20.学院へ
王都ヴァルトタール。
ヴァルト王国の中心に位置するこの都は、建国時より続くこの国随一の歴史ある都市である。
小高い丘に建つ王城を中心に発展したこの都は、東西南北の主に四つの区画に分かれている。
ディルクたちの乗る馬車は石畳の大通りを抜けて、緑豊かな西区画へと進んでいた。
西区画は、貴族の邸や、王立の官公庁、王立学院などが並ぶ閑静な区域だ。
この地区に入って少しすると、王立学院の正門が見えてきた。
ディルクは回帰前、王都を何度か訪れたが、学院へと足を踏み入れるのは初めてだ。
感慨と共に、頭の中に、ここへと送り出してくれた家族の顔が思い浮かぶ。
◇◇◇◇◇◇◇
十二歳になり、王立学院へと入学するディルクは、母とラウラに会うためアルトナー領へと立ち寄った。
久しぶりに会う妹はだいぶ背が伸びて、少女らしくなっていた。
母もファルケハインにいた頃よりもふっくらとし、健康的になっている。
「母さん、ラウラ! 久しぶり。二人とも元気そうで安心したよ」
「あなたもずいぶん大きくなったわね。見違えたわ」
「兄さま兄さま! 私は女の子っぽくなったでしょ?」
「それにはあと三年必要だな」
「もう、ひどいよ!」
笑い合うと、三人で暮らした離れでの日々が戻ってきたかのようだった。
案内された部屋は、母と妹の部屋のすぐそばで、三人が過ごすのにぴったりの小さな応接室を備えていた。
(そういえば、あいつは……)
「兄さま。さっきからきょろきょろしてる。何探してるのー?」
「何も探してない」
「あのね、フィーネ姉さまはねえ、公爵夫人にお使いに行かされたちゃったの。明日には帰ってくるよー」
「そんなこと聞いてないだろ」
ディルクはにやにやと笑う妹の額を小突いたけれど、あまり効き目はなさそうだった。
夜中まで語り明かして室に戻ると、ディルクはアルトナー公爵夫人の執務室へ来るようにとの伝言を受け取った。
公爵夫人と会話するのは、二年前、ファルケハインで行われた試しの儀以来だ。
(公爵夫人の目的は、俺の魔力かもしれない)
カールには、そう示唆されていた。
ならば、公爵夫人がディルクに求めるのは──魔力拡張の施術かもしれない。
母とラウラを人質に取られているようなものだ。ディルクに拒否権はない。
ただ、ディルクは、受けた非道には復讐すべきだが、受けた恩は返すべきだと思っている。
母とラウラの今の厚遇を考えると、その程度は許容範囲だとも思えた。
ディルクは、アルトナー公爵夫人の執務室の扉をくぐった。
机に向かっていた公爵夫人は、書類から顔を上げないままディルクに声をかけた。
「久しぶりに家族水入らずで過ごせたかしら」
「お気遣いありがとうございます。おかげさまで、久々に家族とゆっくりすることができました。母と妹を預かって下さったこと、感謝しています」
「それはよかった。二人をこちらへ連れてきた甲斐があったわね」
沈黙の中、書斎には紙にペンを走らせる音だけが響く。
公爵夫人相手に駆け引きできるほど、ディルクは交渉に秀でているわけではない。大きく息を吸うと口を開く。
「貴方は、俺の力を見抜いていますね。貴方が俺たちに目をかけてくださっているのは、俺を利用するためでしょうか」
公爵夫人は初めて顔を上げると、ディルクの瞳を推し量るように見つめた。
「利用されるほどの価値が自分にあると思っているの?」
その意味を悟ると、かっと頬に血が上る。
冷静さを取り繕うと、公爵夫人の顔を見返した。
「……それでは、なぜ、助けてくださるのでしょうか」
「私はね、貴方のおじい様、エディンガー子爵に大変お世話になったのよ。アルトナーの人間がお世話になったという、その意味が分かる?」
「……もしかして、魔力拡張の施術?」
「アルトナーでは、誰が誰に施術を施したのかは公にはしないわ。それは、相手に命を捧げ奪う、崇高で残虐な行為だから」
アルトナー公爵夫人は立ち上がると、ディルクの頭をなでた。
「己の価値を示しなさい。その時には、利用ではなく取引してあげるわ」
「……はい」
「私がここに貴方を呼んだのは、単純に顔を見たかったからよ。学院生活は存分に楽しみなさい。家族の心配はせず、背伸びせずに子どもらしくね」
「はい、失礼します」
自分の傲慢な考えを恥ずかしく思いながら、会ったことのない祖父に感謝しつつ、ディルクは執務室を後にしたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇
「なんて強い魔力かしら。あの子、まだまだ強くなるわね。先が楽しみだわ」
ディルクに触れた左手をうっとりと眺めると、アルトナー公爵夫人カタリーナは、一人つぶやく。
「それにしても、うちの子もなんというか。恩に着せて婚約しちゃえば早いのに。本当に、仕方のない子。──頑張りなさいね、フィーネ」
