第9話 「真っすぐな想い」①
異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~
作者:阿波根サキ
王都アルト市場には、一人の有名人がいた。
市場の秩序を守る取り締まり役――ナラ。
商人同士の揉め事を収め、迷子の子どもを親元へ送り届け、荷運びに困る老人を見つければ真っ先に手を貸す。
「ナラお姉ちゃん!」
「はいはい、走ると転ぶぞ。」
子どもたちからは慕われ、大人たちからは信頼される。
市場にナラがいれば安心。
誰もがそう口を揃える。
そんな彼女にも、人にはあまり話したことのない悩みが一つだけあった。
――髪だった。
それはまるで、言うことを聞かない蔦のように絡み合い、どれだけ整えようとしても勝手に伸びては形を崩す。
生まれつき強い天然のクセ毛。
毎朝一時間近く格闘しても、結局は後ろで一つに結ぶしかない。
可愛い髪型。
おしゃれな髪型。
そんなものは、自分には縁のない世界だと思っていた。
鏡に映るその髪は、まるで自分の不器用さや不完全さをそのまま形にしたようで、見るたびに胸の奥をざらつかせる。
◇ ◇ ◇
「フォレストボアのヒレ肉だ! 今日だけの大特価!」
「朝採れ月光きのこ! 香りが違うよ!」
「南海産ブルーシュリンプ、今朝届いたばかりだ!」
市場は朝から活気に満ちていた。
見回りをしていたナラの前に、一人の騎士が歩いてくる。
ルークだった。
鏡子に髪を整えてもらってからというもの、王都の女性たちが振り返るほど爽やかな青年へと変わっていた。
背筋をすっと伸ばして歩く姿は無駄がなく、陽の光を受けて整えられた髪が柔らかく輝いている。
軽く手を挙げる仕草ひとつにも自然な余裕があり、その穏やかな笑みが周囲の空気まで和らげていた。
「おはよう、ナラ。」
聞き慣れた声。
それなのに、今日は胸が高鳴る。
(……ルーク。)
名前を心の中で呼んだ瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
喉の奥がきゅっと締め付けられて、うまく息が吸えない。
前から優しい人だった。
困っている人には誰よりも早く手を差し伸べる。
市場へ来れば必ず声を掛けてくれる。
そんな姿を、ナラはずっと見てきた。
だけど――。
整えられた髪。柔らかな笑顔。
その姿が、今日は眩しすぎた。
(なんで……こんなに、かっこよくなってるの……。)
視線を合わせるのが怖い。
見つめたら、何かが溢れてしまいそうで。
自分の髪を無意識に指で触る。
結んでいるはずなのに、指先に触れる感触はごわついていて、余計に意識してしまう。
(私なんかと並んでいい人じゃない……。)
胸の奥に、じわりとした劣等感が広がる。
「今日も忙しそうだな。」
「……う、うん。」
「無理すんなよ。」
「わ、分かってる。」
もっと普通に話したいのに、言葉が喉に引っかかる。
心臓の鼓動がうるさくて、頭が真っ白になる。
(ちゃんと笑って……普通に返して……!)
