第6話 時間が削れる
精鋭を選ぶ、と言葉にするのは簡単だ。
問題は、精鋭の定義だ。
烈は翌朝から三日間、野営地の兵士たちを観察した。ときどき、関係のないことまで目に入った。見た。訓練を、食事の取り方を、見張りの交代を、怪我の手当てを。
剣が上手い人間が精鋭なのではない。
判断が速い人間が精鋭だ。それが正しいと、烈は思っている。正しいと思い込まないと、やっていられないだけかもしれないが。
状況が変わったとき、命令を待つ人間と、自分で考えて動く人間がいる。廃坑への五人は、後者でなければならない。小規模浸透作戦において、指揮官の命令が届かない場面は避けられない。 そういうものだ、と烈は経験で知っていた。そのとき、自分で判断できない人間は、仲間を道連れにして死ぬ。
三日間で、烈は候補を六人に絞った。
六人から五人を選ぶ最後の一人が、難しかった。
初日の夜。
烈はエルンに言った。「お前は行くな」
エルンが固まった。「なぜですか」
「お前はまだ、判断が感情に引っ張られる」と烈は言った。「悪いことではない。ただ今回は、感情を切れる人間が必要だ」
「切れるように、なれます」
「三日でなれるものじゃない」
「なれます」エルンは言った。「試させてください」
烈はエルンを見た。
この三日間で、エルンは変わっているように見えた。ベグの件があってから、動き方が落ち着いた。怒りを外に出さなくなった。内側で処理するようになった。それは成長だが、成長したばかりの人間は、負荷がかかると折れやすい。
「一つ聞く」と烈は言った。「廃坑で、ベグさんと二人になる場面があったとする。そのとき、第三小隊の仲間たちのことを考えるか」
エルンは答えなかった。
答えないことが、答えだった。
「考えてしまう、ということはわかっている」と烈は言った。「考えること自体は構わない。問題は、考えながら動けるかどうかだ」
「動けます」
「証明してみろ」烈は言った。「今夜、俺と模擬戦をやる。俺がベグさんの役をやる。その場で、お前が感情に引っ張られずに動けたら、連れて行く」
エルンの目が変わった。
「わかりました」と言った。
模擬戦は野営地の外れでやった。
烈は何も言わずに、ベグが昨夜ヴァルクに情報を渡すときに使っていた動き方を、意図的にそのまま再現した。暗闇の中で、背を向けて、何かをやり取りする動作。
エルンが後ろから近づいた。
二メートルの距離で、止まった。
足が止まった理由は、烈にはわかった。体が止まったのではなく、頭が止まった。何かを思い出している。処理している。
三秒かかった。その三秒で、人は死ぬ。烈はそういう場面を、何度も見てきた。
三秒後、エルンは動いた。感情を押し殺し、手順として。腕を取り、制圧する動作を、声なしでやり遂げた。
烈は立ち上がった。
「三秒、止まった」と言った。
「……はい」
「戦場で三秒は長い」
「わかっています」
「それでも、動いた」烈は言った。「合格だ」
エルンが、小さく息を吐いた。安堵ではなく、緊張を整え直す音だった。
「ありがとうございます」
「感謝は帰ってからにしろ」と烈は言った。「それまでは取っておけ」
五人が決まった。
烈、ベグ、エルン、そしてあと二人。
一人目は、ダーヴ。
四十代の退役寸前の兵士。元は大工だったと言っていた。剣の腕は平均以下だが、地形を読む目が異常に鋭い。三日間の観察で、烈が最初に名前を書き留めた人物だ。
廃坑に入るには、地形を読める人間が必要だった。坑道は地図にない。入ったら最後、方向感覚を失う可能性がある。ダーヴならそれを補える。
声をかけたとき、ダーヴは少し驚いた顔をした。だがすぐに、納得したような顔になった。
「俺ですか」と言った。「もっと若くて強い奴が」
「強さは十分ある」と烈は言った。「地形を読める人間が、今回は一番強い」
ダーヴは少し考えてから、「わかりました」と言った。一瞬だけ、何かを言いかけてやめたようにも見えた。余計なことを言わない人間だと、烈は思った。良い兆候だ。
二人目は、迷った。
候補の六人目、イーラ。
