揉め事
ルシアンとロズニスの関係は、たぶん、良好だ。
「お待たせ、兄さん」
「ブラッド様ー、今日はブラッド様の大好きなチキンスープにハムとチーズとジャムのパンですよー」
昼食の載った四段も棚のついた巨大なワゴンを押して、二人が部屋に入ってくる。食べ盛りの魔法使い三人分の食事というと、こうなってもしかたない。
ロズ二スが蓋を外す先から、ルシアンが重い深い皿をテーブルにセットしていく。次にロズニスはカトラリーを配ってまわって、その間に、ルシアンがおかわりのスープ鍋を中央に置いた。
手早い。無駄もない。
初めのうちは、俺も手伝おうと努力してみたが、いいから座っていろと、絶対にさせてもらえないので、もう諦めた。
「ブラッド様ー、お食事の用意できましたよー」
「兄さん、どうぞ」
怖いくらいの全開の笑顔で二人に笑いかけられ、俺は二人の間に設えられた椅子に着いた。
「……いただきます」
「はーい、いただきますー」
「いただきます」
俺がパンを手に取るのを待って、二人もそれぞれに手を伸ばす。俺が齧りついて咀嚼し、飲み込むと、すかさず次を勧める声が両側からかかった。
「こっちのー、アンズのジャムも美味しーですよー、ブラッド様」
「チーズも兄さんの好きなエブリン産のテニトン牛のブリアンだよ」
期待のこもった目で両方から見られて、なんだか喉が詰まる。
「ああ、うん、そうか、どっちも旨そうだな。後で食べてみる」
でも、どっちから?
先に食べた方を贔屓していることになりそうなこの空気、いったい何なんだ。
俺はとりあえず、次はどちらにも勧められなかったスープに口をつけた。
ああ、よく煮込まれた野菜がとろりとしている。
「ん。旨い、これ。冷めないうちに飲めよ」
「はいー」
「うん」
二人はにこにことしてスプーンを手にした。
「本当だ、おいしいね、ブラッド」
「おいしーですー」
そう感想が返ってきた後は、やっと二人とも食事に集中し始めた。
二人の意識が逸れて、俺はようやく一息つける。
俺は結局、こっちに居ることに決めた。いや、ほら、帰ると、リチェル姫とルシアンの貴重な二人だけの時間に割り込むことになるから。昼間はがっつり三人でいるのだ、そうした方がいいだろうと思ったのだ。
飯は、ロズニスと二人の時は、基本俺の部屋、それ以外は研究室だ。塔の他の人員は、大概、別棟の共同食堂でとる。俺達は特別扱いだった。
きっと皆、俺と一緒じゃ食った気がしないだろうからな。ロズニスには面倒をかけるけど、誰もが気兼ねしないで食えるこれが、一番いい方法だと思われた。
……そうはわかっているんだが。疲れるんだよな。
俺は未だにハムのパンとスープにしか手をつけられず、俺のために籠の中に残されているチーズとジャムのパンを前に、こっそり溜息を飲み込んだ。
二人の気が合うのは確かだった。食事の用意をするのなんか見てると、ほとんど阿吽の呼吸だ。が、その調子で共同戦線を張って、なんだかやたら俺をかまいたがるのだ。
二人の共通の話題が俺だからなんだろうけど、なんか、……なんだろうな、ホント、居た堪れなくなってくるんだよ。
もう放っておいてくださいというのか……、あああ、いやいやいや、気遣いは嬉しい、嬉しいんだけどな、うん。
そんなわけで、二人にべったり取りつかれていた俺は、カルディたちのことを、ずっと放ったらかしにしておいた。
けれどそのせいで、突然、軍部からの呼び出しを食らうことになった。
ついていくとごねる二人に、俺に恥をかかすなと一喝し、ロズニスには魔法陣の作成を、ルシアンには読書を言いつけて、すぐさま部屋を出た。
これは俺の問題だ。不祥事があったなら俺の責任だし、そこに部外者、しかも子供に口を出させるなんて、恥の上塗りだ。
カルディたちは粗野でだらしない無頼漢の集まりだが、修羅場を潜り抜け慣れているだけあって、ヤバい、ヤバくないの判断は的確だ。だから、俺はある意味信頼していた。奴らが本当にまずい揉め事を引き起こすはずがないと。
それでも、カルディたちを預けた将軍、ジョアキム・イェーフネンが呼び出しを掛けてきている。