そう思うほど、体は言うことを聞かない。
ルークは少しだけ首を傾げる。
「じゃあ、またあとで。」
「……うん。」
去っていく背中を見送りながら、ナラは胸を押さえた。
どくどくと脈打つ鼓動が、手のひら越しに伝わってくる。
(何やってるんだ、私……。)
悔しさと恥ずかしさが混ざり合い、胸の奥がじんと痛んだ。
◇ ◇ ◇
その夜。
ベッドへ倒れ込み、枕へ顔を埋める。
「あぁぁ……。」
情けない声が部屋へ響いた。
「せっかく話しかけてくれたのに……。」
思い出すだけで恥ずかしい。
顔が熱くなり、枕に押し付けても冷めない。
(なんであんな風になるの……。)
鏡の前へ立つ。
結んでいた髪をほどく。
ぶわり、と強いクセ毛が広がった。
それはまるで、抑え込んでいた感情が一気にあふれ出したかのように、好き勝手に広がっていく。
その瞬間、さっきのルークの整った髪が頭に浮かぶ。
さらりと流れる前髪。
風に揺れても崩れない形。
それに比べて、自分の髪は――。
毎朝、何度梳かしても。
何度水で濡らしても。
結局は元に戻る。
まるで「どうせ無理だ」と囁くように、何度でも同じ形へ戻ってしまう。
だから、結ぶしかない。
鏡に映る自分を見つめ、小さく笑う。
その笑みは、どこか自嘲気味だった。
「……何期待してるんだ。」
髪を握りしめる。
指に絡みつく感触が、まるで自分を縛りつける鎖のように重く感じられる。
「ルークが私なんかに気があるわけない。」
胸の奥がきゅっと締め付けられる。
「こんな髪じゃ……。」
言葉にした瞬間、喉が詰まる。
(こんな見た目で……こんな不器用で……。)
市場では頼られているのに、彼の前では何もできない自分。
その落差が、余計に苦しかった。
夜風だけが静かに窓を揺らしていた。
◇ ◇ ◇
翌日。
「鏡子さん、この花瓶かわいい!」
「本当だ。お店に飾ったら素敵かも。」
鏡子とミリアは市場へ買い出しに来ていた。
美容室兼理容室を始めてから必要な物も増え、こうして二人で市場を歩くことも多くなっている。
その時だった。
「はいはい、そこまで!」
聞き覚えのある凛とした声。
振り向くと、商人同士が値段を巡って言い争っていた。
「だから順番だって!」
「お前が横入りしたんだろ!」
ナラは二人の間へ割って入る。
「二人とも落ち着け。」
「朝から喧嘩してたら客が逃げるぞ。」
二人は顔を見合わせ、気まずそうに頭をかいた。
「悪かった。」
「俺も熱くなりすぎた。」
周囲から笑いが起こる。
「さすがナラ!」
「やっぱり頼りになる!」
そこへ子どもたちが駆け寄ってきた。
「ナラお姉ちゃん!」
「見て見て!」
ナラはしゃがみ込み、優しく頭を撫でる。
「お、上手に描けたな。」
鏡子はその光景を見つめながら微笑んだ。
「みんなに愛されてるんだね。」
ミリアは誇らしそうに頷く。
「うん!」
「市場のみんなのお姉ちゃんなんだ!」
その時。
「おーい。」
ルークが巡回でやって来た。
「ミリア、キョーコ。」
二人へ軽く手を挙げる。
「お疲れ。」
そして自然にナラを見る。
その視線が向けられた瞬間、ナラの背筋がぴんと伸びる。
(来た……。)
心臓がまた早くなる。
「今日も忙しそうだな。」
「……まあね。」
「ちゃんと休めよ。」
「う、うん。」
視線を合わせられない。
足元ばかり見てしまう。
(ちゃんと顔見て話してよ……!)
内心で自分を叱るが、体は固まったまま動かない。
またぎこちない。
ルークは少し笑うと、
「じゃあ、また。」
そう言って巡回へ戻っていった。
姿が見えなくなると、
ナラは小さく息を吐いた。
胸の奥に溜まっていたものが、一気に抜ける。
(また……何もできなかった。)
ミリアがすぐに肘でナラをつつく。
「怪しい〜。」
「え?」
「ルークさんの前だと、全然しゃべれなくなるじゃん。」
「ち、違うって!」
否定しながらも、顔が熱くなるのを止められない。
「顔真っ赤!」
「もう!」
ナラは慌てて否定する。
鏡子はその様子を微笑ましく見つめていた。
その時だった。
風が吹き、結んでいたナラの髪がふわりと揺れる。
鏡子の表情が少しだけ変わる。
髪質を見ただけで分かった。
(かなり強いクセ……。)
それだけではない。
ルークの前で視線を逸らし、無意識に髪へ触れていた仕草。
言葉に詰まるたびに、指先がその結び目へ向かっていたこと。
鏡子はそれを見逃していなかった。
(あの子……髪のことで、自分に自信が持ててない?)
