罠に嵌る
とりあえず、近隣地域を掌握した俺たちは、ルシアンたちにかなり先行して、今では国境に一番近い大商業都市ロカンを本拠地にしていた。
国境を越えれば、次の舞台はぺリウィンクルに移る。そのための準備が必要だったからだ。
それに加えて、そんなつもりは微塵もなかったのに、今では犯罪者ばかりを集めた立派な大組織ができあがってしまっていて、俺はそれをまとめるのに忙殺されていた。
おかげで、昼間の護衛は手下たちに任せるしかなく、俺は夜だけルシアンたちの許に行くようになっていた。宵の口に飛んで、翌朝ロカンへ帰るのだ。
移動にさほど時間のかからない俺が情報の伝達係を担っているという側面もある。
だからその夜も、俺はまず手下たちの所へ顔を出し、情報のやりとりをした。
中継役で安宿に待機していた手下は、ごつさに似合わぬ陽気なオヤジだった。
「アルニムから姫さんの護衛が派遣されたみたいで、一団が宿に入って行きましたよ」
「ふうん? 騎士か」
「はい。重そうな鎧姿じゃなくて、簡単で軽そうなのでしたけどね。アルニムの白百合紋が胸についてました」
「何人だ?」
「十五人です」
それが多い人数なのか少ない人数なのか、俺には判断できなかった。真面目に国政に携わってないから、そういう儀礼的な細かいことがわからないのだ。
「潜入してるのはどの部屋だ?」
「手前の建物の二階の右端から三つ目です。ご一行は奥の平屋の建物全部です。すみません、近くの部屋は取れませんでした。しかも警備が厳しくて、近づけないようでして。ただ、夜はそこの庭を散歩するんじゃないかと思われます。灯篭を灯した庭をそぞろ歩いて、東屋で相手に求婚すると、必ずうまくいくんだとか。偉い人ってのは、まどろっこしいですねえ。押し倒してものにすりゃあいいだけの俺たちとは、大違いだ」
後半、いらないことを言って、がはは、と品なく笑う。
そのやりようでは、高確率で引っかかれて急所蹴られてお終いの気がするが、いい歳したこいつに恋愛指南してやるほどの経験もなければ、義理もない。だが、だからこそ、一言だけは言い聞かせておかなければならなかった。
失敗して、ふられて、逆上した時のために。
「女は泣かすなよ。殺すぞ」
「はっはっは。頭、わかってますって、ようく肝に銘じてまさあ! 女は泣かせるんじゃなくて、啼かせるのが男の甲斐性ってもんでさあ!」
わかってるんだかわかってないんだか、わからない答えが返る。まあ、いい。言うだけは言った。こいつら相手に正確さを求めても無駄で、疲れるだけだ。
「……他には何かあるか」
「ありません!」
「そうか。もう行く」
「はい! お気をつけて!」
元気に愛想良く送り出された。
そのあふれんばかりのむさくるしさに、俺はなんだかげんなりとしてしまったのだった。
確かに、警備の厳しい宿だった。さすがに俺もルシアンたちの建物に近づけず、魔法陣を使って上空で待機していた。
ふと、入り口近くの小さな建物に急に明りが灯るのを見つける。さっきまで真っ暗だった場所だ。違和感を覚えて、俺はそこへと降りていった。そっと中をうかがう。
厩だった。
客にあずかった馬たちなのだろう。その中でも明らかに軍馬とわかる、大きく頑丈そうな馬たちに、二人の従業員が大急ぎで鞍を載せていた。
ランプの光に、鐙が光る。少しネニャフルのものとは形が違うようだ。うちは上が三角なのだが、それは楕円になっていた。当然、つなぐ金具の形状も違う。
ということは、この宿から出ていこうとしているのは、ルシアン一向の誰かではない。軍馬に乗るとなれば、商人でもなければ、観光客でもない。
だが、どうして、アルニムの騎士が護衛対象を置いて、こんな夜更けに出て行かなければならない?