女性の弓使いだ。烈が転生してから、この世界で女性の兵士を見たのは初めてだった。この世界で珍しいのかどうか、聞きそびれていた。
イーラは二十代後半。髪は短く切り揃えられていて、矢羽が触れない長さだった。寡黙で、訓練中に他の兵士と話すことがない。弓の腕は野営地で一番だ。百メートル先の的に、十射九中。
問題は、単独行動が多すぎることだ。
チームで動く習慣がない人間は、小規模作戦では危うい。自分の判断だけで動いて、隊形を崩す。
三日目の夜、烈はイーラに直接聞いた。
「チームで動けるか」
イーラは烈を見た。値踏みするような目だった。烈に向けられる目の中で、一番率直な種類の目だと思った。
「できます」とイーラは言った。「ただし、指示が正しければ」
「正しくなければ?」
「言います」
「その場で?」
「その場で」
烈は少し考えた。本当にそれでいいのか、一瞬だけ迷った。
現場で指示に異議を唱える人間は、扱いが難しい。でも異議を黙って飲み込む人間は、もっと危ない。内側で爆発するから。
「言い方は選べるか」と烈は聞いた。
「選びます。ただし、言わないという選択はしない」
「わかった」と烈は言った。「来てくれ」
イーラは頷いた。それ以上は何も言わなかった。
五人が揃った夜、烈は全員を集めた。
焚火の前。烈、ベグ、エルン、ダーヴ、イーラ。
五人の顔を見た。四十代の退役寸前、十二年戦ってきたベテランで裏切り者、十七か十八の新兵、地形読みの元大工、率直すぎる弓使い。
見事にバラバラだ。
烈は少し可笑しかった。笑いはしなかったが。
「作戦を説明する」と烈は言った。「全員が全部を知っておく必要がある。一人が倒れたとき、残りの全員が続きをできるようにするためだ」理屈としては、それでしか説明できない。
全員が烈を見ていた。
「目標は一つ。ベグの家族を連れ出す。それだけだ。拠点を崩す必要はない。戦闘は最小限。入って、出る。それだけを考えろ」
「入り口は」とダーヴが聞いた。
「ベグが知っている。坑道の構造も、ある程度は」
ダーヴがベグを見た。ベグは静かに頷いた。何か言いかけて、やめた。焚火の明かりの中で、指先だけがわずかに震えていた。二人の間に、余計な感情はなかった。ダーヴは第三小隊の出身ではないから、という理由だけではない。ダーヴという人間が、過去より目の前の情報を優先する人間だからだ。
「守りの人数は」とイーラが聞いた。
「魔族の捕虜から得た情報では、少数だ。ただし確認はできていない。情報が古い可能性もある」
「古ければ」
「その場で判断する」
イーラは烈を見た。「判断するのは誰ですか」
「俺だ。ただし、お前たちが異議を言う時間は作る」
イーラが少し目を細めた。採点している目だと烈は思った。合格かどうかはまだわからない。
「一つ確認していいですか」とエルンが言った。
「言え」
「帰れなくなったとき、どうしますか」
天幕の中が静かになった。
正直な問いだと烈は思った。言いにくいことを、きちんと口に出した。
「帰れなくなった場合、目標だけ達成して、その場で判断する」と烈は言った。「ただし、帰れなくなる前提で動くな。帰ることを前提にしろ。帰れると思っている人間の方が、帰れなくなった状況でも判断が速い」
「なぜですか」
「諦めていない人間の方が、選択肢を探すからだ」
エルンは頷いた。
「もう一つ」と烈は言った。全員に向けて。「この作戦のことは、大尉と俺たち五人だけが知っている。他の誰にも話すな。理由はわかるな」
全員が頷いた。
ベグだけが少し遅かった。自分が原因だとわかっているから、という遅さだった。
解散した後、ダーヴが烈を呼び止めた。
「少しいいですか」
「何だ」
「刻印の話です」
烈は止まった。
「俺が刻印持ちだと、知っているのか」
「見ればわかります」とダーヴは言った。悪びれない声で。「俺は大工をやっていたんで、素材を見る目は多少。人の身体も素材と似たようなもんで。あなたの身体、内側に何かが入っている」
烈は少し考えた。
「言いふらすか」
「言いません。得がないんで」