そして、その自信のなさが――ルークへの想いと結びついていることも。
美容師としての直感が、はっきりと告げていた。
(このままだと、きっと踏み出せないまま終わる。)
鏡子は静かにナラの背中を見つめる。
頼られているのに、肝心なところで一歩引いてしまう姿。
その原因が、たった一つの「髪」にあるのなら。
(変えられる。)
そう確信した。
そして同時に思う。
(この子の髪を変えれば――きっと、未来も変わる。)
鏡子の中で、小さな決意が芽生えていた。
◇ ◇ ◇
市場での買い物を終えた帰り道。
鏡子はナラの姿を思い返していた。
商人たちの信頼を集め、子どもたちから慕われる優しく真っ直ぐな女性。
それなのに――ルークが現れた瞬間だけ、無意識に髪へ手を伸ばしていた。
その仕草が胸に引っ掛かって離れない。
「……ミリア。」
「ん? なあに?」
「ナラさんって……髪、気にしてたりする?」
少し言いづらそうに尋ねると、ミリアは一瞬目を伏せ、小さく笑った。
「うん……昔から、ちょっとね。」
どこか寂しげな笑顔だった。
鏡子は黙って耳を傾ける。
「昔ね……ナラが言ってたの。」
『一度でいいから、髪を下ろして歩いてみたいな。』
「でもすぐ笑って……。」
『私には無理だけどね。』
ぽつりと落ちる声だった。
「子どもの頃は特にひどくて、広がって絡まって……からかわれてたみたい。それで、ずっと結ぶのが当たり前になっちゃって。」
鏡子の胸が締めつけられる。
“無理”という一言で可能性を閉じ込める――美容師として何度も見てきた光景だった。
「鏡子さん……?」
ミリアが心配そうに覗き込む。
鏡子ははっとして微笑んだ。
「あ、ごめん。昔のお客様思い出してただけ。」
◇ ◇ ◇
その夜。
営業を終えた店内は静かだった。
亮一はハサミを磨き、鏡子は窓際で市場のことを思い返している。
「亮一。」
「ん?」
「明日なんだけど……ひとりの子に集中したい。」
亮一は手を止める。
「誰だ?」
「市場で会った子。くせ毛で悩んでて。」
「…ああ、縮毛矯正だな。」
「うん。」
「店は俺が回す。」
「……いいの?」
「問題ない。」
鏡子はほっと笑った。
「ありがとう。」
亮一は棚から木箱を取り出す。
「薬剤もアイロンも準備してある。」
「ほんと? 助かる。」
「工程は分かる。でも縮毛矯正は技術がそのまま出る。」
ちらりと鏡子を見る。
「お前の仕事だ。」
鏡子は少し照れながら笑った。
「……見てて。きっと笑顔にしてみせる。」
◇ ◇ ◇
翌朝。
市場ではナラが忙しく動き回っていた。
「ナラ。」
声に振り向く。
「あ、キョーコ。」
昨日より少し自然な笑顔だった。
「少し時間もらえる?」
「うん、もちろん。」
二人は喧騒から離れる。
鏡子はナラの前に立ち、微笑んだ。
「昨日、あなたを見て思ったの。本当はやってみたい髪型、あるでしょう?」
ナラは目を見開く。
「……どうして分かったの?」
「美容師だからかな。髪じゃなくて、あなたを見てたの。」
ナラは言葉を失う。
「髪に触れる手も、鏡を見る目も……全部。」
瞳が揺れる。
「本当は……髪を下ろして歩いてみたい。編み込みも、髪飾りも……。」
言葉があふれ出す。
「でも昔、うまくまとまらなくて笑われて……それ以来怖くて。」
少し震える声で続ける。
「私の髪じゃ……無理だから。」
鏡子は首を横に振った。
「違う。無理じゃない。」
一歩近づき、肩に手を添える。
「あなたは諦めてる。でも私は諦めない。美容師だから。」
ナラの目に涙が浮かぶ。
「……変われるかな……。」
鏡子は優しく微笑む。
「変わるんじゃない。なりたい自分になるだけ。」
その言葉が静かに心へ染み込む。
「……お願いします。」
ナラは頭を下げる。
「任せて。」
二人は並んで店へ向かった。
カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。