愛娘を思う公爵夫人の顔は、優しく緩んでいた。
彼女の独り言を聞く者はもちろん、誰もいない。
◇◇◇◇◇◇◇
「ねえ、ディルク。ねえってば! あれは、図書館だよね。さすが王都だね。すごいね、大きい!」
馬車の隣から、赤毛の少女が声をかけてくる。
水色の瞳をきらきらと輝かせ、窓の外に何かを見つけると、そのたびにディルクの顔を覗き込んで報告してくる。
距離が近い。
公爵夫人と言葉を交わした翌日、出発の間際、ディルクは、二年ぶりにフィーネと会った。
手紙では数回やり取りしたが、会うのは二年ぶりだった。
フィーネも少し背は高くなっており、当時より鮮やかさを増した赤毛が目を引いた。
ラウラがしきりに脇腹をつついてきたので、思わず、相変わらず赤いな、と言ったら頭を抱えられてしまった。
その後、見送りに出てきた公爵夫人への別れの挨拶もそこそこに、フィーネは当然のようにディルクの馬車に乗り込んできてしまい、止める間もなかった。
「なあ、お前、学院ではあんまり話しかけてくるなよ」
「なんで?」
「……うるさいから」
ディルクのそばにいたらどんなトラブルに巻き込まれるかわからない。力をつけたとはいえ、完全に守り抜けるだけの自信は、まだない。
(情けねえ)
成長していない自分を見せるのが嫌で思わず見栄を張ってしまった。
アルトナー家には家族が世話になっている。あちらは恩返しだと言っているのでそこまで気にする必要はないだろうが、ディルクがフィーネを危険に巻き込むのは別問題だ。なるべく距離を置いておきたい。
(ラウラもなついているしな)
「ひどい、何それ! 約束したのに!」
「約束?」
馬車が学院の男子寮の前に停まり、二人の会話はそこで強制終了となった。
ここでディルクだけが降り、フィーネは、そのまま少し先の女子寮まで向かう予定だ。
馬車から降り立つと、すでに到着した寮生たちが集まり、入口の前で部屋の確認をしている。
「おい、あれ? アルトナーって今年二人も入学してきたのか? 後ろの、アルトナーの雷姫だろ。すっげえかわいい」
「前のは茶色っぽいし傍系じゃね?」
(二人? 雷姫? 傍系?)
振り向くと、すぐ後ろにはフィーネの姿があった。
なんだか目に涙をためて、不穏な表情だ。
そして、ディルクのことを知る者は誰もおらず、髪色からアルトナーの傍系だと思われているらしい。
「おい、ついてくるなって、」
「ディルクー」
懐かしい声がして、ディルクは思わず振り向く。
「ルペルト」
アッシュブロンドの柔らかそうな髪を揺らし、きらきらと目を輝かせて、子犬のようにディルクに抱きついてきたのはルペルトだった。
「……でかいな」
「ディルクは縮んだ? って、いってえ! 何すんだよ!」
「でかくてうざい。まとわりつくな」
「何だよー。俺たちの仲じゃん!」
ディルクより頭一つ分大きくなったルペルトだったが、その様子は二年前と変わらない。
思わず笑みがこぼれる。
「ちょっと、何よ! あなたディルクの何なの!?」
「親友だよ」
「親友!?」
「ただの友達だ」
「友達⁉」
何が言いたいのか、フィーネは、愕然とした表情でディルクを見る。
その表情は、みるみる変化していく。
ギリッと言わんばかりに唇をかみしめると、ルペルトに向き直る。
「あなた、強いの?」
「は? まあ、そこそこ強いぜ。ファルケハインの序列持ちだし? 序列はディルクより上だし?」
「勝負よ」
「は? なんでだよ。っていうか、お前誰、って、あ、アルトナーの……」
「あなたに勝って証明してみせるわ! 私のほうがふさわしいって!」
「え? 何に?」
(意味がわかんねえ)
ディルクは、未だ言い争っている二人をおいて、寮の部屋の確認をすることにする。
その時、ディルクの前を横切る人物がいた。
ぶつかりかけた肩を引くと、彼は、ニッコリとディルクに笑いかける。
「失礼、新入生かな」
「はい」
片側に垂らして結んだ青銀の髪に、小麦色の肌。穏やかそうな顔で微笑む彼が何者か一瞬わからなかった。
(あいつは、まさか)
ディルクは、ポケットの中の手を知らず握りしめる。
心臓がバクバクと脈打ち、緊張で手が震える。
「僕は、生徒会長をしている、ラシード・アル・ナジャールだ。困ったことがあったら頼ってくれ」
「おい、サマルカンドのラシード王子だよ。王子なのに、感じいいよな」
周りの声は、けれど、ディルクの耳には届かない。
(──兇王ラシード)
回帰前の世界では、ディルクが二十歳の時に大陸間戦争が起き、オスカーが国を裏切った。
その際にオスカーが手を組んだ相手が、この男だ。
戦争の口火を切り、世界を震撼させたサマルカンドの王子。
ディルクの前にいるのは、兇王ラシード、その人だった──。