奴を知っているが、沈着冷静で無駄な威嚇はしない男だ。
いったい何が起こったのか俺は全然想像もできず、ただ急いで、俺と同い年くらいの騎士見習いの後を、足早についていくしかなかった。
軍部に来るのは久しぶり、というのは語弊があるか。
俺は感慨深く、あたりを見回した。
軍部は、真理の塔とは王宮を挟んで反対側にある。かつては早朝訓練にここに通ったものだった。が、今生は一度も足を踏み入れたことはない。護身用の剣や体術の練習は、担当者を招いて、すべて離宮で行われたからだ。
植わっている木が大きくなり、建物がさらに古びた気がしないでもないが、大きく変わったところは見受けられなかった。目にする人間は、がたいのいい男ばかり。相変わらず男臭くてむさ苦しい場所のようだ。
そんな中で、たぶん一番変わったのは、中にいる人間なんだろう。
質素だが重厚な部屋に通された俺は、正面の執務机に着く苦みばしった壮年の男を見て思った。
ジョアキムとは早朝訓練を共にこなした仲だ。つまり、奴は十数年前はぺーぺーの一兵卒だったのだ。それが今は、将軍閣下だ。他にも仲間は幾人もいたが、戦死した奴以外は、皆出世しているのは知っている。
「ブラッド殿下、ご足労いただきありがとうございます。どうぞそちらへお掛けください」
将軍はすぐに立ち上がって俺に頭を下げ、脇にある応接セットへと自ら導いた。
俺を案内してきた騎士見習いに茶の用意を言いつけるのを遮り、いらないと断る。
「それより、用件を聞きたい」
ジョアキムは見習いが出て行くのを待って、口を開いた。
「お恥ずかしい話ですが、旗下で自殺未遂者が出まして」
自殺未遂?
おかしな方へ行った話に、俺は眉をひそめた。
「未遂だったのは、剣がなかったためです。天井の梁に紐を掛けて首を吊ろうとしたところを、偶々部屋を訪ねた同僚が見つけたしだいでして」
騎士なのに、剣を持っていない? ありえない話だ。
その情報で、俺の中で話が繋がった。
「面倒をかけた」
俺は潔く頭を下げた。
「ご存知でしたか」
「いや、初めて聞いた。だが、俺の部下が、賭けかなんかで剣を巻き上げたんだろう」
「ご明察です。それも、酒の席でカードで金を巻き上げられ、借金が込んで剣で斬りかかった挙句、負けて取り上げられたそうで。酔いから醒めて、悲観して自殺を図ったようです」
俺たち二人は、同時に渋面になった。まったく、どっちもどっちな話だ。
「言いたくはないが、賭けの横行が行き過ぎてはいないか」
昔からだがな。俺もこいつにかなり巻き上げられたしな。その分、他の奴を鴨にして収支はゼロにしたけどな。
「はい。これを機に綱紀粛正に取り組む所存です。ですが、こちらだけでは不公平感に、さらにお互いの溝は深くなるばかり。そこをご協力いただきたいのです」
どちらがどれくらい良かろうが悪かろうが関係なく、喧嘩両成敗にしろと。
ずうずうしい話だ。
「そちらの今までの怠惰のツケを、こちらも払えと?」
「どちらも武を誇る者ならば、今後、協力することも多くなりましょう。それを見越して、軍の預かりとなったのではありませんか? 歩み寄りは必要と存じますが」
食えない奴だ。煮ても焼いても、きっと無理だ。
俺は苦笑まみれの溜息をついた。
「それで? そちらに案があれば乗るが?」
「では、ぜひ、訓練に殿下もご参加を」
そして、鬱憤晴らしの的になれと。
「いいだろう。ただし、貴公も出るならば、だが」
一人で高みの見物を決め込ませるか。どさくさにまぎれて、俺の鬱憤はこいつで晴らしてやる。
「これは楽しみですね」
ジョアキムは、唇の左だけを上げる、歪んだ独特の笑みをこぼした。普通の時はどちらかというと端正な顔付きなのに、これをやると、とたんに悪人に見えるというものだ。
実際、人の悪さでは、こいつの右に出る奴はいなかった。性格がそのまま現れた表情と言っていい。
「英雄と名高い殿下に稽古をつけてもらえるとは僥倖。さて、いつお時間をいただけますか」
やる気満々で、奴が悪人面を深くする。
しゃらくせーな、おい。
「いつでも」
俺たちはしばらく、不敵な笑みで睨みあったのだった。