第八話 妹
そして、翌日。
「おはよー、竜輝君!!」
リサが早朝から家にやって来た。
その姿を見て竜輝は軽く緊張をする。
竜輝を迎えに生きてくれたのだろう。という事はいよいよ彼女の家に行く時間も迫ってきている。楽しみな気持ちもありつつ、怖い気持ちもありつつだ。
更に、リサの家だけではない。
今日ここで、リサの妹さんとご対面なのだ。
リサの妹。どんな感じなのだろうか。姉と同じように美しい美貌を兼ね備えているのか。それとも、14歳の少女らしい年相応のおどけなさを残す可愛さなのだろうか。
いや、こんなことを考えてしまったらまるで竜輝がロリコンみたいじゃないか。
竜輝は慌てて首を振った。
変なことを考えてはいけないのだ。
そして竜輝はリサについていく。
「ここが私の家だよー」
(この家が田島さんの家か、少し緊張してきた。好きな人の家に行けるなんて幸せ過ぎる)
「本当に入っていいんですか?」
やばい、変な事を聞いてしまったと、竜輝に冷や汗がたぎる。
だが、リサは元気に、「もちろんいいよー!!」と、笑顔で言った。
その言葉に安心した竜輝は中へと入っていく。
「ねえ、お姉ちゃん! この子が前言ってたプロ棋士の友達?」
「うん、そうよ」
友達と言われて、ドキッとする竜輝。
まさか、田島さんの友達と認定されてるだなんて。
いや、昨日そんな会話をしてるから、それはそうだけど、嬉しく感じる。
実際に友達だなんて言われると。
「田島さん。彼女が妹さんですか?」
「ええ、彼女が私の妹の、佐裕よ」
「佐裕さん……」
竜輝はその名前を口ずさむ。
彼女は姉であるリサに似ている。
その美貌は流石、兄弟というべきか。大きくは変わらない。美人兄妹だ。
姉よりも少し童顔だが、それでも、中学二年生としてはかなり整った顔だ。
将来有望と言った所か。
竜輝が彼女に見とれていると、
「竜輝君、粧裕みたいな子が好きなの?」
そう、リサが訊いた。
それに対して竜輝は「え?」と一言呟いた。
(これ、どちらと答えても不正解じゃないか? だって、本人目の前にいるし)
「お姉ちゃんふざけないで、立花さん困ってるよ」
「アハハ、ごめん」
リサは頭を軽く下げ謝った。ありがとう粧裕さん。そう、竜輝は心の中でお礼を言った。
「とりあえず立花さん」
一転真面目な顔をして粧裕は言う。
その表情に、竜輝はドキッとした。
「サインください」
その真剣な表情から言われたのは竜輝の思っていない言葉だった。
そりゃ、竜輝は将棋棋士であり、尊敬される対象だ。
なのにその言葉は予想外だった。
(焦った。告白されるかと思ってたのに、それですか)
「いいですよ」
「やった!!」
サインは、竜王就任の際にたくさん書いてきている。だから、サインなどはかなりうまくなっている。
竜王ともなればいろいろなところに書かなければならないのだ。
例えば扇子などだ。
案外サインをかく機会はある。
彼は、じっと、受け渡された色紙を見、そして書き始めた。
丁寧に丁寧に。
そして、書き終えたのち、色紙を粧裕に手渡した。
「どうぞ」
「わーい、竜王の色紙ね。嬉しいです!!」
「あ、言ってなかったわ。結構立花君の事好きなの」
「え?」
(やっぱり僕のことが? それは困る。僕は田島さん一筋だから)
「将棋棋士として」
(そっちですか)
「でも嬉しいです。僕のことを棋士として好きだというなんて」
どちらにしろ嬉しい事には変わらない。自分のファンが目の前にいるのだから。
本音で言えば好きな理由を聞きたいところだ。だけど、それは流石に少し攻めすぎな気もしてやめた。
そう言えば粧裕に注目をし過ぎて、部屋の感じはほとんど見ていなかった。しかし、所謂リビングだからという事もあって、あまり着目すべき点などは見当たらない。好きな人の家と言っても部屋まで三案蹴れば普通の家とあまり変わらない。その現実に軽くだけ、肩を落とす竜輝。
その後、軽く気まずい空気が流れたので、
「将棋、指しましょうか?」
竜輝は恐る恐るそう声を出した。
この言葉を言うのが正解なのか分からない。
だけど、言うしかない。そう、竜輝は思ったのだ。
「お願いします」
粧裕は元気よく言う。
「えっと、まずは指導対局と将棋指導どっちの方がいい?」
竜輝が問うと、「まずは将棋を教えて欲しいです」と、粧裕が答える。
ならば、大体のルートは理解した。
そして早速テレビをつけた。
そこに流れていたのはNHK杯戦だ。日曜日という事はこれが使えるのだ。
NHK杯戦は日曜日に流れる。
「これは僕の対局です。これを見ながら一緒に勉強しましょう」
竜輝は自分自身将棋を教えるのが得意とはいえない。だからこそ、自分自身の過去の対局から教えようという訳だ。
しかもその場合、大まかな事は、画面の中の棋士の先生方が教えてくれる。 解説役だ。
自分はその補足をすればいい。対局者側の視線で。
このNHK杯戦はまだ結果が出ていない。何しろ今対局が行われている訳なのだから。
つまり彼女もまだ対局の結果を知らない。
よし、これならいける、と。竜輝はうんうん頷いた。
そして、画面内で対局が始まる。
画面の中の竜輝が指していく。
その手は傲然と輝く一方、過去の自分を見ているようで嫌だ。
ここら辺は補足する説明なんてない、将棋盤を前に、粧裕と二人で座る。
(あれ、今思ったけど、結構これ気まずくない?)
