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第45話 新しい居場所

異世界バーバー ~理容師と美容師の異世界繁盛記~

作者:阿波根サキ

「……う……」

 小さな声が漏れた。


 ゼノが弾かれたように寝台へ振り返る。

「母さん!?」


 閉じられていたエウリアの瞼が、ゆっくりと開いていく。

 まだ焦点の合わない瞳が宙を彷徨い、やがて傍らにいる少年を捉えた。


「……ゼノ……?」

「母さん!」


 ゼノは寝台へ駆け寄った。

 母親の手を両手で握る。

「よかった……! 本当に……!」


 エウリアはそんな息子を見つめ、それから周囲へ視線を向けた。

 亮一。

 鏡子。

 ガレオスとルーク。

 見知らぬ者たちに囲まれていることに戸惑ったようだったが、すぐに自分の身体の異変に気づく。


「……軽い……」

 身体を蝕んでいた重い倦怠感がない。

 魔力を吸い取られ続けていたような感覚も、嘘のように消えている。


 エウリアはゆっくりと上体を起こした。

「身体が……こんなに……」

 自分の腕を確かめるように動かす。


 そこで、肩に触れた手が止まった。

 エウリアの手が、自分の頭へ伸びる。

 指先が髪に触れる。


「……髪……?」

 その手が止まった。

 あるはずのものがない。

 背中を越え、寝台から溢れるほど伸びていた蛇の髪が――ない。


「え……?」


「大丈夫?」

 鏡子がそっと声をかけた。


「びっくりすると思うけど」

 鏡子は部屋にあった鏡を手に取り、エウリアへ渡した。

「見てみて」


「…………」

 エウリアは恐る恐る鏡を覗き込んだ。

 そして――目を見開いた。


「……これが……私?」


 鏡の中には、見慣れない自分がいた。

 あれほど長かった深緑色の髪は、ばっさりと短くなっている。

 襟足はすっきりと収まり、後頭部には柔らかな丸みが作られていた。

 そこから顔まわりへ向かうにつれ、髪は少しずつ長くなっている。


「かなり伸びちゃってたから、思い切ってバッサリ切ったの」

 鏡子がエウリアの髪を指先で軽く整える。

「後ろは短くして、丸みが出るようにグラデーションを入れてあるの。そこから顔まわりに向かって少しずつ長くなるように、前下がりに仕上げたんだよ」


「ぐらでーしょん……?」

「えっとね、簡単に言うと――」

 鏡子はエウリアの後頭部を指す。

「短くても、頭の形が綺麗に見えるように切ってあるってこと。それに、これだけ短くなれば、髪を抑えるために必要な魔力もかなり少なくなるはず」


「魔力……」

 そこでエウリアの表情が変わった。

 短くなった髪へ、恐る恐る手を伸ばす。


「でも……蛇は?」

「ああ、それなら大丈夫。今はちゃんと髪に戻ってるよ」

「……戻ってる?」

「うん。ペンダントも動いてるし、もう暴れたりしないと思う」


 鏡子はエウリアの髪を軽く整えた。

「結果、いい感じになったでしょ?」


「……いい感じに?」

「うん。いい感じに」

「…………」

 エウリアが困惑した顔でゼノを見る。


「本当だよ、母さん」

 ゼノが何度も頷いた。

「鏡子さんが、蛇になってた母さんの髪を全部普通の髪に戻してくれたんだ」

「そんなこと……可能なの?」

「うん。それに、そのペンダントも」


「……これを?」

 エウリアが胸元を見る。

 古びた銀のペンダント。

 中央に嵌め込まれた小さな石には、今では淡い光が戻っている。


「ほとんど力がなくなってたみたいだから、私の魔力を流してみたの」

 鏡子が言う。

「そしたら、また動き始めたから。今くらいの長さなら、それだけでも髪を抑えられると思う」


「そんな……」

 エウリアは言葉を失った。

 震える指でペンダントを握る。


「?」

「このペンダントは……千年近く昔、シアール様が私たちの一族へ残してくださったものなんです」

「うん。ゼノから聞いた」

「その魔力を……あなたが……?」

「たぶん?」


 エウリアはますます困惑する。

 そんな二人の会話を、ガレオスだけは笑わずに聞いていた。

 その視線が、鏡子とペンダントの間を行き来する。