「得があれば言うか」
ダーヴは少し考えた。「言わないと思います。ただ確約はしません。正直に言った方がいいと思ったんで」
正直な人間だ、と烈は思った。余計なことを言わないが、必要なことは言う。
「わかった」と烈は言った。「知っていてくれ。ただし、俺が使う場面があっても、なかったことにしてくれ」
「なかったことにします」とダーヴは言った。「ただ、一つ聞いていいですか」
「何だ」
「使うと、何が削れるんですか」
烈は少し間を置いた。
「時間だ」と言った。烈は無意識に左手首に触れた。そこには何もない。ただ、触れた指先だけがわずかに冷たかった。
「時間」
「生きられる時間が、削れる」一度使えば、取り戻せない。
ダーヴは烈を見た。長い間、見た。大工が素材を検分するような目で。
「……なるほど」とやがて言った。「だから使いたくないわけだ」
「そうだ」
「使わない方が、長く戦える」
「そうだ」
ダーヴはしばらく考えた。それから「わかりました」と言った。それ以上は聞かなかった。
余計なことを言わない人間だと、烈はもう一度思った。
出発の前夜。
烈は一人でヴァルクのところへ行った。
ヴァルクは相変わらず縛られていた。ただし昨日から、天幕の中に移されていた。大尉の判断だ。外は寒い、という理由で。それが大尉なりの、何かの表れだと烈は思った。
「明日、廃坑へ行く」と烈は言った。
ヴァルクは烈を見た。
「伝えておくことはあるか」
「なぜ俺に聞く」
「お前がそこの事情を一番知っているからだ」
「俺は魔族だ。敵だ」
「知っている」と烈は言った。「それでも、持っている情報があれば聞く。嘘をついてもいい。ただし嘘をついた場合、俺が死ぬかもしれない。お前の取引相手がいなくなる」
ヴァルクの琥珀色の眼が、動いた。
「坑道の第三分岐を、右に行くな」とヴァルクは言った。「三月前から、崩落の危険がある。左だ」
「それだけか」
「今はそれだけだ」とヴァルクは少し間を置いて言った。
烈は頷いた。
「ありがとう」
「礼はいい」とヴァルクは言った。「それより」
「何だ」
「帰ってこい」
烈はヴァルクを見た。
ヴァルクは視線を逸らした。壁を見ていた。
「取引相手がいなくなると困る」と付け加えた。
烈は何も言わなかった。
言わなくていいと思った。
天幕を出た。夜気が冷たかった。星が出ている。焚火の匂いが、まだ服に残っていた。
アルデニアの星の名前を、烈はまだ知らない。
帰ったら、聞こうと思った。誰かに。エルンでも、リオでも、ダーヴでもいい。
帰ること、を前提にした思考だ。
いい傾向だ。
烈は少し笑った。誰も見ていない夜の中で、一人で。
出発の朝。
リオが烈を見送りに来た。手の中で、服の裾を何度も握り直していた。
「行くの」
「行く」
「帰ってくる?」
「帰ってくる」と烈は言った。
「約束?」
「約束だ」
リオは頷いた。それから、小さな石を一つ、烈の手に押し付けた。丸くて、白い石だった。
「なんだこれは」
「お守り。村にいたとき、お母さんが持たせてくれてた」
烈は石を見た。小さい。親指の爪ほどの大きさ。表面が滑らかで、長い時間誰かに握られてきたことがわかる。まだ温かさが残っていた。
「いいのか」
「うん」とリオは言った。「レツの方が、今は必要だと思うから」
烈は石を握った。
「預かる」と言った。「帰ったら返す」
「返さなくていいよ」
「返す」と烈は繰り返した。「帰ることを、忘れないために」
リオは少し考えてから、「わかった」と言った。
烈は石をしまった。革鎧の、胸のところに。
五人が集まった。ベグ、エルン、ダーヴ、イーラ。
烈は全員の顔を見た。
「行くぞ」と言った。
それだけで、五人が動き始めた。
野営地が後ろに遠ざかる。
烈は一度だけ振り返った。
リオが手を振っていた。
烈は手を振り返さなかった。振り返したら、何か別のものも振り返してしまいそうだった。
前を向いた。振り返らないことが、前に進むことだと、烈は知っていた。
北東の空が、夜明けの色に静かに色を変え始めていた。