初対面の女子と二人で、対局を見るって。
しかも自分の好きな人の妹だ。
だが、そう言っても仕方がない。
ただただ、画面を見る。
「これは、角換わりの王道の形になったね」
「……はい」
「ここから、どう攻めていけばいいかな」
竜輝は粧裕に訊く。だが、実のところ、竜輝はかなり緊張している。警護なのもそう言う訳なのだ。
「まずここから思い浮かぶのは、65歩から75歩と突き捨てを入れて、そこから桂跳ねしてから府の交換をするのが良いと思います」
まさに、定石通りの一手と言える。
角換わりの最新形の仕掛けだ。
だが、画面上の相手棋士の竜崎七段は、その仕掛けをしないで、じっと玉を囲いの方に持っていく。
「これは、安易に攻めると、僕が、角を生かして、反撃の手を企んでいた。だから、その前に相手は玉形を固め、反撃に備えたんだ。今の形だと、僕からの攻めも怖いからね」
竜輝は今粧裕が挙げた攻めをした場合、銀を引く手を考えていた。
そこで、角を攻防に打って、竜崎七段からの攻めを切らしながらこちらも攻めようと考えていた。
そしてその後も、均衡状態が続く。
だが、僕は知っている。56手目、ここで後手の竜輝が攻めていく。
「歩を付き捨てて、その裏に角を放った」
「ええ、僕の狙ってた手です。四段目なので角は成れませんが、39角成と、玉の斜めを攻める手を狙っています。角成を防いだら次は玉のこびんを責めていこうという事です」
こびんとは所謂玉の斜めのライン。つまり急所だ。
角で玉を取れば勝ちなので、角のラインで攻めていき、取ったら玉が取られるので取れない歩を打っていく攻め方だ。
「長考してますね」
「そりゃ、厳しい一手ですから」
そう、この手がそう易々と決まらないのが、プロ将棋界。
ちょうどそのタイミングで、
「竜崎七段、持ち時間を使い切りましたので、これより行って三十秒の秒読みとなります」と、対局時計がガリが言った。
そして、指したのは、48飛車だ。角成自体は防いでない。だが、角がどけば、飛車先の歩を付き、弱い六筋を狙っていく。
そう、敢えてどちらも受けない指し方だ。
「この手は予想外の物でした。角を成れば、桂香を実質ただでとれますから」
そう竜輝が言うと、粧裕もうんうんと頷く。
「僕は単に角をなりましたけど、もしかしたらここは、あくまでひいといたほうが良かったかもしれません」
実際、角をなって桂香を取れたのはいい物の、そのあとうまく働かなかった。
そして、局面が過熱していく。その後先手も飛車をなって、攻めあいだ。
「さて、これはどちらが優勢だと思いますか?」
「えっと、先手優勢ですか?」
「その通りです。玉系の差で、僕の玉は囲いに入るのが難しくなっている。さらに先手に楽しみな手が残っている。それこそ、僕の銀桂得が意味をなさなくらいに」
ここで竜輝ははっきりと劣勢を自覚した。
「とはいえ、僕も桂馬と香車という小回りの利く駒を二つも持ってますし、飛車先がしっかりと玉に向いている。少し猶予を持てたら、飛車と香車の二段ロケットや、桂馬をいやらしいところに打ったりと楽しみは残っています」
そのまま解説は進んでいく。
結局一時間半のテレビを見終わるのに、二時間かかった。
「はあ、勉強になりました」
「僕もだよ。まあ、この対局僕が負けてるから気まずいんだけど」
できれば、勝った将棋を解説したかった。それを今言っても意味がないのだが。