 そして、ペンダントに刻まれた小さな紋章へと向けられた。

 その瞬間、歴戦の騎士団長であるガレオスの目が、信じられないものを見るように見開かれた。

 だが、ガレオスは何も言わなかった。ただ、その事実を深く胸に刻み込むように沈黙を守った。


「……この蛇の髪は」

 エウリアが呟いた。

 再び鏡を見る。

「私たちナーガ族にとって、誇りなんです」


「ナーガ族?」

「はい。私は魔族の中でも、ナーガと呼ばれる種族です」

 エウリアは短くなった深緑色の髪を撫でた。


「私たちナーガ族も、幼い頃は普通の髪と変わりません」

「そうなの?」

「はい。成長して魔力が強くなってくると、少しずつ髪が蛇へ変わっていくんです」


 鏡子がエウリアの髪を見る。

「じゃあ、大人になる頃には?」

「すべて蛇になっています。それがナーガ族の証でもありますから」


 エウリアはどこか誇らしげに微笑んだ。

「でも、この子たちは常に意識して抑えていなければならなくて……」

 魔力が十分にあるうちは問題ない。

 しかし、力が衰えれば蛇たちを抑えられなくなる。

 やがて蛇同士が争い始める。

 さらに衰弱すれば、蛇たちは互いを取り込み始める。

「そして最後には……私たち自身まで取り込んで、一匹の大蛇になってしまいます」


「そんなことになるの……?」

 鏡子の表情が曇る。

「はい。だから、髪が伸びれば短くしていました。少しでも扱いやすいように」

「それでゼノが切ってたんだ」


「はい」

 エウリアが息子を見る。


「でも、短くするだけでした。髪型なんて考えたこともありません」

 エウリアは自分の髪を撫でる。

「この髪は誇りです。でも、私にとってはいつも意識して抑えていなければならないものでもありましたから……」


 そこでエウリアは、ふと鏡へ目を戻した。

 しばらく黙ったまま、自分を見る。

 右を向く。

 左を向く。

 襟足へ触れる。

 顔まわりに残された髪を指先でつまむ。

 もう一度、正面から自分を見る。


「……素敵」

 ぽつりと零れた。


 今まで鏡を見る時は、蛇が出ていないかを確認していた。

 髪を抑えられているか。

 正体が知られないか。

 そればかりだった。

 自分の髪型が似合っているかなど、考えたこともない。


「私……」

 エウリアの口元に、小さな笑みが浮かんだ。

「この髪型……好きです」

「ほんと!?」

「はい」

「よかったぁ!」

 鏡子が満面の笑みを浮かべた。


 亮一も、その隣で小さく息を吐く。

 助けるために短くするだけではない。

 助かったあとも、綺麗でいられる髪型にする。

 どうやら鏡子の判断は、正しかったらしい。


「でも……」

 エウリアの表情が、ふと変わった。

 改めて部屋を見回す。

「どうして……皆さんがここに?」


「…………」

 ゼノの肩が揺れた。

 エウリアはそれを見逃さなかった。

「ゼノ?」

「……母さん」

「あなた……何をしたの?」


 ゼノは答えなかった。

 俯いたまま、拳を握る。

「ゼノ」

「……全部話す」

 ゼノは顔を上げた。


 母親を魔族の国へ連れていきたかったこと。

 魔族の国なら、母親を助ける方法があるかもしれないと思ったこと。

 しかし国境は閉ざされていたこと。

 そんな時、裏通りで知り合った者から持ちかけられた。


 星銀を盗めば、魔族の国へ渡してやる――と。

 ゼノは鏡子の姿へ変わり、ハサミ理容室へ入り込んだ。

 夜まで店に潜み、星銀の理容道具を盗んだ。

 そして追跡が始まると、今度はガレオスの姿に変わり、騎士団の捜査まで止めようとした。


「…………」

 話を聞くほどに、エウリアの顔から血の気が引いていった。


「……ごめんなさい」

 突然だった。

 エウリアが寝台の上で頭を下げた。


「母さん!?」

「申し訳ありません……!」

 声が震えている。

「私のせいです……」

 ぽたりと涙が落ちた。


「私が……こんな身体になったから……」

「母さん」

「この子は、ずっと私を助けてくれていたんです。まだ小さい頃から……ずっと……」

 その言葉に、鏡子が眉を寄せる。


 エウリアは涙を拭い、ぽつぽつと話し始めた。

