9 服装には気をつけましょう。
いよいよ各社の採用合戦も激しくなってきたようだった。
「今年は本当にいい学生が少なくって困るよ。皆考えが甘すぎるんだよなぁ。」
人事の新卒担当者は一様に嘆いていた。
私はそんなものなのかと、先日責任者会議でまとめた採用の要望数を
まとめたレジュメをホッチキスでとめていく。
人事部は人事部で、会社案内の最終版をホッチキス止めしていた。
「当日のキャンセルはまだ許せても、放棄とかはあり得ないしね。
連絡不能の奴らとか、本当になんで応募してきたのかと思うよ。」
人事担当者の愚痴をこぼす。
遠い昔、私が学生だったとき人事ほど楽な仕事はないと思っていたが、
意外に人事も営業のような仕事をしているのだと気がつく。
しかも、採用活動ばかりをしている訳ではないのに、だ。
「松森さんも、来週土日の合説に来てくれるんですよね。」
そう、今週の土日は合同説明会のため、九州に出張だった。
私の気分を憂鬱にしているのは、将吾と一緒の出張だということだ。
私自身は地方に出張なんて日常茶飯事だが
管理部門の将吾との出張は初めての経験だった。
まぁ、人事部の人たちとも一緒だし、別に将吾とだけ行くわけではないのだが。
私は、曖昧に微笑んで答えた。
しわにならないようにスーツをハンガーにきっちり掛けて、
スーツケースの蓋を閉じる。
学生にいい印象を与えるために、くれぐれもしっかりとした格好で来てくださいと
人事部の部長に3回も念を押されてしまったのだ。
私はダイエットの末、だいぶすっきりとしたウエストラインを鏡に映しだした。
大きなホールで行われた合同説明会は、熱気にあふれていた。
学生たちも熱気にあふれていたが、それ以上に熱くなっているのは招き入れる
企業側の方だった。
「30分後に行われる大ブースでの講演をいっぱいにするように!」
私と、将吾、そして総務や資材部の担当者たちは人事部の熱気に圧倒された。
完全に、営業の目をしている彼らがいた。
人事部の部長は熱く会社について語っていた。
普段接するほのぼのとした、彼らとはまるでキャラが違っていた。
多くの学生が、熱弁をふるう部長にキラキラとした目を向けていた。
・・・何人かの学生は寝ていたが。
「それでは各部門の責任者の挨拶のあと、私たちのブースでそれぞれの
責任者と質疑応答を行います。そちらでエントリーシートを回収しますので、
是非、ブースに足を運んでください!」
大ブースを使えるのは1企業1時間と設定されていた。
大ブースで人をかき集めて、その学生たちを
丸ごと自分たちのブースに足を運ばせるのが、人事部が考えた作戦だった。
資材部、総務部の責任者たちが仕事について語るのを学生たちは熱心にメモを取っていた。そして、将吾の番だった。
「僕たちのセクションは営業のサポートです。
サポートだからと言って、簡単な仕事だと思わないでください。
僕たちの仕事は社内での営業です。
客先に出向くことはほとんどありませんが、
営業担当者の代わりに資料を作成し、各部門の担当者と調整をしていきます。
また、営業の成績管理も大切な仕事の一つです。
営業担当者の給料の査定を預かる部門として確実に
間違いのないデータを収集しなくてはなりません。」
私はあらためて、将吾のサポートがあったからこそ主任にまで
なることが出来たのだと考えていた。
福岡の夜は明るかった。
人事部の人たちは明日に備えるため、今日回収したエントリーシートの仕分け作業や入力作業などに追われていた。
手伝おうかと申し出たが、機密情報を扱うからと別のホテル予約しているらしい。
ホテルの名前すら、私たち各セクションの責任者には口外しないのだ。
うちの会社の情報に関する意識の高さに、ちょっと驚いた。
各部門との調整を行っている将吾は特別驚いた風ではなかったから、
オフィスにいる人たちはそんなに珍しい光景ではないのかもしれない。
私と資材部の係長は苦笑いだ。
夕食はとても有意義なものになった。
各部門の責任者をしている人たちの集まりだ。
彼らの人となりを見て、なんで責任者をしているのかを肌で感じ取った。
仕事が好きなのだ。
八雲課長に通じるオーラを感じて、私はお酒を飲むどころではなかった。
ホテルは安いビジネスホテルだった。
私は女性ということで一人部屋を与えられた。
シンプルだけど、眺めのよい部屋だった。
私は明日に備えて寝ようとベッドにもぐりこんだ。
キラキラした学生たちの瞳をみて、昔を思い出した。
私と将吾の出会いはバスの中だった。
入社式の日、私は真新しいリクルートスーツを着てバスに乗った。
幸いにもバスはとても空いていて座ることが出来た。
次のバス停で、彼は乗り込んできた。
すらっと背が高く、なかなか好みのタイプだった。
携帯電話を開いて、お気に入りのブログを読もうとしたとき、彼に話しかけられた。
「すみません。」
私は好みのタイプの知らない男性に話しかけられるとは思わず、はい?!っとひっくるがえった声で返事をした。
「・・・スーツにタグが付いていますよ?」
私は自分の顔が赤く熱を持つのを感じた。
穴があったら入りたいとはこのことだ。
「え、ええ~」
私はワタワタしながらスーツを脱ぐ。
そこには有名スーツのチェーン店の名前と値段がしっかりと書かれている
白いタグが透明のプラスチックのわっかから飛び出ていた。
ハサミなんて、持っていない。
私は何とかプラスチックのわっかを取ろうとするが、手に赤いラインが入るだけだ。
男性は私からスーツを取り上げると、ハサミで切り取ってくれた。
「はい。」
私はそう言ってスーツを渡してくれた彼の顔が見れなくって、
「ありがとうございます」と小さく呟いてからはずっと下を見つめていた。
だから、まさか彼と私が同じバス停で降りるとは思わなかったのだ。
そして、研修で同じ班になるとも。
8年も付き合うことになる彼氏になるとも。
私は横になったベッドから起き上がるとジャージと長袖のTシャツの上からストールをはおる。
財布だけを持って、外に出た。
外には赤ちょうちんの店がたくさんあって、
ダイエットでずっと控えていたが、久しぶりに暖簾をくぐった。
「おでんと、日本酒。熱燗2合で。」
私はヘルシーそうなメニューを見つけて適当に注文するとカウンターに座る。
「寝酒すると太るぞ。」
カウンターの一つとなりに将悟が座っていた。
亀更新ですみません。
変なところでぶった切ってすみません。