↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/45

第9話 「真っすぐな想い」①

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ

王都アルト市場には、一人の有名人がいた。

市場の秩序を守る取り締まり役――ナラ。


商人同士の揉め事を収め、迷子の子どもを親元へ送り届け、荷運びに困る老人を見つければ真っ先に手を貸す。


「ナラお姉ちゃん!」

「はいはい、走ると転ぶぞ。」


子どもたちからは慕われ、大人たちからは信頼される。


市場にナラがいれば安心。


誰もがそう口を揃える。

そんな彼女にも、人にはあまり話したことのない悩みが一つだけあった。


――髪だった。


それはまるで、言うことを聞かない蔦のように絡み合い、どれだけ整えようとしても勝手に伸びては形を崩す。


生まれつき強い天然のクセ毛。

毎朝一時間近く格闘しても、結局は後ろで一つに結ぶしかない。


可愛い髪型。

おしゃれな髪型。


そんなものは、自分には縁のない世界だと思っていた。


鏡に映るその髪は、まるで自分の不器用さや不完全さをそのまま形にしたようで、見るたびに胸の奥をざらつかせる。


◇ ◇ ◇


「フォレストボアのヒレ肉だ! 今日だけの大特価!」

「朝採れ月光きのこ! 香りが違うよ!」

「南海産ブルーシュリンプ、今朝届いたばかりだ!」


市場は朝から活気に満ちていた。


見回りをしていたナラの前に、一人の騎士が歩いてくる。


ルークだった。


鏡子に髪を整えてもらってからというもの、王都の女性たちが振り返るほど爽やかな青年へと変わっていた。


背筋をすっと伸ばして歩く姿は無駄がなく、陽の光を受けて整えられた髪が柔らかく輝いている。


軽く手を挙げる仕草ひとつにも自然な余裕があり、その穏やかな笑みが周囲の空気まで和らげていた。


「おはよう、ナラ。」


聞き慣れた声。

それなのに、今日は胸が高鳴る。


(……ルーク。)


名前を心の中で呼んだ瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。

喉の奥がきゅっと締め付けられて、うまく息が吸えない。


前から優しい人だった。

困っている人には誰よりも早く手を差し伸べる。

市場へ来れば必ず声を掛けてくれる。


そんな姿を、ナラはずっと見てきた。


だけど――。


整えられた髪。柔らかな笑顔。


その姿が、今日は眩しすぎた。


(なんで……こんなに、かっこよくなってるの……。)


視線を合わせるのが怖い。

見つめたら、何かが溢れてしまいそうで。

自分の髪を無意識に指で触る。

結んでいるはずなのに、指先に触れる感触はごわついていて、余計に意識してしまう。


(私なんかと並んでいい人じゃない……。)


胸の奥に、じわりとした劣等感が広がる。


「今日も忙しそうだな。」

「……う、うん。」

「無理すんなよ。」

「わ、分かってる。」


もっと普通に話したいのに、言葉が喉に引っかかる。

心臓の鼓動がうるさくて、頭が真っ白になる。

(ちゃんと笑って……普通に返して……!)

そう思うほど、体は言うことを聞かない。


ルークは少しだけ首を傾げる。


「じゃあ、またあとで。」

「……うん。」


去っていく背中を見送りながら、ナラは胸を押さえた。

どくどくと脈打つ鼓動が、手のひら越しに伝わってくる。


(何やってるんだ、私……。)


悔しさと恥ずかしさが混ざり合い、胸の奥がじんと痛んだ。


◇ ◇ ◇


その夜。


ベッドへ倒れ込み、枕へ顔を埋める。


「あぁぁ……。」

情けない声が部屋へ響いた。


「せっかく話しかけてくれたのに……。」

思い出すだけで恥ずかしい。

顔が熱くなり、枕に押し付けても冷めない。


(なんであんな風になるの……。)