 ナーガ族は、女性しかいない種族だった。

 年頃になれば故郷を離れ、魔族の国を旅して伴侶を探す。

 誰との間に子をもうけても、通常なら生まれてくるのはナーガ族の女児。

 エウリアも本来なら、そうするはずだった。

 けれど――。


「私は、人間の国に興味があったんです」

「人間の国に?」

 鏡子が聞く。


「はい。どんな人たちがいて、どんな暮らしをしているのか……自分の目で見てみたくて」

 そしてエウリアは、人間の国へやって来た。

 そこで、一人の人間の男性と出会った。

 惹かれ合い、やがて夫婦となった。

 そして子供を授かった。


「生まれてきたゼノを見た時は……私も驚きました」

 エウリアが息子を見る。

「普通なら、ナーガの女の子が生まれるはずでしたから」

 しかし生まれてきたのは、蛇の髪を持たない男の子。

 それがゼノだった。


「でも、そんなことはどうでもよかったんです」

 エウリアが微笑む。


「この子は、私の子でしたから」

「母さん……」

「夫とゼノと……三人で暮らしていけると思っていました」


 だが、エウリアには夫へ明かしていない秘密があった。

 自分が人間ではないこと。

 魔族のナーガ族であること。

 シアールのペンダントで蛇の髪を普通の深緑色の髪へ変え、人間として暮らしていた。


「ずっと隠したまま一緒にいるのが……嫌になったんです」

 だから、夫へすべてを打ち明けた。

 本来の蛇の髪も見せた。

 その結果――。


「夫は……いなくなりました」

「…………」

「私が怖かったんだと思います」

 エウリアは、夫を責めるようには言わなかった。

 ただ、少し寂しそうに笑った。


「それなら故郷へ戻ろうとも思いました。でも、その頃にはもう……国境が閉ざされていました」

 帰れなかった。

 幼いゼノを抱え、人間の国で生きていくしかなかった。

 魔族だと知られれば、どう扱われるかも分からない。


 だからエウリアは、シアールのペンダントで蛇髪を隠し続けた。

 人間として働きながら、一人でゼノを育てた。


「生活は苦しかったです。でも……」

 エウリアがゼノを見る。

「この子がいましたから」

 二人なら、なんとかなる。

 実際、なんとかなっていた。

 裕福ではなくても、二人で暮らしていけていた。

 だが――。


 ある時から、ペンダントの力が弱まり始めた。

 普通の髪を維持できる時間が短くなった。

 蛇へ戻る髪が増えた。

 それを抑えるため、エウリア自身の魔力を使う。

 魔力を使えば身体が弱る。

 身体が弱れば、さらに蛇を抑えられなくなる。

 そしてまた魔力を使う。

 悪循環だった。

 やがて外へ出ることすら難しくなった。

 仕事もできなくなった。


「だから、この子の罪は私の……」

「違うよ!」

 ゼノが叫んだ。

「母さんのせいじゃない!」

「でも……!」


「盗んだのは俺だ!」

 エウリアが顔を上げる。

「母さんを助けたかったのは本当だ。でも、盗むって決めたのは俺だ」

「ゼノ……」

「だから、母さんが謝ることじゃない」


「ゼノの言う通りだ」

 亮一が口を開いた。

「理由があったからって、盗んだことがなくなるわけじゃねぇ」

「……はい」

 ゼノは逃げずに頷いた。


 亮一はエウリアを見る。

「親なら、頭を下げるのは当然だろうさ」

「…………」

「でも、こいつがやったことまで、あんたが背負う必要はねぇ」

 そして、ゼノへ視線を戻す。

「こいつの罪は、こいつのもんだ」


 今度はエウリアを見る。

「でも……」

「やった本人が、自分で償えばいい」


 亮一はゼノへ視線を戻した。

「ゼノ」

「……はい」

「盗んだ罪は、働いて償え」

「……え?」

「うちで働け」

「…………え?」

 ゼノの目が丸くなった。

「聞こえなかったか?」

「いや、聞こえましたけど……!」

「掃除に洗濯、タオルの準備に店の片付け。やってもらいたいことはいくらでもある」

「…………」

「楽できると思うなよ」

 ゼノの目に、じわりと涙が浮かんだ。

「……はいっ!」

 勢いよく頭を下げる。

「何でもやります!」


「いや、待て」

