齟齬
朝が来た。
俺は短い仮眠から目を覚ました。頭の中はすっきりしている。
起き上がって伸びをしたら、薄い掛け布が床へとすべり落ちた。いつのまにか、背に掛けてくれたらしい。それを拾って、ソファの背に置いた。
ジジイの姿はなかった。魔法使いたちも。騎士たちだけが数人、直立不動で警護していた。
光の加減で、朝飯を食ってる暇はなさそうだと感じる。腹が猛烈にへっているが、しかたない。とにかく早くロカンへ戻らないとならない。俺がいなくなったら、あいつらがどんな行動に出るか想像がつかなくて不安だった。
力でねじ伏せ、金で懐柔している相手に、忠誠だの仲間意識だの求めるほど頭がゆるいつもりはない。そうじゃなくても、俺の顔で商人たちに信用を取り付けて護衛として潜り込ませてんだから、その俺が突然いなくなるのはまずい。
とにかくぎりぎりのところでやってるから、各方面に不信を与えたくなかった。
俺はルシアンの肩に手を掛けた。よく眠っていてかわいそうだが、声もかけずにいなくなったら、その方が後が怖いだろう。
「おい、ルシアン。起きてくれ」
「うんんー?」
ゆらりと体が起こされる。ルシアンの背からも掛け布が落ちる。その下から、ルシアンの手が俺の上着の裾をしっかりと掴んでいるのが現れた。
俺は思わず苦笑した。ルシアンが寝ている間中、手を離さずにいたことにも、そうされるのがとても嬉しい自分にも。
俺はなんだか恥ずかしくなって、衝動的にわしゃわしゃとルシアンの髪をかきまぜた。ルシアンは機嫌よくクスリと笑って、まだ眠気の残る目を開いた。
「おはよう。なに?」
「うん、俺、一度戻らないとならないんだ」
「わかった。じゃあ、俺も行く」
突然のことに返事に迷った俺に、いいよね? と、すっかり目が覚めた様子で、挑むように言う。
「でも、予定外の行動はまずいだろう? 護衛の問題もあるし」
「護衛は全部置いていく。どうせ一緒に飛んでいけないんだから、連れていけないでしょ。リチェル姫に付けて、次の宿に向かわせれば問題ないよ。だいたい、この辺の治安良くしちゃったの、ブラッドじゃん。俺がいなくっても、姫の護衛は足りるはずだよ。アルニムから応援も来てるしね」
おまえにだって護衛をつけないと、と言おうとしてやめた。俺たちが二人揃っていれば、そんなもの必要ないだろう。むしろ邪魔だ。味方を巻き込まないようにする方が、よっぽど面倒なのだから。
「それともなに、俺には会わせられないわけ?」
「そんなことはないけど」
「そう。よかった。そうじゃなかったら、全部燃やしてやろうかなって、ちょっと真剣に思った」
ちょっと真剣にって、そのちょっとはどこに掛かってるんだ? いや、ちょっとだろうがたくさんだろうが、ルシアンが真剣になってるところでアウトかもしれない。
俺は真顔になって、強くルシアンに言い聞かせた。
「あのな、頼むから、燃やすのは俺の了解を取ってからにしてくれ。一応、俺が命を預かってる奴らだから」
「努力するね」
ルシアンはとびきりかわいい顔で、にっこりとした。まぶしいなあ。でも、騙されないぞ。
「努力じゃなくて、約束してくれ、ルシアン」
「えー? それはブラッドばっかりずるいよね。ブラッドは勝手に好きなことをしてよくて、俺はいけないわけ?」
別に好きなことをしているわけじゃない。必要に迫られてそうしただけで。
そう言い返そうと思ったが、理由がどうであっても、俺が自分で選んでやってきたことに変わりはない。そして、後悔は一つもしていないから、どう言われても甘んじて受けるしかないんだろうなと、思い返した。
だけど、それにしたって、
「事と場合によるだろう。気分で人を殺すな。いくらなんでも、それだけはさせられないぞ」
「だって、とっくに殺されてても文句言えない犯罪者だよ?」
「今は違う」
「ブラッドは、どうしてそう、自分の足を引っ張る人が好きなのかなあ」
ルシアンは小首を傾げた。
「どういう意味だ?」
そこに何か巨大な齟齬を感じて、俺はルシアンに詰め寄った。
「そのまんまだよ。でも、自覚できないんだよね」
「別に、俺は誰にも足なんか引っ張られてない」
「うん。そうなんだよね。よくわかってるよ」
素直に頷かれて、はぐらかされた。が、放っておける内容とは思えず、俺は食い下がった。
「何がよくわかってんだ」
「ブラッドが、絶対に、理解できないってこと」
「だから、何を!」
「昨夜の閣下や俺の説教の意味」
それは、その通りだった。
だって俺、少しも危なくなかったし、必要なことしただけだし、なんとかなってるし、これからもなんとかするし。最悪を想定したもしもの話なんて、起きなかったんだからどうでもいいし、起こさせないし、起きたらねじ伏せるし。
説明してもぜんぜんわかってもらえなかった反論が、再び腹の中でぐるぐると渦を巻く。
「理解してくれなかったのは、そっちも一緒だろう」
思わず辛辣な口調で言い返した。
「そうか。そうだね」
溜息みたいにルシアンが笑った。俺たちは気まずい雰囲気に、しばらく黙り込んだ。
わからないし、わかってもらえない。それがひどくもどかしかった。
俺は視線をそらした先で、日の影が形を変えているのに気付いた。いつまでもこうしているわけにはいかなかったのを思い出す。
最後通牒のつもりで提案した。
「とにかく、俺の手下たちを殺さないと約束できないなら、連れていけない」
「わかった。とりあえず、今日は殺さない。それで妥協して?」
柔らかな表情で、物騒なことを、事も無げに言う。
そこには微塵も、汚いものも後ろめたいものも見出せない。
ルシアンは、本当にまっさらなのだ。
綺麗な綺麗な、俺の弟。
どうしたら、こいつの中を埋めてやれるのだろう。
俺は胸が軋んで、すぐに返事ができなかった。一つ息をついてから頷く。
「わかった。今日はそれでいい」
「どうしたの、ブラッド。元気ないね。おなかすいた?」
ルシアンが、俺の顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「ああ、うん。だけど、もう急がないと。だいぶ遅くなってしまった」
「だめだめ。ブラッドはおなかがすくと、とたんに元気なくなるからね。パンの一つや二つ、齧ってから行こうよ。配膳所に行けば、もう用意できてるはずだから。ね?」
俺の腕をとって、先にルシアンが立ち上がる。それに引かれて、俺も立った。
「誰か、閣下を呼んできて。俺たち配膳所にいるから」
ルシアンが王子様然として命令を出し、廊下へと出る。
確かに腹が減って元気が出ないと思いながら、俺はおとなしくその後をついていったのだった。




