞬で消し、一変女性教諭を睨みつける。
何度か没収しないのかと携帯を上下に揺らすが、女性教諭が差し出された携帯を取ることはなかった。それを解放の合図だと勝手に了解した爽葵は、香澄の手を引いて今度こそ本当に職員室を後にした。