 ガレオスの低い声が割って入った。

「亮一。勝手に話を決めるな」

「あ」

「『あ』ではない」

 ガレオスが額を押さえる。

 ルークが小さく苦笑した。


「ゼノ」

「……はい」

 ガレオスの表情が騎士団長のものへ戻る。

「事情がどうあれ、お前が盗みを働いた事実は消えん。本来ならば、騎士団で身柄を預かるところだ」

「はい……」

「だが、星銀は無事に戻った。お前自身も罪を認めている。そして被害を受けた亮一本人が、身元を引き受けると言っている」


 ガレオスは亮一を見る。

「亮一。本当に構わないのだな?」

「ああ」

「鏡子殿も?」

「もちろん」

 ガレオスは少し考えたあと、頷いた。

「分かった。今回については、私の権限でゼノをハサミ理容室預かりとする」

「……ありがとうございます!」


「ただし」

 ゼノが顔を上げる。

 ガレオスの目が鋭くなった。

「お前の変化の魔法については別だ」

「…………」

「他人の姿だけでなく、声まで真似る。しかも騎士団長である私に化け、騎士団を動かそうとした」

「……はい」

「使い方次第では、今回程度では済まん」

 ゼノの顔が強張る。

「今後、亮一か鏡子殿の許可なく、変化の魔法を使用することを禁ずる」


「え?」

「悪意がなくともだ。必要なら、必ずどちらかに許可を取れ」

「……分かりました」

「次はないぞ」

「はい!」

 ゼノが真剣な顔で頷いた。

 こうして――。

 星銀を盗んだ少年は、ハサミ理容室で働くことになった。


◇ ◇ ◇


 数日後。


「ゼノ、蒸しタオルが少なくなってる。補充してくれ」

「はい!」

「終わったら二番席の床の髪を片付けてくれ」

「分かりました!」

「それが終わったら、次のお客さんを案内してくれ」

「はい!」


 朝からハサミ理容室を、ゼノが忙しそうに動き回っていた。

 掃除。

 洗濯。

 蒸しタオルの準備。

 客の案内。

 切った髪の片付け。

 使い終わった道具の整理。


 やることはいくらでもある。

 だが、一人増えただけで店は明らかに変わった。

 これまで亮一が施術の合間にこなしていた細かな仕事を、ゼノが引き受けるようになったのだ。

 そして、もう一つ大きく変わったことがある。


「ミリア、次のお客さんの準備お願い!」

「はい、師匠!」

 ミリアだった。

 これまで午前中は実家のパン屋を手伝い、午後からハサミ理容室へ来ていた。

 しかし今では、朝から鏡子の隣に立っている。

 鏡子の正式な弟子として、美容師の仕事を本格的に学び始めたのだ。


 ミリアの父も反対しなかった。

 むしろ、娘が自分の手で生きていける技術を身につけることを喜び、送り出してくれた。


「…………」

 床の髪を片付けていたゼノの手が、ふと止まった。

 視線の先。

 亮一が客の髪を切っている。

 左手には櫛。

 右手には、星銀のハサミ。


 ――シャキン。

 櫛で髪を引き出す。

 長さを見る。

 ハサミが動く。

 ――シャキン。


「…………」

 ゼノは、自分の手を見た。

 母親を助けたあの日。

 生まれて初めて櫛を握った。

 石になって動かなくなった亮一の左手の代わりに、必死で髪を梳かした。


 あの時は、何をしているのか考える余裕などなかった。

 ただ母親を助けたかった。

 それだけだった。

 だが今は違う。魔法など使わずとも、ただ自らの手と道具だけで人を美しく変えていく『職人』の背中から、目が離せなくなっていた。


「ゼノ」

「――はい!?」

「そっちの髪が終わったら、タオルの補充も頼む」

「あっ、はい!」

 慌てて箒を動かす。

 それでも。

 しばらくすると、ゼノの視線はまた亮一の手元へ向いていた。


 一方――。


「いらっしゃいませ!」

 ミリアの実家のパン屋にも、一人の新しい店員が増えていた。

 深緑色の短い髪。

 襟足はすっきりと整い、顔まわりへ向かって少し長くなる。

 胸元には、古い銀のペンダント。


 エウリアだった。


 ミリアが朝から鏡子の正式な弟子としてハサミ理容室へ通うようになり、パン屋は人手が足りなくなった。

 そこで、体調を取り戻したエウリアが店を手伝うことになったのだ。