鏡の前へ立つ。

結んでいた髪をほどく。

ぶわり、と強いクセ毛が広がった。


それはまるで、抑え込んでいた感情が一気にあふれ出したかのように、好き勝手に広がっていく。


その瞬間、さっきのルークの整った髪が頭に浮かぶ。


さらりと流れる前髪。

風に揺れても崩れない形。


それに比べて、自分の髪は――。


毎朝、何度梳かしても。

何度水で濡らしても。


結局は元に戻る。


まるで「どうせ無理だ」と囁くように、何度でも同じ形へ戻ってしまう。

だから、結ぶしかない。


鏡に映る自分を見つめ、小さく笑う。

その笑みは、どこか自嘲気味だった。


「……何期待してるんだ。」


髪を握りしめる。

指に絡みつく感触が、まるで自分を縛りつける鎖のように重く感じられる。


「ルークが私なんかに気があるわけない。」


胸の奥がきゅっと締め付けられる。


「こんな髪じゃ……。」


言葉にした瞬間、喉が詰まる。

(こんな見た目で……こんな不器用で……。)

市場では頼られているのに、彼の前では何もできない自分。

その落差が、余計に苦しかった。


夜風だけが静かに窓を揺らしていた。


◇ ◇ ◇


翌日。


「鏡子さん、この花瓶かわいい!」

「本当だ。お店に飾ったら素敵かも。」


鏡子とミリアは市場へ買い出しに来ていた。


美容室兼理容室を始めてから必要な物も増え、こうして二人で市場を歩くことも多くなっている。


その時だった。


「はいはい、そこまで!」


聞き覚えのある凛とした声。

振り向くと、商人同士が値段を巡って言い争っていた。


「だから順番だって!」

「お前が横入りしたんだろ!」


ナラは二人の間へ割って入る。


「二人とも落ち着け。」

「朝から喧嘩してたら客が逃げるぞ。」


二人は顔を見合わせ、気まずそうに頭をかいた。


「悪かった。」

「俺も熱くなりすぎた。」


周囲から笑いが起こる。


「さすがナラ!」

「やっぱり頼りになる!」


そこへ子どもたちが駆け寄ってきた。


「ナラお姉ちゃん!」

「見て見て!」


ナラはしゃがみ込み、優しく頭を撫でる。


「お、上手に描けたな。」


鏡子はその光景を見つめながら微笑んだ。


「みんなに愛されてるんだね。」


ミリアは誇らしそうに頷く。

「うん!」

「市場のみんなのお姉ちゃんなんだ!」


その時。


「おーい。」


ルークが巡回でやって来た。

「ミリア、キョーコ。」


二人へ軽く手を挙げる。

「お疲れ。」


そして自然にナラを見る。

その視線が向けられた瞬間、ナラの背筋がぴんと伸びる。

(来た……。)

心臓がまた早くなる。


「今日も忙しそうだな。」

「……まあね。」

「ちゃんと休めよ。」

「う、うん。」


視線を合わせられない。

足元ばかり見てしまう。


(ちゃんと顔見て話してよ……!)


内心で自分を叱るが、体は固まったまま動かない。

またぎこちない。

ルークは少し笑うと、


「じゃあ、また。」


そう言って巡回へ戻っていった。

姿が見えなくなると、

ナラは小さく息を吐いた。


胸の奥に溜まっていたものが、一気に抜ける。

(また……何もできなかった。)


ミリアがすぐに肘でナラをつつく。


「怪しい〜。」

「え?」

「ルークさんの前だと、全然しゃべれなくなるじゃん。」

「ち、違うって!」


否定しながらも、顔が熱くなるのを止められない。


「顔真っ赤!」

「もう!」


ナラは慌てて否定する。

鏡子はその様子を微笑ましく見つめていた。


その時だった。


風が吹き、結んでいたナラの髪がふわりと揺れる。

鏡子の表情が少しだけ変わる。

髪質を見ただけで分かった。


(かなり強いクセ……。)


それだけではない。

ルークの前で視線を逸らし、無意識に髪へ触れていた仕草。

言葉に詰まるたびに、指先がその結び目へ向かっていたこと。


鏡子はそれを見逃していなかった。

(あの子……髪のことで、自分に自信が持ててない?)