俺は嫌な予感に、一飛びして宿泊施設に戻り、見つかるのもかまわず庭側に降り立った。
「ブラッド様ですね!?」
剣を抜いて駆け寄ってきた騎士が、確定口調で誰何する。
「ルシアン……、いや、リチェル姫は?」
「お部屋にいらっしゃいます」
「どの部屋だ」
答えはない。当然か。不審人物に易々と教えるようでは、護衛にならない。
だったら、暴くまでだ。
屋根を吹き飛ばすか、壁を取り払うか。後の修理代と、一刻の猶予もないかもしれない状況に、どうするか数秒迷う。
その間に、建物の扉が開き、ルシアンが走り出てきた。
「兄さん!」
光を背にしていて、表情がよく見えない。でも、元気だ。とにかく無事だ。それに、胸の内が震えるほどの喜びと安堵がわく。
「リチェル姫は?」
「大丈夫。騎士団がついてる」
二人で散歩にでも出てくるところだったかと期待して聞いたのに、最悪の答えが返ってくる。
「どっちの!?」
「兄さんは、あの牛の乳女のことばっかり!!」
ルシアンが俺に抱きついて、耳元で怒って叫んだ。
「それどころじゃないんだよ。アルニムの騎士団の動きがおかしくて」
「そんなに、あの女が心配なの!? 俺よりも!!?」
「ルシアン、いい加減にしろ!! そういう問題じゃない!!」
俺はルシアンを引き剥がしつつ、やっぱり屋根を吹き飛ばすことにした。異国風に造られた建物は、艶のある瓦をのせてある。やたら重そうだ。むやみと壁を取り払ったら、崩れ落ちてくるかもしれない。
「そういう問題だよ!! いっとくけど、あの女はゴキブリ並みの生命力だから、兄さんが心配してやることはないんだ」
そう言いながら、離れようとしない。
ルシアンのせいで集中ができないでいるうちに、ひゅ~っと不吉な音が俺たちのまわりでしはじめる。どうやら、俺を逃がすまいとして、小さな竜巻状なものを呼び出したようだ。
まったく、聞き分けのない。取り返しがつかないことが起きてからじゃ、遅いのにっ。
「ルシアンッ、おまえの婚約者だろう!! 守ってやるのがおまえの義務だろうが!!」
襟元を捕まえて、揺すり上げる。
「そうだよ! 兄さんの義務じゃない!! 兄さんの義務は、おとなしくリュスノー閣下の弟子として、真理の塔にいることじゃないの!? なんで、こんなところにいるの。俺たちが、どれくらい心配したと思ってるの!?」
俺は胸を衝かれて、ルシアンを凝視した。
心配させたのか。考えつきもしなかった。
「……どうして?」
心配するようなこと、何もしてないじゃないか。
「『どうして』!?」
ルシアンは、非難を込めて、鸚鵡返しに怒鳴った。
「借金王、盗賊王、花街の貴公子、娼婦の情人!」
俺は自分の顔が引き攣るのを感じた。王子から王にグレードアップしてる。いや、それはまあ置いといて、先の二つは理解できるが、後の二つはいったいなんだ? ていうか、なんでそれをルシアンが知っている?
「鉄拳制裁の死神、商隊の守護悪霊、盗賊の思い人!!」
「はっ?」
全身総毛立った。ちょっと待て、最後のだけは聞き捨てならない。
俺が言い返そうと、口を開けたところで、
「いったい、なにやってんの、ブラッド!!!!」
ルシアンに怒鳴りつけられ、いや、叱りつけられた。その勢いに、罪悪感を刺激される。
……いや、うん、その、なんだ。心配されるのも、ごもっともで。
俺はすっかり気力を奪われ脱力しながら、それでも、自分が何をしにきたのか、忘れるわけにはいかなかった。
「リチェル姫を」
守らないと。
「もうっ。これは、あの女がたくらんだの! ブラッドを捕まえるために!!」
「え、そうなのか? じゃあ、無事なんだな」
ほっとする。
「さっきからそうだって言ってるじゃないかっ。自分を嵌めた女を心配する必要なんかないよ! それより全部説明してもらうからね、ブラッド!!」
ルシアンはとうとう腕だけじゃなく足まで俺の腰に絡みつけ、ずっしりとぶら下がった。
しかたなくその背に腕をまわして、ゆすりあげる。まるっきりでかい赤ん坊と同じだ。
そんな状態なのに、つい習い性で、逃げ道は、と退路を探し、いつのまにか建物の前に仁王立ちしていたジジイと目が合った。下から灯篭に照らしだされた悪鬼のごとき微笑みに背筋が凍る。体中に冷や汗がどっとふきだしてくる。
逃げられるなら、逃げてみろ、その分、お仕置きは倍だからな、不肖の馬鹿弟子め。
俺には、はっきりと、無言の脅しが聞こえた。
「あー。えーと。……ゴメンナサイ?」
俺はとりあえず、先に謝ってみることにした。