 最初、エウリアは戸惑った。

「でも……私は魔族です」

 その一言を口にするだけで、身体が強張った。

 正体を明かす。

 それはエウリアにとって、簡単なことではなかった。

 かつて。

 同じように正体を明かしたことで、愛した人は自分の前から去っていった。

 だが――。


 ミリアの父は、パン生地を捏ねる手を止めることすらしなかった。

「美味いパンを売るのに、種族なんぞ関係ねぇ」

 それだけだった。


「…………」

「働けるんだろ?」

「……はい」

「なら問題ねぇ」

 エウリアはしばらく何も言えなかった。

 やがて――。


「……ありがとうございます」

 小さく頭を下げた。

「エウリアさん、こっちのパンお願い!」

「はい!」

 店の奥から声がかかり、エウリアが笑顔で応える。

 短くなった深緑色の髪が、ふわりと揺れた。

 もう、ここでは怯える必要はない。


 ゼノには、ハサミ理容室。

 エウリアには、パン屋。

 帰る場所すら失っていた親子に。

 ようやく――。

 新しい居場所ができた。


◇ ◇ ◇


 その日の夜。

 王城。

 アルベルトの執務室には、三人の男がいた。

 国王アルベルト。

 宰相レオナルド。

 そして、騎士団長ガレオス。


「――以上が、今回の星銀盗難事件の顛末です」

 ガレオスが報告を終える。


「星銀の理容道具は、すべて亮一の元へ戻っております」

「そうか」

 アルベルトが頷く。

「少年については?」

「ゼノという少年です。私の権限で、ハサミ理容室預かりとしました」

「亮一殿が?」

「はい。本人から申し出がありました」

「……あの男らしいな」

 アルベルトが僅かに笑う。


「ただし、少年の変化魔法は危険です。今後は亮一、もしくは鏡子殿の許可なく使用しないよう厳命しております」


「婿殿にしては、少々甘い裁量だな」

 レオナルドが口を挟んだ。


「そうでしょうか」

「窃盗だけならまだしも、騎士団長であるお前に化け、捜査を止めようとしたのだろう?」

「はい」

「それを理容室預かりで済ませる。婿殿らしくない」


 ガレオスは僅かに笑った。


「聞けば、ゼノは実際に見た人物でなくとも、特徴を聞いて具体的に姿を思い描くことができれば、ある程度その姿を再現できるとのことです」

「それがどうした?」

「事件の目撃証言から容疑者の姿を再現できれば、捜査の助けになります」


 レオナルドの眉が僅かに上がった。


「顔立ち、髪型、体格。目撃者から特徴を聞きながら姿を変えさせ、違えばその場で修正する。そうして容疑者の姿を再現できれば、騎士たちにも共有しやすい」

「…………」

「なにせ、王都には未解決の事件が山ほどありますので」


「ほう……なるほど」

 レオナルドの口元に笑みが浮かんだ。

「恩を売って、うまく利用するつもりか」

「利用とは人聞きが悪いですね」


「ふむ」

 アルベルトも感心したように頷いた。

「さすがだ。王国の守護者の名は伊達ではないな」


「恐れ入ります」

 ガレオスが頭を下げる。


 これで報告は終わった。

 そう思ったのか、レオナルドが手元の書類へ視線を落とした。


 しかし――。

 ガレオスは動かなかった。


「陛下。もう一つ、ご報告があります」

「なんだ?」

「こちらの方が……重要かもしれません」

 その言葉に、レオナルドも再び顔を上げた。


「鏡子殿が――《調和》を使いました」

「…………何?」

 アルベルトの表情が変わった。


「婿殿」

 レオナルドが身を乗り出す。

「今、なんと言った?」

「鏡子殿が、《調和》を使いました」

「……詳しく話せ」

「はい」


 ガレオスは、自分が見たものを説明した。

 ナーガ族であるエウリア。

 制御を失い、無数の蛇と化した髪。

 それを鏡子が《調和》によって普通の髪へと変化させたこと。


「待て」

 レオナルドが遮った。

「それだけならば、《調和》と似た性質を持つ別の魔法という可能性もある」

「私も、その可能性は考えました」

「では、なぜ《調和》だと?」

「ペンダントです」

「ペンダント?」

