第二話 帰路
そして翌日、竜輝は対局へと向かった。相手は水上勇人八段。
彼は御年四十六のベテランだ。
過去にはタイトル獲得経験もある。まぎれもない強敵だ。
(僕にとっては今日よりも明日の方が大事だけど。でも、今日は負けるわけには行かない。今は今のことを考えないと)
そして、彼は畳の上に座り対局へと心を落ち着かせる。
(やっぱり、明日が楽しみすぎて、心が落ち着かない。精神統一精神統一)
そう心で念じて、そして手を強く握り、雑念を追い出した。
そして初手、二六歩とついた。結局その対局は竜輝の圧勝に終わった。
総手数九十七手で竜輝が勝った。
水上の四間飛車の陣形をうまく崩したのだ。
結局受けの上手い水上の玉をあっさりと露出させ、必死(何をしても次の積みが受けられない)をかけて終わりを向けた。
だが、誰もがこの終局を予想していた。
それくらいにこの時代における立花竜輝の実力は桁外れな物なのだ。
(ふう、今日も勝った)
上機嫌で竜輝は家まで戻る。連戦連勝で調子がいい。
絶好調と言っても差支えがないだろう。
そしてご褒美として明日はリサに勉強を教えてもらえる。
こんなうれしいことはほかにない。正直毎日対局日が来てもいいくらいだ。それくらい勉強会が楽しみなのだ。
そして翌日。
「じゃあ、行こ!」
そう、リサが元気よく言った。向かう場所は図書館だ。
そこで、勉強を教えてもらう事になっている。
「じゃあ、お願いします」
そう言って竜輝は二千円札が入った封筒を手渡す。
「わーい、お金だお金だ」
そう言って財布にしまうリサ。嬉しそうだ。漫画ならば、目がマネーのマークにでもなっているだろう。
「さてと、始めましょうか」
リサが言って、勉強会が始まりを告げた。
その勉強会。先生さながらの感じで勉強を教えてくれた。
学校の先生よりも分かりやすく、さらにどの将棋の定石書よりも分かりやすいなと、竜輝は思った。
その一日の勉強会。実際は彼女の教える技術が高く、一時間きっちりで竜輝は理解することが出来た。
「それでさ、せっかくだから、予習もやっちゃわない?」
帰ろうかという時に竜輝はそう言われた。
「え?」驚いた。
「だって、二千円もらったってるからさ。一時間じゃ申し訳ないなって」
「時間は……大丈夫なの?」
「うん。私家に妹だけしか居ないからさ。……って、立花君、もしかして将棋で忙しいから早く切り上げたいとかあった?」
「い、いや。そんなことは無い、です」
将棋の研究もしなくてはならない。昨日の将棋の一人反省会もできていない。詰将棋も少し解きたい。
だが、それら全部リサと喋る事、それには変えられない物だ。それに、いざとなれば睡眠時間を削ればいいだけの事。
「分かった。じゃあ、やろう」
そして、翌日、そのまた翌日分の勉強をした。
実のところリサにとっても、未来の予習が出来るから悪くないという事らしい。
そして竜輝にとって何より、幸せな勉強会がさらに長く続くのが楽しい。
「……田島さん」
そして、楽しい勉強会も終わりを迎えようという時、
竜輝はそう恐る恐る言う。
「今日は本当にありがとう」
そう、顔を赤らめないように言う。ドキドキを隠すのに精いっぱいだ。
「どういたしまして。こちらこそお金貰ったからお互い様だよ」
そう言って手で金のマークを作り出すリサ。
悪代官みたいだ。
「さて、立花君。君の家はどこだい?」
上機嫌にリサが言った。
「え?」
竜輝はまったく予想してなかった言葉に思わずたじろいた。
「一緒に帰るなら、どこまで一緒に帰るか分からないとね」
「……一緒に帰るんですか?」
「ん、そだよ。逆に一緒に帰らないの?」
帰るのが当たり前みたいに言うリサに、竜輝は思わず「いやいや」と首を振る。
「友達は?」
「先帰ったよ」
「……僕と一緒に帰って誤解されない?」
「誤解ってなんのことよ。別に男女が一緒に帰ることを恋愛に結びつけようとする人がいたら私がぶっ飛ばすよ」
「そうですか」
意識されてないんだなと、一瞬がっくり来た。
だけど、リサと一緒に帰れるのは嬉しい。
「帰りましょう」
そう、竜輝は言った。
恐らくリサにはそんな意思はないだろう。
だが、竜輝にとってこれは一種のデートだ。
(ああ、どうしよう。竜王戦の時並みに緊張する)
竜王戦。当時四冠王の岩井名人と戦った時。
第七局までもつれ込み、最終戦も百六十一手もの大熱戦になった。まさしく死闘だった。
「そう言えば、昨日の対局軽く見たよ?」
そう言われ、竜輝は途端にドキッと緊張する。
好きな人に対局を見られていた。心の準備がいるやつだ。
「かっこよかったね」
竜輝の心は舞い上がった。
かっこよかっただと? 正直どんな言葉よりも嬉しい。
「あ、対局姿がね。棋士ってあんな風に盤面に向き合うんだなって」
「まあ、うん。だって、僕たち棋士にとって対局はまさに命の取り合いみたいなものだから」
そもそも将棋の盤内はまさに戦争だ。
どちらかが王将を先に打ち取るか。
金銀と言った守備駒でどう王城を守り抜き、どう飛車角桂香の攻め駒で王を詰ますか。
そこが将棋の面白いところだ。命を半分賭けていると言っても過言ではない。
「僕にとって誰にも負けたくない。それだけだよ」
そう言った直後、咄嗟に竜輝は軽く口を抑えた。
(もしかして僕、喋り過ぎた?)
将棋の話になるとつい熱中するのは、将棋をたしなむものとしての欠点だ。皆竜輝みたいに将棋に熱中していない。
それに、
(最後、中二病みたいなこと言ってなかった?)
やらかしたやらかしたやらかした。
そんな後悔の念が延々と竜輝の頭の中を,巡る。
「ふふ、立花君は面白いね。やっぱ棋士なんだなあ」
(首一枚つながった)
結局面白いと判断されるかどうか。
面白いと評価されたならば、別に構わないのだ。
「私ね、なんだか将棋棋士ってあまり知らなかったの。でも、あんな風に考え込んでいるのを見ると、こういう世界もあるんだなって。……立花君はすごいね」
「僕はすごくありませんよ」
竜輝はすぐさまそう返した。
「僕はただ将棋が出来るだけですから」
正直に言えば竜輝にとってすごいと思えるのは、コミュ力の塊であるリサの方だ。
所詮将棋が出来ても、コミュニケーション能力がなければ、それは人間として最適な形とは言えない。
「僕はあなたがうらやましいです。……人と会話が出来て」
ぼっちの竜輝にとっては中々ハードルの高い事なのだから。
「んー。大したことないよ。そんな将棋でプロになるよりはね。……今度協力してあげようか?」
「へ?」
「話しかける練習だよ。……どうせ立花君は、今まで将棋ばかりで、人とかかわる場面なんてなかっただろうしね。あ、でも私には話しかけてたか」
「……確かにそうですね」
あの時は偶々勇気が出ただけだ。
話しかけたのはいいものの、うまく話せたという自信は竜輝にはない。
「ダイジョーブ、私の友達にも話しかけて、コミュ障を直していこー!!」
そう元気に手を上げるリサ。
そんな彼女はまぶしかった。
竜輝的にはそこまで多くの友達が欲しいわけでは無い。ただ、その過程でリサとの関係が発展する可能性がある。
そうなれば竜輝にとっては最高だ。