そして、その自信のなさが――ルークへの想いと結びついていることも。


美容師としての直感が、はっきりと告げていた。

(このままだと、きっと踏み出せないまま終わる。)

鏡子は静かにナラの背中を見つめる。


頼られているのに、肝心なところで一歩引いてしまう姿。

その原因が、たった一つの「髪」にあるのなら。


(変えられる。)


そう確信した。

そして同時に思う。


(この子の髪を変えれば――きっと、未来も変わる。)

鏡子の中で、小さな決意が芽生えていた。


◇ ◇ ◇


 市場での買い物を終えた帰り道。

 鏡子はナラの姿を思い返していた。

 商人たちの信頼を集め、子どもたちから慕われる優しく真っ直ぐな女性。


 それなのに――ルークが現れた瞬間だけ、無意識に髪へ手を伸ばしていた。

 その仕草が胸に引っ掛かって離れない。


「……ミリア。」

「ん? なあに?」

「ナラさんって……髪、気にしてたりする?」


 少し言いづらそうに尋ねると、ミリアは一瞬目を伏せ、小さく笑った。

「うん……昔から、ちょっとね。」


 どこか寂しげな笑顔だった。


 鏡子は黙って耳を傾ける。

「昔ね……ナラが言ってたの。」

『一度でいいから、髪を下ろして歩いてみたいな。』

「でもすぐ笑って……。」

『私には無理だけどね。』


 ぽつりと落ちる声だった。


「子どもの頃は特にひどくて、広がって絡まって……からかわれてたみたい。それで、ずっと結ぶのが当たり前になっちゃって。」


 鏡子の胸が締めつけられる。


 “無理”という一言で可能性を閉じ込める――美容師として何度も見てきた光景だった。


「鏡子さん……?」


 ミリアが心配そうに覗き込む。

 鏡子ははっとして微笑んだ。

「あ、ごめん。昔のお客様思い出してただけ。」


◇ ◇ ◇


 その夜。

 営業を終えた店内は静かだった。

 亮一はハサミを磨き、鏡子は窓際で市場のことを思い返している。


「亮一。」

「ん?」

「明日なんだけど……ひとりの子に集中したい。」


 亮一は手を止める。

「誰だ?」

「市場で会った子。くせ毛で悩んでて。」

「…ああ、縮毛矯正だな。」

「うん。」

「店は俺が回す。」

「……いいの?」

「問題ない。」


 鏡子はほっと笑った。

「ありがとう。」


 亮一は棚から木箱を取り出す。

「薬剤もアイロンも準備してある。」

「ほんと? 助かる。」

「工程は分かる。でも縮毛矯正は技術がそのまま出る。」


 ちらりと鏡子を見る。

「お前の仕事だ。」


 鏡子は少し照れながら笑った。

「……見てて。きっと笑顔にしてみせる。」


◇ ◇ ◇


 翌朝。

 市場ではナラが忙しく動き回っていた。


「ナラ。」

 声に振り向く。

「あ、キョーコ。」

 昨日より少し自然な笑顔だった。


「少し時間もらえる?」

「うん、もちろん。」


 二人は喧騒から離れる。


 鏡子はナラの前に立ち、微笑んだ。

「昨日、あなたを見て思ったの。本当はやってみたい髪型、あるでしょう?」


 ナラは目を見開く。

「……どうして分かったの?」

「美容師だからかな。髪じゃなくて、あなたを見てたの。」


 ナラは言葉を失う。

「髪に触れる手も、鏡を見る目も……全部。」


 瞳が揺れる。

「本当は……髪を下ろして歩いてみたい。編み込みも、髪飾りも……。」


 言葉があふれ出す。

「でも昔、うまくまとまらなくて笑われて……それ以来怖くて。」


 少し震える声で続ける。

「私の髪じゃ……無理だから。」


 鏡子は首を横に振った。

「違う。無理じゃない。」


 一歩近づき、肩に手を添える。

「あなたは諦めてる。でも私は諦めない。美容師だから。」


 ナラの目に涙が浮かぶ。

「……変われるかな……。」


 鏡子は優しく微笑む。

「変わるんじゃない。なりたい自分になるだけ。」


 その言葉が静かに心へ染み込む。

「……お願いします。」


 ナラは頭を下げる。

「任せて。」


 二人は並んで店へ向かった。

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。