「エウリア殿が所持していた古い魔道具です。およそ千年前、シアール本人がナーガ族へ残したものだと伝えられているそうです」

 レオナルドの目が細くなる。

「伝承だけでは証拠にはならん」


「はい。ですが――」

 ガレオスは一拍置いた。


「その魔道具には、シアールの紋章が刻まれていました。間違いないかと……」

「…………」

 レオナルドが言葉を失う。


「紋章を見間違えた可能性は?」

「ありません。王都に残るシアールの魔道具に刻まれているものと同じでした」

 アルベルトの顔からも、先ほどまでの僅かな笑みが完全に消えた。


 シアールが残した魔道具。

 それは、古い伝説の中にだけ存在するものではない。


 千年という長い時を経た現在も、この国では数多くのシアールの魔道具が使われ続けている。

 とりわけ王都にとって、それらはなくてはならないものだった。


 上下水道。

 街へ水を送り、その水を浄化するための設備。

 さらには王都の重要施設にも、シアールが《調和》によって作り上げた魔道具がいくつも組み込まれている。

 千年前の魔道具が、今なお王都に暮らす人々の日常を支えているのだ。


 もちろん、この千年間、王国がただそれらを使い続けてきたわけではない。

 幾世代もの魔術師や研究者が、シアールの魔道具を調べてきた。

 設計は読める。

 構造も分かる。

 どこが何の役割を担っているのかも、多くは解明されている。

 壊れた部品を修繕できるものさえある。


 それでも――。

 どうしてもできないことが一つだけあった。


 魔道具を動かしている《調和》の魔力を、新たに込めること。


 シアールが姿を消してから、およそ千年。

 《調和》を扱える者は、一人として現れていない。

 ゆえに、シアールの魔道具に残された《調和》の魔力が尽きれば、それで終わり。

 仕組みが分かっていても。

 直し方が分かっていても。

 再び動かすための《調和》だけは、誰にも与えることができなかった。

 だから王国は、残された魔道具を可能な限り保全しながら使い続けてきた。


 その常識を――。

 異世界からやって来た一人の美容師が、覆した。


「鏡子殿は、力を失いかけていたそのペンダントへ、自らの魔力を流し込みました」

 ガレオスが続ける。

「そして?」

 アルベルトが問う。

「再び機能しました」

「…………」

 静寂が落ちた。

 レオナルドがゆっくりと立ち上がる。

「つまり……」

 その声は低い。

「千年前にシアールが残した《調和》の魔道具へ、鏡子殿が新たに《調和》の魔力を込めたというのか?」

「はい」

「間違いないのだな?」

「この目で確認しました」

「…………」

 レオナルドは言葉を失った。

 それが事実ならば、失われた魔法の使い手が現れた――それだけでは済まない。

 いずれ力を失うと考えられていた、王都に残るシアールの魔道具。

 それらに再び《調和》の魔力を与えられる可能性が生まれた。

 さらに。

 仕組みは分かっていながら、《調和》を失ったために動かすことのできない魔道具まで、再び機能させられるかもしれない。


 王都の水。

 人々の暮らし。

 この国を支える重要な設備。

 もしそれらが機能を停止すれば、王都は数日で立ち行かなくなる。

 そのすべてに関わり得る。

 これは一人の珍しい魔法使いが現れたという程度の話ではない。

 王国にとって――。

 歴史が動きかねないほどの大事件だった。


「……失われたはずの《調和(ハーモニー)》が……」

 レオナルドが呟く。


 異世界からやって来た美容師。

 鏡子。

 シアールと同じ《調和》を操り。

 シアールの紋章が刻まれた千年前の魔道具へ、自らの魔力を与え。

 再び動かした。

 偶然という言葉だけで片づけるには、あまりにも出来すぎている。


 アルベルトはしばらく考え込んでいた。

 やがて、ゆっくりと顔を上げる。

「……ガレオス」

「はい」

 短い沈黙。

「鏡子殿は……いったい何者なのだ?」


――End of Episode.

カクヨムでも掲載してます。よろしくお願いします。

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